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エピローグ

 僕たちに、もしも男の子が生まれたなら、きっと、初恋の女の子と結婚しようなんて簡単に思うなよ、と教えるだろう。それは試練の連続であり、けっして平坦で楽な道ではないからだ。

 しかし、こうも教えるだろう。試練を乗り越えたからこその幸せもかならずあるのだ、ということを。


 外縁通路沿いのベンチからは、ガラスの壁を通して雪化粧の街が一面に見えた。空は晴れ渡り、大気は澄んでいた。森羅しんら高校の校舎の時計塔が、遠くに小さく見えていた、

 陽は傾いていたが、日没までにはまだ時間があった。

 皐月さつきの柔らかな毛並みが陽光に透けていた。その手首の白いリストバンドには、僕と同じ二穣にじょうの姓になった彼女の名前が記されていた。


「今回も西側の小部屋ブースにあたって良かったわ」

 膝の上に開いたままの本を乗せ、皐月は言った。

 僕が図書館から借りてきた、幻獣使いの騎士シリーズの最新刊は、ちょっと目を離しているうちに彼女が占領してしまっていた。栞の位置からいって、それが僕にまわってくるのは、きっとあしたの今ごろの時間になることだろう。

「東側だったら、早朝にダイヤモンドダストが見られたかもしれないけどなぁ」

 仕事が終わってから読むつもりだった本をとられて、僕は内心、ちょっぴり不満だった。それで、無意識のうちに否定的な返答をしてしまったのかもしれない。

「もう。あなたはいつも、そうやって揚げ足取りばっかり。東がいいのなら、部屋の希望を聞かれたときに言えば良かったじゃないの」

「別にそうは言ってないだろう」


 僕だって西側が良かったのだ。ふてくされて目を逸らした彼女の顔をなんとか覗きこもうとして、右へ左へと回り込んでみたものの、ご機嫌を直してはくれなかった。

「あなたっていつもそうよね。自分の気持ちは言わないくせに、心の中ではほんとうに納得はしていないのよね」


――いいか睡蓮すいれん、何があっても、かならず自分が先に謝れ。それが夫婦円満の秘訣だ。

 僕は、駿馬しゅんめ兄さんの言葉を思い出していた。

 生涯独身で過ごすんだ、と恰好つけていた駿馬兄さんは、先日ついに結婚した。

 あの見事な銀色の冬毛は女性を惹きつけるらしい。冬の間のおれだけが大好き、ってよく言われるのさ……と、冗談めかして兄さんは話していたが、その笑顔を見る限りでは満更でもなさそうだった。その証拠に、近頃では僕のところにあまり来なくなっていた。


「なあ、まだ怒ってる? 本当にごめん、僕がいつも無神経なばっかりにきみに迷惑を」

 つんと澄ましたまま、皐月は本に視線を落としていて、顔を上げてくれなかった。

 僕は、そんなに怒らせるようなことを言ったつもりはない。強情なのは彼女のほうなのに。それでもなんとか笑ってもらおうと思い、あれこれ話しかけていると、彼女は突然ぱたりと本を閉じた。

「――無神経、ね。たしかにあなたはずっとそう。初めて付き合い始めたときからね」


――いいか睡蓮、女ってのはな、月日が過ぎても昔の怒りを忘れられずに、妙な場面でいきなり引っ張り出してくるもんなんだ。いかに理不尽でも、けっして苛立ってはいかんぞ、それが夫婦円満の……。

 再び駿馬兄さんの言葉が脳裏をよぎる。


 僕は、湯が沸きかけたような頭をなんとか冷まそうと努力しつつ、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。

「――何を怒っているのか、教えてくれ」

「だってあなたは、いつもはっきりした言葉をくれないんだもの」

 僕をにらみつけるような、それでいて哀しいような表情だった。

 傾いた陽の光を受けた瞳は、きれいな琥珀色だった。やわらかい白と金茶色の毛並みが相まって、皐月が座っている木製のベンチを含め、僕にはその光景の全部が、山吹色に染まって見えていた。

 彼女は、堰を切ったようにしゃべり始めた。


「夏にお付き合いを始めたときもそうだった。

 なんとなく一緒にいるようになってしまったけれど、わたし、そういうことはちゃんと言ってほしいって、伝えたつもりだったのに。あなたは、みんなが僕らをカップルだと思っているから、別にいいじゃないか――って、それきりよ。

 わたし、自分だけが時代遅れの馬鹿みたい、って思いながらも、ずっと不安で、物足りなくて。

 どうしてわたしが、自分の正体をあなたに言えなかったのかわかる?

 灯籠流しの夜に、初めて自分が女系を継ぐ者だって知った。男女交際も、結婚も自由には出来ないんだ、ってわかったら悲しくなって、それから何日かを泣いて過ごしたわ。

 しばらくしてから、みどりさんはわたしに言ったわ。いまの恋人の睡蓮くんなら、婚姻相手としての資格審査を通るかもしれないから、八咫烏やたがらすに申請してみましょう、って。

 ただし、そうなってからでは婚約解消は不可能で、途中で気が変わっても死ぬまで添い遂げるしかない、って。

 もしもあのとき、本当のことを言ったら、あなたは優しいから、わたしを助けてくれるかもしれなかった。怖い映像をみるとき隣にいてくれるかもしれなかったし、一緒に古代語を勉強してくれるかもしれなかった。

――そして、ほんとうに結婚してくれるかもしれないと思ったわ」


 目に涙をためながら、そこまで言って、皐月はうつむいてしまった。

「そこまで考えていたのなら、なぜ僕に話してくれなかったんだ」

 僕は静かにたずねた。

「だって、そんな理由で結婚したら、あなたの本当の気持ちが、一生わからないままじゃないの。わたしはまだ、一度もきちんと言ってもらっていないのに」


――ああ、そういうことだったのだ。


 時雨しぐれ部長が言う、皐月の取り越し苦労だという意味がわかった気がした。

 まったくその通りだ。僕がどれだけ必死になって、彼女を取り戻そうとしたのかなど、まるでわかっていないのだから。

 それにしても、どうして女の子ってのはすぐにぼろぼろ泣くのだろう。せっかくの純白の毛並みが台無しだ。

 僕はおおきく息を吸った。

「よおし! 理解したぞ! じゃあ最初からやり直そう!」


 僕は強引に皐月の手を引いて、中央エレベーターホールへ向かった。

 途中で小部屋ブースに寄って、入口にかけてあったコートをひっつかんでから、また動くベルトに乗った。皐月は泣き顔を見られたくないのか、最初は下を向いていたが、エレベーターに乗り込んだ頃には、充血した目のまま涙だけふいて、無言で前を見ていた。

 一階のホールまで降りて、さらに水平エスカレーターに乗り、皐月を連れたまま南出口へ向かった。

 そこから外に出ると、一面の銀世界だった。寒さで息が凍るほどだ。顔に毛が生えない古代人エンシャントだったら、頬の冷たさに五分と我慢ができないかもしれない。

 夏の間に皐月とよく歩いて通ったこの並木道は、すっかり様子が変わっていた。

 道に積もった雪はまだ浅くて、ショートブーツでも歩ける程度だった。あれほど茂っていた青葉は、一枚残らず落ちて、並木も丸裸だ。皐月が、あの話を僕にしたのは、確かこのあたりだったはずだ。

 僕は、持ってきたコートを皐月の肩にかけてやってから、彼女に向かい合うように立ち、背筋を伸ばした。

 そして握手を求めるように、右手を差し出して言った。


「『因幡いなば白兎しろうさぎ』こと、皐月さん。僕は君のことが、前の冬に図書館で会ったときから大好きでした。ずっとずっと好きでした。僕と付き合って下さい。三色まだら模様の僕ですが、これからも一生付き合ってください。よろしくお願いします」


 皐月は、僕の手を握ると、そのまま僕に抱き付いてきた。

 夕陽が並木道に差して、雪の上に僕らの長い影を作っていた。梢に積もっていた雪が風に飛ばされて、黄昏の光をきらきらと反射させながら舞っていた。とても寒かったけれど、皐月と触れあっているところは暖かかった。

「わたしも睡蓮が大好き。これからはずっと一緒にいてね」

 僕の腕の中で皐月は言った。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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