第八十四話「勇者か帝王か」
戦闘開始から、自らの手の内を見せるわけにはいかない。
今回の戦闘が始まるより先に、秋葉神保が生存していることを反逆勇者に知られるわけにはいかなかった。
反逆者を誘き出す囮を自ら買って出ると、メシュは辺りを氷の世界へと変貌させ、敵が姿を現すのを警戒しながら待っていたのだ。
大抵勇者というのは、自らが真っ先に飛び出す熱血型か、もしくは下僕か奴隷として仕える者を、相手の出方を見るため一足先に送り出すどちらかである。
眼前で一般人を巻き込む暴動が起きている状況下で、黙って見ていられるような無慈悲な人間では無い。
長い前髪にその凛々しい双眸を隠蔽し、その心情を読み解くことはできない。
今現在彼に一番近い場所に位置するカレンとカリンは、不意打ちを食らわそうと先ほどから臨戦体勢を保っているのだが。
眼前にてユウトを跳ね飛ばしたその豪快なる暴力と、存在するはずの無い人間を目の当たりにしたという現実に苛まれ、情けないほどに両足が戦慄して動けない。
「――何だと」
ユウトはふらつく頭を押さえながら、その場に立ち上がる。
瞳に膜がかかったように視界が安定せず、身体が酷く怠い。
だがここで立ち止まるわけにはいかない。勇者として、彼の傍で恐怖の感情に苛まれて動けない仲間たちを護るためにも、戦わなければ。
臨戦体勢をとり、総身に暴風を纏い直すと。大気を割ろうとするかのように、自身を突き飛ばした張本人へと突進する。
側面からの不意打ちに弱いことは自分でも理解していた。普段は油断などせず、全方位からの攻撃に備えていたのだが、丁度攻撃の瞬間だったために防御まで手が回らなかった。
今回は大丈夫だ。前方に突き進み、容赦無く追突する。
自然現象の一つである“風”の力で、何者だろうと粉微塵に粉砕してやる。
ユウトの纏う暴風が神保に激突した刹那、耳を劈くような金属音が響き、彼が身に纏う膨大なエネルギーが相殺された。
――もう一度。
弾き合った体勢を半瞬間の内に調え、ユウトはもう一度突撃をかます。
刹那。天が崩壊したかのような轟音。
ユウトの身に纏う“風”は、瞬く間に弾かれ、跳ね返される。
「ぐ、あ」
爆風に包み込まれたまま後方へと吹き飛び、ユウトは暴風により荒れ果てた地面を削り取る勢いで転がり回る。
極度の目眩に襲われ、視界が歪む。
その双眸に映った、自身を弾いた何者かのエネルギー。
「……光?」
神々しいほどに白く強い光に包まれ、まるでその総身自体が輝いているような錯覚を味わう。
燦然とした煌きに瞳がやられ、思わず目線を逸らす。
拳には紫紺の魔力が携われ、ユウトの脳裏に一種の既視感が蘇った。
「あの魔族が使っていた魔術か」
彼自身を護る、暴風による装甲を貫いた女性魔族の拳。
否。それと同時に、彼の中で別の仮説が立てられる。
あの拳は彼の防御壁を破り、無防備な聖域へと闖入してきた。
だが現在彼の眼前にいる少年は、自身の防風壁とぶつかると、貫くことなく弾き飛ばされる。
少年が使用する魔術の方が、威力が低いという事象で片付けて良いものか。
眼前に立ちふさがる者が誰であろうと、ここまで自分を追い求めて来た戦士。弱いはずは無い。
「帝王だぁ? 笑わせるな。独裁者秋葉神保は、昨日俺の仲間が毒矢で撃ち殺したはずだ。そんなハッタリ、俺に効くとでも思ったか」
「――そうか。あなたは、俺の顔を知らないのか」
至って冷静に、落ち着いて丁寧に言葉を紡ぐ。
くぐもった声音であり、頭を打った衝撃か未だに耳の奥に違和感を覚えているユウトは、自称帝王の言葉をよく聞き取ることができない。
鬱陶しい前髪のせいで表情を読み取ることもできず、若干の苛立ちを感じながらユウトはまたしても総身に防風を巻き込む。
「誰だか知らんが、とりあえず勇者の邪魔をするやつは倒す」
ユウトはそう言って、四肢からカミソリのように薄く鋭い旋風を弾き飛ばし、燦然と輝く帝王へと撃ち込む。
無数の旋風が神保へと襲いかかり、神保は「やれやれ」と肩をすくめると。
「俺は加速する」
代わり映えのしない言葉をナチュラルに奏で、神保の背中から無数の光が放たれる。
空を切り刻むような斬撃音。刹那、神保の背後を光の粒子が神々しく彩る。
何かに押し出されるように駆け出し、神保は無数の旋風を軽やかなステップで躱しながら、防風を纏う反逆勇者に向かって突撃する。
耳が切れるような疾風を感じ、躱し損なった旋風の欠片のために耳たぶや頬に小さな裂傷が刻まれた。
神保は治癒魔術を得意としておらず、加速と同時に身体の傷を癒すことは出来ないが。
この程度の傷なら許容範囲だ。
伊達に男四人兄弟の末っ子じゃない。
割と兄弟仲は良いほうだったが。兄弟喧嘩に巻き込まれ、殴られたり擦りむいたりなどは日常茶飯事である。
その喧嘩の八割以上が、『アニメ作品の好きなキャラ不一致』や『同じ時間帯放映アニメ、どちらを録画するか』などと言った他愛の無い争いだったのだが。
インドア派で喧嘩慣れをしていない兄たちは、手加減を知らずにお互いをボコボコにしていた。
怪我をするたび、顔や膝に出来た擦過傷を萌に舐めてもらっていたので、神保としては甘酸っぱい経験でもあった。
「――ぐ、」
とか何とか昔の思い出に感慨深く浸っていると、いつの間にか神保は反逆勇者の防風壁へと到達していた。
紫紺の魔力に護られた拳は傷一つつかず、爆風を弾き飛ばしては、自身もその反動で後方へと退く。
物理的なダメージは全く期待できていないが、今神保が行うこととは、反逆勇者が萌やメシュに手を出す事象を阻止することだ。
神保直々に拳を交わして理解したが、この風壁は異常な程堅牢かつ攻撃的だ。
物理的な攻撃である体当たりや突進を受ければ、肉体的大打撃は免れないだろう。
何度も何度も。
ユウトと神保はお互いの全魔力を放出しながら、お互いの魔術を弾き、相殺し合う。
宿屋の屋根へと逃走したメシュは、尻尾の先端を撫でながら、寂しそうにキツネ耳を垂らしていた。
時折毛を毟られた箇所を桜色の舌でペロリと舐めては、くすぐったいのか尻尾の毛を逆立てる。
萌は放心状態でしばらくその様子を無表情で眺めていたが、ようやく我に帰ったらしく。
ハッとした様子で、迷子になった少女のように辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「……あれ。私、どうしちゃ――ヤバ、嘘……」
下半身に感じた湿り気の原因を思い出したのか、リンゴの皮のように顔を紅潮させると、頬を両手で包み込みながら、首振り扇風機のように顔を左右に動かした。
「そんな、神保の前で私ったら。やぁん……」
「あらあら、嬉しそうね」
メシュは暫しの間、恍惚とした表情で悶える萌の様子を見ていたが。
意を決したように堂々とした面持ちで立ち上がると、普段通りの穏やかな微笑みを見せながら、萌に一瞬だけ視線を送り、至って冷静な声音で言葉を紡ぐ。
「私は神保さんの加勢――いえ、反逆勇者の犬耳たちを相手にしてくるわ。萌さんは、精神が安定するまでここで待ってて――」
言い終わるより先に、メシュは右手をつままれた。
キツネにつままれた、では無く、キツネがつままれてしまったが。メシュは「あらあら」と優しく呟き、愛らしく目を細めると。
「萌さん。もう大丈夫みたいね」
「……大丈夫じゃなくても、神保が戦ってる横で、黙って見てるだけなんて嫌ですよ」
萌の真剣な双眸を見据え、メシュは「あらあら」と呟くと。
思わず吸い込まれてしまいそうに魅力的な、嫣然とした微笑みを見せ、萌の肩を引き寄せた。
刹那。つま先で屋根を蹴り、軽やかなステップで飛び上がると。地上に降り立った天使のような華麗な動きで地上へと着く。
幻想的な雰囲気を醸しだし、メシュは萌から腕を離すと、こちらに気がついた三人の犬耳に柔和な笑みを見せる。
「あらあら。神保さんが生存してたことが、そんなに恐ろしい?」
「別にどうでもいいわ。当たり所が悪かっただけよ。……ユウトがあんな独裁者に負けるはず無いし」
両足を戦慄させながら、カレンは強気な視線をメシュに向ける。
カリンやエルフも立ち上がり、彼女の背後にて臨戦体勢をとっており、戦いの意思があることは間違いない。
その様子を暫しの間見据えると。メシュの線のように細く愛らしい瞳から笑みが消失し、凛然とした双眸を見開く。
感情を失った機械人形のような表情をしたメシュは、吹雪のように冷徹な口調で言葉を発し、自身の魔術で空間を冷やし始める。
「氷結」
パキパキと亀裂が入り、外気の温度が降下していく。
溶けかけていた地面には再度霜が降り、メシュの周りに氷結板が多重展開されていった。
その一つ一つが鈍器のように堅牢かつ、煉瓦のように厚い。
頭部に直撃させれば、いともたやすく生命を根絶できるであろう氷の板。
それが徐々に数を増し、空間に固定される。
カレンはその様子を眺め、暫し瞑目した後。堅牢な盾を構え、鋭利な剣先を向けてメシュへ向けて突進をかまそうとしたのだが。
「――く、」
「お三方の足元は、地面と接着させておきました。無理に剥がそうというのでしたら止めませんが、足の皮を犠牲にするくらいの覚悟はもっていてくださいね」
霜が降りて温度が低下した土壌は凛然とした氷の床と化し、無慈悲にもカレンたちの足裏に容赦無く食らいつく。
足から体温を奪われ、膝の痙攣が悪化する。
全身に悪寒を感じ、背筋や首筋を冷たい汗が走る。
眼前では無数の氷結板が精製されていくが、回避しようにも足が地面に張り付いており、動くことができない。
前方に広がる氷結板は、徐々に無垢で攻撃的な形状へと変貌させていく。
先端を視覚的に認識できないほどに鋭利な氷結弾幕へと鍛え上げられ、カレンは物理的にも精神的にもその場に膠着せざるをえない。
カレンは背後へ一瞬だけ視線を送る。
だが、状況が良い方向へと向かう兆しは見えなかった。
カリンやエルフも彼女と同様、足を固定させられ、ただただその場に黙って佇むしかない。
「あらあら。――こっちは準備できたわよ」
その言葉が終わるか否か。カレン眼前に広がっていた氷結弾幕は一斉に彼女の無防備な体躯を捉える。
刹那。大気を貫くように鋭い氷結が一斉に射出され、カレンの視界を全面的に奪った。
目は見開き、口端は情けないほどに痙攣する。
急所である上半身付近であれば、先ほど構えた盾によって護られているが、顔や足元を護れるほど、この盾は巨体では無い。
即死するという状況は免れるであろうが、顔面を蜂の巣にされ、次の連撃を防御可能とは到底感じ得ない。
この一撃を受ければ、その瞬間敗北が確定する。
「くぅん!」
数弾の氷結が盾に食らいついた刹那、カレンは右手に持った剣を振り抜き、彼女自身の足裏を容赦無く削いだ。
熱したトマトソースのような鮮血が噴出し、右足が悲鳴を上げる。
瞬間、カレンの身体は痛みと反動のあまり仰け反り、後頭部から地面に倒れこんだ。
地上が凍りついていたために、倒れた刹那後頭部を割られたような激痛が走ったが。カレンは血塗られた剣を投げ捨て、赤黒い肉塊がはみ出た足裏に治癒魔術をかける。
片足が剥がれたカレンの身体は、前方からなるメシュの氷結連撃の反動によって後方へと弾き飛ばされ、決死の覚悟で戦線から離脱した。
無理に剥がされた左足にも治癒魔術を施し、カレンは一瞬だけ顔をしかめると、何事も無かったかのように臨戦体勢を立て直す。
右手に盾を構え、左手には電撃のような魔力を纏っている。
カレンの血液が塗りたくられた剣は戦場にゴミのように捨てられており、カレンの物理的攻撃手段はその手から失われた。
カレンが視線を泳がせると、エルフとカリンは“もう一人の敵”と攻撃を撃ち込み合っていた。
紫紺に煌く拳を躱し、キレのある犬パンチで反撃する。
カレンが現在体験している死闘と比べれば、子供の喧嘩程度の他愛もない闘いなのだが。
相手にする敵は少ないほうが良い。
カリンたちがどの程度の時間耐えることができるか、カレンには理解し難い事象であるが。
今現在一番激しい死闘を繰り広げているユウトさえ勝利すれば、形勢は一気に逆転する。
カレンが行うことはそこまでだ。
自身に猛攻を食らわせるキツネ耳を叩きのめすのでは無く、ユウトに手を出させない。
愛するご主人様を守るため。ただそれだけだ。
メシュは冷徹な表情をひと時も崩さず、空間に氷結板を精製する作業に入る。
カレンはその様子を見据え、自身の身を護るように盾を構えると、左手に溜める電撃魔術を徐々に増加させていった。
大気が割れ、土壌が崩れ、光と風がぶつかり合う。
全身を暴風に包まれた反逆者と、背後を閃光に彩られた独裁者。
彼らが激突する度に空間が揺動し、地面が弾かれる。
反逆者が放つ旋風は、独裁者が放つ加速した拳によって相殺され、攻撃に転じた独裁者の拳は、反逆者が身に纏った爆風によって受け流される。
体内魔力はガリガリ音をたてる勢いで削られるが、肉体への打撃はお互いに皆無ある。
星と星が衝突したかのような衝撃が起こされ、その度に視界が歪曲するような錯覚を味わう。
風が吠え、光が貫き、外気が悲鳴を上げる。
原理は違うが、お互いに行っていることは他でも無い“加速”だ。
小手先の技で足掛けのようなことをしたり、肉体以外の武器を使用することも無い。
ただただ己の魔術を最大限に使用し、全身全霊を込めてその体躯を激突し合う。
常人を超越したエネルギーのぶつかり合いに、双方言葉を発する余裕は無かったであろうが。
光――帝王は、その身を衝突させ合いながら、穏やかな口調で問いかける。
「――そろそろ、限界が来てるんじゃ無いのか?」
「…………」
勇者は答えなかったが、青筋を立てて歯噛みをするような表情から察するに、帝王との正面衝突以外に心を割くことができないのだろう。
激突する度に耳を劈くような金属音が響くが、帝王の拳に傷が付いている様子は無い。
戦場に奏でられるこの衝突音は、全て勇者が受けた打撃が響かせている一種の悲鳴だろう。
現に、感触が違う。
先ほどよりも確実に、勇者が纏う暴風の威力や厚みが明らかに減少している。
故に、帝王は勇者とのぶつかり合いを片手間に、こうして言葉を発する余裕ができていた。
「君がどこの世界から召喚されたか、俺は知らないけど。この世界では体内魔力が枯渇すると身体の機能が停止しちゃうらしいよ。だから、俺としては限界まで叩きのめすのを、あまり好まないんだけど」
「……敵に情けをかけようってのか? 魔王が勇者に舐めプレイをしたとき、そいつは既に敗北して、――ぐ、」
紫紺の拳が暴風を弾き、勇者の体躯が若干後方へとぐらつく。
刹那の間だけ身に纏った爆風が完全に消失し、勇者は慌てて全身を包み込む。
帝王の放つ拳は全くもって弱体化する気配は無く、全身全霊を込めたと思われる重い打撃を何度も何度も打ち込んでくる。
総身を包み込む勇者と違い、背中と拳のみに魔力を張っている帝王の方が、瞬間使用魔力は格段に少ない。
簡潔に言うと、戦闘が長引けば長引くほど、勇者にとって不利な状況へと徐々に押されていくということだ。
勇者もそれを理解しており、衝突時の放出魔力は極限まで膨大な量を噴出している。
だが勝てない。
神々しいほどに眩い閃光に彩られた帝王の拳は、大気を削り取るように鋭く暴力的な爆風を以てしても、粉砕することはおろか、傷をつけることすらままならない。
旋風は相殺され、防御壁を貫かれるのも時間の問題だ。
だが。
「喩え負けると分かっていても、勇者には譲れないプライドってのがあるんだよ」
「……そうか」
帝王の表情が、影でも差したかのように若干暗くなる。
実に残念そうな面持ちで、前髪に隠されたその凛々しい双眸を半分だけ覗かせ、勇者の顔を眺めていた。
「――なるべく、苦しませないから」
刹那。帝王の背後が真っ白に塗りたくられる。
瞳を焼き尽くすほどに眩い閃光が放たれ、紫紺の拳が半瞬間空間から消失する。
瞬間。勇者の体躯は悲鳴を上げ、音よりも速く後方へと弾き飛んだ。
「――――」
言葉を発することすら許されない、まさに光速。
時を止められたかと錯覚するような速度で放たれた帝王の拳は、勇者が身に纏った暴風を完璧に貫き、その体躯を物理的に壊滅させた。
後方に立つ樹木と接触する刹那、空気抵抗に耐え切れず、勇者の身体は積み木のようにバラバラと崩れ落ちた。
肉片が飛び散り、戦場を真っ赤に染め上げる。
元の生物が何だったのか、それすらも分からない無残な姿へと変貌した勇者は、そのまま生命を持たぬ血肉と化すと思われたのだが――。
「――ぁ」
刹那。眩い光に戦場が包まれ、粉々になった血塊が一瞬で集結する。
まるで時を巻戻しているかのように精緻な動きで、生ゴミと化した肉体が徐々に寄せ集められ、一人の少年が作り上げられた。
「……どうせ死ぬんなら、人間だったって分かる状態で死なせてくれよ」
勇者はそう呟き、うつ伏せのまま顔を上げると。一瞬だけ口元を歪め、事切れたようにそのまま地面へと崩れ落ちた。




