異変1
クライフがリドムドーラへ出発してから九日が過ぎた。
ルミナリアはクラーケン討伐依頼のために、夜も明けないうちに出かけて行った。
ラザファムとリーゼは起きて見送ったそうだ。
俺は……まぁ察してくれ。
別に起こしてくれてもよかったのに。
ルミナリアあたりが気を遣ってくれたのだろう。
今日の俺の予定だが、昨日陸に戻って来たギンとのんびり釣りをしようということになった。
ギンの疲労が抜けてないのに、無理してギルドで仕事をすることもない。
起きるのが遅かった俺は一人で朝食を食べ、マイルームを出てギンとの待ち合わせ場所に向かう。
「……うん?」
城を出る途中、廊下でリーゼとすれ違った。
気のせいか、いつもと様子が違う。
何か考え事をしているような……
「リーゼ」
「……」
「おいリーゼ」
「……」
集中しているのか、話しかけても返答がない。
一人の世界に入っているようだ。
「リーゼってば!」
「……ん? ああ、ごめんごめん」
「どうした? ボ~ッとして、何かあったのか?」
強く呼びかけ、ようやく俺の存在に気づくリーゼ。
「ちょっとね、さっき気になる報告が入ってね」
「なんだラボラスに動きがあったのか?」
「そういう明確なのとは違うんだけど……いや、でも」
はっきりしない様子のリーゼ。
イマイチ要領を得ないな。
「ねぇアルベルト」
「あん?」
「……」
「な、なんだよ?」
「…………ううん、やっぱりなんでもないわ」
「俺の時間を浪費させて楽しいか? いつからそんなに性格歪んでしまったんだお前?」
「……そ、その台詞をアンタに言われるとは思わなかったわ」
俺の台詞にショックを受けるリーゼ。
し、失敬な女だな。
俺のどこが性格歪んでいるというのか。
「まぁ隠すことでもないか。今朝、見かけない未知の魚が港で水揚げされたって話よ」
「魚?」
「うん、それも一匹ずつ、別々の船でね」
「未知って……長年漁師やってる人でも知らないなんてあるのか?」
「まぁ海の魔物も全部判明しているわけじゃないからね、深海には未知の魔物が一杯いると言われてるし……」
「まぁそうか、それで……危険な魚なのか?」
「そういうわけじゃないと思うんだけど、もう死んでいるしね。似たようなことは年に何回かあるのよ、死んだ魚の魔物が海岸に流れ着くこともあるし……」
「ふむ」
「ただ、今のタイミングだとちょっと気になっちゃってね……考えすぎかもしれないけど」
再びリーゼが思案を始める。
「ルミナリアちゃんが戻ったら聞いてみようかな」
「それがいいかもな」
確かに水龍のルミナリアなら、海のことは俺たちよりも詳しいもんな。
リーゼの言葉に同意する。
上級悪魔を返り討ちにした今も、魔王ラボラスが街を攻める好機と考えているとは思わない。
おそらくラザファムの存在はラボラス側に伝わっているだろう。
俺のことは知らんが……。
それでも主力である魔王クライフが留守なのは確かだ。
魚の件に事件性はないかもしれないが、留守を預かるリーゼがただの偶然で片付けるのに抵抗を感じているのも理解できる。
用心をしておいても損はない。
まぁラザファムがいれば大概のケースには対処できるだろうが……。
ギンとの約束があるとはいえ、城を離れることに一抹の不安もある。
一応、緊急時は雷で合図すればすぐに城に戻ってくると別れ際リーゼに伝えておいた。
城を出て、街の東の海岸沿いを南に三十分ほど歩くとギンと待ち合わせした釣りスポットに着く。
使わなくなった船着場を再利用した釣り場。
他にも街には似たような場所がいくつかあるとのことだ。
木造の簡易な小屋が併設されており、そこで道具や餌を有料で借りることができた。
手こずりながらも、針に餌のリトルワームを取り付ける。
もぞもぞと動く虫が少しだけ気持ち悪かった。
ギンと二人、木造の桟橋に腰かけて釣り糸を垂らし、魚がかかるのをジッと待つ。
「なんつうか、のどかだな」
「そうだな兄ちゃん、平和ってこういうことなんだろうな」
「俺、こうしてるだけで満足かもしれない」
空を見上げれば雲一つない。
寄せては返す波。潮騒の音が聞こえてくる。
ギンと二人、リラックスムードで釣りを始める。
だが……。
「ごめん嘘ついた、やっぱ少しは成果が欲しいわ」
「おいおい、まだ初めて三十分も経過してねえぞ」
なかなか釣れねえな。
ぶっちゃけ魔力感知を使えば、魚の位置とかわかるんだけど無粋かね。
海の男であるギンだが、釣りの経験はほとんどないそうだ。
本人曰く魚を穫るなら「直接海に乗り込んだ方がはええ」だそうだ。
まぁ今日は雰囲気を楽しむことが第一だからな。
成果は二の次だと考えよう。
一応どちらが沢山釣れたかで、晩飯をかけてはいるがな。
素人二人、いい勝負になるだろう。
開始から一時間が経過する。
最初に借りた魚を入れる箱は底がくっきりと見える。
まだ、二人とも一匹も釣れていない。
「……いいか、兄ちゃん」
「なんだギン?」
「釣りってのは忍耐力が試されるんだぜ。動揺や苛立ちは竿に伝わり、魚は竿の細かい動きを見抜く」
人づてで得たのであろう釣りの心得(?)を語り始めるギン。
やっぱり本人もちょっと、退屈になってきたらしい。
(……うん?)
と、そこで……ギンの竿に変化が見えた。
魚が針に食いついたようだ。
糸が下に沈み、微かな波紋が水面を伝わっている。
ち、羨ましいな。
勝負事で先行されると焦るんだよね。
「釣りってのはな……」
「……」
ところが、ギンは魚に全く気づいていない様子。
俺の気持ちを余所に、竿から完全に視線を外してしまっている。
「注意力を磨くことが大事だ」
「……その通りだな」
注意力どうこう言う本人は、まだ魚の存在に気づかない。
今も得意気に語っているが、とりあえず黙っておこう。
一応勝負だしな、よそ見するほうが悪い。
「チャンスは一瞬だぞ、兄ちゃん」
「……」
それなら、こっち見る前に見るところあるだろ。
「その一瞬を掴めるかどうかが大事なんだ。聞いてるか?」
「……お、おう」
やべえな、伝えるべきなのかな。
道化臭が半端ないんだけど。
くいくいと竿が動いて、これ……間違いなく食いついているよな。
「数少ないチャンスを落ち着いてものにできるか、それを逃がすようじゃ……先が知れてるってもんだ」
……そうだな。
なんか見ていて、いたたまれなくなってきた。
仕方ない、フェアプレイでいくか。
「ギン」
「なんだ?」
「糸引いてんぞ」
「……っとおおぉ! らあああっ!」
ギンが慌てて竿を引っ張りあげると、灰色の小さい魚が水面から姿を現す。
だが、急に引っ張り上げたせいか、針から魚が外れてしまいボチャンと水面に落ちていく。
「馬鹿が! 逃がすかよ!」
ジャボーーーン!!
ギンが海面に飛び込み、激しい水しぶきがあがる。
戻ってきたギンの手に握られていたのは先ほど見えた魚。
「へへ、一匹目だぜ、兄ちゃん」
「……いやいや、それカウントすんのはなしだろ」
海面から水をしたたらせて上がってくるギン。
そんなのサハギンにしか真似できんし、釣りじゃない。
「わかってる……どっちにしろ、こいつは放すんだけどな」
そう言って、ギンが捕まえた魚を海に放す。
キャッチアンドリリースというやつだ。
「もったいない。せっかく捕まえたのに」
「まだ稚魚だしな。しかし妙だな、昨日のニードルフィッシュもそうだが、コイツもこの近くにいる魚じゃないんだが……」
「……」
開始から二時間が経過。
結局あの後は二人とも一匹もヒットせず、今回の釣りはやめることにした。
なんつうか……飽きてしまった、すいません。
「街有数の釣り場って看板に書いてあったのにな……嘘かよ」
「くそ、俺が情報に釣られるとはな」
誰がうまいことを言えと言ったよ。
「ち、らしくねえ失敗だ」
「いや、十分お前らしいと思う」
後で聞いた話になるが、街で有数の釣りスポットだったのは本当だった。
認めたくないが、釣れなかったのは俺たちの腕の問題だったらしい。
お昼になったので適当な飯屋に入り、昼食をいただく。
腹も膨らんだあと。
「……午後どうすっかね、時間空いちまったな」
「ふむ」
ギンと久しぶりに会ったのにここで解散するのもなんだかなぁ。
どうするか考えていると。
ふと脳裏に今朝のリーゼとの会話が思い浮かぶ。
「なぁギン、このあと時間あるか?」
「……なんでだ?」
「俺んとこ来るか?」
「うん? 城ってことか?」
「ああ、前にクライフに話したら招待してもいいって言ってたしな……今日は城にはラザファムがいるし、ルミナリアは外に出ているが……」
「い、行くぞ! 絶対行くぞ! 領主の城に入れる機会なんて滅多にないからな!」
俺の提案に乗り気のギン。
子どもみたいに目を爛々と輝かせている。
以前ギンと約束したのもあるが、他にも招待する目的はある。
海について詳しいのはルミナリアだけではない。
サハギンのギンなら今朝の魚の件について話を聞けるかもしれない。
まぁ知らないなら知らないで、普通に城を案内すればいいしな。
そんなわけで、俺とギンは城へと向かう。
城の正門をくぐり、城内へ。
「ほおお、ほおおおお」
メイドや衛兵など城内で仕事をする人たちは、今日は変なのが増えたなといった顔を浮かべていた。
一階から順にギンに案内しながら歩いていく。
まぁ下の階については、日中は一般開放されているので軽い説明程度だが。
「おお、メイドさんだ。すげえな、メイドさんが動いているぞ」
「そりゃ動くだろう、生き物なんだからよ、失礼だからあんまジロジロ見るなよ」
俺の暮らす最上階へ着くと、その豪奢な雰囲気にさすがのギンも緊張した様子を見せる。
住む世界が違うもんな。
俺は当たり前のようにここにいるけど。
最初に城に来た時は俺もこんな感じだったな。
まぁ……緊張はほとんどしていなかったが。
見るもの一つ一つに感激しているギン。
だが、ある場所を見て表情を変える。
「ここが例の襲撃があったって場所か? ひでえな」
「ああ」
現在、ラウンジは修復作業中。
ここで外を眺めながらの読書は最高だったんだけどな。
ギンに見せられなくて少しだけ残念だ。ラザファムめ。
「ここが俺の部屋だ、適当に寛いでいてくれ、今ラザファムを呼んでくるからよ」
「おう」
ギンが元気よく返事をする。
あとは、リーゼにも話を通しておかないとな。
「興味があるのはわかるが、絶対に一人で出歩くなよ。場所によっては魔王の結界が張ってあったりするからな」
「わかってるって」
若干の不安を感じながらもギンを部屋に残し、ラザファムの部屋を尋ねる。
ところが、ラザファムは部屋にいなかった。
「……どこいったんだ?」
廊下に出て、偶然近くにいたメイドさんを呼び止めて居場所を聞く。
どうやらラザファムは調理室にいるらしい。
今も料理の練習をしているようだ。
俺はラザファムに会いに調理室へと向かうことにする。
その頃、アルベルトの部屋。
アルベルトの言葉通り、部屋に一人待機しているギンは……
「兄ちゃん、本当いいとこ住んでるなぁ。眺めもいい。ベッドもふかふか……」
両開きの窓を開け、外を覗き込むギン。
眼下に見える街の景色を楽しんだ後は部屋の中の物に興味が移る。
「これはレアライト石の花瓶か? こっちは……ぜ、全部でいくらすんだよ、この部屋」
落ち着きなく、キョロキョロと部屋を見回し、調度品や額縁にかかった絵を確認していく。
「おっとあんま勝手するのもよくねえな。友人だからこそマナーは大事だ」
自制するようにギンの動きが止まる。
ギンが椅子に座り、アルベルトの帰りを待っていると部屋のドアが開く。
「お、戻って来……」
「ねぇアルベルト、ちょっと話があるんだけど」
「うん? 姉ちゃん誰だ?」
「……いやいや、あんたこそ誰よ? アイツの部屋で何してんのよ?」
「俺の名はギンだ。兄ちゃんの友であり傭兵仲間だ」
「……に、兄ちゃん? ……それアルベルトのこと?」
「そうだ」
「ああ、そういえば、サハギンに知り合いがいるとか言っていたわね」
思い出したようにリーゼが呟く。
「兄ちゃんならさっき部屋を出て行ったところだぞ」
「そう……入れ違いになったみたいね、戻ったって報告を受けたから来たんだけど」
「それで、金髪姉ちゃんは一体?」
「き、金髪ね……あのね、私は一応この街の領主よ、正確には代行だけど」
「領主……? ああ、兄ちゃんがリーゼって呼んでるハイエルフの姫さんか……あ」
「うん?」
「呼び捨てすまねえ……申し訳ねえ、です」
領主に対する態度ではない、自らの失敗に気づき急ぎ謝罪するギン。
「……誰もいない今、この場においてなら気にしないわよ。それでアルベルトはどこにいるの?」
「助かる。兄ちゃんなら、さっき金髪兄ちゃんに会いに行きましたぜ」
「き、金髪兄? ……ああ、ラザファムさんか、わ、わかりにくい」
「少し待てば、戻ってくるはずですぜ」
「いいわよ……あとでまた来」
「ささ、こちらに座ってごゆるりとお待ちを……」
リーゼの言葉を中断するかのように、ギンが立ち上がる。
熟練の執事の様な自然な動きで椅子をスッと引いて、座るようリーゼに促す。
「あ、今紅茶を入れさせていただきますぜ」
「そ、そう、別にあとでもいいんだけど。……アンタ動きが妙に洗練されているわね」
「その間、話相手を務めさせていただきますぜ」
「……ま、まぁいいか、それじゃあ、よ、よろしく」