変異種1
ラザファムがルミナリアの元へと飛び去り三時間が経った。
時刻はもうじき夕方、俺はギンと二人で港から海を眺めている。
少し赤みがかった水平線がとても美しい。
こうして見ると、いつもと変わらない穏やかな海だが、海の向こう側ではおそらく異変が起きている。
「いきなりとんでもねえことになっちまったな、兄ちゃん」
「ああ」
ハマジゼが水揚げされた件、補給島を襲撃したクラーケン。
これらの話から予想されるクラーケンの大量発生と変異種の出現。
変異種襲撃という四百年前の悪夢が蘇るかもしれないとあって、街は騒ぎになっている。
「おいっ、いそげ! このペースじゃ明日までかかっちまうぞ」
「は、はいっ!」
後ろの通りを見れば、荷車を引く兵士や商人たちの姿がそこら中で確認できる。
海岸から五キロメートルほど離れた小高い丘にある住民たちの避難場所に、彼らはせっせと食糧などを運んでいる。
緊急時に役立つ施設として、クライフが過去の変異種襲撃の反省を踏まえてシンプルな箱型の建物を建てておいたらしい。
建物内倉庫には保存魔法のかかった食料も備蓄されているが、住民全員を長期間養える程の余裕はないため、事前に可能な限り運んでおく寸法だ。
もしクラーケンの襲撃を受けた場合、海岸付近は激戦になることが予想される。
水陸で行動可能なサハギンと違い、クラーケンは水のない街の中心部までは簡単に移動できないが、変異種は大洪水を引き起こす程の水魔法が使えるそうだ。
海岸付近から避難しておいたほうが安全だし、逃げる時間も稼げるだろう。
最悪のケースになるが、洪水で食糧が駄目になってからでは遅いし、街を放棄してファラの街など、別の街に移動するとしても、その時に水で食糧が駄目になってしまっては移動も困難になるからな。
まだ情報が不確定ではあるが、住民たちにも警戒指示が出されており、いつでも避難できるように現在は自宅などに待機中だ。
スムーズに避難できるように、過去の教訓を踏まえた避難マニュアルもあるそうだ。
細かい取り決めを作っておくのがクライフらしい。
俺の所属する傭兵ギルドにも変異種について連絡済である。
緊急依頼として街に滞在中の傭兵たちを招集している最中だ。
なお、ここにいないリーゼは最高責任者として、部下の衛兵長や街のお偉いさんたちと会い、街の防衛や避難準備指示にと動いている。
俺はリーゼにいつでも動けるように待機していてほしいと言われているので、ギルドに向かわずにこうしているわけだ。
ギンと会話をしていると、後ろから兵士の足音が聞こえてきた。
「アルベルト様、姫様がお呼びです」
「そうか、わかった」
リーゼの命令で俺を呼びに来た兵士の後ろをついていく。
海岸沿いの通りを少し歩くと三角屋根の簡易なテントが並んでいるのが見えてきた。
異常があった場合にすぐわかるように、テントは海を広く見渡せるに位置にある。
リーゼがいるらしい一番大きいテントの入口をくぐる。
テントの中には木製の長テーブルが置かれており、奥ではリーゼが上等な緑色のマントを纏ったエルフの男と話をしていた。
エルフの男を見て既視感があるなと疑問を抱いていると、傭兵ギルドの長だと隣にいたギンが耳打ちしてくれた。
……当たり前のようにギンがここにいるが、今更なので何も言うまい。
一応ギンもギルドに所属しているんだよな、出頭しなくていいんだろうか?
リーゼが入ってきた俺たちを一瞥し「ちょっと待って」と手で合図したので少し待つ。
三分後、話し合いが終わってギルド長がリーゼに一礼して退出していった。
「……待たせてごめんね」
「構わない……それで、何かあったのか?」
「ええ、傭兵ギルドから報告が入ってきてね。今日のクラーケン討伐依頼に参加していたハーピーが慌てて街に戻って来たの……三匹のクラーケンに同時襲撃されたって、大慌てで救援を求めて来た」
「……そうか」
「うん……」
ここには俺たち以外にも人がいる。
兄のいない今、最高指揮官として振る舞うリーゼは狼狽える姿を見せられない。
だから表面上は平常心を保っているように見えるが、内心は相当に不安なはずだ。
今日のクラーケン討伐はギルドのほうも余裕を持って戦力を集めたそうだが、さすがに三匹を討伐することなど想定していない。
それに、ハーピーは三匹と報告したそうだが、変異種により大量出現しているとしたら、時間経過とともにもっと増えるかもしれない。
(……ち、もどかしいな)
まぁ今回に関しては飛べない俺じゃあ助けに行くのも時間がかかるし、ラザファムに託すしかなかったが……。
俺たちはテントの外でルミナリアの帰りを待つ。
ジタバタしても仕方ない落ち着け……と、自分に言い聞かせながら。
「ギンも街に戻るのが一日遅かったら、クラーケンに襲われていたかもな」
「……だな。帰り道、クラーケンの生息海域に近づかないようにしたのが幸いしたぜ」
「ラザファムが間に合ってくれればいいが……」
ルミナリアの無事を願う。
雷真龍であるあいつがいれば、多少の数の不利なんてすぐにひっくり返せるはずだ。
リーゼに話を聞いて三十分が過ぎた頃、上空に光る龍の姿が見えた。
「おい、兄ちゃんっ!」
「リーゼ! 戻ってきたぞ!」
テントの中にいるリーゼにラザファムの帰還を知らせる。
急ぎテントの外へ飛び出すリーゼ。
まだ五百メートル近く離れてはいるが、ラザファムの巨体はここからでも確認できる。
「しかし何か抱えているな……船か?」
「お〜い! こっちだこっち〜!」
俺はラザファムに向かって大きく手を振り、ここにいると伝える。
ラザファムが俺たちの存在に気付き、大きく尻尾を振って返事をする。
ラザファムの接近に伴い、やがて背に青髪の少女が座っているのが見えた。
「よ、よかったぁ……無事で」
リーゼがホッと安堵の息を吐く。
俺たちの上空に来たラザファムが砂煙を上げながらゆっくりと下降し、砂浜に着地する。
所々壊れて欠けている船をそっと地面に置く。
船は一目見ただけで、その損傷具合から激しい戦いがあったことが見てとれる。
空飛ぶ船に乗って来た傭兵たちは随分とぐったりしている。
戦闘の疲れ、それとハイスピードで飛んできたせいで船酔いをしたらしい。
こういうのも船酔いっていうのか知らんが……。
ルミナリアがラザファムの背から飛び降りる。
動きを見る限り、大きな怪我もしていないようだ。
「アルベルトさん、お姉ちゃん……ご心配かけました」
「……まったくだ」
「ルミナリアちゃん! もうっ、心配したんだから!」
リーゼがルミナリアに駆け寄り抱きしめる。
「ギンさんも、お久しぶりです」
「……随分危ねえとこだったみたいだな」
「はい、ギンさんが海の異変を伝えてくれたおかげで助かりました」
ルミナリアの無事を喜ぶ俺たち……そこにラザファムが人化して歩いてくる。
「……アルベルト」
「ラザファム、お疲れさん」
「ああ」
俺はラザファムの労をねぎらう。
と、そこで周囲にいる傭兵たちがざわめき出した。
「い、今、ラザファムって言わなかったか?」
「ラザファムって……あ、あの有名な雷真龍の?」
「クラーケンを屠った時の尋常じゃない雷の威力、まさかとは思ったが」
「やっぱり、し、真龍だったのかよ……てことはルミナリアちゃんは……」
あ、しまった。
そうだ、こいつ街では偽名で通してたんだ。
「わ、わりい……口が滑っちまった」
「いい、海では派手に戦ったからな。口で言わないだけで真龍だと自分から名乗っているようなものだ。それに、俺がいると知らせたほうが街の住民たちは安心するんじゃないのか?」
「ラザファムさん……ありがとうございます」
「なに、少しでもリーゼ嬢の役に立つならこれぐらい構わん」
「……」
コイツこんなに格好よかったっけ?
確かに以前のように迷惑を掛けられるのも困るけどさ。
もう少し駄目なままでもいいんだよ?
置いていかれたみたいで、少し寂しい気分になる。
「……と、とにかく、間に合ったみたいでよかった」
「かなりギリギリだったがな、こっちの様子は?」
「今のところは何もないぞ」
「そうか……俺のほうは変異種に遭遇したぞ」
「なに?」
ラザファムからとんでもない発言が飛び出る。
「ほ、本当ですか! ラザファムさん!」
「ああ、黒いクラーケン、一回り大きい体躯……聞いていた話と一致している。それにメイルシュトロームを使おうとしていた……発動寸前で阻止したが、かなり危なかったな」
「黒い身体、レベル六水魔法……たぶん間違いないわね」
変異種は洪水引き起こすレベルの魔法が使えるって話だしな。
そんな危険な魔物と鉢合わせて、ルミナリアはよく無事に帰って来てくれたもんだ。
「突然出現した種族の限界を超えた強さを持つ異常個体か、迷惑な話だぜまったく」
「「……」」
「なんだよお前ら、俺を見て急に黙って」
「……う、ううん、別に」
「まぁ……お前がいいならいいがな」
ラザファムとリーゼが誤魔化すように呟く。
「ルミナリアちゃん、疲れてるところ悪いけど話を聞かせてくれる?」
「わかりました」
ルミナリアの無事を喜ぶのも束の間、迫る危機について考えねばならない。
ラボラス配下の四人のアークデーモン、その中の1人の名前ですが、ボス→ララに名前を変更しました。
魔王であるラボラスが自分の部下をボス呼ばわりするという、かなりカオスな空間になりますので
混乱させてすみませんが、よろしくお願いします。