魔王5
「コルル」
「うぅ……ベリア様ぁ」
広間に降り立ったベリアは、傷だらけのコルルを見て驚愕する。
「ボロボロじゃないの……あなたがここまでされるなんて」
「あ、はは……だ、大丈夫です。魔力は空っぽですが」
命などに別状はないことを知りホッと安堵の息を零すベリア。
「うぅ、ベリア様っ……待ってました。お待ちしてましたぁ」
「よ、余程怖い目にあったようね。もう大丈夫よ」
涙声でベリアに抱きつくコルル。
「それでコルル、さっきの鎧を着た者はいった……あぶないっ!」
「ベリア様っ!」
胸元のコルルをベリアの手がはじき飛ばすと同時。
下から猛スピードで飛んできた『重力砲』がベリアを直撃し、そのまま天井を破壊して、ベリアを空高くへと運んでいく。
直後、ズウウンと大きな着地音。
「……ただいま、待たせたな」
「ひいいいいっっ!」
ベリアの魔法に吹き飛ばされ、地上に落下した俺は大ジャンプして、最上階へと戻って来た。
「よくもやってくれたな。情けないことにドップリとハマっちまったぜ」
「……あ、あれ? 君、意識が戻ってる?」
「おかげさんでな」
まだ若干、頭が霞みがかってるというか。
どこかモヤモヤしてる感じだけどよ。
不幸中の幸いというか、魔法攻撃と最上階からの落下の衝撃。
強烈な刺激を与えられて体内魔力が掻き回されたせいか、幾分か興奮は収まっているようだ。
「くそが、マジでメンドくせえ状況にしてくれやがって……覚悟はできてんだろうなぁ?」
「……っ」
俺はコルルを睨みつける。
おかげでとんでもない事態になってしまった。
俺を力づくで弾き飛ばせる強力な魔法。
誰が来たかなど……わざわざ姿を見ずともわかる。
「ち、まぁ今はそれどころじゃねえが……後で覚えていろよ」
完全に想定外だ。
勝利を確信したあとが一番危ないとはよく言ったもんだ。
まさか俺が短時間とはいえ、魅了で我を失うなんてな。
俺を知る誰もが予測できなかっただろう。
「さぁて……逃げるぞっ!」
「えっ! な、なんでっ? ベリア様と交渉するんじゃっ!」
「それがすんなりできる状況かよっ! 全部てめえのせいだろうがっ!」
困惑するコルルを胸元に抱えて窓へと駆け出す。
「え、ちょっ……まさかっ、ここから飛び降りっ」
最上階から地上へと迷いなく飛び降りる。
「ひうっ、う、ああああああっ!」
「文句があるなら俺の翼を奪ったベリアに言いな」
落下中、猛スピードで迫る地面に悲鳴をあげるコルル。
だが相手がリーゼならともかく、彼女に配慮する理由もない。
派手な音をたてて地上に着地。
モクモクと土煙が上がる中、急いで立ち上がり街中へと駆け出す。
「……いない、逃げたのか?」
上空へ飛ばされたベリアは『重力砲』から脱出して城へと戻る。
「ベリア様っ!」
「……キヌレ」
ベリアがコルルを探していると、やってきたのは側近のキヌレ。
「こ、これは……まさか例の侵入者が」
「……侵入者」
豪奢だった大広間は、散らばった柱や壁の残骸で見る影もない。
天井には大きな穴が空いてビュウビュウと風が入ってくる。
「キヌレ、侵入者は黒い全身鎧を着ていた?」
「は、はい。そう聞いております。ベリア様の留守の間にコルルナイトのふりをして忍び込んでいたようです。私はコルル様と別の場所を探していたのですが……」
「その男にコルルが誘拐されたわ」
「そ、そんなまさかっ! コルル様がっ!」
コルル誘拐の報に、信じられないと目を大きく開くキヌレ。
「私はこれから急ぎ侵入者を追う。急いで街の住民たちに非常事態宣言を出して、兵たちには街の外に出たらわかるように包囲網をしくように、ただしコルルを負かす程の相手だから戦闘は避けること、居場所だけわかればいい」
「わかりました! すぐに!」
ベリアが空へと飛んでいく。
命令を聞いたキヌレが動き出そうとした時、大広間に二つの足音が響く。
「……くっ、いない!」
「ああ、遅かったっ!」
「ま、魔王、クライフ? ……それにメ、メイド?」
慌てて走ってきたメイド服を着たリーゼとクライフ。
二人が登場したことに戸惑うキヌレ。
「確か貴方は今日、コルル様が街から連れてきた……」
「彼女は俺の妹のマリーゼルだ」
「い、妹?」
告げられる事実に、キヌレは理解が追いつかない。
「時間がないから細かい事情は後で説明するとして、ベリアの参謀のキヌレ……だったな?」
「は、はい」
「ベリアとコルルはどうした? ここで起きたことを教えてくれ!」
「そ、そう言われましても……」
「まぁ、大体の事情は推測できているがな。おそらく、先ほど鎧を着た侵入者がこっちに来たはずだ! コルルが追われているのを見たからな」
真剣な顔でキヌレに語りかけるクライフ。
「事態は君が思っている以上に危険かもしれないんだ。下手をすれば街が滅ぶ! 主人のベリアの命にも関わる」
「ば、馬鹿な……ベリア様までがその侵入者に敗北すると?」
「勝敗はともかく、ぶつかったらただでは済まないはずだ」
「その口ぶり、クライフ様はその侵入者の正体を知っているのですか?」
「知っている、だから俺たちは二人の戦いを止めに来たんだ!」
「……戦いを、止めに」
思案するキヌレ。
「俺はベリアに幽閉されているという立場だ。彼女にとって味方とはいえない、すべてを信じられないのも無理はない。だが、もし俺が事を起こすつもりなら、この機に君に顔など見せる必要なく逃げていたのはわかるはずだ」
「そ、それは…………」
考えた結果、クライフとリーゼに説明していくキヌレ。
ここまで大事になった以上、すべてを隠すことはできない。
魔王クライフは大凡の事情を把握しているし、侵入者に関する重要な話を聞けるのなら‥‥との判断だ。
お互いに迅速に情報交換。
キヌレに侵入者の正体、侵入の目的を伝えるクライフ。
クライフとリーゼはアルベルトがコルルを誘拐して逃げ、ベリアがそれを追っていることを知る。
「侵入者の正体が、まさかベリア様が話していたガーゴイルなんて」
「ああ、ベリアがここにいれば事情を話して、捜索を手伝わせて欲しかったんだが、俺は一応幽閉されている身だしな」
「それはさすがに私の一存では判断が……」
「わかっている……だが、緊急事態で時間もない。アイツを止められるのは俺たちだけだ」
キヌレとクライフの視線が交錯する。
「キヌレ様っ、大変ですっ!」
「こ、今度は何っ!」
血相を変えて大慌てて走ってくるサキュバス。
「城内で魅了が解けて正気に戻ったコルルナイトたちが、大暴れしていています!」
「つ、次から次へと…‥どうして? 彼らはコルル様の誘惑の支配下に置かれていたはず」
「コルル様の身に何か起きたのかもしれません。気を失って制御ができなくなったなどで、魅了が解除された可能性も……」
突然の報告に困惑するキヌレ。
侵入者の件に加えて暴徒と化したコルルナイトたち。
人格はともかく、その実力は確か。
自分たちだけで事態を鎮静化することは難しい。
「ど、どうすれば……このままじゃ」
「……」
キヌレの切羽詰まった顔を見て、クライフが呟く。
「仕方ない。城のコルルナイトたちは俺が抑えよう。マリーゼル、アルベルトの捜索を任せられるか?」
「兄様……はい! 必ず見つけてみせます!」
「頼んだぞ」
強い意志を込め、大きく返事をするリーゼ。
「……ど、どうして私たちに力を?」
「コルルもベリアもいない今、止められるのは俺しかいないだろう」
「クライフ様……」
「同盟相手に手を貸すのは不思議でもなんでもない。気にするな。それに……こうすれば少しは俺のことを信じてもらえるだろう」
「あ、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるキヌレ。
「さて‥‥そうと決まったら急がないと! キヌレさん、ここから城の下に降りるための経路は?」
「経路は…‥いえ、空から探しましょう。私も一緒に行きます!」
「え?」
「その方が広範囲を探せますから早く見つかるはず。女性一人くらいなら空を飛ぶのに支障はありませんし、ベリア様に会った時もスムーズに話ができます。マリーゼル様が万が一、誤って攻撃を受ける可能性もぐっと減ります」
「確かにそう、ね。お願い! キヌレさん!」
「はい!」
キヌレが傍に控えていたサキュバスに、自分の代わりにベリアの指示をこなすように伝えたあと。
キヌレとリーゼは城から空へと飛び去っていった。
その頃、ベリアは……。
(……どうやってコルルを見つけるか)
城を出て上空から魔力感知でコルルの気配を探る。
だがコルルの魔力は弱っているせいか感じない。
侵入者に関しても、魔力を隠蔽しているのかそれらしき反応はない。
さすがにまだ、街の外には出ていないと思うけど。
それにしても……先ほどから不思議な感覚を覚える。
今日、温泉からリドムドーラに戻って以降、妙に胸がざわつくというか。
うまく表現できないけど、まるで見えない糸で何かと繋がったような。
糸を辿れば侵入者に辿り着けるような、そんな不確かな感覚。
(普段なら直感に頼るような真似はしないのだけど)
私は糸の先に導かれるように空を飛ぶ。
本当は街で騒ぎになっている場所を空から探って、地道に侵入者を探すべきなのだろうけど、どうにもその感覚を無視する気にはなれなかった。
それと……今のうちに捕らえるための準備をしておくか。
侵入者の実力の底が知れない。
先ほどの『重力砲』は凄まじい威力だった。
ギリギリのところで防御魔法が間に合い、上空に吹き飛ばされるだけで済んだが、直撃を受けていたら面倒なことになっていた。
最大限の警戒を持って叩くべきだ。
城から飛び降りた俺はコルルを肩に抱えて、街のメインストリートを全力で走る。
「きゃああああああっ!」「うおっ、危ねえっ!」
通りにはこれから出勤する風俗嬢。
仕事終わりで馬鹿話をしながら肩を組んで歩く男たちの姿がある。
彼らは走る俺たちを見て何事かと悲鳴をあげる。
元々賑やかな夜の街が更に賑やかになる。
「な、なんでベリア様から逃げたのっ!」
コルルが訳がわからないといった顔で問いかける。
「お前に襲いかかる場面を見られて、交渉なんてできるわけねえだろ!」
「だ、だからって……あんな風に攻撃して逃げたら、自分が完全に危険人物だって伝えているようなものなんじゃ……」
「……う、うるせえ」
そうかもしれねえけど、今更言っても仕方ねえだろ。
さっきの俺はそれが最善だと判断したんだよ。
俺はその時、その時で生きる男なんだよ。
「なっ、なんだなんだっ!」
「って、あれ? あの鎧男に担がれているのコルル様じゃ?」
「あの赤い髪、不敬ながらも抱きしめたくなるようなキュートな容姿……やっぱりコルル様だよな」
「くっ!」
戸惑う民衆たちの声に、肩に抱えられたコルルの身体がピクリと震える。
「い、いや……でも、そんなはずないか」
「ああ、やっぱり別人だろ……まさか魔王が捕まるわけ」
「ああ、あのコルル様がそんな醜態を晒すわけ……」
「きっとそのへんの、似ている街娘だろう」
「くっ、屈辱だっ、屈辱だあああああっ!」
ジタバタと暴れるコルル。
「暴れんじゃねえ! 大体、こうなったのは全部てめえの自業自得だろうがっ! せっかくこっちが穏便に済ませようとしていたのによ!」
「うぅ……逃げて捕まって、助かったと思えばまた捕まって……」
「キャッチアンドリリースってやつだな」
「二回もね! 私魔王なのにこんな魚みたいな扱い」
ピーチクパーチクと耳元で騒ぐコルル。
コルルの容姿と知名度も相まって、民衆から注目を浴びまくりだ。
「うぅ、こうなるぐらいなら、希望持たせないで欲しかったよ!」
「ああもう、うるせえなぁ……お前が喋ると目立つから少し黙ってろ!」
「むぐうううっ!」
ジタバタと動くコルルの口を塞いで、道を駆ける。
目的地が決まっているわけではないが、とにかく城から離れようと全力疾走する。
(……む?)
走っていると、上空から強大な魔力反応。
頭上を見れば夜空に浮かぶ血のように赤い巨大な丸い月。
(おかしいな、今夜は新月のはずだが……)
赤い月が煌々と輝き夜の街を照らす。
時間が戻り、まるで今が夕方になったような錯覚を受ける。
『……見つけたぞ』
脳裏に響く女の声。
二ヶ月ぶりに聞くその声は、一瞬で俺に最大限の警戒を抱かせる。
「……まさか、本当にすぐ見つかるとは思わなかったわ」
上空には黒翼をはためかせる美しい銀髪の吸血鬼。
「逃さない……絶対に」
「魔王、ベリア」
「私が留守の間に随分と好き勝手に暴れてくれたわね……コルルは返してもらう」
コルルを奪い返しに飛んできたベリア。
随分とお早い登場だ。
魔力を隠蔽して群衆の中にうまく紛れちまえば、どうにか隠れられるかもと思ったんだけど、考えが甘かったか。
ベリアの登場に、何事かと戸惑う民衆。
サキュバスと吸血鬼が民衆の避難誘導にあたっている。
周囲から人の気配が消えていく。
「コルル! コルルッ! ……気絶しているの?」
そんな中、ベリアがコルルに呼びかけるも返事はない。
肩を見ればコルルはいつのまにか意識を失っていた。
魔力も体力も空っぽ、俺との激戦でも疲労しているだろう。
無理もない。
いや……俺が口を塞いだせいかもしれんけど。
まぁ起きて騒がれても面倒だし、このまま放置しておこう。
コルルを奪い返そうとベリアが動きを見せる。
彼女の周囲に十を超える火球が生成される。
(って、おいおい……いきなりか?)
ベリアが指を動かすと同時。
猛スピードで上空から火弾が降り注ぐ。
だが……。
「……舐めてんのか?」
一度戦った俺は彼女を、イモータルフォーの実力を知っている。
俺は左腕を空に伸ばし、一つ残らずすべての火弾をはじきとばす。
火球は速度はあるが威力は最低限の中途半端な攻撃。
コルルを抱えていても十分対処できる。
「この程度の魔法攻撃で俺は倒せねえよ」
「…………」
児戯に等しい内容の攻撃。
まぁ、彼女の立場で考えてみたら街中で派手な魔法は使えない。
滅茶苦茶な攻撃をすればコルルに攻撃が当たるかもしれないしな。
「はぁ……」
ため息を吐くベリア。
攻撃を防がれてもベリアの表情に驚きなどはない。
予定調和であったようだ。
「一体、世界はどうなっているんだ? 私が知らないだけで世界には貴様のような存在がたくさん存在しているのか?」
それは誰に向けたわけでもないであろう、ベリアの呟き。
「もうやだ、疲れる、本当に疲れる……いい加減にして欲しい」
「……」
「ああ……どうしてこんなに疲れることばっかりずっと続くのか」
「……き、急にどうしたよ?」
俯き、ぶつぶつと愚痴を零しはじめるベリア。
色々疲れているのかもしれない。
世界最強のイモータルフォーと言っても一人の女だ。
彼女にだって悩みだってあるのだろう。
精神的に参ってしまうこともあるさ。
俺でよければ話を聞いてあげることもやぶさかではないぞ。
「三年続いたランヌとの戦争が終わって、これから少し楽になるかと思いきや……それ以上に危険な奴が出てくるし」
なるほど……それは俺が原因だな。
「勧誘していた魔王が傘下に入ると思って喜べば……こんな状況になるし」
なるほど……それもたぶん俺が原因だな。
「今日もまた、貴様のような奴に会うし……」
なるほど、すべて俺が原因だな。
やはりというか、全部俺が関係してるっぽいな。
なんつうか、これ……本当に戦いを回避できるか?
い、いや……弱気になるな。諦めるのはやるだけやってからだ。
「ま、まぁいいや。色々大変みたいだけど、とにかく話をしよう……コルルを解放して欲しければ」
「……その必要はないわ」
「は?」
まさか、コルルを捨てるつもりか?
彼女らしくない予想外の言葉に戸惑う俺。
「こうしている間に……準備はもう終わっているから」
「??? 何を言って……な、なんだ、これ?」
ベリアがそう言い終えると同時、足元の地面から赤黒い影が伸びて俺の身体に纏わりつく。
そして、肩から感じていたコルルの重みが消える。
「……げっ!」
影の一部は俺の腕をすり抜けるようにして、コルルの身体だけを包み込み、ベリアのいる空へと運んでいく。
俺は慌てて捕まえようとするが……。
(ど、どうなってやがる? 身体が……うまく動かねえ)
身体が地面に縫い付けられたように重い。
纏わり付いた赤黒い影が俺を地上に引っ張るように縛り付ける。
戸惑っている間にも、全方位から赤黒い影が俺の足元へと集まってきている。
どんどん拘束力が強くなってきている気がする。
「『血染めの月』で生成した影は貴様を朝まで縛り続ける」
「血染めの月?」
魔法? それとも吸血鬼真祖の固有能力か?
原因はおそらく、今も不自然に空に浮かぶ赤い月。
どうやら赤い月で生まれた影を相手に纏わせ行動を阻害、妨害するみたいだが……拘束力が半端ねえ。
くそ、ベリアを警戒して上ばかり見ていたせいで、下から迫る影に気づくのが遅れた。
「この街の住民すべての影を貴様の足元に集めて纏わせた。万の住人の力で動きを拘束しているのと同義、一度拘束されたら絶対に逃れられない。街中を走り回られたらたまったものじゃないからね」
俺が重力魔法を使えることをベリアが知らなかったように。
ベリアも前回の戦いですべての手札を明かしたわけではない。
俺の知らないベリアの能力……ゆえに完全に反応が遅れた。
さっきのやり取りは俺の足元に影を集めるための時間稼ぎか。
ベリアが愚痴っているのは演技だったのか?
結構本気に感じたんだけどな。
「よかった……気絶しているだけみたいね」
ベリアの手元にはぐっすりと眠っているコルル。
コルルの表情を見て安堵の息を零す。
「これで心配の種は消えた……あとは貴方を捕まえるだけ、覚悟なさい」