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(3) 初冬(三)

 3F西E-14号 二穣 睡蓮(Nijoh Suiren)


――と、白いシリコン製のリストバンドに書かれていた。

 受付のお姉さんが、それを左手首につけてくださいと言ったので、ぼくはその通りにした。この越冬館シャンブルにいる間は、全員が肌身離さずつけることになっているらしい。

 前に冬眠したときの記憶はあまりなかった。ぼくはまだ小学校に上がる前だったからしょうがない。

 ぼくと、父さん母さんは、中央受付ホールで、そのリストバンドが配布されるのを列に並んで待っていたのだった。

 これを手に入れるまでが大変だった。身分確認とか、住民票がどうしたとか、受付の係の人とたくさん難しい話をしていた。

 リストバンドを装着して、ようやく部屋へ行っていいということになった。ぼくたち一家は、キャスターのついた台車に荷物を乗せ、エレベーターで三階へ昇った。


 三階のエレベーターホールに到着するとフロアの雰囲気が変わった。床は温かみのあるオレンジ色のカーペットになっていて、壁や天井は明るいベージュ色だ。

 そして一番ぼくの目を引いたのは、鉢植えの大きな針葉樹だ。

 木の高さは父さんの頭の高さとおなじくらいだ。しかもただの木ではない。枝のところどころに光が灯っていて、ついたり消えたりを繰り返している。よく見ると、小さな電球がたくさん取り付けられている。

 それはクリスマスツリーっていうのよ、と母さんが教えてくれた。

 なんでも、長い冬を乗り切るための、旧地球時代からの風習らしい。冬でも葉が落ちない針葉樹を家の中に飾って、それを見て元気を出すのだそうだ。確かに、雪で真っ白な外の景色しか見えないよりは、ずっといいかもしれない。


 ぼくは、地下で見た常緑の庭のことを思いだした。

 あの庭はもしかしたら、時雨しぐれおじさんみたいな古代人エンシャントたちや、地下作業員の人たちを励ますためのものかもしれないと思った。

 みんなに秘密というのは、人がたくさん来てしまうと困るからなのかな。金魚をこっそり持って行ってしまう人もいるかもしれないし。とくに、白い金魚はめずらしいから一番あぶない。

 ぼくは絶対に誰にも言わないようにしようと思った。


 建物の中央部にあるエレベーターホールから、放射状に六方向への通路が伸びている。

 ぼくたち家族の部屋はEというエリアにあるから、Eって書いてある通路を行けばよい。ここにも水平エスカレーターが設置されていて、ぼくたちと荷物を部屋の近くまで運んでくれた。

 三階Eの十四号が、ぼくたちに割り当てられた小部屋ブースだ。父さんが、リストバンドさえつけていれば、鍵の開閉操作は必要ないんだって言った。

 中に入ると、小さなダイニングキッチンと、寝室が一部屋だけあった。トイレとシャワー室はかなり狭いわりに、物置はけっこう広かった。ぼくはとりあえず、自分の勉強道具を物置にしまって、さっそく図書館に向かった。


 ぼくは児童文学コーナーへ行って、古代竜使いシリーズの本を手にとった。

 ここで読んでいくつもりだったけれど、読書用の椅子とテーブルは人がいっぱいで混雑していた。

 お隣の人を気にして本を読むのもなんだか嫌だったので、ぼくはカウンターで貸りる手続きをして、部屋に戻るためエレベーターに乗った。

 三階でぼくがエレベーターを降りるとき、もう一人がぼくの後を追うように降りてきた。白と金茶色のしましまの女子だ。分厚いハードカバーの本を抱えている。

 あのとき図書館で会った子だ、と、すぐにわかった。あいさつくらいしたらいいかな、とか思いつつ、それも変な気がして、ぼくは黙っていた。

 エレベーターホールから、Eエリア方向の水平エスカレーターに乗った。しましまの女子もぼくの後をついて、おなじエスカレーターに乗った。

「あれ、きみもEエリア?」

 思わず振り向いて、言葉が出てしまった。

「そう、Eの十五号」

 自分のリストバンドを見て、ぼくは再度確認した。

「ぼくはEの十四だから、隣の部屋だ」

「そうみたいね」


 とくにそれ以上話すこともなく、ぼくたちは無言のままでいた。ぼくは自分の部屋の近くまで来たので動くベルトから降りようとしたが、女の子は降りる素振りを見せなかった。

「あれ、きみの部屋も、このへんじゃない?」

 ぼくは大幅に乗り過ごすのが心配だったけれど、そのままベルトの上にとどまった。

「あっちで、本読もうと思って」

「あっち?」

「きてみる?」

 彼女は微動だにせずベルトに乗ったままだ。通路の先にオレンジ色の光が見える。

 そうか、中央のエレベーターホールから放射状の通路を進めば、ドーム型の建物の外側にだんだん近づく。このまま進めばもしかしたら。


「すごい、いい眺めだ」

 予想通り。エスカレーターの終点は、ガラス張りの外壁の側面だった。

 ちょうど日没が迫っていた。地平線に近づいた太陽は、巻層雲を通して輪郭がくっきりとみえた。空は白っぽくぼんやりとしていて、見事な夕焼け空ってわけにはいかなかったけれど、その風景はじゅうぶんにきれいだった。

 ドームの外周にある駐車場の向こうには、葉が落ちて裸になった木立が並んでいる。そのまた向こうには道路を挟んで、冬の眠りについたばかりの住宅街が見えた。

 ここは三階なので、展望台のように遠くまで見わたせるというわけではない。

 それでも、この越冬館シャンブルの中でパノラマのような夕暮れの空を見られることを思うと、少し得した気分だ。なにせ、小部屋ブースには窓がないのだから。

 ガラス張りの外殻に沿うようにして、ゆるやかにカーブした通路が伸びている。

 一番外側に小部屋ブースはないはずだし、この湾曲した通路をずっと進んで行くと、ドームを一周することができるのかもしれない。試してみる気はみじんもないけれど。

 外周通路のところどころにベンチが据えつけてあった。座って外を眺めることができそうだった。

 しましまの女の子は、ベンチに腰掛けて、ひざの上にハードカバーの本を置いた。


「もうすぐ陽が沈むみたい。本を読むにはちょっと遅かったのかな?」

 ぼくも、あいだに人がひとり座れるくらいの距離をあけて、となりに座ってみた。同じクラスのやつらに見られたら冷やかされるだろうけど、まわりに人の気配はなかった。

「その本、むずかしくない?」

「うん」

 女の子はそれだけ言った。難しいよ、っていう意味なのか、難しくないって意味なのか。

 しばらく沈黙して、今度は女の子が口を開いた。

「このあいだはありがとう。本、とってくれて」

「いや、べつに」

「あの本のタイトル、ちゃんとわかってくれたから、びっくりした。クラスの子たちは、誰一人読めなかったのよ」

「ぼく、国語だけが取り柄なんだ」

「わたしも。計算のテストはすごく苦手で、途中で時間がなくなっちゃうの」

「ぼくも同じだ」

 二人とも、すこし笑った。

 夕日が雲ににじみながら高度を下げていった。空全体にかかったうすい雲が、淡いピンク色の光を含んで視界全体をおおっていた。


「でもきっと、きみのほうが国語が得意だと思うよ。ぼくなんてほら、こんなの読んでるし」

 ぼくはさっき借りてきた児童文学の本を見せた。

「それ、わたしも好き」

「きみにはちょっと子供っぽいんじゃないかと思ったけど」

「わたしだって、こんな面倒くさい本ばっかりじゃなく、もっと面白い本も読みたいわ」

 ぼくは勝手に、彼女が根っからのガリ勉だとばかり思っていたけれど、そうでもないみたいで安心した。きっと勉強のために我慢して読んでいるのだ。

 ほっとした反面、ぼくもがんばらないといけない、と思った。

 夕日の最後の光が揺らめいて消えた。それを合図にするように、外周付近の照明がいっせいに灯った。

 なんだか急に寒くなった気がした。

「きみは部屋に戻らないの?」

「いま、父さんと母さんが出かけていて、部屋に戻ってもわたし一人なの」

「そっか」

 彼女のそばにいればいいのか、それとも部屋に戻るようにすすめたらいいのか。


 そう考えているとき、中央方向の通路のほうから人の気配がした。ぼくの名前を呼んでいる。

 現れたのは母さんだった。ぼくの居場所はリストバンドでわかるようになっているらしい。

「あら、睡蓮すいれん。お友達も一緒だったのね」

「この子はお隣さんだよ。いま部屋にだれもいないんだって」

「まあ。家族の人が戻ってくるまで、うちで一緒に待つ?」

「ありがとうございます。だいじょうぶです。部屋に戻ります」

 女の子はぺこりと頭を下げた。

 それから、三人して部屋に向かった。途中で、年配の夫婦が対面のベルトに乗って、こっちにやってくるのが見えた。

「父さんと母さん」

 女の子が言った。ちょうど戻ってきたらしい。

 ぼくたち二家族は、隣同士でそれぞれ部屋に戻った。

 母さんたちは大人同士でなにか言葉を交わしていた。ぼくはなんだか照れくさくて、しましまの女の子にはおやすみってあいさつもできなかった。

 でも、ぼくには見えたんだ。さっき彼女の膝の上の本に目をやったとき、左手のリストバンドが。


 3F西E-15号 広河 皐月(Kohga Satsuki)



 越冬館シャンブルに入居して、二十日が過ぎた。

 ぼくは図書館で本を借りては、外縁通路の特等席で読むのが日課になっていた。

 ほとんど毎日、皐月さつきと一緒だった。ぼくたちはとくに待ち合わせなどはしなかった。約束しなくても会えるっていう気がしていた。

 読書もいいけど運動もしないとだめだ、ってよく言うのは駿馬しゅんめ兄さんだ。

 兄さんはおなじ越冬館シャンブルの二階に入居していて、時々やってきては、ぼくをスキーだの氷上釣りだのに連れ出してくれた。

 でも車で外出していたのは最初のうちだけで、あとのほうには室内運動場で軽くバドミントンなんかをする程度になっていた。


 三十日が経とうとしていたころ、ぼくは気づき始めた。

 みんな眠くなってきているのだ。

 地下駐車場は閉鎖され、車の運転は禁止された。

 外出ができない割には、館内を歩き回ったり、プールや運動場で動き回っている人がめっきり減った。図書館と自動映画館はまだにぎわっていたが、ぼくと同じ世代の子供は明らかに少なくなっていた。

 母さんが言っていたが、老人や子供は早く眠くなりやすく、あとから目が醒めるらしい。


 ある日の夕方、座ってテレビを見ていたら、急に意識が途切れて、がくっと眠りに落ちてしまった。

 テレビ番組はほとんど再放送になっていたから、内容が退屈だったといえばそうなのだけれど、体は全然動かせなかったのに、周りの音はぼんやり聞こえていた。

 キッチンのほうで、父さんと母さんがなにか小声で話していた。


「お隣さんのご夫婦、やっぱりお二人とも……ですって。たびたび留守がちなのは、医療室へ……ですって」

「娘さんは一人娘なのかな」

「そうらしいわ。奥様がね、自分たちに……あったら、隣のわたしたちに迷惑をかけるかもしれない、って。それで、……をよろしく、って」

「そうか。娘さん、まだ睡蓮とおなじよわいの、遅生まれだろうからな。それは心配だろう」

「なんにせよ、……ことを祈るしかないわ」

「――まったくだな」


 皐月に関係のある話のようが気がする。でも夢か現かはっきりしなかった。

 

 三十四日目。

 ぼくは、本を持って外縁通路に行った。

 まだ午前中で、外は明るかった。めずらしく空はすっきり晴れていた。積もった雪で外の景色は真っ白で、太陽の光を反射して目が痛いくらいにまぶしかった。

 皐月が先に座っていて、ハードカバーの本を読んでいた。

「ぼく、最近ねむいんだ」

「わたしも」

 皐月はブックマークも挟まずに、ぱたんと本を閉じて膝の上に置いた。本の表紙は、深い青の背景に、白い鳥の絵がデザインされているものだった。

「この本、ぜんぜん読書が進まないの。ただ、持って歩いているだけって気がする」

 ぼくは人ひとりぶんの隙間をあけて、皐月のとなりに座った。

「冬眠の眠りになるときってさ、だんだん眠くなって、少しずつ動けなくなっていくのかな」

「母さんの話だと、ちがうみたい。普通に眠っているときに、すとん、って深い眠りに落ちちゃうって。それきり春まで起きないんだって」

「じゃあさ、この本の続き、昼寝してから読もうって思っててもさ、気付いたら春ってこともあるのか」

「そうだと思う」


 外の世界に動くものは何もなかった。

 つい十日ほど前までは、除雪車が道路の雪をかき分けて進んでいたけれど、もう道が完全に雪に埋まってしまって、どこが道なのかすらわからなくなっていた。

 駿馬兄さんが言うには、地上の道が埋まってしまっても、地下通路がいくつかの越冬館シャンブル同士を結んでいるから、ある程度は移動や流通ができるのだという。

 空を飛ぶ鳥類も、大地をゆく哺乳類も、何も姿を見せなかった。

 冬越しできる種類の動物は、洞穴や廃墟などに身を寄せ合って、やはり眠りながら冬を越すのだ。そうでないものは、土の中に卵を残したりする。

 鳥ならもしかしたら、地球を半周して南半球に行けば越冬できるんじゃないか、とぼくは考えたことがあるけれど、南半球には小島ほどの陸地もないのだという。

 仮にそんなのがあったら、人間が埋め立てて大きな土地にしてしまうかもしれない。


「睡蓮くんはいま、何の本を読んでいるの」

「超能力捜査官シリーズだよ」

「おもしろい?」

「いや、三行読むごとに寝ちゃうから、わからない」

「もういっそ寝ちゃえば、春まで」


 皐月はおかしそうに笑っていた。白と金茶のしましまの毛は、相変わらずふわふわしていて、日差しに透けたところが金色と銀色に見えた。茶色の瞳がいっそう明るく見えた。

 それからずうっと長い間、皐月の笑顔が見られなくなるということを、ぼくはその時知る術もなかった。

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