1・プレミアムマタリ
カタカタカタと、室内にはタイピングの音が鳴り響いている。
時刻はすでに23時を過ぎていて、労働基準法どうした的な気分になっています。
私こと、風上月音は同僚と残業なのだ。明日までに仕上げておかないといけない資料があったのだが、すっかり忘れていてこの始末だ。
ようやく最後の文字を打ち終わった時には、もう半を過ぎていた。
私と同僚は、部屋に鍵を掛けてそそくさと外へと出た。
「ぐわぁ―、肩凝ったー!」
「あんたね......今年で24歳でしょーが! そんな言葉遣いだから彼氏出来ないのよ」
即ツッコミされたけど。
仕事してたんだよ、そりゃ疲れるでしょ。
「てゆーか、あんたは疲れないの?」
私と一緒に残り組だったはずなんだけどな。おかしいな。
なんで平気そうな顔してるんだろうな。
「ん? 疲れるに決まってるじゃない」
............さいですか。
「でも、それを口に出さないのがもてる女の秘訣ね」
「ぐぅ......」
この女、本当に人気だから言い返せない。
でもそれは同僚の男達が本性を知らないからであって、面倒くさがり屋のこいつを見たらどう思うか......
私が言えないんだけど。
「そういえば、もてるっていうけどあんたも付き合ってる人居ないわよね?」
コクるやらなんやら、男達の噂はしょっちゅう耳に入ってくるけど、実際に恋人になったというのは聞いたことがなかった。
「私は現状で満足なのよ。お腹いっぱいー」
くそぉ、余裕ぶっこいて!
同い年で同じ立場に立ってるはずなのに何なのこの差。
これが、外面の違いか......
「月音だってそのちょっと残念な口調直せば可愛いわよ」
「残念ってなによ!」
私と二人の時のあなたの方がよっぽど残念じゃない。
それでも、直してみようと思ってしまったのだから言えない。
本当にあざといなぁ。
「じゃ、私は向こうだから。気を付けてね」
私にそう言い、左に曲がっていく。が、不意に足を止めてこちらへ振り向いた。
「そうだ。駅前に美味しいコーヒーのお店が出来てたから、一回行ってみるといいわよ」
この女が言うなら行ってみる価値はある。
なんだかんだで正論ばっかりの理屈女だからな......今度こそ去っていく同僚の後ろ姿を見ながら溜め息をついた私だった。
あれから2日後。
日曜は仕事が休みなので、あの話の店に来てみた。店前には看板が置かれていて、飲み物の値段と店の名前『ブラック』が色ペンで書かれていた。
「お邪魔しまーす......」
入るときにこう言ってしまったのは、仕方がない。思っていたより洒落た店だったから緊張してしまったのだ。
中はそんなに広くなくて、カウンターと丸テーブルが数個。壁の横っちょの方に付けられたスピーカーからは、クラシック的な何かが流れているのだが私にはよく分からなかった。
普段はJ-POPしか聴かないからしょうがない。
「はい、いらっしゃい」
ドアに付いていた鈴の音が聴こえたのか、奥から1人の男が出てきた。
エプロンを急いで着て、こっちに走って来る。そして、よく見ると結構いい男。
整った顔立ち。スラッとしたモデル体型。身長は私よりかなり高い。いや、私がちっちゃいだけかもしれないけど。あと親切そうな、紳士的なオーラも出ている気がする。
「お好きな席へどうぞ」
私は窓辺の丸テーブルへと腰を下ろす。
ニッコリと微笑む男は、メニューを差し出しながら優しい声で言った。
「何になさいますか?」
実を言うと、私あんまりコーヒー飲まない。会社に置いてあるコーヒーメーカーはちょくちょく使うのだが、外で好き好んで頼んだりはしないのだ。
メニューを見ても何が美味しいのかサッパリ。
「あーと......店長のオススメで」
迷ったあげく口から出たのは、そんな言葉だった。目の前の人が店長かどうかも分からないのに、私は相当のアホなのか。
だが、その人は楽しそうに笑っていた。
「くくく......かしこまりました、少々お待ちください」
笑われたことになのか、それとも自分の失態になのかは分からないが、ものすごい恥ずかしい気分になってしまった。
少し経つと、キッチンの方から豆のいいにおいが立ち込めてきた。ついつい鼻を動かしてしまう。
こんなところ、あの女に見られたらまたとやかく言われるんだろうな。
前に「なんで人の心配ばっかりするの?」と聞いたことがあったんだけど、帰ってきた答えが「あなたが婚期を逃しそうだから」って。
あんときはマジでへこんで3日くらい会社を休んだ。
私のがさつな性格が駄目なのは充分分かってるんだけど、それでも身に付いたものだから直そうにも直せない。
だから彼氏いないんだよなーなんて一人で納得していると、横で声がした。
いつのまにかお客さんが入ってたみたいだ。
「式場、調べてみたらあそこの海の近くにあるらしいんだ」
「へー、高いの?」
「いやそんなでもなかった。景色も綺麗だったし料理も美味しそうだったよ」
幸せムードが漂っている隣に対して、私は......
なんでこんなところに居るのかななんて思ったり。
羨ましい半分やめて欲しい半分。このハーフアンドハーフ頼んだ覚えはないよ!
「お待たせしました」
ようやくコーヒーが到着した頃には、私のメンタルはかなり傷ついていた。
結構な時間待たせておいて、微妙だったらクレーム入れてやる。
そんな気持ちでカップに口をつけると――
「......美味しい」
上品な甘味がする反面、しっかりとしたコーヒーの苦さもある。
会社の安っぽいやつより何倍も深い味がした。
こんなコーヒー、飲んだことない。
「これはプレミアムマタリって言うんだけど、少し甘いのが特徴なんですよ」
そう言って、ニコッと笑う。
ヤバい......
なんか、涙出そう。
最近の辛かったことや悲しかったこと、嫌だったことが全て吹き飛んでしまった。
「疲れているように見えたので、甘味のあるやつを選んだんですけど。気に入って貰えたなら良かったです」
なんだかなぁ......
ここは危ないところかも知れない。
こんな美味しいコーヒー出してくれて、居心地がいいときた。それにイケメンいるし。
気に入っちゃったじゃん。
ふーふー息を吹き掛けながらコーヒーを飲んでいると
「あ、それと」
何を思ったのか、店長らしき男はとんでもないことを口にした。
「君も充分可愛いよ」
「ーー!?」
な、なんなんだこの人は!!
急激に顔が赤くなるのが分かる。
さっきの2人組を見ていた私を見ていたのだろうか?
くそ......
そんなこと言われたら、また来たくなっちゃうじゃん......
隣からは、温かい視線が送られてくる。馴れない言葉に戸惑う私をひとしきり笑った後、こんな状況にした張本人はニコニコしながらキッチンへと下がっていってしまった。
いつものペースを取り戻せ私! マイペースカムバック!!
猫舌だから手に持っているコーヒーを、一気飲みすることは出来ない。
あぁ......ここから出て、穴に入りたい......
結局、コーヒーを飲んでいる間に隣のお客さんは帰ってしまって、頑張って急いだ私の意味がなくなってしまった。
『プレミアムマタリ』目を通してくれた方々、ありがとうございます。
更新に間が空いてしまう事があるかもしれませんが、ちゃんと完結させるつもりなので大丈夫です。
誤字脱字、要望等がありましたらお気軽にお書きください。