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第八十三話「頂点に立つ者」

 突如出現したキツネ耳エルフ。

 彼女は吹雪のように荒々しく冷徹な二色の双眸を向けながら、静かな田舎町を瞬く間に氷河へと変えた。

 地面に生える草花は氷と化し、牙のように鋭い氷柱が垂れる。

 逃げ惑う住民たちには目もくれず、キツネ耳エルフはその瞳に映った情景を一瞬にして凍結させた。


 幸い生物に被害は出ていない。

 氷つけられた植物も朽ち果てることは無く、どういう原理か、まるで時を止めたかのように氷点下の中を悠々と生きている。

 数少ない村民たちは錆びた槍などの武器を掲げ、キツネ耳エルフの暴動を停止させようと試みたのだが。

 キツネ耳は彼女にとって無害な人間を見つけると、思わず見とれてしまいそうなほどに穏やかな微笑みを見せ、『すぐ済みますから』と鈴の音のように心地の良い声音で呟く。

 その言葉を聴いた人々は突如何とも言えない安心感に包まれ、何事も無かったかのように自らの住居へと舞い戻っていった。



 宿屋の二階からその惨状を見たユウトは、秋葉神保を殺害した報復に来たのだと瞬時に理解した。

 彼は室内で戦闘準備を調えると、すぐさま退室しようと扉に手をかけたのだが。


「ダメ! 行かないで、あの人は私に復讐しに来たのよ。殺したのは私だもん。だからユウトは行っちゃダメ!」


 涙声でユウトの胸に飛び込み、カレンは子犬のように鼻を鳴らしながら可愛らしい嗚咽を漏らす。

 カレンの言葉も最もだ。だが、あのエルフは間接的に帝王を殺した勇者への報復をするために、ここまで来たのだ。

 どうやってこの場所を特定できたのか、ユウトには理解し難い事象であったが。

 とりあえず今現在言えることとは、“あのエルフは自分たちの正確な居場所を把握していない”ということだ。

 大方この惨状を見た勇者が耐え兼ねて、彼女の前に現れることを狙っているのだろう。


 何てやつだ。

 ちっぽけな復讐のために、辺りに住む全く関係無い人たちまでをも巻き込むとは。


 ユウトは歯噛みをし、拳に力を込める。

 やはり独裁者の仲間は精神が狂っている。自らの報復のためなら、他人が傷ついたり死亡しても構わないと言うのか。

 握り締めた爪が肉に食い込み、手のひらにじわりと血が滲む。

 許せない。

 たった数日前まで日本で引きこもり生活を送っていたただの高校生だったが、このような状況を見せられて黙っていられるほど精神が腐ってはいない。

 誘い出す罠だと分かって、あえてその凡策にかかってやろう。

 エルフの体内魔力がどの程度か知らないが、返り討ちにしてやる。


「心配ない。すぐに戻る」

「待って」


 カレンは自身の荷物を漁ると、中から鋭利な剣と堅牢な盾を取り出した。

 聞くまでも無い。カレンも闘う覚悟を決めたのだ。


「ユウト、絶対に生きて戻って。私は二人を呼んですぐ応援に駆けつけるから、それまでは耐えて、」

「――いや」


 ユウトはカレンを抱きしめ、太陽のように眩しく純正な笑顔を見せる。

 半瞬間その輝かしいほどに魅力的な笑顔に見とれ、カレンはうっとりと頬を染めた。


「四人で一緒に行こう。一人で特攻して、『ここは俺に任せろ!』は何よりも危険な死亡フラグだ」


 余裕を持ったその言葉を耳に入れると、カレンは安心したように目を細め、天使のように愛らしい表情で小さく頷いた。






 メシュは辺りを氷の世界へと変貌させると、片手を頬に添えて吐息のように小さく溜息を吐いた。

 反逆勇者は姿を現すだろうか。

 彼と戦場にて拳を交わしあったリーゼアリスからの情報によると、反逆勇者は暴風を身に纏い、悍ましい速度で体当たりをして攻撃するらしい。

 物理的な力と力のぶつかり合いとは違い、魔術同士の争いは辺り一面を巻き込み、地形を削り取ってしまうだろう。

 そのように危険な戦場に、野次馬や一般人がいると大変なことになる。

 被害を最小限に食い止めたい、という理由もあるのだが。

 神保は無関係な人々を巻き込むのを酷く嫌うため、周りに遠慮して自身が持つ最大限の力を発揮することができないだろう。

 神保には、彼自身の出せる最大の力でぶつかり合って欲しいのだ。


「――それにしても、反逆さんは全然姿を現さないわね」


 冷気を放つ魔術を停止させ、メシュは困ったように眉を“ハ”の字にして辺りを見渡した。

 辺り一面が透き通るような氷の世界であり、幻想的な雰囲気を醸し出す。

 外気の温度は徐々に降下しており、どれだけ体感温度が鈍感な生物だろうと、流石に異変に気がつくはずである。

 実際メシュも若干悪寒を感じており、先ほどから忙しなく手を擦り合わせていた。


 時折頬から手を離し、口元にやって温かい吐息をかけては、寂しそうにキツネ耳を揺らして辺りを見渡す。

 不意打ちでも食らわせようとしているのだろうか。

 反逆勇者の気配はおろか、直接的な手段で神保を暗殺したであろう獣人の姿さえメシュの場所からは確認することができない。

 メシュは全方位への警戒を怠らず、モデルのようにスマートな動きで、あぜ道にて歩を進める。


 凍結されたかのように静寂しきった空間にて、響くのはメシュの足音のみである。

 何者かが近づけばすぐに分かる。


「――キツネさん」


 黄土色に煌くキツネ耳をピンと立たせ、メシュは声のした方へと振り返った。

 刹那。メシュは虚空へと軽やかに飛び跳ねると、無垢で大雑把な、ただただ生命を根絶するためだけに造り上げた氷の礫を空間にばら撒く。

 瞬間メシュが先ほどまでいた場所には、禍々しい色彩をしたカエルの死骸が捨てられていた。

 粘性の体液が地面に染み込み、生乾きの洗濯物のような臭いが漂う。

 メシュは後方へと飛び退き、空間を凍てつかせるように冷たい双眸を向けて戦闘体勢に入る。

 眼前には鋭利な剣と堅牢な盾を構え、軽量だが最低限戦闘に耐えうるように武装した犬耳獣人の姿があった。

 腰周りにカエルの死骸をぶら下げているところから見て、メシュに声をかけたのは彼女だろう。


「――萌さん!」

「はい!」


 短距離転移によって近場の物陰から姿を現した萌は、紫紺の輝きを持つ拳を振りかざしながら、犬耳獣人の背後へと出現する。

 同時にメシュは空間に固定した礫の発射準備を調え、突然の闖入者に驚愕の表情を浮かべる獣人を、氷結弾幕が捉えた。


「――く、」


 無数の礫と背後からの拳に挟み撃ちにされた獣人――カレンは、身を翻すと。

 針のように鋭い剣先を萌に向け、礫が舞う背中に盾を宛てがい身を守った。


「氷結」


 心を凍てつかせるように冷徹な声音とともに、カレンが背負った盾に無数の打撃が与えられる。

 横殴りの暴風を受けたかのようにカレンの身体は前方へと吹き飛び、彼女に食らいつこうと振り抜かれた、萌の拳と向かい合った。

 一閃。萌の拳がカレンの胸元を捉えた刹那、萌の眼前を剣先が軽やかに走る。

 攻撃に全神経を集中させていた萌は不意をつかれ、容赦や慈悲の欠片も無く瞼を削り取られた。


「痛――!」


 突如視界が真っ赤に染まり、耐え難い痛撃を受けて萌はその場に崩れ落ちる。

 両手で目を覆い、何とか自身に治癒魔術(ヒーリング)をかけることで瞳の傷を修復することはできたのだが。

 瞼を斬られるという地獄のような体験によるショックのためか、萌はその場で腰砕きに遭い、ペタリと座り込んだ。

 じんわりと太ももが湿り、恐怖のために涙が止まらない。


「……あ、ああ、あ」


 カレンの身体はメシュの猛攻によって受けた反動のため、萌の背後へと弾き飛ばされたが。

 カレンは軽やかに体勢を調えると、剣先を突きたてながら萌の無防備な背中へと突進する。

 精神的大打撃を受けた萌には、振り返って身を躱すだけの余裕は無い。

 涙などの体液を垂れ流す萌は時折しゃくりあげるような声を出し、総身を戦慄させる。

 瞬間、背後から慈悲の心を感じさせない冷徹な声音とともに、悍ましい速度で何かを向けられる気配を感じた。


「無防備です。生命はもらいました」

「あらあら。言葉にするのは、ちゃんとその行動が完了してからにした方が賢明だと思いますよ」


 一閃。メシュの突き出した手のひらから、飢えた猛獣の持つ牙のように無垢で鋭い礫が撃ち出され、萌の側面を削り取る勢いで発射される。

 虚空を貫くように発動された氷結は、容赦無くカレンの左目に突き刺さり、顔の肉を抉り取られながら、反動でまたしてもカレンは背後へと弾き飛ばされた。


「――ひゃぅん!」


 子犬を蹴り飛ばしたときに出るような呻き声が響き、地面をゴロゴロと転がったカレンは受身を取ることもままならず、背後の樹木に総身を激突させ、一瞬唸った後、事切れたかのように黙ったまま動かなくなった。


「ごめんなさい、メシュさん。……私、足でまといになっちゃって、」

「あらあら、大丈夫よ。突然瞼を切断されたりして、よく気を失ったり、取り乱して叫んだりしなかったわ」


 メシュに手を差し伸ばされ、若干湿った太ももを隠すように立ち上がると。

 後方にて倒れこむ犬耳獣人に一瞬だけ視線を送り、安堵したように溜息を吐く。


「これで、とりあえず私たちがするべきことは――」

「残念だが、お前らをこのまま無事に帰すわけにはいかないぜ」


 刹那。世界を崩壊させるような爆音とともに、辺り一帯を暴風が巻き上げる。

 メシュは咄嗟に萌を抱えて回避行動を行い、身体に傷を負うことにはならなかったが。

 身を隠せるような物陰や壁は根こそぎ打ち壊され、広大な“戦場”が造り上げられる。

 受身を取り、すぐさま体勢を調えたメシュの眼前には、暴風を総身に纏った少女のように端整な顔立ちをした少年が、威風堂々と仁王立ちしていた。

 背後にはまだ二人、犬耳亜人とエルフが佇んでおり。エルフの方は、先ほど弾き飛ばされ意識を失っていた獣人に駆け寄り、治癒魔術をかけている。


 ――迂闊だった。


 相手に打撃を与え、追い詰めたところで神保を登場させ、精神的に追い詰めて心を抉り、反逆の意思を削ぐ予定だったのに、これではその計画が完全に裏目に出た。

 最初から神保に辺り一帯を掃討してもらっていれば、こんな痛手を受けることにはならかっただろう。


 メシュの息が荒くなり、脳内で耳を塞ぎたくなるような警鐘がガンガンと鳴り響く。

 普段の春色笑顔は消失し、その玲瓏な顔立ちには似つかわしく無い、苦虫を噛み潰したような表情を向けている。

 磨り減らす勢いで歯噛みをし、指先を痙攣させる。

 後ろ向きな思考をすることなど滅多に無く、後悔という言葉を知らぬメシュが、初めて己の行動を悔やんだ瞬間だった。


「神保さ――」

「俺は加速する」


 藁をもすがる気持ちで神保を呼ぼうと顔を上げた刹那、眼前に立つ反逆勇者の口から、思いもよらぬ言葉が発せられた。

 帝王秋葉神保の代名詞とも言えるその言葉。

 彼が状況をひっくり返す時に、自身の存在を伝える頼もしい発言。

 それを何故、ここで対面しなければならないのか。


 メシュは腕を突き出し、萌と自身を庇うように分厚い氷結版を前方へと設置させる。

 とりあえず時間を稼ぐ。

 ひと時でも、神保に声をかけるだけの時間さえ稼げれば――。


 耳を劈くような轟音が響き渡った刹那、眼前の氷結が粉砕された。

 頼もしい氷結は跡形も無く崩壊され、氷の欠片であろう光の粒子が飛び散る瞬間を目の当たりにする。

 完全なる沈黙。

 氷壁を破った張本人も、最後の砦を破られたキツネ耳も言葉が出ない。

 躊躇も戸惑いも無く、ただただ眼前の妨害行為を皆無とする、まさに秋葉神保と同じプレイスタイルだ。


「――――」


 冷徹な視線を向けられ、メシュは萌を強く抱きしめる。

 反逆勇者――ユウトの総身を包む暴風は徐々に色濃くなっていき、姿を確認できないほどに分厚い風壁が造られた。

 辺りに咲いた花々は無残にも引き抜かれ、凍りついた地面からは光の粒のように煌びやかな霜が舞い上がる。

 ユウトの背後には治癒が終了したカレンを含めた三人の犬耳が、臨戦態勢をとって悠然とした面持ちで佇んでいる。

 勝利を確信して、揺るがない表情だ。

 事実、属性魔術だけでこの状況を打開することはほぼ不可能に近い。

 分厚い氷壁を張っても相殺はおろか、防御としての意味も成さなかった。


「……反逆勇者。あなたは、」

「へぇ……。帝王様が卑怯な手で暗殺されたから、重臣直々に復讐しに来たんだ。その行動力は褒めてみようかな」

「あらあら。……いちいちの台詞が妙にムカつくわね。わざとかしら?」


 刹那。メシュは尻尾を丸めて上方へと飛び上がると、先ほどまでメシュが座り込んでいた箇所に無数の旋風が襲いかかっていた。

 先端の毛が若干巻き込まれて切断されたが、肉体への直接的被害は全く無い。

 黄金色に煌く獣毛が舞い散り、日光を受けて銀色の輝きを放つ。

 メシュはそのまま地面に向かって氷魔術を繰り出し、土管のように太い氷の柱を創ると。傍に建設されている宿屋の屋根まで氷を伸ばして一旦戦線から離脱を図った。


「逃げ足だけは速いんだよな」


 眼前から逃走したメシュに対して独り言のように悪態を吐き、ユウトは総身に纏う暴風をさらに厚くした。

 無数の旋風を弾いたとしても、彼女の軽やかな身のこなしで躱されてしまう。

 爆風を纏った自身が追突し、態勢を崩した瞬間を狙って旋風を撃ち込む。

 この状況ではそれが得策だろう。


「さて、お遊びはここまでにして、」

「――俺は加速する」


 ユウトが全身に力を込めた刹那、突如右腹に耐えられないほどの圧迫感を覚えた。


 瞬間。肋骨が粉微塵に飛び散り、口腔内に錆臭い血反吐がこみ上げる。

 痛みを感じるより先に身体が吹っ飛び、ユウトの華奢な体躯は数百メートル先にて悠々と構える樹木に思いっきり激突した。

 時を削られたかと錯覚するような速度。圧迫感を覚えたとほぼ同時に、身体の左側を冷たい樹木に打ち付けていた。

 脳震盪を起こし、視界が暗転する。

 何が起こったのか全く理解できず、ただただ無心に戦慄する身体の傷を修復した。

 ユウトは木の幹に全体重を預けたまま、虚ろな双眸で先程までいた場所を見据える。


「何だ……。何が起こったんだ」


 口端から血泡を吐き出し、総身を戦慄させる。

 三人の犬耳も、何が起こったのか理解し難いといった様子で茫然と立ち尽くし、犬耳エルフは驚愕の余り、腰を抜かして座り込み地面に自らの聖水を漏らし始めた。


 カレンは驚愕に目を見開き、半開きな口を痙攣させながら、震える指先を“彼”に向ける。

 暴風を纏い、完璧な防御態勢だったユウトをいともたやすく弾き飛ばした張本人。


 この場に存在することが不可能な人間。

 その事実を、カレンは自身の手で確認したはず、だが何故。


「あ、あなたは」

「帝王はこの秋葉神保だ。依然、変わりなく!」


 震えながらも漏らしたカレンの声を遮るように、強く頼もしい声音で堂々と発言する。

 その場に存在するものたちが、皆思い思いの思考を駆け巡らせながらも、各々その耳で確かに聴いた言葉だった。

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