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第七十五話「速度と拳」

 ユウトが目を覚ました時、二人用ベッドの上では三人の犬耳さんたちが甘ったるい吐息を漏らしながら散乱していた。

 本能と欲望が直結したユウトだが、流石に今晩の疲労感は尋常では無かった。

 ユウトはベッド脇のクリーム色をした壁を指先で撫でると、面倒くさそうな表情を浮かべて小さく溜息を吐く。

 他の宿屋と比べて壁が厚いと言うので、ユウトはこの宿屋に宿泊することを決めたのだが。

 あれだけ大きな声。しかも三人の切ない声音が見事に絡み合っていたため、きっとこの防音対策が完璧な壁を以てしても、全くもって意味が無かったであろう。

 軋む音さえ聞こえないほどに響き渡るその声は、確かにユウトの活気を掻き立てる燃料となっていたが。

 何もかもが終わってからその時の事を思い返すと、どうにもならない後悔と何とも言えない背徳的感情に苛まれる。


 ユウトはそのままの姿でベッドから立ち上がると、カーテンを開けて室内に暖かい日差しを闖入させる。

 眩い日光に照らされ、ユウトは一瞬思わず瞑目したが、直ぐにその輝きには慣れ。彼は総身に太陽光を浴びながら、気持ちよさそうに全身で伸びをした。


「あぁ……。暖かい」


 日本で言えば、春の朝日のようなものだろうか。

 夏ほど熱くなく、冬のように寒さを感じさせることは無い。

 ユウトは貧弱な身体を外界に晒しながら、両腰に手を当ててしばしの間外の景色を眺めていると。ペタペタという生々しい音とともに、モフモフした柔らかい感触が背筋を愛らしく撫でてきた。


「おはよう、ユウト」


 犬耳獣人カレンは、繊細かつ艶やかな腕をユウトの下腹部付近に回すと、愛くるしい声を出しながらキュッと優しく抱きしめ、腰の辺りに安心したように顔を埋める。

 温かい吐息が背中をくすぐり、ユウトはまたしても欲求に駆られたが。

 とりあえず彼はその煩悩を打ち消し、外から丸見えであろう窓に設備されたレース状のカーテンを閉めた。


 しばしの間背後から抱きしめられるという至高の状況を堪能していたのだが、不意にユウトは身を翻すと、とくに表情を変えること無く、ベッド脇に散乱している彼自身の衣服を身に纏い始める。

 カレンはその様子を名残惜しそうに眺めていたが、今朝は“そういうこと”をしないということを理解したらしく、ショボンと犬耳を垂らしたまま、彼女自身もゆっくりと、キチンと畳まれた衣服を身につけ始めた。






 ユウトが受付でチェックアウトをしている間、彼は色々な方向から妙な視線を感じていた。

 分かってはいたことだが、実際にやられると、やはり良い気持ちはしない。

 まだ息を弾ませている三人の犬耳を一瞥し、ユウトはダブル部屋の料金を払ってそそくさと宿屋を後にする。

 言われてみれば、四人でダブル部屋という時点で、よからぬ客だということは気づかれていたのだろうが。



 反逆勇者ユウト一行は壁厚な宿屋を出ると、まず手始めに魔石を買いに商店街へと足を運ぶ。

 これ以上計画を先延ばしにする理由は無い。

 道中何があるか分からないため、全財産を魔石にすることは出来ないが、できる限りの体内魔力は蓄積させておきたい。

 中性的――完璧に女性的な風貌をしたユウトに、後に続く三人に犬耳たち。

 獣人のカレン、亜人のカリン、犬耳エルフ、と、細かく分けると実は全員種族が違ったりするのだが、そんなことは外面だけを見ただけでは分からない。

 三人とも恍惚とした表情を浮かべながら、頬を桜色に染め上げ、ユウトにピタリとくっついて大通りを歩む。


 犬耳種族のクセなのか、時折興奮したように顔を紅潮させ、舌を出して腕やら首筋やらを艶かしく舐めるのだが。

 その度に、道行く方々から小さな歓声が上がる。外面だけを見ると、四人とも全員女の子に見えるのだ。

 黙っていれば。という前提条件があるのだが。

 実際、ユウトの声音はまごうことなく“男の子”なのだ。








「らっしぇい嬢ちゃん! 魔石、剣、その他生活用品なら何でもあるよ」

「あ、俺男です」


 魔石売りのおっちゃんは、禿げ上がった前頭部をペシンと叩き、赤々とした健康そうな舌をベロリと出す。

 その情景に一瞬不快感を催しながらも、ユウトは普段通りの表情を崩さずに、くぐもった声音で小さく呟く。


「……えっと。魔石、そう魔石が欲しくて」

「え、何だって?」


 ダメだった。

 元世界でも半ば引きこもりのような生活を送っていたために、温度差の違う溌剌とした店員に話そうとしても、通るような声は出せないのだ。

 ガムでも噛んでいるかのようなモゴモゴとした声を発するユウトを見て、背後に静かに佇んでいたカレンが、不意に一歩前に出ると。


「魔石欲しいんです。一個いくらですか?」


 一語一語はっきりとした口調で、耳に手を当てたままの店主に注文の品を告げる。

 ユウトは自身の不甲斐なさに俯き、思わず苦笑いをすると、半歩だけ下がって溜息を吐く。

 魔石一個、一人で買えないとは。

 自己嫌悪に陥り、うずくまったまま顔を腕の中にうずめていると、繊細な指先が彼の頭を優しく撫でた。


「ユウト、大丈夫。全部私が守ってあげるから」


 ダメ人間を増やす魔法の言葉。

 犬耳エルフが放ったその言葉は、第三者から見れば何の解決にもならない事なのだが。

 自己嫌悪に陥っているユウトとしては、その言葉は何よりも求めていた救いの言葉である。

 ユウトはかがみ込んだまま顔を上げると、頭を撫でてくれていた犬耳エルフの腰を思わず抱きしめた。


「ひゃぁん!」

「ありがとう。うん、俺も頑張るから、一緒に頑張ろうな」

「あの、ユウト。……外でそれはちょっと、恥ずかしいよぉ」


 犬耳エルフの下腹部に顔をうずめ、ユウトは精一杯の愛念を込めて腰に腕を回す。



「あ、魔石。これで全部ですか? はーい、ありがとうございます。ユウト、魔石、買えた――」


 カレンが嬉しそうに振り返ると、眼前には驚愕の情景が広がっていた。

 犬耳エルフのへそ付近に顔を埋めるユウトと、腰回りを抱きしめられて恍惚とした表情を浮かべながら頬を染める張本人。

 傍に佇むカリンは全くもって気にも留めず、冷めた視線を向けながら黙っている。

 ほんのちょっぴり、魔石を買うだけの数十秒間の間に、この殿方は何故突然発情してしまったのか。


 カレンの顔から笑顔が消える。

 昨晩たっぷり可愛がってもらった仲ではあるが、それはそれ、これはこれだ。

 道行く人々も立ち止まってはその痴態を凝視しているし、これは嫉妬や妬みなど関係無しに、とりあえずこの場から離脱させなければならない。


「ユウト、ユウト!」

「ふぁぁ……。やわっこい。フニフニして、超気持ち良い」

「んっ……。ユウト、あまり顔を擦らないで」


 眼前で広がる桃色花畑を仕方なく黙認し、カレンはその場でしゃがみ込み、盛大に頭を抱えた。 




 ◇




 数分間、ユウトは犬耳エルフの下腹部を堪能すると、実に清らかな表情をしてその場から立ち上がった。

 ムカつくほど清々しい面持ちで犬耳エルフと視線を交わし合うと、二人は指先を絡め合いながら、道路脇で暇そうに青空を眺めるカリンとカレンに向き直り、穏やかな声音で言葉を紡ぐ。


「ああ、早かったね。カレン、魔石ありがとう」

「フンッ!」


 カレンは胸の前で腕を組み、実に不機嫌そうな顔をしてそっぽを向く。

 昨日一番頑張ったのは自分なのに。と、拗ねているのだが、ユウトはそんなことに全く気がつかず、若干首を傾げてから、身を翻して大通りを歩む。


 うっとりとしたエルフに、無表情のカリン、唇を尖らせたカレンを連れてしばしの間歩いていると。


「俺は加速する!」

「俺は加速する!」


 刹那。石同士をぶつけたような音が響き、まだ声変わりしていないと思われる、少年の若い声による悲鳴が耳に入る。

 何となく引っかかり、ユウトは三人の犬耳を連れて声のした方へと向かうと、まだ十歳にも満たないであろう少年が二人、右手拳を押さえながら悶絶していた。

 お互いに地面をのたうち回りながら、煉瓦のように赤く腫れた拳を撫で、白く澱んだ不健康そうな舌で汚らしく舐めながら、両足をバタバタと忙しなく仰がせている。


 何事か。と、ユウトは興味を持ち、恍惚とした面持ちで擦り寄るエルフとともに、少年たちが倒れこむ空き地へと闖入し、転がりまわる二人を見下ろして、独り言でも呟くかのように小さく発す。


「何をやってるんだ? 『俺は加速する』などと聞こえたが、」


 少年たちは珍獣でも見るかのような視線を向けた後、ユウトの可愛らしい顔つきに安堵し、子供らしい穏やかな表情を見せ、赤く腫れ上がりベトベトと湿った右手拳をユウトに向かって突き出した。


「お姉さん知らないの? 世界の帝王様が、伝説の古代龍を討伐したときに使った魔術なんだよ」

「背中から真っ白なビームを出して、こうやって右手を突き出すの」


 若干ふやけた拳をさらに突き出され、ユウトは若干後方へと退くと、『やれやれ』とでも言う様な面持ちでわざとらしく肩をすくめ、


「言っとくけどな、俺はお姉さんじゃ無い、お兄さんだ。ちゃんとアレは生えてるし、あっちは二つとも膨らんで無い」

「やだ……。生えてる、だなんて、ユウトったら」


 両手で顔を包み込みながら、うっとりとした面持ちのエルフが隣で身体をクネクネとさせていたが。

 ユウトは気にせず、腰に手を当てて主張する。

 少年はしばしの間、ユウトの上から下までをまじまじと眺めていたが、不意にお互いの顔を見合わせると、いたずらっぽくケラケラと笑い出し。


「えー! お姉さんでしょ、だって凄く美人さんだもん」

「そうそう、うちのお母さんよりもよっぽど綺麗で可愛くて優しそうで、」


 刹那。少年たちの顔に影がさし、何者かによる恐怖の精神的圧迫感のために表情を歪める。

 冷たい汗が背筋を走り、高ぶった鼓動に静寂が訪れる。

 まるでメデューサに睨まれたかのように総身を硬直させた少年たちは、口を半開きにしたままその場に崩れ落ちた。

 振り返らずとも、今現在起こっている事象は理解できる。

 ユウトは傍らに佇むエルフの腕を絡め取り、カニのように横歩きの姿勢をとって、その場からさっさと離脱することにした。


 ユウトが空き地から脱出した直後。大地を揺るがすような怒号、刹那。少年たちの断末魔のような悲鳴が響く。

 大方。――母、参る。と、言ったところか。





 少年たちの説明は肝心な箇所が欠如しており、ユウトにはさっぱり話の根端が理解できなかったのだが。

 秋葉神保という男の情報を、まず一つ得ることができた。

 全くと言っていいほど敵を知らず、悠々と反逆しに来たというのも些かおかしな話ではあるが、事実その通りなのだ。

 ユウトは秋葉神保のことを何一つ知らず。ましてや得意魔術など、彼には知る由もなかった。

 その点では、今回の一件は決して無駄だったとは言えないだろう。


「加速する。……一体、どんな魔術なんだ」


 自身の拳を見つめ、小さく首を傾げるユウト。加速と言うことには、速度が出るということだが、少年たちは赤々と腫れた拳を突き出していた。

 それが意味するものは何なのか。

 つい数日前にこの世界へ召喚されたユウトが、そんなことを知っているはずが無い。

 彼はしばしの間、自身の右手を使って結んで開いてをしていたが。

 考えても無駄なような錯覚が何度も脳内を過ぎり、ユウトは拳を握り締めたまま、不意に長い吐息を漏らす。


「背中から風でも噴出させんのかな」


 惜しい。実に惜しいのだが。

 ユウトは何でも、思い立ったらやってみる人間なのだ。

 何でも始めてみて、直ぐに飽きてやらなくなるのが欠点であり、物事に対してドライかつ引きずらないというところに関しては、長所と言っていいだろうが。


「……俺は加速する」


 甘い香りを運ぶ穏やかなそよ風。

 空き地脇の道端に佇むユウトの背中からは、高原に吹く春風のように爽やかな微風が排出された。

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