アイスの木
(うん?)
初夏の平日の昼下がり、人の行き交う都会の町中。スマホの画面を見ていて突然唸った誰か。其れが見ていたのは、某サイトのニュース記事だった。
【○○製菓会社の新製品ならぬ新発明? アイスクリームを実らせる木!?】
(ねえ。ちょっと胡散臭い? まあでも――)
そんなことを考えながら、その記事へのリンクをタップする。
【××大学との共同開発、サイバネスティックな氷柱の放射成型機能と保冷機能を内臓した、全自動自発的アイスクリーム製造半機械、実験的に今年7月上旬から都内八か所に設置決定。】
××大学なんてお堅いところが、こんなのに手を出すとは到底思えなかったが、発表されたということは、そういうことなのだろう。
嘘記事じゃあなさそうだし、撤回も無さそうだった。
(さてと――)
其れはにやりと笑った。
そして、二か月後。7月7日のことである。
誰かは、設置場所の一つ、都内有数の面積を誇る公園の広場に立っていた。朝五時なだけあって、夏でありながらも、涼しい風と程よい光が差す。
其れは、前日からそこにテント持ち込みで泊まり込んで、公園で一夜を過ごし、目を覚ましてテントの外で気持ちよく背伸びをしているところだった。
警備員やスタッフといった類は一切居なかった。こういった、お祭り的な新製品のオープニングにはそれは非常に珍しいこと。
アイスの木の姿はこのときまで一切曝されていなかった。
○○製菓会社の粋な計らいである。
【アイスなんて、誰かに見られたり、撮られたりしながら味わうものではないでしょう。何気なく、暑さを感じたときにつまむものなのです。】
某SNSサイト上の○○製菓会社のアカウントに投稿された、社長直々のメッセージは広く広く拡散されていた。
(こんなの見たら、きっと、迷ってた人たちも押し寄せてくるに違いない)
そんなことを考え、熱気に囲まれる、リリース直後のアイスの木を想像する。
(溶けていなかったらいいけど……)
だからだろうか。其れが昨日の夜テントに入る直前より、集まっている人々の数は増えていた。最初が100人くらいだとすると、今はきっと、その倍はいる。早朝であるにも関わらず。
(意外とみんな、暇なのかな?)
そんなことを其れは考える。その日は平日だったのだから。そして、スーツ姿の者はほとんどそこにはいなかった。
約四時間後。午前7時7分7秒。
とうとうその時がやってきた。
(アイス、アイス、てん、てん、アイス、アイス、てん、てん)
頭の中で、変な音楽が流れ出していた。いよいよ待ちに待ったアイスの木。そこから出てくる、生る、アイスを見られる、口に運ぶことができるのだから。
列に並びつつ、其れは考える。ちなみに、其れは、数百人が並ぶ列の前から百人目くらいにいた。ツリーまでの距離は数十メートル。先頭であればおそらく、1~2メートルといったところだろうか?
全長数メートルの季節外れのクリスマスな木。
(ここから見ていても、相当、大きい。一体、どんな形でアイス出してくれるんだろう?)
まず集まっている人々は係員が誘導する列に並ばされ、それが終わったところで、スタッフは列周囲から離れていく。
そのスタッフたちが、アイスの木の運び入れも担当しているようであり、公園に横付けされたやたら体に悪そうなケミカルな色の組み合わせでマーキングされたトラックから、大きなコンテナを下ろす。コンテナはどういうわけか、武骨な鉄色のものだった。大きさは六畳一間の部屋くらい。
人々は、スマホでその光景を収めたり、ガチな人は本格的なカメラ機材を用意して撮影していた。メジャーなテレビ局のカメラまで並んでいる。
(やっぱり、このイベント、注目度高いんだ)
そんなことを考えながら、ただ、その様子を見つめる其れ。
アイスの分量はどれほどなのか、どれだけの人数に初日配るのか、など、そういった普通ならあるはずの情報が何も公開されていなかった。
SNSなどでのお漏らしすら一切ない、そんな具合。
そして、とうとう、アイスの木が姿を現した。
コンテナの上蓋が剥がされ、そして、側面である四面が展開図のように開かれる。激しい冷たい霧がその中には充満していたようで、周囲に飛散する。ちょっとした風を巻き起こしつつ。
それはそこにいる人々の予想よりもかなり強かったらしく、スタッフと、列の前の方の人々が吹き飛んでいく。
其れは、その様子を、踏ん張りつつ、見ていた。
スタッフたちは笑いを浮かべながら吹き飛んでいることから、これは予め計算されたことらしい。
其れの前の人までが吹き飛んで、其れは列の最前列に繰り上がることとなった。
(なにこれ、なにこれ? まあでも、これで、一番最初にアイス食べられる!!)
吹き飛ばされた人々も、そうならなかった人々もその様子を某SNSに載せようとし、書き込もうとして気付いたらしい。
○○製菓会社の社長のメッセージに。
【ズルはいけません。列には、当日になってから並ぶようにしましょう。ちょっとは自重を。それが祭りを楽しむコツです。】
喜怒哀楽の声が会場には渦巻き、SNS上は、大炎上していた。
(狙ってやったんだろうな、きっと……)
其れは溜息を吐いた。二重の意味で。
目の前には、倒れた巨大雪だるまのような構造物に、ツリーが根っこから刺さっていた。クリスマスに、駅前などに設置されるような巨大なツリーが。
(冬を絞り出した贈り物、とでも言いたいのかなあ……)
その意図を其れは想像した。
スタッフは吹き飛んでいない。そして、どういうわけか、テレビ局のカメラや人員も吹き飛んでいない。
残されたのは、会場に集まった人々だけ。
すると、ツリーが輝き始め、クリスマスの飾りつけのように、アイスが、様々なタイプのアイスが、梱包や包装や、棒などがくっついていない状態で、生る、生る、生る、生る!!
それらは冷たい冷気を周囲に見える形で放出しており、キンキンに冷えて居ることが分かる。
熱くなっていた人々は、それを見て、こらえきれなくなったらしい。走る走る。次々に走り出す。順番なんて、関係ない。構いっこない。
スタッフもいない。テレビ局のカメラもいない。
となれば、皆、自身の欲求を優先する。平日にこんなところにいる地点で、そこに集まった人々の欲求はかなり強いものである。
列の前後関係なく、吹き飛ばされた人々も参入していきて、団子状のショートランの模様を醸し出す会場。
其れも勿論走っていた。自身の最大のアドバンテージ、距離を活かし、雪だるまっぽい構造物に乗り上げる。
早い者は、既に木をよじ登り始めていた。
低い場所のものを取ろうとする者もいたが、そういった者は、実を取ったあとの激しい争奪戦の贄となっていた。
だから、其れも上を目指す。
上に上るには、不都合な、不具合のある恰好であるが、それでも上る。衣服が邪魔だと思いつつ、破れも気にせず、上る。
上にいる競合者を下から掴んで引き摺り降ろし、下にいる競合者を足で蹴り落とす。
すっかり熱が昇り、下の方のアイスは溶けていた。必然的に上を目指すしかなく、其れは必死に上を目指した。
そして、掴む。
○○製菓会社独特の、真ん丸平たい、饅頭のような形のアイスを、掴む。そして、熱で溶けないうちに、奪われないうちに、口に含め――
(体が、蕩ける……)
あまりのおいしさに、木をがっしりホールドして支えていた自身の体を離してしまい、下へと落ちていく。下の人々を巻き込み、木々を折り、巻き込まれて落下する人々という、阿鼻叫喚の塊を作りながら。
倒れた雪だるまのような構造物は、柔らかいクッション素材と熱放出材と、氷点下まで冷えた水が氷に変化した粒を付けた衝撃緩衝材の役割を果たし、其れは怪我をしなかった。巻き込まれて落ちた人々も。
だが……。
周囲がやけに騒がしい。
ぱちり、ぱちり、という、鳴ってはいけない音が、頭上から聞こえてきていた。
そして――
人々は大声をあげながら、散り散りに逃げていく。そこから離れていく。アイスの木が、内部のサイバネスティックな線や骨の役割をする構造体や、熱処理関係の部位を曝け出し、そこから出ているコードは千切れ、電気を走らせ、そこにアイス由来の水が触れ……燃え上がったからだ。
そうして、アイスの木は焼け落ちて、残骸へと変わり果てた。
スタッフが誰もいなかったこと、映像がSNSなどに残されていなかったことから、其れが直接の犯人であると断定されることはなかった。
だが……。責任は誰かが取るものである。
その日の昼。○○株式会社社長が謝罪会見を開き、会社は即畳まれることとなった。公園への賠償金と、残骸の処理、テレビ局への迷惑料をせしまれて。
当然、他の会場で行われる予定だったアイスの木のオープニングセレモニーは無しになった。
アイスの木、この技術は本物であり、世界中にその特許が売り出されたので、お金の未払いは、莫大な額の賠償金にも関わらず、無かったらしいが。
元社長となった者は、最後に声明を発表して、姿をくらました。
【こういう、バカ騒ぎなお祭り、やってみたかったんです!!】
大学生のノリのようなメッセージが某SNS上にあげられ、元社長は色んな意味で伝説となった。
(愉快犯、だったのかな??)
そんなことを其れは頭に浮かべた。
××大学は、○○株式会社から、アイスの木オープニングイベントにおいてやりたい研究をやらせてもらうということで、協力したと、声明を発表した。
人々の、集団心理の研究らしい。ちなみに、彼らの誰もが責任はとっていない。その研究データを活かし、幾つかの名論文に仕上げたからだ。それはあまりに迅速であり、国も彼らをこれ以上責め立てることはできなかった。
(いいのかなあ、これ……)
其れは、溜息を吐きながらそんなことを考えた。
そして、誰か。つまり、其れはというと。
そのやたらおいしかったアイスの味を忘れられず、全てを放り出して、アイスの木の特許を買い取り、展開を始めた会社の一つに潜りこんだのだった。
そして、今日も。
初稼働のアイスの木の前に、真夏の朝、職権を使って最前列で、一般人に紛れていた。
そして、恒例のように吹き飛ばされる、スタッフたち。
其れは吹き飛ばされないように、手足に重りを仕込み、登山用のリュックを背負い、その中にも重りを大量に入れていた。
強烈な風をやり過ごし、其れは走り出した。
(てっぺんを、今日も!!)
あのときのような、極上の熱と、体が蕩ける美味しさと、口に触れる冷たさを求めて。