第七十四話「会合」
ロキス国王宮、応接室。
前回ポウロ国姫君と会談した席とは違い、建て直しのためリニューアルされ、広々としている。
柔らかい日差しの差し込む窓際の席に神保が腰を下ろすと、続いて他四人の人々が席に着き、神保の背後にはメモを持ったメシュが玲瓏な微笑みを見せながら佇む。
神妙な面持ちで腰掛ける方々を一通り見渡すと、神保は手を組み、重々しく口を開いた。
「突然の勝手な願いに、集まってくれて心から感謝する。事実、今起こっていることとは、手紙に書いた通りであり、それ以上でもそれ以下でも無い。異世界人による世界統一に反感を持った反逆者たちが異世界から勇者を召喚させ、帝王である俺を殺害しようと試みているのだ」
この場に集まっているのは、それなりに格の高い人々である。
世界の帝王であり、ロキス国元皇帝、秋葉神保。
元魔王であり、現在この場で一番の年長者であるリーゼアリス。
伝説と呼ばれ、世界各国を旅した豪傑、アックス。
世界最大の派閥を持つ老師であり、千年に一度と言われるほどの天才高等魔術師、フリーゼン。
元皇帝騎士であり、“殲滅”の称号を与えられし戦士、ディアブロ・キル。
これ以上の面子を集結することは不可能であろう。
神保の言葉を聞き、先程まで瞑目していたフリーゼンが不意に口を開く。
「……どうするのだ。攻め込まれる前に、その反逆勇者とやらを排除し、抹殺するのだろうか」
仙人のように穏やかな面持ちとは裏腹に、非常に攻撃的な言葉を発したフリーゼンに、隣に座るリーゼアリスが呟くように答える。
「それは不可能です。相手が行動を起こすまで、こちらからはどうすることもできません。……迎え撃つのです。そのために神保――帝王は、信頼出来るあなた方をお呼びしたのです」
「神保、で良いよ」
言い直したリーゼアリスに向かって、神保は軽く微笑み返して応える。
その様子を目の当たりにして、フリーゼンが訝しげな視線を向けながら、顔を歪めるような苦笑いをかましたが。
全く気にする素振りも無く、アックスがその太い腕を上げて立ち上がった。
「相手の規模はどの程度だ。一国家を凌駕するような膨大な軍隊なのか、それとも、」
アックスはチラリと神保を一瞥し。
「秋葉神保のように、たった一人で国家を壊滅できるような戦士なのか」
応接室の空気が変わった。
そうである。全魔力を蓄積させた神保であれば、この世界を根本から捻じ曲げることだって可能。
ましてや、魔物や魔族の一人や二人、赤子の手を捻る以上に簡単な動作で粉砕することができるだろう。
だが現実問題、彼はこうして仲間たちに戦闘応援を求めた。
援護が必要なほどに危険な相手なのか、もしくは単に石橋を叩いて渡る性格をしているのか。
それによって事情は変わってくる。
集結した戦士たちは、一斉に神保の方へと顔を向ける。
問いただされるような視線に若干怯えた表情を見せながらも、神保は深く心に刻まれるように重圧的な声音を使い。
普段は前髪に隠れた、冷徹かつ凛々しい双眸を見せる。
「勇者が何人の戦士を連れるか、その事象は定かでは無い。だが、反逆勇者の“体内魔力許容量”が、無制限だという事実は十分危惧するべき事象である」
見るものを凍りつけさせそうな双眸が前髪に隠れると、神保は口元を穏やかに結び、玲瓏な微笑みを見せたまま背後に佇むメシュへと顔を向け、先を説明するよう無言のまま促す。
神保個人の面持ちや態度は平凡な少年、といった様子だが、背後にメシュが立つとその平凡な雰囲気は威厳に満ちあふれたものとなる。
メシュは春風のように暖かみのある微笑みを崩さず、まるで練習でもしていたかのように滔々とつまずくこと無く、語りかけるように発す。
「反逆さんが来るのは、そう遠い話ではないでしょう。そのため、これからここにいる方々にちょっとした部隊を作っていただき、関所――いえ、不意打ちでも構いません、何としても王宮に辿り着く前、神保さんと対面する前に、反逆勇者を抹殺しておかなければなりません」
前半の穏やかさは後半に行くにつれ消え去り、最後の一文を唱える時には、彼女の愛らしいモフモフした尻尾はハリネズミのようにザクザクと尖っていた。
言葉を発し終わるや否や、不意に尻尾が垂れ下がり。その様子を傍で見ていた神保は、何となく心が癒されて安堵感を感じて若干微笑みかけたが。
直ぐに真面目な表情へと戻すと。普段のくぐもったような声では無く、よく通る清らかな声音で、この場に所在する全員に言う。
「そういうわけで、アックス、ディアブロ、老師フリーゼン、リーゼアリス、後で俺の部屋に来てくれ」
◇
地平線を確認できるほどに広大な草原に、一人の少年が憂いな目を向けて佇んでいる。
清らかな風が頬を撫で、通りすがりにいたずらっぽく首筋を愛撫する。
冷たい指先で背筋をなぞられたような感覚を覚え、少年――ユウトは妙な声を上げて身体を捩らせた。
「あひん!」
「ユウト、何変な声出してんの?」
すっかりユウトの手のひらへと落とされた犬耳獣人――カレンは、突如妙な声を上げたユウトをジト目で見据え、小さく溜息を吐く。
あれから数日の間に、ほとんど魔力を持たない反逆者たちに魔術の使い方を教わり、やっと覚えた短距離転移魔術を何度も使用して、ここ草原までたどり着いたわけだが。
ユウト本人とカレンはともかくとして、その他二人の犬耳は、何故か目眩を起こして先程から新緑の絨毯にその身を投げ出しているのだ。
カレンは自身の手首に引っかかった手錠をクルクルと回し、時折頬を手で包み込んでは愛らしい表情を浮かべて頬を桜色に染める。
獣人の中では人間に近い見た目をしていたためか、なわばりではいつも除け者にされて寂しい思いをしていたカレン。
だが彼女は、突如現れた勇者ユウトの偶発的な欲望魔術により森林から転送され、今ではユウトの一番のお気に入りと化している。
もちろん、三人の犬耳の中で一番多く、一番激しく美味しくいただいた。
獣人だからか、初めて堕としたのが採掘場だったかは分からないが、カレンは非常に野外を好み、時と場所を考えず、甘ったるい声を発しながら襲ってくる。
とか、桃色かつ劣情的な無駄話は置いておいて。
閑話休題。
現在ユウトは、ロキス国中心街へと足を伸ばしていた。
犬耳亜人と犬耳エルフは、二人仲良く目を回したまま気を失ってしまったため、怪力魔術を使用しているユウトがおぶりながら短距離転移を繰り返して進んでいる。
日本国の乗用車並の速度であり、二人からしてみれば普通に自らの足で歩いて欲しいこと極まりないのだが。
初めて魔術を使用できるようになって嬉しいのか、ユウトは二人のことなど全く気にも留めず、悠々と自分のペースで向かうべく先へと進んでいった。
とは言え、喩え子供でも使えるような簡易魔術だとしても、連続して転移魔術を使用していれば、流石に肉体的疲労は免れない。
反逆残党たちがカーマ・コンで続けていた採掘仕事のために、一応魔石を買う資金は調達されており、現在彼の体内魔力量は常人のそれを遥かに超越している。
今のユウトであれば、使い方さえ教えればどのような魔術でも何の躊躇いも無く使用可能であり、転移と属性魔弾しか使えないユウトとしては、実に“宝の持ち腐れ”であった。
草原を抜けるとようやく街が視界に入り、ユウトは転移魔術の使用を停止させて目の上に手を当てて眼前に広がる景色を観察する。
キマシタワーなる電波塔があり、人々の活気溢れる人口密度の高い先進街。
間違いない。あれこそが、反逆残党たちに目指すよう言われた、ロキス国中心街だろう。
財宝を発掘した海賊団のような歓喜に満ちた表情を浮かべると、ユウトはピッタ
リと傍らに佇むカレンを引き寄せ、身体同士を密着させる。
カレンは幸福感溢れる顔を見せ、尻尾をバタバタ振ると、後方にて蒼白な顔を無心に揺らす二人の犬耳お供を一瞥し、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「カレン、流石に疲れたから、ちょっと休憩にしようか。何といっても、中心街は宿屋さんが多いって評判なんだ」
「クゥン」
嬉しそうに目を細め、愛らしい声を上げてユウトに目一杯の愛念を込めて擦り寄る。
背後で生死の境を彷徨っている二人の犬耳は、お互いに真っ白な顔を見合わせながらニヘリと微笑み合い、事切れたようにパタリと倒れこんだ。
一応持ち合わせはあるので、中心街のど真ん中で困窮して倒れる、などといった痴態を晒すことは無い。
むしろ、手頃な宿屋に四人で数日間宿泊し、観光する程度なら無理なくできるだろうが。
欲望と欲求の塊のようなユウトだったが、ここまで来て流石にそのようなポカをやらかすことは無い。
この世界での魔力とは、金銭であり生命でもある。
体内魔力こそが、その生物の価値を見出すものさしと言っても過言では無いだろう。
独裁者を討つものにとって、魔力は寿命でありかけがえの無い財産であり、最後の駆けを引き出すための最終手段ともなりうる。
一時の煩悩に苛まれ、女の子を愛でるための精力に使用するなど言語道断。
絶対にしてはならない、まさに禁忌。
全てが終幕を迎えてからだ。
帝王を気取る独裁異世界人、秋葉神保を討ち取り、神田ユウトこそが世界を救った英雄として名を馳せる。
異世界召喚ものの定石だ。
魔王でも龍でも、世界を滅ぼそうとする者を異世界から来たる勇者が討伐する。
それが帝王――独裁者であるだけだ。
異世界勇者が行うこととは、求められた仕事を早々に片付け、溢れんばかりの報酬を得てハーレムを作ること。
ユウトは犬耳が大好きだ。
従順たる仕草に、モフモフした愛らしい尻尾。
器用な舌使いにつぶらな瞳。人間と犬とは、切っても切れない関係なのだ。
「ユウト、鼻から赤いのが垂れてる。……痛い?」
先程まで酷い車酔いに苛まれていた犬耳亜人のカリンが、青少年の煩悩から生まれる真紅の液体を興味津々な様子で見つめている。
蛇口を捻れば水が出るように、精神高揚からなる止めようの無い事象なのだが。
ユウトはその幸せ妄想を鼻血に込めて、幸福感溢れる表情でボサッと突っ立っている。
カリンとカレンは思案げな視線を交わし合い、このままでは衣服が汚れてしまうと思い、ユウトの鼻を拭ったのだが。
愛らしい女の子二人に鼻の下を拭われるというご奉仕に、溢れる幸福は加速する。
止まらない。などと言った騒ぎでは無く、精一杯の愛念を込めて拭えば拭うほど、ボタボタと垂れる量が悪化するのだ。
「ユウト! しっかりして」
「ハッ」
カレンとカリンの愛くるしい声音を耳に入れ、ユウトは不意に我に帰る。
と、同時に鼻血が垂れる勢いも緩やかになり、ユウトは自身の手の甲でグシグシと汚らしく拭うと。
心配そうに上目遣いをする、二人の犬耳を優しく撫でた。
「大丈夫。それより、四人部屋にして一緒に泊まる? それとも、三一にして、」
「いえ。ダブルの部屋をとって、皆さんくっついて寝ましょう。その方が、ユウトの戦意もアップすると思いますよ」
さっきまで声も出せないほどに具合の悪かった犬耳エルフは、姿勢良く佇むと、甘えるような猫なで声を出してユウトの背筋を優しく撫でる。
どうやらユウトパーティの中では、一番の甘えん坊さんらしい。
見た目も若干幼く、あどけない表情でじっと見つめ、透き通るような鳶色の双眸を穏やかに細める。
いわゆる“お願い”のポーズである。
親バカな父親が愛娘からのお願いを断れないように、ユウトもまた自身のパーティ仲間(という名のハーレム要員)である犬耳女子たちのお願いを断るようなことは出来ない。
むしろお願いをされる度に、その愛らしい顔に魅了され、ユウトは何とも言えない嬉しさを感じるのだ。
ユウトは高鳴る胸を押さえながら、その場に佇む三人の犬耳さんたちを抱きかかえると、今にもスキップでもし始めそうに軽やかな足取りで宿屋街を探索する。
その晩。中心街のある一角に所在する宿屋街では、玲瓏に慎ましく放たれた月下にて、甘く切ない蠱惑的な声が何度も響き渡った。




