旅路4
風で湯煙が晴れていき、彼女の姿が少しずつ露になっていく。
穢れ一つ見えない真っ白い肌、闇の中で赤く光る目、銀色の長髪が松明により映し出され……。
(あ、あれ? 黒髪?)
お、おかしいな? さっきは銀色に見えたのに。
湯煙の中だから見間違えたのだろうか?
目をこすって、もう一度確認するも髪色は黒だ。
彼女の鋭い視線が私を貫く。
「……」
そ、そうだ……まずは謝らないと。
「ええと、ごめんなさい。驚かせちゃって……」
できるだけ警戒させないように私は話しかける。
「の、覗きとかじゃないんですよ!」
「同性だし、その姿を見ればわかるわよ」
彼女の言う通り、裸で覗きに来る人は確かにいないだろう。
「あなたはどうしてここに?……この場所をどこで知ったの?」
私がこの温泉に来たのは偶然なのだけど。
今回はお忍びの旅だ、すべてを正直に話すわけにもいかない。
「えと、知り合いがこの山の近くに住んでいまして、その人にこの場所を教えてもらったんです」
「この近くに人? 山民族でもいるのかしら?」
女性は私を見て訝し気な顔を浮かべている。
咄嗟に出た言い訳。
考える時間がなかったせいでちょっと苦しい気もするけど。
ここで撤回したら余計怪しまれるし、このまま押し通すしかない。
「あなた……エルフ?」
「はい、そうです」
さすがに風呂でカツラは被っていない。
この状況だと誤魔化しようがないので素直に告白する。
「「……」」
女性は手を口に当て何かを考え込む仕草を見せる。
怪しいと思われても、私の正体まではわからないはずだけど。
お互いの視線が交錯する。
ここは暖かいけど、さすがに全裸で立っていると寒い。
うぅ……早く温泉に入りたい。
「ふえっくしゅっ!」
風に晒されて、クシャミが出てしまう。
「とりあえず……立ってないで入ったらどう? 風邪引くわよ」
「あ、はいそれじゃ……ええと、お邪魔します」
女性の同意を得て私は湯船へと向かう。
――――謎の女性視点――――
あ……危ないところだった。
まさかこんな山奥に人が来るなんて思っておらず油断していた。
ギリギリのところで、幻影魔法を自身にかけた。
今、眼前の彼女に見られているのは私とは別人の姿。
私の本当の姿は見られてはいないはずだ。
(それにしても……こんな人の通らない場所にエルフの女の子?)
私はいきなり現れた少女を観察していく。
エルフを見て、脳裏に浮かぶのは先日の会談だ。
なにかあるんじゃないかと疑ってしまう。
潜在魔力を探るにこの娘はかなり強い。
エルフの中でもかなり大きい魔力だろう。
(敵意はないみたいだけど……)
少女は手で少量の湯をすくい身体にかけていく。
「……っ!」
湯が当たるとビクッと震えて後ろに下がった。
どうやら……想定以上に熱かったようだ。
繰り返し湯の温度を確かめる少女を私は観察していく。
(このエルフの娘、どこかで見たことがあるような気がする)
気のせいか、クライフに少し似ているような?
エルフ、もしかしてこの少女は……。
クライフにはマリーゼルという名の妹もおり、私も過去に会ったことがある。
随分昔のことでうろ覚えだが彼女に似ているような気もする。
人形のような整った容姿で髪は短かったと思う。
兄の横で不安げに立っていたのを覚えている。
交わした会話は挨拶程度だったが、所作一つ一つに品があり、お淑やかな雰囲気の一輪の花のような少女。
兄に愛され大切に大事に育てられたのだろう。
ただ、他人ながらも少し彼女のことを心配した。
すぐに折れてしまいそうな儚さ、脆さも彼女から感じたからだ。
「ああもうっ! あっついわねっ!」
「……」
や、やはり考え過ぎだろうか?
随分と感情表現豊かな印象を受ける。
いやまだわからない。
髪は伸ばしたのかもしれないし、可能性を否定するには早い。
ハイエルフとエルフは容姿が同じで区別ができない。
こんな山奥にいることからしても、ただの少女と判断するのは楽観的だ。
ゆっくりと足から湯に慣らし、私の隣に腰を降ろす少女。
「どっこいしょ……っと」
「……」
「ふ~ あったまる~」
……これは、さすがにないか。
あの時の少女とは雰囲気が違い過ぎる、たぶん別人だ。
儚さとか、お淑やかさ以前に随分とおじさん臭い少女だ。
これでお姫様ということはいくらなんでも……。
もしかしたら、少女の言っていることは本当なのかもしれない。
少女に対する警戒を少しだけ解くことにする。
せっかく湯に入りに来たのに、こんな気持ちでいては勿体ない。
――――リーゼ視点――――
夜空を見上げながら、温泉の気持ち良さを堪能する。
お湯に包まれるとほっこりする。
冷えた体がポカポカと温まっていく。
やっぱり、布で身体を拭くだけじゃもの足りない。
全身で浸からなければ疲れはとれない。
ああ、ここ数日の旅の疲れが抜けていく。
万全の状態でリドムドーラに行くことができそうだ。
「ふ~、気持ちいい~」
「そう、よかったわね」
周囲に張りつめていた空気も緩和した気がする。
隣の女性も少し警戒を解いてくれたらしい。
「でも、ちょっとおじさん臭いわアナタ」
「え! うそっ?」
「いくらなんでも『どっこいしょ』はないと思うわよ」
指摘されて少し恥ずかしくなる。
自然と無意識に口に出してしまっていた。
久しぶりの外で開放的になっているのだろうか。
「でも、まぁ……異性の目がなければそんなものかもね」
「え、ええと……はい」
もしかして、気を遣ってくれているのだろうか?
一応、異性も同行しているんだけどね。
「ええと……名前を聞いてもいいですか? 私はリーゼと言います」
「……リアよ」
若干の間を置いて女性が名を答える。
「その、リアさんはよくこちらに来るんですか?」
なんでだろう? この人の前で自然と敬語を使っている自分がいた。
でも違和感はない、こうすることが当然のような不思議な感覚だ。
「ええ、ここに来るのは最近の夜の日課ね、ここの温泉はその……び、美容にもいいみたいだし」
「そうなんですか」
言われてみればなんか肌がツルツル、スベスベになったような気がする。
「それに、こうしてお湯に一人で浸かっているとリラックスできて気持ちも明るくなるから」
「えと、邪魔してしまったみたいで……」
「まったくよ」
「う、すいません」
「ふふ……冗談よ」
くすりと笑うリアさん、その笑顔に少しドキリとしてしまう。
随分大人っぽい雰囲気の人だな。
「それにしても女一人で旅をするなんて、腕に自信があるのね」
「いえ、一応連れがいますよ。男なので別々に入ってますが……」
「え?」
それを聞いて再び警戒の表情を浮かべるリアさん。
その視線は柵の向こう側へ。
「アイツは部分的には頼りになるんですが、ちょっといやらしいのが難点です」
「……い、いやらし」
「あ、大丈夫ですよ。ちゃんと覗かれないように対策をしてありますから」
「乱暴な手段は取りたくないから、そうならないことを祈るわ」
リアさんはそう言い、傍に置いてあった盆を湯の上に浮かべる。
「お酒だけど……あなたも飲む? よければだけど」
「あ、それじゃあお言葉に甘えて頂きます」
果実を熟成させて作ったと思われる赤いお酒。
陶器の小さい器を口に当て、細い喉を動かすリアさん。
お酒を飲んでるせいか、その頬は少し赤い。
なんだろう、この人は妙な色気がある。
スタイルも抜群で、胸もかなり大きい……ていうか、ゆ、湯に浮いてる。
理想の年上のお姉さんといった感じで、あまり私の知り合いにはいないタイプだ。
「……ふぅ」
「結構お酒はイケる口?」
「はい、よく付き合いで飲むので」
お酒と温泉を楽しみながらリアさんと他愛のない雑談をしていく。
知らない人との会話、こういうのも旅の醍醐味だろう。
お互いの身の上を話し合う。もちろん正体のバレない範囲でだ。
(あ……そういえばリアさんの種族ってなんだろう?)
黒髪の可能性がある種族は悪魔、サキュバスなど結構多い。
その情報だけだとどれか一つに絞ることはできない。
だから私は黒髪のカツラを用意した。
エルフは全員が金髪なので、特徴の耳と合わせれば外見ですぐにわかるが、例えば悪魔だとラスが赤髪、ラボが青髪だったように……バリエーションがある。
種族を聞いてみようかと考えていると、リアさんの口元から一滴赤い滴が零れる。
「ふぅ……と」
口元から零れた赤いお酒が一瞬血のように映る。
液体を拭う姿を見て彼女が吸血鬼のように見えた。
(吸血鬼……?)
そういえば、最初リアさんが銀髪に見えたわね。
「……」
銀髪の種族は吸血鬼だけ……でも、リアさんは黒髪だ。
リアさんが吸血鬼だということはあり得ない。
もし彼女の姿が偽りだとしたら、ハイエルフの私すら欺く幻影魔法ということになる。
だけど……なんだろう、何か引っかかってるような……。
(うん? リア?)
リア? リアって…………え? べ、ベリア?
い、いや、まさか、さすがにそれはないか。
でも、もし魔王ベリアの幻影魔法だとしたら……私では看破できないかも。
ベリアだとしたら私、本当に幻影魔法にかかっている?
「……」
アルベルトならベリアの幻影魔法だとしても見抜けるだろう。
だけど、真実を得るためとはいえ女湯を覗かせるわけにもいかない。
そんなことをしてベリアじゃなかったら申し訳ない。
ベリアだった場合も、それはそれで何が起きるかわからない。
兄様がリドムドーラでどうなっているかわからないこの状況。
ここで強引に真実を確かめる勇気は私にはない。
(あはは、なんてね……考えすぎか……)
ちょっと落ち着こう。いくらなんでも考え過ぎだ。
こんな場所でベリアに会うなんてことは普通に考えてありえない。
どれだけ運が悪いのよ。
どちらにせよ、こっち側に湯に来たのが私でよかった。
アルベルトがこっちの湯に来ていたら面倒なことになっていた。
ナイカさんに見張るように頼んであるしね。
さすがのアルベルトもこっちに来て覗くような真似はしないだろう。
『おいリーゼ! 石鹸貸してくれよおっ!』
「……あ、あんの馬鹿っ」
柵の向こうからアルベルトの声が聞こえてくる。
とりあえず、私は無言で手元の石鹸を柵の向こう側に投げ入れることにする。
ベリアの可能性は限りなく低いと思うが、念のため二人を会わせないほうがいい。
アイツの目的をとっとと済ませて黙っていてもらおう。
『ちげえよ! これじゃなくて弱酸性の石鹸だってば! いつも使っているやつ、ゴワゴワすんだよコレ!』
「し、知らないわよ馬鹿!」
なんだっていいでしょ石鹸なんて!
ガーゴイルなのに、どうしてそんな強い拘り持ってんのよ!
「……この声、妙に胸がざわつくわね」
アルベルトの声を聞き考えるリアさん。
リアさんとベリアは別人と思っていても、ちょっとだけ胃がキリキリする。
「随分元気な連れね」
「す、すみません、もう本当に」
幸いリアさんは今のところは気にしていないようだけど。
私はこっちに持ってきていた石鹸を、全部向こうに投げ入れる。
そうして、ようやくアルベルトは大人しくなっ。
『わたくしっ! 歌いますっ! 即興歌、雑草の生き様』
「なんだか毎日が楽しそうな男ね」
「……は、はは」
否定はできない。
あ~もう、本当にうるさい。
隣の柵からまたアイツの大きな声が聞こえてくる。
いつもより輪にかけて酷い気がする。
もしかしてあいつ、酔っぱらってんじゃないの?
『え~この歌はですね。抜けても、抜けても、抜けても、抜けても、抜けても、抜けても、抜けても、抜けても、どれだけ抜けても、諦めずに生えてこようとする……手元の雑草を見て閃いた歌です』
「…………っ!」
な、なんだろう、今、湯の中なのに隣から寒気を感じた。
ふと、私は隣のリアさんを見る。
「リ、リアさん?」
「なに?」
「い、いえ……」
き、気のせいか。
一瞬もの凄く怖い顔を浮かべているように見えたけど。
『抜かれても、抜かれても、それでも不屈の意志で蘇る雑草。そんな雑草の生き様に感銘を受けた私はこれを歌にしたいと考えました。私たちもこの雑草が抜けても生えてくるのと同じように上を目指して根性入れて頑張ろう、そう前向きに考えさせてくれます』
「「……」」
『ですが勿論、雑草と現実は違います。現実は簡単に修復できるとは限りません、雑草で言う抜けたら抜けっぱなしというパターンです。この手元の雑草も、残念ながら何度も抜くうちに生えてこなくなったようです。特に意味はないですがもう一度言います、生えてこなくなったようです』
リアさんを中心として湯の上に波紋が広がる。
湯の表面がゆっくりと振動している。
「か、考えすぎ、考えすぎ……あれは雑草の話なのだから、他意はない、の……」
「り、リアさん? どうしました?」
「な、なんでもないわ……ほ、本当に楽しい連れだなって……そう思っただけ、よ」
そう言って笑うリアさん。
表面上は笑っているけど、何かを我慢しているような。
聞いていないのに、勝手に歌の前置きを続けていくアルベルト。
『これは否定的にとれば、どうせ最終的には同じ結果なんだから無駄な抵抗はするな、という教訓かもしれませんが……それでも私としては、前向きに生きようとする』
「あぁもうっ、ウダウダうるさい! 何が言いたいのかさっぱり頭に入ってこないし! あまり恥ずかしい真似をしないで! こっちにいるのは私だけじゃないのよ!」
『……え?』
さすがに我慢の限界だ。
これ以上放置するのはリアさんに申し訳ない。
策の向こう側のアルベルトに一喝する。
『マ、マジで? お前一人じゃないの? 本当にそこに誰かいるのか?』
「そうよ! もうちょっと静かにしなさい! 私に恥をかかせないで!」
『あ、えと、その……す、すみません、リーゼ一人だと思ったんです。し、失礼しました見知らぬ人。ついお酒の勢いでハメをはずしてしまったと申しますか、今後は大人しくてしていますので』
「…………」
さすがにこのノリでいることにちょっと反省を覚えたのか、アルベルトが静かになる。
「えと、本当にすみません。あの通りの大馬鹿でして……」
「……気にしてないわ、ええ……えぇ……それはもう、気にしてないわ。ざ、雑草の話だしね」
「は、はぁ」
リアさんは笑顔……なんだけど、頬がピクピクと震えている。
気になったけど、私の本能が深く聞くなと訴えている気がしたのでやめた。
そのあとはアルベルトも大人しくなり、二人、温泉でお酒を楽しんだ。
リアさんは少しの間、動きがぎこちない気もしたけど……
一時間ほど二人で話したあと、リアさんは温泉から去っていった。




