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(1) 初冬(一)

 小学校の卒業式が近づいていたある日のことだった。

 ぼくは、同じクラスの藤見くんたちと一緒に下校していた。彼らとは、帰る方向が同じなので、ときどき一緒になることがあった。ぼくの図書委員の活動がないときだけなので、そんなに多くはなかったけれど。

 朝の天気予報では、夕方から雪になると言っていた。じっさい、空は陰影もない灰色の雲に覆われていて、いつ降ってきてもおかしくないと思った。

 風はつめたくて指が凍えそうだった。


「見ろよあれ、ほら、はげ顔の時雨しぐれが掃除してるぞ」

 ぼくの前を歩いていた藤見くんが言った。間髪入れずに、一緒だったほかの二人も指をさし、いっせいに大声で笑い始めた。

 街路樹の葉はほとんど落ちてしまい、茶色く乾いて丸まって、道路の脇に積もっていた。それを、はげ顔の時雨おじさんが、竹ほうきでかき集めているところだった。

 ぼくは、自分のめがねをくいっと押し上げてから、じっと見てみた。

 時雨おじさんは、朝になると黄色い旗を持って通学路に立っていたり、側溝のごみを片付けたりしている人だ。はげ顔と言われるだけあって、ほんとうに顔に毛が生えていなくて、こんなに寒いのに肌がむき出しになっている。

 腕と足もおなじようにつるつるなのかな、と気になったけれど、手袋と長ズボンで手足の具合はわからなかった。

 小学生のぼくたちでさえ、顔も手足もふわふわの冬毛で覆われているというのに、気の毒な人もいるんだな。ぼくはそう思ったけれど、とにかく寒いので、はやく帰りたかった。

 家に向かおうとするぼくのランドセルを、藤見くんがつかんだ。ぼくはのけぞりながら立ち止まった。


「おう、睡蓮すいれん、おまえも一緒に歌えよ」

「歌うってなにを?」

「おれたちのまねをすればいいんだ」

 藤見くんたちは、両手で膝を叩いて音を出しながら、大声で歌い始めた。

「はーげ、はーげ、つるつるはげ! はーげ、はーげ、つるつるはげ!」

 しかたがないので、ぼくは膝を叩くふりをして、口だけをぱくぱく動かして、歌っているふりをした。聞こえているはずなのに、時雨おじさんは黙って枯葉を集めていた。


「こらあ! 4組の坊主ども!」

 校門のほうから男の先生が出てきて叫んだので、藤見くんは真っ先にダッシュして逃げていった。ほかの二人が続き、ぼくも遅れて走った。ぼくは叱られるようなことをしたのだな、と、そのとき気づいたが遅すぎた。

 一瞬ちらりと振り返ると、時雨おじさんが、さっきと同じ姿勢で竹ほうきを動かしていたのが見えた。

 ぼくは、春から夏のあいだに、時雨おじさんがよくぼくたちにおはようって言ってくれたり、優しく笑いかけてくれた顔を思い出していた。ぼくはなぜか、鼻と喉の奥が苦しいような気持ちになった。



「ただいまー」

 ぼくが帰宅のあいさつをすると、廊下の奥の部屋のほうから「おかえり」と声がした。返事をしたのは母さんで、タンスやクローゼットから家族の冬用の衣服を引っ張り出し、片っ端から箱につめているところだった。

 そうだ、そろそろ越冬館シャンブルに荷物を運ぶって言っていたんだっけ。ぼくは、お気に入りのパーカーを梱包されてはかなわないと思い、勢いよく靴を脱ぎ捨てて、母さんのところへ駆け寄ろうとした。

「よお」

 突然、廊下の横の扉が開き、年上の男の人が顔を出した。

 父さんではない。

「うわぁ」

 ぼくはびっくりして、思わず変な声をだしてしまった。

 そういえば、玄関に見慣れない大人用のスニーカーが置いてある。

 全身が銀色の冬毛に覆われているせいで、その人は以前と印象が違ったけれど、ぼくにはすぐにわかった。

駿馬しゅんめ兄さん? なんでいるの?」

「でかくなったな睡蓮。おれを憶えてた? 会うのはたぶん、夏以来だな」


 兄さんといっても、駿馬兄さんは実際はいとこだ。ぼくには男の兄弟はいない。一齢いちれい上に姉さんが一人いるけれど、つい最近お嫁に行ってしまったばかりで、うちにはいない。

「兄さんがなかなか来ないから、釣りに行かないうちに冬になっちゃったよ」

「その約束、憶えてたのか……」

 駿馬兄さんは、しまったというような表情で、耳の横の毛を指でくりくりとひねっていた。ぼくがまだ小さい子供だったから、ごまかせると思っていたのだろうが、そうはいかない。

 夏にはよく一緒に遊んでくれていたのに、勉強が忙しくなったというので、兄さんはしばらく家に来なくなっていたのだ。大人の事情はよくわからず、ぼくはしばらくの間ふてくされていた。

 まだかまだかと待っている間は、その人はやってこないもので、すこし忘れて落ち着いたころに戻ってきたというわけだ。


「こら睡蓮。駿馬兄さんを困らせちゃだめでしょ。そんなことよりも、あんた、自分の部屋の片づけ終わったの?」

 母さんが言った。ちょうどぼくのパーカーを手に持ってたたもうとしていた。

「ああ、その服、明日着るんだってば!」

「はいはい。じゃああんたが管理しなさい。ついでに部屋を片付けて、本や勉強道具は箱にまとめておくのよ」

「でも、あさってまで授業はあるんだよ? まだ使うものばっかりだよ」

「うーん、仕方ないわね。せっかく兄さんが来てくれているから、かさ張るものや重いものは、先に運んでおきたかったんだけどね」

 母さんはちょっと残念そうにしながら、手を止めて立ち上がり、ぼくにパーカーをよこした。

 ぼくは、兄さんがここにいる理由がわかった気がした。仕事を休めない父さんに代わって、冬眠用の荷物を早目に運搬するためだったのだ。


「兄さん、きょう来るって決まってたの?」

「いいや。やっと運転免許がとれたから、練習がてら走ってるついでに寄ってみたのさ。勉強も一段落して暇になったところだよ。――そうだ睡蓮、今度釣り行くか?」

「今度っていつだよ。次の春かよ」

 聞き憶えのある台詞に、ぼくは口を尖らせた。

「冬でも釣りできるんだぞ。湖の氷の上から、こう穴を開けてさ」

 駿馬兄さんは、手動のドリルか何かをくるくる回すような動作をした。

「うーん。でもなあ、スキーやスケートのほうがいいかな。どうしようかな」

 内心ぼくはうれしくて仕方がなかったけれど、素直にはしゃぐのは照れくさかった。あとたった三日だけれど、学校が終わるのが待ち遠しくなってしまった。

 これから冬眠に入るまでのつかの間の季節を、駿馬兄さんと何をして遊ぼうか。ぼくはそればかり考えていた。


 興奮して、その夜はなかなか寝付けないほどだった。



――われわれが暮らすこの"新"地球は、冬がとても長いので、寒くなると人間は冬眠するのだ。

 と、先生が社会の授業で言っていた。


「新地球」というからには、「旧地球」もある、らしい。けど、そういうことは中学校で勉強するらしい。

 冬が長いというのは、春夏秋に対して冬だけが極端に長い、という意味ではなく、春も夏も秋も冬も、それぞれが長いということだ。

 旧地球の世界は、四季の巡りがとても速かったので、秋に食糧を備蓄しておけば冬の間も食いつなぐことができたけれども、この世界の冬は長すぎてそうはいかない。そこでぼくたち人類は、長い長い年月を経て、生態が変化したのだそうだ。実りの少ない冬の間を眠って過ごすために。

 雪が降り始めるころ、街の人々が一か所に集まって、みんなして冬眠の準備をする。そこが越冬館シャンブルだ。寒さが厳しくなるとぼくらは眠り、春が近くなると目が覚める。

 期末テストで覚えておくべき知識は、だいたいこんな感じだったと思う。ぼくは社会科があまり得意ではないので、教科書に線を引きながら必死で覚えたのだ。



 終業式が終わって家に帰るとき、校門の近くに、ぼくを迎えにきた車が止まっていた。

 こういうことは珍しい。うちの親は自動車での送迎は一切しない主義だったからだ。中をのぞきこむと、車を運転しているのは、駿馬兄さんだった。

 学校から引き揚げてきたジャージやらピアニカやらで、荷物が重いことは確かだったけれど、ぼくはひとりでもがんばることをいつも身上にしてきたので、ちょっぴり不本意だった。

 けれども、来てしまったものは仕方がない。ぼくはおとなしく荷物を後部座席へ置いて、自分は助手席に乗った。


「ぼくは一人で大丈夫だって言ったのにさ」

「別に甘やかしたいわけじゃないぞ。きょうは特別補修授業。社会科見学の時間だ」

 小学校時代最後の通学路だったのに、感動に浸る間もなく、乗用車はあっというまに通過していく。なんか調子が狂う。歩道のほうをちらっと見たが、時雨おじさんの姿は発見できなかった。

「うちに帰るんじゃないんなら、どこにいくの?」

「まあ、すぐにわかる」

 車はすぐに目的地に到着した。見覚えのある場所だ。ぼくはちょっと拍子抜けした。

「なーんだ、ここ、越冬館シャンブルじゃないか」

「はい正解」

 地下駐車場に車を収めると、鼻歌を歌いながら駿馬兄さんは歩き始めた。ぼくは納得できないまま後を追って歩いた。

「ねえ兄さん、越冬館シャンブルなら、校外授業で来たことあるよ」

「どうせ半分寝てたりしたんじゃないの?」

「そんなことないって!」

 思わず、ちょっとむきになってしまった。ぼくがまだ子供だと思ってばかにしているのだろうか。


 越冬館シャンブルは、たいていどこの街でも中心部にある、立派で頑丈で、とても大きな建物だ。

 最近のものは、平べったいドーム型をしているものが主流らしい。いまぼくらが訪れている建物もそんな形をしていた。

 ドームの外側の壁は、全面が分厚い強化ガラス張りになっていた。それを内側から支えるため、軽量鉄骨が網目のように張り巡らされていて、大きな三角形をたくさん集めたような模様を描いているのが外側からも見えた。この構造は雪の重さに耐えるためで、あるいは雪がない時には日光の熱を効率よく取り込むためのものだ。

 このガラスの殻は二重になっている。外の寒さの影響を直接受けにくいようになっているのだ。魔法瓶とおんなじだ。しかも、平べったい形をしているので、地面からの熱を有効利用できるらしい。冬の間は、少ないエネルギーを大切に使わなくてはならないのだ。


 ぼくは駿馬兄さんの後を追った。

 南口と書かれた入口の回転扉をくぐり、水平方向に動く幅広のエスカレーターに乗った。以前に来たことがあるから、行き先は建物中央のエレベーターホールだとわかっていた。

 ぼくたちの前に、大きな荷物を抱えた四人家族が乗っていた。両親らしきふたりと、ぼくと同じよわいの女子がふたりいて、楽しげに会話していた。

 ベルトの動きはゆっくりで、このまま流れに任せるとけっこう時間がかかる。ぼくと兄さんは、動くベルトの上をさらに歩いて進んだ。前の家族を追い越すとき、女の子たちの顔をちらりと見たけれど、グレーの毛色の知らない子だった。べつの小学校の子なのかもしれない。

 そのあと、さらに二組の家族を追い越して、ぼくたちは中央ホールに到着した。


 この場所は冬の間、街の人たちにとって一番大事な場所になる。エレベーターやエスカレーターのほとんどはこの中央ホールを経由しているし、周りには簡易郵便局や役所の窓口、外来医療室などがある。

 冬でも職員の誰かが、カフェイン剤を飲みながら交代で勤務しているので、誰もいなくなることはない。冬眠中にうっかり目がさめてしまったりして、ひとりで何か困ったときには、ここに来るように、と先生も言っていた。

 そして、少ないながら娯楽も存在する。室内運動場やプール、自動映画館、それに――。

「あ、そうだった。ちょっと用事足してくるから、睡蓮はあのへんで、時間潰しててくれ」

 駿馬兄さんが指をさしたほうには、図書館があった。ちょうどぼくもそのことを考えていたところだった。

「ちょっとってどのくらい?」

「二十分くらいかな」

 そう言って、兄さんは歩いていって、人ごみに紛れて姿がみえなくなってしまった。


 自分で連れてきておいて、いきなり置き去りにするとは。

 多少の不満はあったけれど、図書館は好きなので、まあ許すことにした。ここのラインナップ次第では、ぼくが冬眠用に持ち込む本の数も減らせるので、いま様子を見ておけるのはラッキーだったかもしれない。

 ふと、古代竜使いの冒険シリーズの最新刊が置いてないかどうかが気になった。児童文学コーナーはどこだろう?

 探しているうちに、「古代」という単語が目に入ったので、何かと思い近寄ってみたら「古代日本文学」というコーナーを示すパネルだった。

 なんだかすごく難しそうだ。いつのまにか大人向けのコーナーへ迷い込んでいたらしい。

 背表紙のタイトルをざっと見ただけでも、どう読むのかわからない漢字がたくさんあった。おそらく一齢か二齢上の、頭の良さそうな大人がひとり、少し離れたところで本を物色しているだけで、まったく人気ひとけがなかった。

 ぼくのような子供が来るところじゃない。

 目の前に立ちはだかる、たくさんの背表紙の活字の壁に圧倒されて、目がまわりそうになっていたとき、不意に耳のそばでささやく声がした。


「ねえ。あなたなら、上から二番目の棚って届く?」

 いつのまにか、ぼくの横にひとりの女子がいた。

 白と金茶色のしま模様の冬毛をした子だった。毛並みがふわふわしていて、触ると柔らかそうだと思った。

 彼女は小柄で、高い位置の棚に手が届かないので、すこし背の高いぼくに届くかどうか聞いているらしい、という状況を頭で理解するまで、ちょっとした間があった。

「この棚かい?」

 ぼくは背伸びをしてみたけれど、ぎりぎり指がさわる程度で、本を取り出すことはできない。

「あれを持ってこないとだめみたいね」

 白茶しましまの女の子は、隣のコーナーから木製の踏み台を引きずって持ってきた。案外重たいようで、ぼくも運ぶのを手伝った。

 ぼくは本のタイトルを聞き、彼女が踏み台を支えてくれている間に、本の獲得に成功した。なんとかぎりぎり、ぼくの読める漢字だったので安心していたのは内緒だ。

「この本でいいの?」

「ありがとう」

 しましまの女の子は、本を受け取るとにっこり笑った。彼女のおおきな茶色い瞳とまともに目があってしまい、ぼくの頬がなぜかぼうっと熱くなった。


 ぼくが踏み台を引きずって元通りの場所に戻している間に、彼女の姿は消えていた。

 どこに行ったのかと、めがねを指で押し上げてからあたりを見回していたとき、駿馬兄さんがぼくを探しにやってきた。

「なかなか難しい本に興味があるんだな。やるじゃん」

 周りの本棚を見てから、兄さんがぼくに耳打ちした。ぼくは恥ずかしくて本当のことを言えなかった。

 しかも、さっきのしましま模様の女子にはなんだか負けた気がした。ぼくと同じよわいなのは見て明らかで、背が低かったからぼくよりも遅い季節の生まれなのかもしれない。それなのに、あんなに大人っぽい本を読むなんて。

 見たことがなかったけれど、どこの学校の子なんだろうか。

 ぼくの唯一の自慢といったら、国語の成績だけはクラスで一番だっていうことだけど、その看板も、もはや危ういと思った。

 そんなことを考えつつ、ぼくは駿馬兄さんについて歩き、図書館を後にした。

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