別行動1
―――――――リーゼ視点―――――――
翌朝、宿を出てメーテルの家へ。
夜が明けあれから半日近く経過したが、アルベルトの調子はどうなっているだろうか。
家に着き、扉を開けてゆっくりと確認するように中へ進む。
自分の足音だけ部屋に響き、少しだけ緊張してしまう。
アルベルトは奥の部屋で寝ているので、その姿は見えない。
家の中に入ると植物の独特な香りがする。
ある植物から作り出した精油の小瓶を家にいくつか置いておいたそうだ。
昨日メーテルが家を出る前に用意してくれた。
アルベルトが興奮しないように、気持ちが少しでも安らぐように。
瓶から漂う香りは、緊張を解して気持ちを静める鎮静効果があるとか。
「寂しいものです……一人ぼっちというのは、ね」
「……っ!」
奥から聞こえるアイツの声……びっくりしたぁ。
お、起きていたのね、アルベルト。
普段のアイツはもっと起きるのが遅いのに。
「長い夜を越え朝になり、ようやく人が来たと喜ぶも、最も付き合いの長い友人ですら、こそこそと警戒して部屋に入ってくる始末……悲しい」
「……」
「コミュニケーションの基本である朝の挨拶すらない……本当に悲しい」
ネ、ネチネチ、ネチネチと……嫌味な上司か。
たった一日の間に、随分と卑屈になっているアルベルト。
どうやら精油の効果はなかったらしい、
「起きてたならアンタから挨拶したっていいのに……」という文句を呑み込み、できるだけ興奮させないように話しかける。
「……ぐ、具合はどう?」
「具合ってお前、俺は病人じゃねえんだからな。別にキッカケがなければ欲情することもないんだしよ」
少し乱暴な口調で、不機嫌そうな返事が聞こえてくる。
壁の向こう側でブツブツと文句を言っている。
「ほれ……来たなら早く朝飯作ってくれ、飯……腹減ったよ」
「……わかったわよ」
その言い方にちょっぴりムッとするが、部屋の中に隔離されて可哀そうなのは確かなので素直に従うことにする。
台所を借りて適当に朝食を用意する。
食糧棚に保管されていたパンと、適当に焼いた肉と野菜を載せたトレーを部屋の扉の前に置く。
部屋の中からモグモグと咀嚼する音が聞こえてくる。
「ご馳走さん、少し落ち着いたぜ。悪いな……あたっちまって」
アルベルトの口調が少しだけ柔らかくなっている。
朝食を食べてお腹が膨らみ、少し心に余裕が出てきたようだ。
「気にしないで、そういう時もあるわよ。貸しでいいわ」
「あ……許してはくれないんだな」
アルベルトといつものようなやり取りをする。
「……ところでメーテルさんは?」
「薬屋の仕事で朝の間にやることがあるからって先に宿を出たわ。もう少ししたらここに来るはずよ」
「そうか」
十五分ほどアルベルトと話をしていると、メーテルが姿を見せた。
「おはようございます、アルベルトさん」
「はい、おはようございます、メーテルさん。今日もいい天気ですね」
朝の挨拶を自然に交わす二人。
なんで敬語? ……私の時とは大違いだ。
「それじゃあ、私たちはこれから出かけるわね、夕方までには戻るから」
「ああ、わかった」
メーテルが来る前に今日の予定をアルベルトに伝えておいた。
アルベルトはおそらく今日兄様と会える……と言っていた。
兄様に会って話を聞けば、呪いの件の真実がわかるかもしれない。
ただ、兄様に会っても話が聞けない状況、兄様が魅了状態というケースも可能性は低いが想定される。
その場合は、ベリアが温泉から戻る前にアルベルトが急いで兄様の魅了を解除する。
想定される中で最悪の状況は兄様が魅了状態でかつ、アルベルトが解除に失敗したパターンだ。
アルベルトでも魔王三人を同時に相手にするのは厳しい。
状況次第では街を緊急脱出することになる。
私たちはこれからそのための準備を整えておく。
「買い物とかするなら、荷物持ちがいるんじゃないか?」
「大丈夫よ、後でメーテルの家に送ってもらえばいいし」
マジックバッグがあれば準備も楽だったんだけど手元にはない。
兄様が持って行ったから、おそらくはリドムドーラの城にあるのだろう。
もしかしたらベリアが預かっている可能性もある。
「……できたら俺も外に出たいんだがな、一人で中にいると気が滅入っちまう」
絶対に外で大丈夫だという保証があればいいんだけど。
侵入前に、アルベルトが外で痴漢で捕まったりしたら大変なことになる。
「……そうは言ってもね」
「まだやめておいたほうがいいと思います」
メーテルが首を横に振る。
「ったく、ポーションとかで簡単に治ればいいんだけどな。ポーション、ポーションか……あ! なぁリーゼ、聞いてくれ!」
「ど、どうかした?」
突然、大きな声をあげるアルベルト。
何か良い案でも閃いたのだろうか?
「ポーションとローションて似ていると思わないか?」
「「……」」
うん、まだ駄目だ……酷すぎる。
真面目に聞いて損したわ。
「ま、仕方ねえ、大人しく夜まで家で寝てるわ」
「昨夜は寝れなかったの?」
「寝たことは寝たけど、誘惑で興奮した影響か寝つきが悪かった。まぁ今はそんなに眠くないがな。夜の活動に支障が出ないように無理矢理にでも寝ておくよ」
「……そのほうがいいわ」
五分ほどで、手早く外出準備を済ませる。
「リーゼ、気をつけて行けよ」
壁越しに見送ってくれるアルベルト。
「……」
「どうした? 行ってきますくらい言ったらどうだ」
「いや、アンタに見送られるのってあまりないからちょっと変な感じで」
「……そういやそうだな」
普段と違うやり取りに少し新鮮な気持ちになる。
「じゃあ……行ってくるわ」
「ああ」
アルベルトをメーテルの家に残し外に出る。
メーテルと会話しながら街路を歩く。
「本当に大丈夫かな、アイツ。夜までに治るのよね?」
「た、たぶん大丈夫だと思います」
薬師という職業上、似たような症状を何度か見た経験があるメーテル。
彼女の言葉を信じるしかないだろう。
メーテルの家がある北東区画はギルドや雑貨店、魔法屋など、生活に関係する施設、お店が並ぶ。
歓楽街のある南西側と反対に、こっちは一般的な街並みだ。
道を歩いていると、荷袋を背負った男と頻繁にすれ違う。
朝から近くにある鉱山まで働きに行くようだ。
まずはメーテルの案内で、いくつか日持ちする携帯食糧や調味料など旅の必要品を購入する。
店選びは土地勘のある彼女にお任せして、後ろを付いていく。
食糧については最低限でいい、荷物になるし現地で魔物を狩ればいい。
マジックポーションなどは城から持ってきた荷物の中に残っているし問題はない。
夕方にメーテルの家に配送するように伝えて店を出る。
買い物を済ませて商業ギルドへ。今日の活動メインはここだ。
ギルドの中には図書室がある。中にはこの周辺の郷土、歴史、周辺地図、出没モンスター情報、採掘、採取可能な素材、他諸々の多くの資料が保管されている。
貸出はしていないが室内に限り見ることができる。
閲覧は有料でギルド会員が同伴する必要があるが、メーテルが商業ギルドに登録しているので問題ない。
二人分の料金を職員に渡して図書室に入る。
私が知りたいのはリドムドーラ周辺の地形情報だ。
メーテルと手分けして参考になりそうな本を探す。
もしこの街を脱出するとしたら、陸路になる。
グリフォン便はリドムドーラからも出ているが、サキュバスも吸血鬼も空を飛べる。
視界を遮るものがない空で、この周辺を飛べばすぐに発見されるだろう。
メナルドからリドムドーラまではナイカさんに乗って飛んできたから迷わなかったが、陸路で戻るとなると旅の難易度は大幅に上がる。
移動距離もファラ山脈の時と比較にならない。旅慣れた者でも危険が付きまとう。
本来はより念入りな準備が必要だが、エルフは火、水、土など、野外でキャンプするのに有用な魔法が使えるし、アルベルトも耐寒装備などが必要ないため、必要な荷物は少なく済むのが幸いだ。
メーテルと資料探しを続け、有用な情報は紙にメモしていく。
この近くには鉱石などを採り尽くして、現在では廃坑になった鉱山が結構ある。
当時利用されていた山道などを知っておくだけでも多少は楽になる。
とはいえ、それでも陸路だとメナルドまで一月はかかるので、ある程度リドムドーラから離れた位置に来たらナイカさんに迎えに来てもらう。
事前に合流ポイントを決めておき、メーテルにメナルドへと手紙を出してもらう。
正直……自分でも、心配し過ぎている自覚はある。
実際、昨日までは兄様が魅了されている可能性は低いと考えていたが、アルベルトが誘惑の影響を受けているのを見て少し不安になってしまった。
まぁアルベルトの場合は性欲が一般平均より強いから、影響を受けた可能性が強いだろう……とメーテルは言っていたけど。
五時間ほど調べものをして、どうにかプランが纏まり建物を出る。
図書室で情報収集に集中していたせいか、気づけばかなり時間が過ぎていた。
お昼を大分過ぎているが、ご飯も食べていない。
メーテルと二人で適当な店で、昼食を食べようと相談をしていると……。
「あっ!」
道の向こう、かなり離れた位置からこちらを見て大きな声を出す女性。
その視線は隣のメーテルに注がれている。
「メーテルさん! よかった、いいところに!」
女性は息を切らしながら駆け寄ってくる。
その様子から緊急を要する事態が起きたのがわかる。
軽く息を整え、事情を説明する女性。
今から三十分程前、男性が路上で突然倒れたとのこと。
意識はあるが高熱を出して、身体に強い痛みを訴えており、自力で移動することもできない状態だそうだ。
「一緒に来て、診ていただけませんか?」
「……で、ですが」
ここで変に断ると、怪しまれるかもしれないしね。
今日やるべきことは終わっているから、あとは一人でも問題ない。
メーテルに一緒に行くように目で合図すると、彼女は一礼して、患者の元へと走り去って行った。