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第八十一話「降り注ぐメイドさん」

「神保様」

「帝王様」

「神保さん」

「てーおう様」


 ロキス国王宮庭園にて、突如十数人のメイドたちが幻想的かつ儚げな輝きに包まれ、虚空から降り注いだ。

 芝生上で大の字になって昼寝をかましていたゴクウは、突然視界に出現した色とりどりの光景に歓喜したが。

 落下地点に寝そべっていたために、幾人かのメイドさんに踏みつけられ、妙な声を上げて呻きながらも、ゴクウは幸せそうに日向ぼっこを再開した。




 ミディスカートをはためかせ、ヴィルヘルはメイド戦士を総動員させて王宮の階段を駆け登る。

 どうしようもない胸騒ぎを覚え、全身が小刻みに戦慄するのだ。

 胃の中身をひっくり返されたかのような不快感を覚えながら、ヴィルヘルは何度も何も無い廊下で転びかけ、走行速度が若干遅れる。

 ヴィルヘルが階段を登りきったところで、バルコニー外の廊下で神妙な顔つきをするクリーフとメイドたちの姿を確認し、彼女は顔を蒼白にさせてその場に崩れ落ちた。


「――嘘。そんなはずは無いわ。神保さんが、神保さんがそんなあっけなく死んじゃうなんて」


 両手を床に着き、透き通るような雫が絨毯へと染み込む。

 口端が戦慄し、鼻の奥にツンとした痛みを感じる。

 背後に佇むメイド戦士の一人にハンカチを与えられ、ヴィルヘルは丁寧に涙を拭うと、俯いたままゆっくりとバルコニーへと歩を進めた。


 どんな顔をして会えば良いのか。

 他の方々と比べれば、自分が神保さんと出会ったのはごく最近の出来事だ。

 背後や廊下にいるメイドたちと比較すれば、もちろん自分の方が先。

 だから多分、この場にいる人たちの中では一番長い付き合いである。

 心から泣いて抱きしめてあげるべきか、他の方々が悲しむ場面を黙って見つめるべきか。

 メイドという立場と一人の女としての立場が相反し、ヴィルヘルは唇を噛み締めた。


 未だに溢れる涙を純白のハンカチですくいながら、ヴィルヘルはギュッとスカートの裾を握り締め、日当たりの良いバルコニーに闖入する。

 足元を見据え、拳に力が入る。

 掻き回すような水滴音が耳を通り抜け、ヴィルヘルは一旦停止してから、ふと溜息を吐く。

 既に先客がいるのか。

 萌さんだろうか、ジャスミンやメリロット――はたまた淫魔母娘だろうか。

 アキハさんかもしれない。

 などと色々な思いが精神内を駆け巡り、彼女の瞳がもう一度湿る。


「神保さん……」

「……はふぁ、あれ? ヴィルヘルさん、どうかされましたか?」


 悲しみに打ちひしがれたヴィルヘルの嗚咽の混じった声に返答したのは、この場にふさわしく無いであろう、異常なほど明るい声音だった。

 葬式場から突如お花畑に連れて行かれたような錯覚に陥り、ヴィルヘルは思わず顔を上げる。

 瞬間。視界に飛び込んできた情景に、涙に濡れていたはずのヴィルヘルの双眸は、半瞬間のうちに砂漠のように乾いていた。


「――は、」


 春色笑顔を浮かべて「うふふ」と微笑むメシュ。

 黄金色に煌く尻尾を揺らしながら、仰向けに倒れる帝王の下腹部に跨っている。

 口端からは愛らしい糸が慎ましく引いており、口元から漏れる吐息は意味ありげに温かく、白い。

 ヴィルヘルは若干引きながらも、糸が繋ぐ先まで視線を泳がせると、案の定神保の口端と繋がっていた。

 誰がどう見ても、その情景が示す先には、たった一つの事象しか存在しないであろう。


「……な、ななな、何死人とキスなんてしてるんですか! しかも、そんな深くて蒸気するような、えええ?」

「死んでません。はふ……久しぶりに応急処置をしまして、舌が凝ってしまいました」

「し、舌が凝るって……ふぇぇん!」


 情けない声を出し、ヴィルヘルはその場にペタリと座り込んだ。

 下着越しにヒンヤリした感覚が伝達され、思わず総身を戦慄させる。

 何が起こったのか全く理解できず、ただただオロオロするばかりであったが。

 背後から半笑いをしたクリーフが姿を現し、居心地悪そうに咳払いをした後。


「えっとですね。帝王様は一旦お亡くなりになりましたが、メシュさんの蘇生魔術と体内魔力授与によって生き返ったんです」

「……はへ、うん。……ううん、ちょっと待って下さい。それでどうして、メシュさんと神保さんがキスなんてなさってるんですか? 体内魔力を授けるだけなら、間に魔石を通せば良いものですのに……」


 未だメシュと神保が深いキスを交わしたことを信じられないヴィルヘルは、両腕で側頭部を押さえながら左右に振った。

 その様子を見て、メシュは頬に手を添えたまま、動物的愛らしさを感じさせる動きを見せると、いたずらっぽくはにかんだ。


「そうですね。緊急を要することでしたので、そこまで頭が回りませんでした」

「ずーるーいーでーすー!」


 ヴィルヘルは叱られた子犬のように俯くと、人差し指を使って地面を弄り始めた。

 ご奉仕も任せてくださいと言えば断られ、唯一健全な立ち振る舞いをしていたメシュとは、仕方が無いにしても舌が凝るようなキスを交わし。

 もしかして、“メイド”が多すぎて忘れ去られているのでは無いか、などと悪い妄想が脳内を過ぎり、ヴィルヘルはどんどん落ち込んでいく。


「こうなったら、私も神保さんが目覚める前に、側近メイドとして温かな贈り物を、」

「ん。……ああ、また気を失っていたのか。未だに慣れないよ、この魔力を流し込まれる感覚は」


 ヴィルヘルが意気揚々と立ち上がった刹那。神保は穏やかに総身を伸ばし、ゆっくりと身体を起こす。

 ヴィルヘルはその様子を目の当たりにして、そのままもう一度その場に崩れ落ちた。




 ◇




「……神保さん、私すっごく愛してます」


 あの後、目覚めた神保の眼前で突然ヴィルヘルは大泣きをして、バタバタと身体を床に擦りつけながら、おもちゃを買ってもらえなかった子供のように駄々をこねた。

 目覚めた瞬間の出来事だったために、神保は事の起こりを全く理解できず、何とも言えない半笑いを見せながら傍に佇んでいたクリーフから、彼が気を失っている間に起こった大体の状況については聞いたのだが。

 鼻を赤くしながら上目遣いをするヴィルヘルが異様なほど可愛らしく見えてしまい、神保は躊躇うこと無く即座に部屋へと連れ込んだのだ。


 彼自身、こんなことをしている場合では無いな、とは分かっているものの。目の前で泣きながら自身を求められては、流石にきっぱりと断ることはできない。

 神保は鬼や悪魔では無いのだ。

 むしろ女の子に弱く、欲望とは直結している健全な男子高校生である。

 断る理由は無い。終わった途端、すっごい罪悪感は湧いたのだが。


 神保は乱雑に脱ぎ捨てた衣服を身に纏うと、毛布に包まれながらまだ余韻に浸っているヴィルヘルに一瞬だけ視線を送り、威風堂々と自室から退出した。

 空気を読んだのか、部屋の傍にメイドの姿は無く。若干疲弊した足を引きずるようにして階下へと降りると、普段部屋の外に控えているメイドたちが、姿勢良く佇み頭を下げる。


「帝王様、メシュさんがお呼びです」

「知ってる。多分呼ばれる頃だと思ってた」


 幾人かのメイドに連れられ、神保は秘書室と書かれた部屋へと案内された。

 神保の使う書斎と同程度の空間であるが、物が少なく小綺麗に片付けられている分だけ若干こちらの方が広く感じる。

 メシュは大人しく一人掛けソファに腰を下ろし、頬に手を添えて玲瓏な微笑みを虚空に向けていた。

 閉め切った部屋なのに、入った途端春風のような清々しさを感じるのが不思議だ。


 神保は軽く一礼し、向かい合ったソファに腰を下ろすと、静かに笑顔を見せるキツネ耳エルフに、用件は何かと問いかけたのだが。


「もう少し待って下さい。もうお一方、呼んでいますので」

「クリーフか?」


 その疑問を耳に入れると、メシュは目を伏せて小さく首を横に振る。

 二人きりのためお茶が出たりすることも無く、メシュと違って神保は両手とも置き場所が無いので、神保はズボンの裾を引っ張ったり、大して痒くもない首筋を掻いてみたりと、暇を潰していた。


 暫しの沈黙の後。若干目線を下方へと向けていたメシュが神保に視線を戻し、軽く笑みを見せると、穏やかな動作で立ち上がり秘書室の扉を静かに開けた。


「あらあら。予想とちょうどピッタリだわ」


 神保からは背後の状況となっているので、何が起こっているのか認識できないが。

 数人のメイドたちによる敬語や去ってゆく足音の数から察するに、一騎士や武官などでは無さそうである。

 神保は腰掛ける姿勢を少々調えると、多少隅に寄り、秘書室への来訪者が座る部分を広くさせた。

 一足先にメシュがソファに辿り着くと、全く音を立てず腰を下ろす。

 神保は左方に体温と気配を感じ、一応の礼儀を弁え、軽く会釈をしてから顔を上げた。


「えっと――あれ」

「神保。……ごめんね、遅くなって」


 ペコリと頭を下げて、神保の隣にくっついて座る。

 肩まで届くような髪を結ばず、自然な感じに流している。

 愛らしい猫のようなツリ眼に、透き通るような鳶色の瞳。

 形の良い鼻先に繊細な指先を当て、口元を優しく結んで可愛らしく微笑んだ。


「……萌」

「私も呼ばれたんだ。ちょっと遅くなっちゃったけど」


 萌と視線を交わし合い、神保は口元だけを緩めて意思表示を見せる。

 暫しの間見つめ合い、お互いに顔を赤らめると、前方にて静かに腰掛けるメシュに身体を向けた。

 メシュは普段通り微笑みを見せながら、まるで子供に昔話を聴かせるように穏やかな声音で、ゆったりと言葉を紡ぐ。


「神保さんを殺害した犯人が特定できました」

「……は、え? ん?」


 萌は神保とメシュの顔を交互に眺め、何が起こったのか全く理解できない様子でメシュに詳細を求める。


「あの、」

「先ほど、神保さんの肺を毒矢が貫き、一時の間だけ生命を失われていたのです」

「聞いてないよそれ!」


 思わずテーブルに両手を着き、流れるような動きで立ち上がる。

 刹那。非常に心配そうな表情をした萌は、神保の眼前に座り込み、彼の胸元から何故か下腹部までを艶めかしい手つきでペタペタと撫で、若干の上目遣いをかまして神保の顔をじっと見つめた。

 吸い込まれそうな視線に、緩やかに結ばれた唇。神保の身体を触りながら、萌は暫しの間その場にかがみこんでいたが。

 眼前に所在する愛しの幼馴染の姿が幽霊や幻覚で無いことを確認し、安堵したように溜息を吐いて神保の隣に座りなおす。


 先ほどより若干身体同士を近づけ、右腕を神保の左腕に絡めている以外はとくに変化は見られなかったが、多少萌の表情に、何とも言えない寂しさを感じさせた。


「――それでね。話を戻すけど、神保さんに毒矢を撃ったのは、反逆勇者と行動を共にしていた犬耳の獣人だったわ。異世界人とかじゃ無い、純粋なこの世界の住人よ」


 メシュは頬から手を離し、深刻な面持ちで膝の上で手を組んだ。

 表情は穏やかなものの、普段よく使う言葉である「あらあら」や「うふふ」を無意識にも使用しないところを見ると、非常に緊張感をもって話していることを認識させる。

 部屋の空気もピリピリとし始め、メシュは口元を震わせながら次の言葉を紡ぐ。


「相手から直接的な手出しがありました。これはもう放っておくことはできません。神保さんは人間同士の争いを好まないことは知っていますが、反逆者は完全に排除しなければいけません」


 メシュは虹彩異色の瞳――ルビーの輝きを放つ方を開くと、突如空間が真っ赤に染まった。

 真紅のカーテンをかけられたように幻想的なその空間は、一面を眩い光で包み込み、端を認識することができない。

 体積を確認できない不安感に若干の不快感を覚えながらも、神保と萌の眼前には、語るも悍ましいような光景が広がっていた。


「……え。こんな可愛らしい娘が」


 萌と神保の視界に映った情景。

 それは、愛らしい犬耳と尻尾を振る獣人が小枝を削り、禍々しい雰囲気を醸し出す独特な色彩をしたカエルを踏みつけ、体内から毒液を絞り出している光景だった。

 ドロリとした粘性な液体には触れず、無重力空間のように毒液をシャボン玉のように浮遊させ、小枝の先に塗りたくる。

 すると、その犬耳獣人はバルコニーに佇む神保に向かって毒矢を――。


「やめ――」

「ここまでです」


 メシュは瞳を閉じ、深紅の空間は元通りの秘書室へと巻き戻される。

 暫しの沈黙。メシュは不意に長い息を吐くと、うずくまりながら総身を戦慄させる萌に歩み寄り、優しく背中を撫でた。


「ごめんなさい、刺激が強すぎたわ。これはさっき、クリーフさんの検索魔術と現場状況から割り出した、ほぼ正確な事象。もちろん撃ったのが獣人とは限らない。亜人とかエルフかもしれないし、犬耳獣人は毒矢を作っただけで、撃ったのは他の人かもしれない、でも」


 メシュはひと呼吸置き、片頬に手を添える。


「異世界から召喚された反逆勇者による行動ということだけは、確実」


 凍りつくような緊張感に、思わず戦慄する。

 生命を狙った張本人が分かり、排除するという意味。

 神保は自身の拳を見つめる。今まで多数の生物や無機物をこの拳で貫いてきた。

 背筋を冷たい汗が流れ、握りしめた掌にはじんわりと温かい汗が滲む。

 この闘いは、もはや回避するわけにはいかないのだ。


 神保はその場に立ち上がり、メシュと萌を交互に見やる。

 メシュは普段通り穏やかに微笑んでおり、萌は若干心配そうな表情を見せていたが。

 神保の真剣な眼差しを暫し見つめると、引き締まった表情を見せ、萌は神保を抱きしめた。

 熱く安心感のある抱擁。

 魔力だとか体力などの物理的なエネルギーでは無く、“戦意”という精神的エネルギーが湧水のように溢れ出る。

 メシュは懐から、瞳を焼き尽くすような輝きを放つ魔石――極魔石オリハルコンを取り出し、抱き合う神保と萌に順々に宛てがい、膨大な魔力を流し込む。

 最後にメシュ自身にも宛てがうと、総身から湧き上がるような魂のエネルギーが発散され、空間が暖まる。

 体温の急上昇を感じ、思わず目眩を起こしそうになるが。半瞬間瞑目し、不快感を消失させる。

 胸の中に萌の温もりを感じ、神保は前髪に隠された凛々しい双眸を顕にした。


「反逆勇者の元へ行きましょう」

「ええ、場所は特定できてる。準備が調い次第、三人で向かうわ」

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