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月を共に見たいなら

 何だろう、これ。

 何だろう、この状況。

 蓮子は器に入った白菜をもそもそと食べながら自分の置かれた状況が理解出来ずに自問していた。

 場所は何処かの旧式日本家屋、蓮子の入っているこたつの上には水炊きが湯気を上げ、それを四人で囲っている。

 蓮子が白菜を食べていると、横から器を引っ手繰られる。左を見ると、メリーがおたまを操り器に具を入れ鶏団子を二三加え、最後におつゆを掛けて蓮子に器を返してきた。ありがとうと言って受け取ると、メリーは笑顔のまま今度はメリー自身の器におかわりをよそい始める。

 メリーは夕闇の路地で突然姿を消した。

 蓮子は消えたメリーを探して、夜の森に入り、兎達に見つかり、そして足元に突然穴が開いて、落下した筈だ。

 蓮子は思い出す。

 メリーが消えた時には涙を流す程、絶望した。

 兎に捕まった時、穴に落ちた時はもう駄目だと死を覚悟した。

 それ等の緊張感がこの、誰かの家で鍋を突いている平穏な状況によって、呆気無く粉砕され、今はこの冗談の様な状況についていけずに、流されるままに鍋をご馳走になっている。

 蓮子が向かいを見ると、そこにはまるでメリーをそのまま成長させた様な容姿の女性が楽しそうに蓮子達の食べる様を眺めている。女性は蓮子の視線に気が付くと、嬉しそうに首を傾げた。

「まだまだおかわりは一杯あるから、食べて食べて」

 女性がそう言うと、量の少なくなった鍋の上の空間に突然亀裂が入り、その亀裂から具材が出てきて、汁の中に落ちたかと思うと、更に亀裂から汁が追加されて、再び火が強められた。

 待って、今のはどうやった。

 まるで境界を意のままに操る姿に、メリーが重なる。尤もメリーが境界を見るのに対して、女性は境界を操っており、より人間離れしているが。

 どうやら兎に囲まれた時、急に現れた落とし穴は目の前の女性が作った物らしい。その穴に落ち、真っ暗な中、訳も分からずただ恐怖だけ感じていると、この部屋に辿り着いた。部屋にはメリーが居て再会の喜びに浸っていたのも束の間、メリーの他にも女性ともう一人が居て、鍋に誘われ、こうしてこたつについて鍋を突いている。

 女性が何者なのかは分からない。あまりにもメリーと似ている容姿、そして境界を操る能力。気になる事は様様にあったが、下手に追求して気分を害するとそのままこの空間に閉じ込められてしまう可能性がある。だからほとんど何も聞けずに居た。今分かっているのは、名前が紫という事だけだ。

 右隣には黒と白のエプロンドレスの様な服装の女性。蓮子やメリーよりも年上で、もう大学院を卒業している年齢だろう。金色のウェーブ掛かった髪色に快活な表情。紫とのやり取りを見ると、親子の様に見える。名前は霧雨魔理沙。親子仲は良さそうだ。

 初めの内は紫と魔理沙の二人を警戒して、言葉も喋れなかった蓮子だけれど、鍋を一緒にしている内に、少なくとも自分達が今すぐ害される事は無いだろうと判断した。しばらく鍋が美味しいだのどうのと他愛の無い会話が続き、もう皆のお腹が一杯になってお開きになろうかという時に、一番気になっていた事を聞いた。

「あの、紫さん」

 紫は鍋を隙間にしまい込むと笑顔を蓮子へ向ける。

「何? 真剣な顔をして」

「聞きたい事があります。良いですか?」

「ええ、勿論」

「じゃあ」

 蓮子が紫からメリーへ視線を移す。

 似ている。あまりにも。

 ただの偶然とは思えない。

 もしかしたら境界の暴走と何か関係があるのかもしれない。

 不穏な予感が幾つも湧き上がる。

 蓮子は鼓動の高くなる胸を押さえながら紫に視線を戻し、それを聞いた。

「紫さんがメリーとそっくりなのはどうしてですか?」

 それを聞いた紫が首を傾げる。

「そう?」

 すると魔理沙が笑って言った。

「ああ、そっくりだぜ。親子かと疑う位」

 すると紫が気分を害した様子で魔理沙を睨む。

「そういう冗談は止めて頂戴」

 メリーと紫は親子では無い。

 一つ可能性が消えた。

 だが不穏な可能性はまだまだ残っている。

 睨まれた魔理沙が慌てた様子で胸の前に両手を出す。

「そう言われたって、本当に本人かって位そっくりだぜ? 違うのは年齢だけだ」

 蓮子が言葉を重ねる。

「それにメリーは境界が見えるんです。紫さんは多分境界を操れるんでしょう? そういったところもそっくりなんです」

 それを聞いた紫がじっとメリーを見つめた。メリーは器に残っていたおつゆを飲んでから、紫の視線に気がついてお互い見つめ合う。そうしてぽつりと呟いた。

「もしかして」

「何か心当たりがあるの、メリー?」

「生き別れのお姉ちゃん?」

 蓮子は驚いてメリーへ顔を寄せた。

「姉が居たの?」

「居ないけど」

 蓮子が思わず態勢を崩してメリーの胸に倒れこんだ。

「何よそれ」

「でもそれ位しか理由が無いなぁって」

 駄目だ、メリーに聞いても埒が明かない。

 そう考えた蓮子が紫を見る。

 だが紫も首を横に振った。

「残念だけど、私もはっきりとした理由は分からない」

「そう、ですか」

 落胆して蓮子が肩を落とす。

 紫はそれを見つめていたが、ふと呟く様に言った。

「でも可能性は考えられる」

「え?」

 紫は自分の胸に手を添えると、蓮子とメリーを見つめて静かに語る。

「私はね、妖怪なのよ」

「妖怪?」

「そう、妖怪。妖怪って分からない? 簡単に言うとね、人の思いで生み出された存在。恐怖だとか願いだとか、そういう切実な思いによって私達妖怪は生まれるの」

 妖怪。聞いた事はあった。とはいえ、昔そういった存在が居たけれど今ではもう絶滅してしまったと聞いている。実際それがどんな存在なのかは知らなかった。

「私達妖怪はその思いによって存在を決定される。当然外見もね。多くは何らかのモチーフがあってそれに似せて作られるけど。例えば私はメリーさんのご先祖様によって生み出されたかもしれないわ。そうでなくて、もしかしたらメリーさん本人に生み出されたかもしれない。あるいはメリーさんを知っている人が生み出したのかも。あるいはメリーさんの子供が生み出したのかもしれないわね」

 そこでメリーが恥ずかしそうに笑う。

「私、子供はまだ居ないです」

 すると紫は真剣な目で見つめ返した。

「あり得る事よ。この幻想郷はね、時間が不定なの。過去も現在も未来も無い。好き勝手に滅茶苦茶に動いている。だからね、例えばあなたの世界での十年二十年後の未来が私達の百年二百年前の世界に影響を与える事は十分にあり得るの」

 蓮子がそれを聞いて疑わしげに尋ねる。

「時間は不可逆でしょう?」

「それはあなたの世界の話」

 紫はあっさりと言って時計を見上げた。そして笑う。

「浦島太郎の話は知っている?」

 唐突に聞かれて蓮子達は頷きながら時計を見上げた。

「この世界では既に一刻が経った。けれどね、あなた達の世界の一刻とはきっと違うわ」

 浦島太郎の話を思い出して蓮子は生唾を飲み込む。

「つまり、外の世界では何百年も経っていると?」

「それだけじゃない。もしかしたら何百年も前に戻っているかもしれない」

「そんな」

「あなた達外の世界の人間には想像もつかないでしょう。けれどここは幻想郷。幻想郷には幻想郷の真実がある」

 魔理沙が呆れ声を入れる。

「いや、私も紫が何言っているのか分からないんだけど」

「あら、そう?」

「時間は一方通行だぜ?」

「あら、そう?」

 魔理沙が肩を竦めて首を横に振った。

 紫はくふふと笑ってもう一度時計を見上げてから立ち上がった。

「さて、そろそろお開きにしましょう。二人共今日はありがとう。魔理沙のお祝いに付き合ってくれて」

「いえ」

 蓮子とメリーが立ち上がると、目の前に境界が作られた。その向こうには闇が覗いている。境界に入れば帰れるという事だろう。

 そこで蓮子はもう一つ確認しなければいけない事があったのを思い出す。

「紫さん。もう一つ聞いて良いですか?」

「何?」

「さっきメリーも境界に関わる能力があるって言いましたよね」

「ええ、聞いたわ。あなた達は二人共不思議な目を持っているのよね。メリーさんは境界が見えて、あなたは自分の立つ時と場所が分かる」

「そのメリーの能力が今暴走しているんです。勝手に境界の向こう側へ行く様になって」

 境界を操る能力を持つ紫であれば、もしかしたらそれを制御して解決する方法を知っているのではないかと思った。

 けれどその期待に反して紫は首を横に振った。

「残念だけど、私はそれを止める方法を知らない。だって私は最初から境界を操れる存在として生み出されて、今までそれが崩れた事は無いもの」

「……そうですか」

 蓮子は気落ちしてうなだれた。

 そもそも人間と妖怪では、現実と幻想郷では常識が違う。それはさっき紫自身が言っていた事だ。

 落ち込んでいる蓮子を心配して紫が殊更明るく言った。

「でもね、それを制御する方法は分からないけど、気休めかもしれないけど、私は思うの。ねえ、蓮子さん。メリーさんにはあなたが居るのよ」

 蓮子がゆっくりと顔を上げてメリーを見る。

「私はね、今でこそ違うけれど、昔は私の事を本当の意味で理解してくれる者なんか居なかった。ずっと一人きりで、仲間と言っても一緒に行動するだけ。心は通じあっていなかった。寂しかったわ。その所為で色色無茶もした。月に攻め込んで返り討ちにあったりね」

 紫は寂しげに言ったが、すぐに表情を明るくして魔理沙の事を後ろから抱きしめた。魔理沙は恥ずかしそうに逃れようとしたが、紫は放さずに、結局魔理沙が根負けして大人しくスカートを握りしめる。

「でも今は違う。私の事を分かってくれる者、私が守らなくちゃいけない者、沢山の大事な者達がこの幻想郷に居る。それはとても素敵な事で、そう思うと何でも出来る様な気がしてくるの」

 そうして紫は魔理沙の頭に顎を載せて、蓮子とメリーを見つめた。

「話に聞くと、メリーさんはずっとその目を理解してもらえなかったんでしょう? そうしてその初めての理解者が蓮子さんだったんでしょう? 見たところとても仲が良さそう。ねえ、メリーさんの隣には蓮子さん、あなたが居る。いつだって自分を理解してくれるかけがえの無いあなたが。進む先が真っ暗で立ち止まってしまいたくなる様な道でも、あなたという光が居ればきっと進んでいける。そして立ち止まる事無く進んでいけば、きっといつかは抜け出せる。私はそう思うの」

 ちょっと臭かったかしらと言って、紫は恥ずかしそうに笑った。 

 とても抽象的な話だ。紫自身が初めに言った通り、何の解決策にもならないし、何の役にも立たないほんの気休めの言葉だ。

 それでも蓮子はその言葉を聞いて、希望を抱いた。

 メリーの傍に来れたのは、この目のお陰だ。そのお陰であの森を抜けて結果としてここへ辿り着けた。

 メリーの事を理解してあげられるただ一人の理解者。メリーにとって特別な親友。メリーを助けられるのは自分しか居ない。自分だけがメリーの傍に居てあげられる。メリーの隣で一緒に歩いていける。だって私も不思議な目を持っているんだから。そう思えた。

「私が必要な時には呼んで。きっと助けてあげるから」

 そう言って紫が笑顔で手を振る。その顎の下で恥ずかしそうにしている魔理沙も手を振る。蓮子達もそれに手を振り返す。

 隙間が閉じた。

 暗闇の中に落ちていく。


 隙間を抜けるとそこは岡崎夢美の殺風景な研究室だった。

 丁度お昼ご飯を食べていた岡崎がその手を止めて突然現れた二人を驚いた顔で見つめてくる。

「帰ってきたのね、あなた達」

 蓮子は辺りを見回して、研究室の中も岡崎の姿も変わっていない事に安堵した。紫が浦島太郎等と脅すから一体どれ程世間が様変わりしているのか恐ろしかったのだ。

「教授、今日は何日ですか?」

「あなた達が居なくなっていたのは一週間」

 岡崎がすぐに蓮子の質問の意図を読み取って答える。

 一週間。長い様な短い様な。

 岡崎がくつくつ笑いながらご飯の残りを平らげて蓮子へ問いかけた。

「それでどれ位進展したの?」

 問われた蓮子は意味が分からず問い返す。

「進展?」

「そう。二人で向こうの世界へ行って、剰え戻ってこれたんでしょ。随分と進展したわよね?」

 進展は、していない。結局何の解決策も見当たらなかった。

 向こうの世界へ行って帰ってきただけだ。

 何だか馬鹿にされている様な気分になって俯くと、岡崎が驚いた様に言った。

「まさか、何も?」

 苛立ちと無念が益益大きくなる。

 蓮子が黙っていると、岡崎が視線を外した。

「そう。まあ、良いでしょう」

 岡崎が二人をテーブルへと促した。

「それじゃあ、あった事を話してもらおうか」

 蓮子は躊躇した。

 結局、喧嘩別れした時に岡崎の言っていた事は当たっていたのだ。子供一人じゃ何も出来ないと。事実、守ると誓ったメリーはその帰り道に向こう側の世界へと消えた。そうしたらもうどうしようも出来なくて途方に暮れて。偶偶メリーとは再会出来たけれど、それはただ運が良かっただけだ。その上、結局解決策は何も見いだせなくて。

 自分一人じゃ解決出来ないと思い知らされた。けれど目の前の岡崎に協力を頼めば、またメリーが苦しめられる気がして。

 その時、メリーの手が肩に触れた。

 没頭していた思考から浮き上がり、隣を見るとメリーが心配そうな顔でこちらを見ている。

 いけない。

 蓮子は自分を奮い立たせて顔を上げた。

 メリーの隣に居るのは自分だ。自分だけだ。それが不安そうな顔をしていたら、メリーまで不安にさせてしまう。

 蓮子が岡崎を睨みつける。

 だが岡崎は気にした風も無く、手を払った。

「そもそも私は君達を苦しめる気なんて無いよ。殺人鬼がどうのだって冗談。珍しく医者の真似事をしようと思っているんだ」

「信じられません」

「じゃあ、こうしよう。実験は極力しない。君達の話を聞いて知恵を貸す。どうだい? 話を聞くだけならメリー君に害を及ぼしようが無いだろう?」

 考える。

 妙に好条件だ。実験をしないというのなら、岡崎には何のメリットも無い。何か裏がありそうな気がする。

 けれど非統一魔法世界論を発表した天才、岡崎夢美の頭脳は魅力的だ。きっと役に立つ。

 蓮子は迷った末に、岡崎へ尋ねた。

「どうして助けてくれるんですか?」

「心配だから」

 思わぬ答えに蓮子は耳を疑った。

 すると岡崎は不服そうな顔で口をとがらせる。

「そんなにおかしいかい? 目の前で困っている子供が二人。大人として助けない訳にはいかないだろう?」

 あまりの一般論が、益益疑わしい。

「信用出来ません」

「まあ、良いけど。感情を抜いて考えてみて欲しいね。本当に君一人で今回の事を解決出来るのか。私が居れば多少は力になれるよ」

「けど」

 感情を抜きにしろと言っても。

「一先ず何があったかだけでも話してよ。それを聞いてほんのちょっとアドバイスするだけなら、何の問題もないだろう?」

 考える。

 だが思考を巡らせる前に、岡崎が言い重ねた。

「さあ」

 それに促されて、蓮子とメリーは椅子に座る。座ってからも蓮子は悩んだが、結局悔しい思いを感じながら、岡崎と別れた後の出来事を話した。夕闇の路地で突然メリーが消えた事、それを探して神隠しの竹林に入りそこで兎達を見た事、捕まりそうになった時に境界が開いて向こう側の世界へ行って、そこで鍋を食べた事。

 聞き終えた岡崎はふむと呟いてからメリーを見た。

「それでメリー君は?」

 問われたメリーも蓮子と別れた後の出来事を話した。いつの間にか深い森の中に居た事、そこへやって来た紫という妖怪に家へと招待された事、そこで鍋を食べようとしていたら蓮子がやって来て一緒に食べた事。

 聞き終えた岡崎はふむと呟いてから、目を閉じ、それから険しい顔で二人に目をやった。

「色色と考察出来る部分はあるが、その前にまずはっきりさせたい事がある。良いかい?」

 二人の返事を待たずに、岡崎は蓮子へと問いかけた。

「これで分かっただろう? 今の君ではメリー君を助ける事が出来ない」

 思わず蓮子は自分のスカートを強く握りしめた。

「あれだけ大口を叩いておきながらの結果がこれだ。メリー君を命がけで守ると言ったその直後にこれだ。それ等を踏まえて客観的な事実を言う。今の君ではメリー君を助ける事が出来ない」

 蓮子の視界が滲む。分かっていた事だ。けれどはっきり他人に言われると、悔しさと悲しさと申し訳無さが凄まじい衝撃となって心を揺さぶってくる。

 その時、机が思いっきり叩かれた。

 大きな音に蓮子が驚いて隣を見ると、メリーが怒った様子で机に両手を突き、岡崎の事を睨んでいた。

「そういう言い方は止めてください! 蓮子はちゃんと私を見つけてくれました」

「だがそれは偶然だ」

「偶然でも見つけてくれました。蓮子は私を守るって言ってくれました。蓮子はきっと私を守ってくれます。だから蓮子を悪く言うのは止めてください!」

 メリーが珍しく怒っている。

 それに驚いて蓮子が固まっていると、メリーの目が蓮子に向いた。その目に涙が浮いていた。

「私、分かってるから。蓮子が本当に私を守ってくれようとしてるって。絶対私を守ってくれるって。だから蓮子も自信を失わないで。私の目印は蓮子だけなんだから」

 蓮子の掠れた喉から辛うじて声が漏れる。

「メリー」

「私達はいつも一緒で、蓮子だけが私の隣に居てくれる。ねえ、そうでしょう? お願いだから私の事を見捨てないで」

 メリーの悲痛な言葉に蓮子はメリーの手を強く握る。

「当たり前でしょ。見捨てるなんて」

 そうだ。私はメリーとはいつも一緒で、私だけがメリーの隣に居てあげられるんだ。

 そう奮い立つ蓮子を、岡崎の言葉が止める。

「さて、そう言った感傷も結構だ。殊に今回の様に思いが重きをなす事件ではね。ただその前にまず現実を見ようと言いたいんだ」

 水を差す岡崎をメリーが睨む。

「でも蓮子は」

「見つけてくれた? それは偶然だ。守ると言った? 言葉に過ぎない。隣に居るのも目印になるのも結構。けれどそれだけではどうしようもない事もある」

「でも」

 メリーが尚も反論しようとした時、突然岡崎が叫んで立ち上がった。

「待て! 君は……まさかとは思うが君は」

「何ですか?」

 メリーが驚いて身を引いた。それを岡崎が睨みつける。

 だがすぐに首を横に振って、岡崎は腰を下ろす。

「いや、だがそれも問題では無い。それも含めての解決だろう」

 訳の分からない物言いをする岡崎を、メリーが不思議そうな顔で眺める。

 その時、蓮子が俯きながら小さな声で言った。

「私は確かに力が足りないかもしれない」

「その通りだ」

 岡崎が同意する。

「でも守るって決めたんだ。命を懸けてでも。一緒に居られるのは私だけで。理解してあげられるのも私だけ。メリーの傍に居られるのは私だけだから。私の目が目印となってメリーの灯りになってあげられるんだから」

 岡崎がその言葉を嘲笑う。

「何度も言う様に、結果としてメリー君は君の目の前で消えたんだ。それは揺るぎ無い」

 それを言われると蓮子は反論出来なくなる。

 蓮子が黙り込むと、またメリーが声を荒らげた。

「だからそういう言い方を止めてください!」

「君こそ止め給え。良いかい? 言葉は事実が伴わなければ安っぽい飾りだ。守る助ける救う愛する、どんなに耳触りの良い言葉を並べ立てようと、事実が伴わなければ無意味だ。幾らそれを信じようとしても、事実が伴わなければ信じ切れない。君達のさっきのやり取りがまさにそれだ。お互いに信じあっているのなら言葉は要らない。それなのに殊更同じ様な事を言い重ねあって慰め合う。まさにそれは君達自身がお互いの言葉を信じ切れないから、そうやって何度も何度も確認しあっているんじゃないか! その言葉は本当なのかしら、嘘じゃないのかしら、とな!」

 岡崎の剣幕に気圧されるも、蓮子は自分の言葉を嘘だと言われるのだけは嫌で、椅子から立ち上がり、岡崎を睨んだ。

「嘘じゃありません! この思いだけは」

「ならどうして君は生きている!」

 岡崎の叫びに蓮子は身を竦ませ、そして岡崎の言葉の意味に気がついて、呆然として口が利けなくなった。

「君は命を懸けてメリー君を守ると言ったのに、メリー君が居なくなった後ものうのうと生きているじゃないか!」

 呆然としている蓮子の代わりに、メリーも立ち上がって反論する。

「私は生きてます! 蓮子が見つけてくれたから! 守ってくれたから!」

 それを無視して岡崎が二人を責める。

「君達は子供だ。まだまだガキだ。その懸ける命も言葉だけ。あまりにも軽すぎる。そう言った誇大された言葉の所為で、本当の気持ちが隠されて君達は追い詰められているんだ!」

「子供だとか関係ありません! 私達は自分一人で立って歩いて考えている。命だって同じ重さの物を持っている。大人も子供も関係無い!」

「いいや、子供さ! 一体どれだけ死ぬ目にあった? 一体どれだけ人の死に向き合った? 一体どれだけ死を実感してきたんだ? 初潮も来ていないガキが言葉だけで命を語るな!」

「初潮くらい来ています! それに命の重さは触れた数と関係ありません! 蓮子が命を懸けると言ってくれた時の気持ちは本物で」

 その時、激論を交わす二人とは別のところから、「え」という小さな声が漏れた。

 二人がその声の主に目をやると、二人に見つめられた蓮子は思わず顔を赤くして首を横に振った。

 初潮、来てるんだ。

 そんな思いが今までの激論を全て吹き飛ばして、蓮子の心に満ち満ちていた。

 来ていたっておかしくない。もうお互い十一歳で。友達の中にはその報告をあけすけにしてきた者も居た。

 けれどメリーに来ているとは知らなかった。

 そして自分には来ていなかった。

 ほんのそれだけ。個人差による当たり前の事で、むしろ同時に来るものでもないのだけれど、そのほんの些細な二人の違いが、今この場に置いては物凄く大きな事の様に思えた。

 メリーには来てるんだ。

 誰もが迎えるその変化。いずれ自分にも来るだろう事は分かっている。けれど今この時、確かにメリーとの間には差異が生まれていて。

 気が付くと涙が溢れていて、頭の中がぐしゃぐしゃで何も考えられない。

 蓮子は岡崎の言葉を思い出す。

 言葉は事実が伴わなければ安っぽい飾りだ。

 メリーと一緒だと言った。

 メリーの隣に居ると言った。

 メリーと歩いていくと言った。

 その言葉達が急に安っぽく思えてきて、そうすると他の言葉も全てが嘘臭く思えてきて、蓮子はもうその場に居ても立っても居られなくなって。

 耐え切れずに椅子を蹴って、研究室から駆け出した。

 外へ出て大学の構内をひた走る。

 次から次へと涙が溢れてきた。頭が痛くて痛くて割れそうだった。胸が苦しくて堪らない。もう、メリーに顔を合わせる事なんて出来そうになかった。

 そうしてしばらく走った後にやがて息が切れて傍のベンチに座り込んだ。荒く息を吐きながらぼんやりとする思考で、このまま消えてしまいたいと考える。全身から吹き出る汗で自分が窒息して死ねたら良いのにと思う。

 メリーと同じだと思っていた。

 けれどメリーと私は違っていて。

 二人は不思議な目を持つ者同士仲間だなんて思っていたけれど。

 でも私はメリーの目を持っていない。

 メリーが消えた時も、もし私にメリーの目があれば、助けられたのに。

 私はメリーとは違うんだ。本当の意味でメリーの事を分かってあげられないんだ。

 そう考えると、今までメリーを助けようとしてきた全ての行為が、本当にメリーの役に立っていたのか疑問に思えてきた。もしかしたらメリーは迷惑に感じていたんじゃないかと思えてきた。

 そうして項垂れていると、頭上から声がかかった。

「蓮子」

 メリーの声だった。その顔が見れなくて、蓮子は項垂れたまま黙っている。

「蓮子、さっきの事、そんな気にしないで。まだ来てない子も一杯いるし」

 蓮子は首を横に振る。

 そういう事じゃない。

 そもそもそれは切っ掛けに過ぎなくて。

 結局はメリーとの違いがはっきりと感じられてしまったのだ。

 私はメリーと違う。考え方も。体も。目も。

 メリーと同じだからメリーの事を理解して上げられて、隣に居てあげられて、そんな特別な存在だからメリーを助けられると思っていた。

 でもそれは全部勘違いだったんだ。

「ごめんね、メリー」

「え?」

「やっぱり私、メリーの事助けられないかもしれない」

「どうして!」

 蓮子が涙を拭いながらメリーを見上げる。

「私は自分がメリーの特別だと思ってたの。メリーと同じ様に不思議な目を持ってて、メリーの隣に居られるのは自分だけだと思ってた。でも違ったんだね。やっぱり私はメリーと違っていて、メリーの傍に居られない。そんな資格が無い」

 その時、メリーが蓮子の耳に口を近づけてきた。そうして思いっきり息を吸った。

「そんな事無い!」

 耳の傍で大声を出されてくらくらとしている蓮子を、メリーが真っ向から見定める。

「私にとって蓮子は特別よ。でもそれは自分と同じだからじゃない。蓮子が誰も信じてくれなかった私の目を信じてくれて、一緒に向こう側の世界へ行ってくれた。私が変な事を言ってもそれを聞いてくれて、いつも一緒に居てくれて楽しかった」

 何の衒いも無く伝えてくれるメリーの言葉。

 しっかりと見つめてくれるメリーの目。

 私はその目に憧れていた。その目の見る不思議な世界に憧れていた。そしてメリーは実際にそれを見せてくれた。

 それに対して私はメリーに何をしてあげられただろう。

「私は結局、メリーの傍に居るだけで、それ以外には何にもしてあげられなかった」

「傍に居てくれるだけで良い。それが私にとって何よりも嬉しかった!」

「でも」

「私の事を理解してくれる人なんて誰も居なかった。ずっとずっと孤独だった。それを晴らしてくれたのが蓮子だったの! 私の前にあなたが現れてくれた。それが私の人生の中で一番の喜びだった」

 メリーが顔を寄せてくる。はっきりとメリーの目が見える。

「辛い時に悩みを共有してくれる。それが友達でしょ? 辛い時に傍に居てくれる。それが親友でしょ? 私にとって蓮子は初めての友達で、そして唯一人の親友なの。だからお願い、蓮子。傍に居る資格が無いなんて言わないで」

 その真剣な目が何よりも本当に思えた。

 長い付き合いなのにようやく知った。

 自分の価値は不思議な目を持っている事なんじゃない、と。

 あの紫という妖怪が言っていた様に、理解してあげられる事が大事なんだと。

 分かっていた筈なのに勘違いしていた。

 きっと自分がメリーの特別である事に理由が欲しかったんだ。

 誰も持っていない自分だけの個性が欲しかったんだ。

 でも今はもうそんなもの必要ないと分かった。

 蓮子は自分の目からまた止めどなく涙が流れているのを感じた。けれどそれはもう悲しみの涙じゃない。涙を拭おうとする前に、メリーの手によってきつく抱きしめられる。

「これは私のわがままかもしれない。わがままでも良い! ずっと一緒に居て欲しい! 例え向こうの世界に行ったとしても、ずっとずっと一緒に不思議を探し続けて欲しいの!」

 メリーを見上げる蓮子の頬に雫が当たった。

 メリーも泣いている。

 メリーも自分と一緒に居たいと思っている。

 例え向こうの世界に行ったとしても、ずっとずっと二人で。

 メリーの泣き声を聞きながら、蓮子は腰を上げて、メリーの震える体をしっかりと抱きしめ、泣きじゃくるその顔を見据えた。

「私、メリーに嘘吐いた。絶対に守るだとか、離さないだとか、結局それは出来なかった。でもね」

 気が付くと涙は止まっていて、メリーの目が見開かれ自分を見つめてくる。それを見つめ返しながら、しっかりと宣言する。

「これだけは本当。私はメリーといつまでも一緒に居たい。それだけは本当の気持ち」

 そしてきっとメリーと同じ気持ち。

 メリーはしばらく呆然としていたけれど、やがてその表情が華やいだ。

「うん!」

 そうして抱きしめ合う。

 ようやく本当の意味で分かり合えた気がした。


 その時背後から拍手の音が聞こえた。

 それに気がついて二人が離れると、拍手の音はどんどんと大きくなる。

 振り返って辺りを見回すと、物凄い数の観客が皆微笑ましい表情で、中には涙を流しながら、蓮子とメリーへ向かって万雷の拍手を送ってきた。

「え?」

 二人が呆けた声を上げると、群衆の先頭に居た岡崎が拍手をしながら、笑って近づいてくる。

「素敵よ。実に美しい光景だったわ」

 にやにやとした笑いを浮かべる岡崎は二人の前まで来ると、二人の手を引いた。

「さあ、続きは研究室で話しましょう」

 ほら、どいたどいたと群衆達をどかしながら群衆の輪を抜ける。

「あなた達は正しいわ。言葉とは思いを伝える手段であって、厳密な約束を交わす為のものじゃない。大層な約束を吐くから、本当に伝えたい気持ちが覆われてしまうのよ」

 だから今ので良いのよと言って笑う。

 そういうものだろうかと蓮子は考える。考えたいが、泣いていた所為で頭が痛いし、その上あれだけの群衆に見守れながらあんな言葉をメリーと交わしていたかと思うと、今更ながらに恐ろしい程の恥ずかしさを感じた。明日から大学に来れないかもしれない。

 周りを窺うと、何やら周りからちらちらと視線を感じる。それが有名人である岡崎だけに向いているとはどうしても思えなかった。

 そんな中、岡崎が言った。

「ああ、後、初潮の事は気にしないで良いわよ。悪かったわね。色色ときつい言い方しちゃって。でもああでも言わないと、ずるずるいきそうだったから」

 するとメリーも同調して言った。

「そうよ、蓮子! 初潮なんて気にする必要ないわ。あんなの股から血が出るだけよ!」

「そうそう分かってるわね、メリーさん。確かに股ぐらから血が出るのは合図だけれど、二次性徴の本質の変化はそれじゃないわ」

 そうして二人は股から血が出たところで関係ないと連呼しながら、蓮子を励まし続けた。

 そんなに気をつかわれるも恥ずかしいし、廊下を歩く周りの視線がもっと恥ずかしい。

 ただ二人が本当の気持ちで励ましてくれているのも分かって何だか止めづらく、結局蓮子は顔を真赤にして縮こまりながら、岡崎の研究室まで連れて来られた。

 そうして扉が開き、中に入って、ようやっと衆目から開放されたと息を吐いた時、岡崎が振り返って言った。

「さて、それじゃあ次の段階に進もう」

 蓮子が顔を上げると岡崎が笑っていた。

「月面旅行の計画を立てようじゃないか」

 その笑みが、蓮子には何だか獲物を見つけた蛇の様に思えた。

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