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第八話「修羅場(物理)」

「俺はもう行くからな」

「待ってください!」


 一昔前の安っぽい三流映画のようだ。これで「よよよ……」とか言えば、もっと古くなるが。


 歩きだそうとする神保に必死にしがみつくエーリン。

 女の子が素っ裸で森にいるのは危険だからと服を与えたが、まさか自分についてくるとは神保は思いもしなかった。


 神保が考えていたことは二つ。

 一つは、もしこの淫魔を連れて帰ったら萌とアキハは何と言うか。

 二つ目は、ここに置いて行ってもどうせついてくるんだろうなぁ……。と言った諦めの感情。

 つまり置いて行こうが連れて行こうが結果は一緒なのである。


「私は絶対神保と離れたくありません!」


 神保よりは年上に見える淫魔さんは、目を潤ませながら駄々をこねる。

 ペロペロと艶かしく腕を舐めて誘惑もしてみた。

 挙げ句の果てには脚で神保を捉えたまま地面に転がり、ネコの真似をしながら甘える始末。

 誰が見ても神保から離れる気が無いことは明らかである。


「にゃあにゃぁ……」

「はぁ……」

「にゃぁお!」

「イデデデデデ!」


 とうとう淫魔は神保を押し倒して顔中を爪で引っ掻いた。

 独占欲が強いせいもあるのだろうが。淫魔エーリンにとって神保との出会いは初恋であり、諦めることの出来ない大切なエンカウントなのである。


「一緒じゃなきゃ嫌だぁ!」

「痛い痛い痛いって!」


「え! 一緒にいたいって……今確かに言いましたよね? ほら見てください! こういう時のために私、テープレコーダー持ってるんですよ」


 神保は呆れると同時にゾクッとする。

 彼は未だかつて出会ったことの無い『ヤンデレ』という属性を思い出した。


 ――あれは彼の父親が言ったことだ。



「いいか神保。この世にはツンデレとクーデレの他にヤンデレという物がある」

「ヤンデレってなーに?」

「ヤンデレとはこういうものさ……」



 その時見せられた血まみれの女の子のグラフィックは今でも忘れない。

 片手にナイフを持った若干メンヘラ気味の攻略ヒロイン。

 返り血と光の無い眼が怖くて、彼はその日晩御飯を食べれなかった。

 実に神保が五歳の時点で、彼の父親は息子にエロゲーのバッドエンドを見せていた。

 ちなみにハッピーエンドを見せられたのは――



 神保は父親の言葉を思い出して身震いする。

 ヤンデレに逆らってはいけない。

 ヤンデレに逆らう時こそ自分の命の終わりである。

 ここは慎重に、さりげなく穏便に事を運ばなければ。


「分かりました……。では、一緒に行きましょうか?」

「本当!? わーい、神保大好き!」


 抱きつきながら甘えてくる年上のお姉さん。

 神保は別に悪い気はしなかった。


 ――あれ? ヤンデレって別に悪く無いじゃん。


 彼はそんなことを考えていた。

 ちなみに言うと、別にエーリンはヤンデレでは無かった。

 ただ初めての恋が強烈過ぎて、どう接して良いか分からなかっただけである。



「しっかり捕まってろよ」

「うん!」


 淫魔に抱きしめられた神保は、若干身体の柔らかさの違いを感じながらも、人身事故を起こすことも無く中心街へと加速していった。

 ついでに言うと起こさなかったのは“人身事故”であり、神保が通った帰り道は、えらく悲惨なことになっていた事は言うまでも無い。



 加速度をどんどん下げて中心街へと戻る。

 魔王は見つからなかったとギルド職員に告げたが、受付嬢のルルシィはホッとした笑顔を見せた。


「いえいえ。冒険者様が無事に戻られて安心しましたわ」


 ここ数十年死人の出ていないギルドから死人が出なくて良かったと、彼女は心から胸を撫で下ろす。


 ――これ以上もう無茶な受注もしないでしょう。


 ルルシィは残り二つの依頼表をギルドの奥へと片付けて、踊り子のような女性を連れた神保を笑顔で見送った。


「またどうぞーっ!」


 今度は話したり遊びに来てね。という意味で言ったのだが。

 まさか本当に、あんなふざけた依頼を受注しに来るとは、ルルシィも他の職員もこれっぽっちも考えていなかった。




 ◇




 宿屋を探す。

 いったいアキハと萌はどの宿屋さんに泊まりに行ったのか、全く見当もつかなかった。

 神保は中心街を侮っていた。

 まさかこんなにたくさんの宿屋があるとは……。


「神保ぉ……宿屋さんなら良いのを見つけたぞ?」


 そう言ってエーリンが指差すのは、十中八九ラ○ホである。

 ここまで来る途中エーリンは神保にそれしか勧めなかった。

 淫魔にとって宿屋もラ○ホもやることは大して変わらないのだ。


「あの二人の事だからなぁ……。萌の趣味は大体分かる。だけどアキハとはまだ会って間もないし――」

「えっ!」


 エーリンは思わず叫び声が漏れる。

 神保には他に女の子が二人もいるのか。

 その中で自分は生き残れるだろうか、やっぱりもう、この辺の宿屋で神保を自分の物にしてしまった方が良いのでは無いかと。

 エーリンの頭の中はいろいろと危ない事でいっぱいだった。


「神保には……結婚を約束した女性とかはいるのか?」


 エーリンが聞いたのはもちろん現在の婚約者の有無である。

 だが神保は真っ先に過去の思い出が浮かぶ。

 幼い頃に萌から受けた結婚の約束。

 実際は、神保と萌のオタクな両親たちが無理やり言わせた三文芝居なのであるが、幼少時の思い出である。

 お互いに事実の裏側を憶えているわけも無く。

 萌は言ったこと。

 神保は言われたという事実だけを憶えていた。


「いるよ」

「はぅ!」


 エーリンの大きな胸に内側からチクリと(とげ)が刺さった。

 初恋が無残にも崩れる。

 邪悪なトゲが刺さった胸はガラガラと音をたてて崩れ落ち、不幸なエーリンは地面に手を着いて倒れこむ。


「どうしたの? 疲れた? もしかしてどこか調子でも……」


 優しい。

 物凄く優しいのだ。

 淫魔エーリンは今まで男性に優しくされたことは無かった。


 ――別に乱暴だとかそういう話では無く、欲望以外での優しさを感じたことが無いという話だが。


「神保ぉ……」


 神保の手をとりゆっくり立ち上がる。


「どうしたの?」


 ここでまたニコポ発動である。

 さりげない笑顔は殺人的な魅力を持っている。

 辛い時に見る大好きな人の笑顔。

 エーリンの砕けた心は一瞬で修復され燃え上がった。

 意外と強い娘である。


「神保! ダメだ、私はもう神保を求めずにはいられない! 早速そこの宿屋で――」

「あ! 神保~ここだよここ~!」


 連れ込もうとしたその刹那。

 元気に手を振る少女が、とびきりの笑顔を見せながら、こちらに向かって走ってきた。


「神保~!」


 熱い抱擁。

 エーリンは口をあんぐりと開けたまま閉められない。

 初恋の相手が、目の前で他の女性と抱きしめ合っている。

 少女は深く安心した様子で神保の胸に顔をこすりつけ、幸せそうな顔で神保を見つめる。

 往来で何やってるんだという話である。


「何やってるのよぉ!」

「え! 誰この人……」


 ビクッとして萌は神保から離れた。

 綺麗な銀髪が途中で焼き焦がされ、妙に露出度の高い衣服を身につけているお姉さん。

 ここは宿街であり、萌も『そういう場所』であることは知っていた。

 萌は神保と淫魔の顔を交互に見てからこう叫んだ。


「私の嫁に触らないで!」

「よ、嫁……?」


 びっくりした淫魔。

 嫁とはどういう事か。

 神保はどこからどう見ても男性であり、嫁と呼ぶには適さない人物である。

 淫魔エーリンは、キッとした表情の萌と驚いた様子の神保を交互に見て理解した。


 ――なるほど、この娘は神保を他の誰かと間違っているんだわ。


 同名のジンボなる方と間違って抱きついている。

 多分そのジンボさんは女性なのだろう。

 エーリンは勝手にそう解釈し、悠然とした表情で神保の腕に絡みつく。


「ごめんなさい」

「分かれば良いのよ」

「多分あなたが探しているジンボさんと、この方は別人だと思うの」

「えっ?」


 神保と萌が同時に振り返った。


 お前は何を言っているんだ。


 二人の頭に真っ先に出た言葉である。

 だが、そんな事を口に出せるほどの余裕は二人に無かった。

 萌もエーリンと同じく、この人が別のジンボさんと勘違いしているんだと思い。

 神保は神保で一番困っている。

 突然明かされた第二のジンボ。

 もしかしてそっちのジンボは有名人なのかと若干冷や汗が出る。

 そしていったい何故エーリンは萌がジンボ違いをしたと思ったのか、神保の疑問は増えるばかりであった。


「違うわ、この人が私の嫁の秋葉神保よ」

「いいえ。この方は正真正銘私の神保よ」


 お互い一歩も引かない。

 幼馴染VSヤンデレ(勘違い)である。

 王道テンプレ的にはどちらに軍配が上がるのかは分からないが、とりあえず神保は早くこの場から離脱したかった。

 だがそれは不可能である。

 なにせ神保の右腕は萌に、左腕はエーリンにしっかりと抱きしめられているからだった。

 パッと見れば、女の子二人に抱きしめられている、まさに『爆発しろ』である。


「二人とも落ち着いて……」


 ナデポしようにも両手が塞がっていて撫でられない。

 ニコポしてもどちらも神保では無く好敵手(ライバル)を睨みつけているためまるっきり効きめ無し。


 しかしオタクの鏡である彼には分かっていた。

 この状況で男の意見は意味を成さない。

 黙っているのが吉であり、それ以上何をしてもいけない。

 どうせならどっかの主人公みたいに、双方から触れ合う四つの感触に耐え切れなくなって、鼻血を吹きながら気絶でもできたらどんなに楽だろうなどと考えていた。

 つまり今神保が出来る事は皆無である。


「私のよ!」

「私のだってば!」


 神保の取り合いは続く。

 さてどちらが言い負かすのか……。

 どちらが勝っても負けても、問題の発端である神保は辛いだけなのだが。


「私の!」

「私のなの!」

「私!」

「うっさい!」

「ぐへっ……!」


 取り合いに終止符を打ったのは萌の鉄拳だった。

 魔力を帯びた拳がエーリンの顔面にクリーンヒット。

 同じ女の子なのに顔を殴るとはこれまた凄い娘である。

 神保のとは違う、速度は無いが一撃の重い強烈な鉄拳。

 鼻と頬の骨と、多分歯は完璧に折れたであろうベキッという痛そうな音。

 顔から血を吹きながら、淫魔エーリンは棒キレのようにパタリとぶっ倒れた。

 勝者幼馴染萌。YOUWIN! である。



「何だったの、あの爆乳野郎」

「彼女は淫魔であり魔王なんだ」


 言ってから、神保は何となく萌の膨らみを見てしまう。

 エーリンほどでは無いにしろ、高校生の手には溢れるような立派なものが……。


「えっ、魔王ってこんなに弱かったの? うわー……引くわー」


 不意打ちしておいて何とも酷い言い草である。

 蔑むような表情をガラリと変え、萌はにっこりと天使のような笑顔を見せた。


「でも良かったっ! 神保の初めては全部私がもらうって決めてたんだから」

「そっか。それよりアキハはどこにいるんだ?」


 無自覚なスルースキル。

 何と返事をしても主人公としての行動と相反す場合に、たまに発動するランダムスキルであり、割と便利な能力である。

『私とあの女どっちが好き?』などの難問はこれ一つで万事解決なのだ。

 分かっていたことではあるが、萌は少しだけ残念そうな表情をして唇を尖らせる。


「アキハならそこの宿屋さんにいるよ。ふかふかなお布団で気持ちよさそうに寝てた」

「部屋の過ごしやすさとかはどうだった?」

「凄く良かったよ。あ! 部屋一緒だけど……良かったかな?」


 若干顔を赤らめモジモジする萌。

 年頃の男女が一緒のお部屋で一夜をともにしてもいいのかと、彼女なりに精一杯の勇気を振り絞って聞いたのだった。

 神保は悪意の全く感じさせない、純粋で綺麗な笑顔でニコリと答える。


「一晩一緒だね」


 ニコポも同調して――彼を想う人には鼻血ものであった。





 さて、別の意味で鼻血ものだった淫魔エーリンは、ボロボロに粉砕された顔面のパーツを魔力で綺麗に治して起き上がった。

 さっきの怪我が嘘のように治ったエーリンは、楽しそうに談笑する二人に向かって声をかける。


「あの……神保?」

「出たわね淫魔」

「あなたは黙ってて」


 悪鬼羅刹のように悍ましい顔を一瞬だけ見せ、エーリンはその迫力で萌を黙らせた。

 エーリンはそっと神保に近づき、とろけるような表情で神保の肩に彼女自身の頭を乗せる。

 まるで恥も外聞も無く、往来でいちゃつくラブラブカップルのようだ。

 淫魔エーリンは唇をペロリと艶かしく舐めとり、うっとりするようなお姉さんボイスで神保の耳をくすぐる。


「ねぇ……朝までお姉さんとイイコトしよ?」


 流石淫魔。言うことが伊達じゃない。

 エーリンは甘い吐息を織り交ぜながら、指を順々に折り曲げていく。


「だからぁ……お姉さんとあっちの宿屋さんで――」

「二回死ねーっ!」


 迷い猫もびっくりな萌の強烈な拳。

 淫魔エーリンは空中遥か彼方まで吹っ飛び、宿屋街から姿を消した。


「萌……その能力」

「えへへ……練習したの。凄いでしょ! 褒めて褒めて~」


 神保は目の前で起きた途方も無い惨劇を華麗にスルーした。

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