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第七十九話「烈火の如く赤々とした毒矢」

「では、行ってまいります」

「気をつけてくれよ」

「心配ありませんよ、ご主人様。このヴィルヘルがいる限り、絶対に死亡者を出したりなどしませんから!」


 神保の側近メイドの一人であるヴィルヘルは、愛らしく目を細めて神保を強く抱きしめる。

 ご奉仕は断られてしまったが、この程度なら怒られたりしない。

 男の子らしいゴツゴツした身体と、思わず羨ましく感じてしまうほどに細っそりとした体躯を味わい、ヴィルヘルは頬を淡い桜色に染める。

 男の子らしからぬ甘い香り。きっと、毎晩のように女の子と寝ているから、こんな優しい香りを振りまくんだわ。などと考え、ヴィルヘルは子犬のようにクンクンと鼻を鳴らすと。

 神保の頬に一瞬だけ接吻し、「えへへ」と玲瓏な微笑を向ける。


「では、行ってまいります」

「うん。行ってらっしゃい」


 ヴィルヘルは太ももにナイフを差し込むと、数十人のメイド戦士を連れ、庭先に広がる転移魔法陣の上に綺麗に並ぶ。

 傷だらけのドボルが帰還させられ、神保とメシュはさらなる援軍を送り出すことにしたのだ。

 神保は心がしくしくと痛む。

 自身を護るために、これほどまでに献身的かつ決死の覚悟で戦場へと足を運ぶ。

 現代日本の平凡な学生である神保としては、そのような感覚を到底理解することができなかった。

 だが現に、神保の周りにいる人々は、嫌な顔一つせずに戦場に向かう。

 神保たちと比べて、忠誠心などが強いのだろうか。

 色々と思うことはあったが、ここ数日の心労のために神保は情けないことに精神的に疲れてしまい。

 ヴィルヘルとの抱擁を見て妙な半笑いを見せていたアキハを連れて、自室へと舞い戻った。




 ◇




 空間を削ぐような轟音。刹那。肉塊のようなディアブロの身体は、受身をとることもままならず後方へと吹っ飛んだ。

 堅く悠々と天に向かって伸びる樹木に激突し、視界が暗転する。

 眼前に広がる景色が歪み、まるで霞がかかったように視界不良に苛まれる。

 手に持った大斧は粘土のように湾曲し、もはや武器としての意味を為さない。


「――かはっ」


 肺の空気を根こそぎ吐き出し、思考が停止する。

 目の前が真っ赤に染まり、脳内で耳を塞ぎたくなるような警鐘が鳴り響く。

 血液を送り込む心臓も早鐘を打ち、身体中の血管が戦慄し、全身が痺れる。


「俺は、加速する」


 眼前に佇む暴風の塊は、そう小さく呟くと、総身に纏う風をさらに厚くする。

 ディアブロの口腔内に血塊が溜まり、錆臭い不快感を覚え、口端から垂れ流す。

 何と無残な風貌だろうか。

 ディアブロは虚ろな双眸から光を消失させ、白く濁った瞳を前方に位置する反逆勇者へと静かに向ける。

 正々堂々と激突し、己の力を最大限まで使用してぶつかり合った戦士。

 これ以上無駄な抵抗はせず、散るのであれば、ここで華々しく散りたいというのが本望ではあるのだが――。


 ディアブロの双眸に精気が宿り、痙攣する膝を庇いながらボロ雑巾のようになった総身を起こす。

 自身が誰にも仕えぬ、たった一人の騎士であればそうしただろう。

 だが今は、世界の帝王秋葉神保を護る戦士である。

 ここで倒れるわけにはいかない。戦士が背中を見せて逃げることは、漢としての生き様に反する事象であるが。

 ここで生命を落とすわけにはいかない。

 次に足止めを行う仲間を呼ぶためにも、ここは生きて王宮へ戻らなければ。


 生まれたてのポニーのように危なっかしく立ち上がると、口端に浮かんだ血泡を拭い、風を纏う勇者を見据えて口元を歪める。


「まだ立てたのか」

「俺にはまだ、やるべきことがあるんでね」


 刹那。ディアブロはふらつく足に力を込め、軽やかな動作で後方へと跳ね飛んだ。

 樹木の隙間を華麗に駆け抜け、後方にて逃走経路を準備する老師フリーゼンの弟子たちの元へと転がり込む。

 最後の力を振り絞り、自身に向かって激突するものだと高を括っていたユウトは、突如眼前にて背面跳びをかましたディアブロの行動を理解できず、暫しの間その場で硬直してしまった。

 そして、森林内にて淡く幻想的な青い輝きが天へと向かった刹那、ユウトは何が起こったのかを理解し、何とも言えない馬鹿げた戦法にハメられた自身に対して苦笑する。


「ハハハ……。マジかよ、あんな格好いい漢までチキン戦法で逃走するとか」


 総身を戦慄させ、口元がカタカタと痙攣する。

 戦闘者としての誇りや威厳を大切にしそうな風体をしておいて、逃げるときは逃げるのか。

 そんなに自分の生命が大事か。

 ユウトは総身に纏った風を緩め、拳に力を込める。

 こんなふざけた指揮をする秋葉神保、彼だけは絶対に正々堂々正面からぶつかって倒す。

 と、己の葛藤に決着をつけたところで、不意に眼前の景色が淡く儚げな光に包まれた。






「メイドさん……?」

「すみませんが、これ以上先へ進ませるわけにはいきません」


 エプロンドレスを着こなした美麗な女性陣。

 細く滑らかな脚を惜しげも無く露出させ、胸周りの純白のリボンは上半身の膨らみを強調しており、可愛らしく妖艶に魅せている。

 ふんわりとしたホワイトブリムを被り、お下げやポニーテールなどの可愛らしい髪型にしているようだ。

 膝上五センチ程度のミディスカートをはためかせ、各々が思い思いのポーズを取って佇み、全員腰に小さめの武器を掲げている。

 健康的だが、決して低俗では無い。この衣装を考案した者は、きっとメイド服に関して尋常ではない程の熱い魂を持っているのだろう。

 ユウトは決して、決して詳しいわけでは無いのだが、見た感じから持つ印象だと、どちらかというとヴィクトリアンメイドに近い風貌だ。

 

 一体この帝王様は、どれだけの配下を持っているのか、とユウトは頭痛でも起こしたかのように額に手をやる。

 ジョースター一行がエジプトへ行く途中にも、いやと言うほど刺客が立ちふさがっていたが、これほど面倒なものだとは考えもしなかった。

 休まる間も無い。

 転移魔術の存在を聞いた時、何て便利なものがあるのだ。と関心したが、実際これを戦闘で使われると、面倒なことこの上無い。


 ――それにしても。


 眼前に広がるメイドさんの壁。

 はっきり言うと、凄く羨ましい。

 異世界でメイドさんに囲まれるとか、全人類の孤高の夢ではないか。

 不意にユウトの頭をよからぬ妄想が過ぎる。

 帝王秋葉神保を殺害して、自身が同じ頂点に立つことができれば、同じように至高の生活を堪能できるのではないか。


 ユウトの口端が汚らしく歪む。

 三人の犬耳も素晴らしいが、メイドさんに囲まれる生活も悪くない。

 ここは、全員殺さずに陥落させることを目標に突破しよう。

 ユウトは口元を真っ直ぐに結び、軽やかに身を翻すと、背後に控える犬耳たちに戦闘開始の報を伝達しようと試みたのだが。


「あ、ユウト。私たち、ちょっと行くところがあるから、ここの戦いはお願いね」

「ユウトなら大丈夫。どんなに敵の人数が多くても、誰も追いつけないその速度で、絶対無双してくれるって信じてる」


 カレンとエルフの清々しいほどに爛々とした双眸。

 先ほど身体を断裁されたカリンは、顔面を蒼白にして後方にて倒れていたが、二人の犬耳は真剣な視線を向け、ユウトの顔を穴が空くほどに凝視している。

 逃亡を図ったり、裏切りを起こすようでは無さそうだ。

 ユウトは後方からなる援護射撃が無くなることを危惧し、一瞬躊躇ったが。

 いつになく真剣な双眸を向ける二人の犬耳を見ていると、こちらも頑張らなくてはな、と戦意を掻き立てる。

 戦場にて、可愛らしい女の子に見つめられるとか、それだけで疲弊が回復するものだ。


 暫しの葛藤の後。ユウトは小さく、だが力強く頷くと、二人の犬耳に先へ進むよう促す。


「行ってくれ。ここは俺がやる」

「死亡フラグビンビンですけど、頑張ってね」

「ビンビンなのは別の場所にしてほし、」


 エルフの減らず口が言い終わるより先に、カレンは頬を真っ赤に染め上げて森林脇の獣道へと姿を消す。

 数人のメイド戦士たちが二人を追おうと足を一歩踏み出したが。


「待ちな」


 ユウトは右手を前方へと突き出し、突風とともに地面の泥や土を巻き上げ、砂塵のカーテンを創りだす。

 視界を遮り、さらに薄く鍛え上げられた旋風を弾き飛ばし、数十人もののメイド戦士の注目を一斉にこちらへと向ける。

 カレンたちが何を企んでいるのか、ユウトの認識範囲外のことだったが。

 彼女たちを信じて、ここは一人で相手をする。


「――さぁ、かかってきな! 可愛らしいメイドさんたち」


 総身に暴風を纏いながら、ユウトは盛大に挑発するポーズをとった。




 ◇




 帝王である秋葉神保は、自室の窓際から憂いな表情をして森林を眺めている。

 ディアブロ・キルまでが、あのような惨状になって帰還した。

 傷だらけのその様子を見た神保は、耐えられないほどに心臓がギリギリと音をたてて痛む。


 顔を紅潮させ、ベッド上でネコのように丸くなるアキハを一瞥すると、神保は戦場を見渡すことのできるバルコニーへと足を伸ばした。

 クリーム色をした煉瓦形の石で造られた過ごしやすい場所であり、柔らかい日差しも当たり、日光浴にも最適である。

 リーゼアリスなどはこの場所で、よく暖かい日差しを浴びながら芳醇な香りを漂わせる紅茶を口にしている。

 外出が煩わしく感じるときなども、こうして外気に触れるために時偶神保はこの場所に姿を現すのだが。


「あれ、帝王様。どうされました?」


 一人で静かな時間を過ごそうと来たものの、バルコニーでは大賢者クリーフとメシュが甘い香りを漂わせながら紅茶を飲み、午後のひとときを楽しんでいた。

 珍しい組み合わせにも見えるが、ここ最近よく見かける二人である。

 何でも、メシュが立てた戦闘布陣や防御体勢などをクリーフの創り出す仮想現実フィールド(簡潔に言うとブラウザ上の画面)に映し出し、擬似的に立ち回りや防御の穴を確認したりしているらしい。


 クリーフは何やら真剣な表情で画面を指差し、その隣でメシュは頬に手をやりながら静かに頷き、「うふふ」と愛らしく微笑む。

 仲睦まじくも見える情景だが、双方お二方ともそのような感情を持ち合わせていることもないらしく、それ以上の関係へと進展する予兆は感じさせなかった。


 神保は疲弊のためか小さく溜息を吐くと、鮮やかなクリーム色をした柵に身を乗り出し、青々と茂った森林を上から見下ろす。

 日差しを受けてライトグリーンに煌く遠くの高原と同時に視界に入れると、目の疲れが若干緩和されたような錯覚を覚える。


「ヴィルヘルは無事だろうか……」


 ネコ耳を付けた愛らしいメイドさん。

 ミジュルン村からわざわざ足を伸ばし、側近のメイドとして尽くしてくれている。

 無事でいて欲しい。

 喩え反逆勇者に打撃を与えることができなくとも、絶対に生きて帰ってこい、と。

 それは神保が送り出した戦士、全てに願ったただ一つの命令である。

 チキン戦法だとか、戦士が背中に怪我を負うなど恥だ、と言われようが。

 神保は他人の生命を巻き込むことが嫌だったのだ。

 生命を投げ打ってまでも、彼のために最善を尽くす。

 それよりかは、何事も無く戻って欲しい。

 神保は、仲間たちが無事に生還することだけを祈っていた。


 神保は不意に長い吐息を漏らすと、日差しに向かって大きく伸びをする。

 暗い顔などを見せてはいけない。

 すぐ後方には、メシュやクリーフ、戦闘能力を持たないメイドたちも集まっているのだ。

 一応は指揮官という立ち位置の自身が、このような悲痛の顔を見せるわけにはいかぬ――。


 刹那。空を切断するような鋭い音。


「――へ?」


 突如、視界が真っ赤に染まる。

 人間の一番大事な器官である心臓。平面上ではその直ぐ隣に位置する呼吸器官である肺。

 まるで縫い合わせた糸を引き抜いたかのように、肺の壁が張り裂けた。

 眼前を鮮血が舞う。

 通常なら激痛とともに、気を失うのであろうが。痛みを感じることはおろか、今何が起こっているのかさえ認識し、把握することができない。

 口腔内に錆臭い悪臭が漂い、口端からドロリとした粘性の液体が顎を伝って床へと垂れる。

 胸からは小枝程度の棒キレが突き出ており、そこでようやく何が起こったのかを理解できた。


 ――ああ。矢を撃たれたのか。


 傷口は菌が入ったかのようにジュクジュクと音を立てながら泡立ち、力無く皮膚が暖簾のようにベロンと剥がれる。

 ただの弓矢では無いらしい。


「――シュ」


 メシュを呼びたい。彼女なら、彼女だったら――。

 刹那。唐突に吐き気と目眩が連なる頭痛に襲われ――。



 音も無く。足元から崩れ落ちるように秋葉神保はその場に倒れこみ、一切の行動を不可能なものとした。





 神保の生命はここで途絶えた。

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