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第六十九話「反逆勇者」

「ふきゅん!」


 突如地上が無くなったと思った刹那。

 上下感覚を失い、少年――神田ユウトは、耐え難い腐敗臭が充満するボロ小屋の中へと突き落とされた。

 受身を取ることも叶わず、無慈悲にも腰からモロに落下したらしい。

 果汁たっぷりなスイカを叩き割ったような嫌な音が響き、ユウトはカニのように口から膨大な量の泡を吹き出した。

 童顔かつ女の子のように可愛らしい顔は酷く歪み、色々な体液でユウトのズボンがグッショリと濡れる。


 右手にはゲームのコントローラーらしき物体を掴んでおり、現代日本の学生だということが分かる。

 黒色な上下のジャージに身を包み、口元を泡だらけにした少年は、半瞬間身体を仰け反らせ、間も無く動かなくなった。


「術者殿!」

「待ってくれ、俺は召喚魔術に一生を捧げた者。他の魔術を使用するなど、不可能だ」


 丸めた新聞紙のようにシワだらけな顔で、これでもかと言うほどに堂々としたドヤ顔を作り、召喚現場に立ち会わせていた反逆残党に鼻息荒く応える。

 反逆残党たちは慌てふためき、血塊の混じった体液を垂れ流しにする童顔少年を抱え込み、必死に治癒魔術をかけた。

 白目を剥き、鼻や口から液体を垂らしていた少年の姿は、徐々に元の容姿へと修復されていく。

 服装を見なければ、女子と見間違えてしまいそうに愛らしい素顔を披露し、少年は甘い寝息を放ちながらゆったりとした面持ちで床に寝転がっている。


 術者は俯いたままニタリと汚らしく笑うと、感極まり、総身を戦慄させた。


「やっとだ。……やっと、異世界から勇者を召喚させることができた!」




 ◇




 神田ユウト。現代日本の公立高校に通うオタク系の少年である。


 幼少時はそのプニっとした愛らしさから、会う人会う人に可愛い可愛いと褒められ、男女問わず友人も多かった。

 だがどうしたことだろうか。

 思春期を迎えてもその女性的な顔つきが凛々しくなることは無く。まるで男性的成長を置いていかれたかのように、高校生になっても一瞬女と間違えられるような風貌に成長したのだ。


 パッチリとした双眸は潤んだ二重をしており、低くもなく高くもない鼻筋はスっと美麗に通り。

 黒く真っ直ぐな髪は量も多く繊細であり。

 どちらかといえば痩せ型であり。スベスベした素肌には、ギトギトした脂味は全く感じさせない。

 一体どれだけの手間と時間を、その肌に費やしているのかという話である。


 だがユウトは、特に規則正しい生活を送っているわけでは無い。

 ほぼ昼夜逆転した日常を送っており、趣味はアニメとゲームと漫画という、完璧なオタク少年である。

 しかしどこかの帝王様とは違い、可愛い幼馴染もいなければハーレム能力も持ち合わせていない。

 高校入学時に友人と離れ、クラスでは孤立。

 そのまま登校の意味を見失い、引きこもりとまではいかないものの、必要最低限の行動しか起こさず。

 週に一回日光に当たれば上出来である。


 そのようなもやしっ子なため、女子からモテることも無く。どこかの桃色魔術師のように二次元にどっぷりと浸かってしまい。

 このような残念な風体へと変貌してしまったのだ。



 ユウトは玲瓏な瞳を薄く開くと、何やらムワッとした体温による熱気を感じた。

 汗臭いような湿っぽいような、ただただ不快でしかない外気を感じ、訝しげな表情を浮かべて弱々しく目を擦り。


「――ん、」


 起きた。

 可愛らしく口端を緩めて小さくあくびをかまし、ネコのように目を細めて身体を伸ばす。

 まだ若干夢見心地な顔をしたユウトは、その虚ろな双眸で薄暗い空間を見渡した。


「救世主!」

「異世界から勇者が降臨なさった」


 辺りに座り込む人々はお互いの顔を見合いながら、各々の喜びを分かち合っているようだ。

 言葉は通じるらしいが、話の内容を聞き違っていなければ、ここは異世界のようである。

 ユウトは自身の姿をもう一度見渡す。

 幼児化しているようでも無く。性別が逆転しているわけでは無さそうだ。

 彼が今までに読んだ異世界小説では、転生して生まれ変わったりTSして女体化しているものなど多々あったが。

 どうやらそのどちらにも当てはまらないらしい。

 落下した衝撃や状況から察するに、何かしらの理由によって異世界へ召喚させられたようだ。


 ユウトは先ほどの嫌な痛みを思い出し、思わず顔をしかめるが。

 腰から垂れ流しになっていた髄液は跡形も無く乾き、全身が痺れるような激痛も完全に消え去っており。

 彼の中で、一つの事実を理解する。


 ――魔術が発達した世界か、日本より非常に科学が発達した世界だろう。


 そうでなければ、腰を打ち付けて死にかけている彼を救うことはできない。

 日本の医療技術でもゆっくりと時間をかければ可能かもしれないが、空腹や尿意を感じないところから、まだそこまで時間が経っていないと推測される。


「あの、」

「おお。勇者様がお目覚めになった!」


 全身擦過傷だらけの男が、力強くユウトの手を握り締める。

 肉付きの良くない手をグリグリと揉まれ、ユウトは骨を直接触られているような痛みを感じて顔を歪めた。


「異世界から召喚されし勇者様。是非とも、あなた様のお力を私たちにお与えください」


 実に揃った動きで頭を下げられ、ユウトは目を見開いて困惑する。

 突然呼び出されて腰を打ち、目が覚めたら突如、己の宗教神を崇拝するかのように彼を称える。

 何が起こっているのか見当もつかない。

 彼が今まで見た異世界召喚物語では、アイドルなどとは比べ物にならないくらい可愛らしい少女に呼び出され、自分は実は最強の能力を持っており、その力を見て少女はメロメロ。そしてハーレムを。


 ――というシナリオだ。

 だが、彼の眼前に少女はおろか女性は一人として存在しない。

 いるのはむさ苦しい男性と、しなびたトマトのようにシワシワな性別不詳の生物のみだ。

 エルフでも獣人、亜人でも無い。

 伺うような視線を向ける、引きこもりから見ても暗そうに思える人々のみ。


 ――しかも。


 彼がやっていたゲームとは、テレビジョンに繋いで行う任○堂のパーティゲームである。

 オンラインゲームでも無ければ、むろんRPGでも無い。

 MMORPGを行っている最中に異世界に送られる。などなら聞いた事があるが、複数人対戦レースゲームを一人寂しく行っている途中に、突如リビングの床が抜けるなど前代未聞である。

 しかも見たところ神様チートなども無さそうであり、ハーレムの“ハ”の字も見当たらない。

 お先真っ暗。一寸先は闇である。



「どーすんだ。これ」


 勇者と称えられ、辺境に召喚された。

 だが彼には何の特殊能力も無い。

 せいぜい縄跳びであや二重跳びを二十回引っかからずに跳べる。と、その程度だ。

 あとは、二十時間以上ぶっ続けでパソコン画面を見ても目が疲れない、とか。


「……あの」

「何でしょうか。勇者様」


 期待に満ちた顔を向けられ、ユウトは言葉を発せなくなる。

 お人好しであり、人の頼みを断れないところが、彼の長所であり欠点なのだ。

 期待されれば結果を出そうと頑張ってしまい、身体を壊し。

 他人の手伝いばかりして、自身の課題が終わらなかったりと。

 その度に情けなさに押しつぶされそうになり、結局この有様だ。


 ユウトは深く深呼吸をして心を落ち着かせてから、真剣な面持ちでゆったりと己の意思を語りだす。


「俺には何も、強いところはありません。……はっきり言って、同年代の人と喧嘩すれば、相手が女の子でも負けます。こんな俺でも、良いんですか?」


 ユウトは恐る恐る顔を上げる。

 どのような視線を向けられるのだろうか。

 蔑みの目線を向けられ、『不必要!』とでも言われて帰らせてもらえるか。

 ユウトは早く帰りたかった。

 別に元の世界に未練があるわけでは無いが、チートもハーレムも無い世界で暮らしても面白くもなんともない。

 特殊能力も無しでハードモードな異世界召喚など求めていない。

 それなら家でゲームやってアニメ観てた方がマシである。


 だが、彼らから発せられた言葉は、無情にもユウトが望む“それ”とは違った。


「大丈夫です。異世界人とは可能性の塊のようなもの! 私どもが、精一杯の力をもって勇者様を最強の戦士に成長させてみせます」




 ◇




 テキパキと手際よく着替えさせられ、神保は皇帝の時期より一ランク高い衣服に身を包む。

 技師タイラーお手製の頑丈な衣装であり、別に闘うわけでも無いのに耐久性抜群という妙な作りをしている。

 表情一つ変えないメイドたちは手早く着替えを終わらせると。神保が部屋を出ると同時に足並みを揃えてゾロゾロと後をついて来る。


 これが今現在神保の日常生活だ。

 朝から晩までメイドさんに囲まれ、夜は幼馴染と魔術師を交互にいただく。

 一度アキハにメイド服を着せて楽しんだこともあるのだが。神保はそれからしばらくロリメイドに目覚めてしまい、ロリという二文字からは酷くかけ離れた体型をしている萌に嫉妬され、それ以来やっていない。

 萌にも着せたことはあるのだが、やはり萌は制服が良い。――などと色々思い出していると、思わず口元が緩んでしまう。


 神保は両手でパシンと頬を叩き、気持ちを引き締める。

 今日は大切な来客があるのだ。

 それも何やら重要かつ迅速な対応を求める用件らしく、メシュにも同席してもらう事となっている。

 メシュは神出鬼没で時間厳守をモットーに生きているような方なので、行動を共にする必要性が無い。

 そのため神保は今現在、一人で王宮内に備え付けられた応接室へと向かっている。

 メイドたちは、付いてくると言ったのだが。神保は久しぶりに“一人”というも

のを体感したくなり、無理を言ってメイドたちの追従を止めたのだ。




 神保が応接室に入ると、案の定メシュは春色笑顔を振りまきながら部屋の隅に置物のように佇んでいた。

 向かい合って鎮座されたソファには見慣れた少女が神妙な顔つきで座っており、背後には逞しい顔つきをした巨漢が腕を組んで立っている。

 どうやらボディガードのようだ。


 神保は軽く会釈をしてからソファに腰を下ろし、小さく頷くと。隅っこに佇んでいたメシュが極自然な動作で歩み寄り、神保の隣にちょこんと座る。

 しばしの沈黙の後。

 少女は「ふぅ」と吐息を漏らし、重々しく口を開く。


「ポウロ国に、とうとう反逆者が出たわ。姫である私を暗殺しようとしてたみたい。一応お父様が阻止して、暗殺は未然に防ぐことができたけど」

「それはロキスでもニュースになってましたよ。今では誰もが知っている重大な事件でしょう。……わざわざ姫君様本人が出向いたと言うことは、何か他に、国に関する事件が起きたのですか?」


 神保が口を開くより先にメシュがまくし立てるように応え。神保はいささか寂しさを覚えながらも、意味も無く腰の位置を直して場を持たせる。


 姫君は小さく繊細なお手手をギュッと握り締め、悲痛の表情を浮かべる。

 無理もない。自身が最も信頼しなければならない、“国民”に裏切られたのだ。

 まだ幼い姫君には、衝撃的すぎる事件だったであろう。

 姫君の握りこぶしから徐々に力が抜け、額に寄っていたシワも姿を消す。


「その、反逆者たちなのだが。数日前にカーマ・コンに住む術者の元を訪れたという情報が入ったのだ」

「術者ですか?」


 魔術師とどう違うのか、と神保が思考していると。隣に座るメシュが口元を手で隠しながら、溜息を着くかのようにソっと疑問の答えを教える。


「魔術師との違いは特にありません。単にどう名乗っているか、ってだけです。アキハさんも、ご自身を“術者”だと言えば術者になります」


 丁寧な説明に神保は『なるほど』と小声で呟き、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる姫君の顔を見据える。

 姫君は神保の視線に気づいたのか。歪んだ顔を戻し、無理に笑顔を作ると、神保の瞳を見つめ、真剣な声音で重々しく告げる。


「実はですね。……その術者の手によって、異世界から反逆勇者が召喚されたらしいのです」

「反逆勇者……」

「いわゆる。クーデターなどを起こすために召喚される、国家や世界にとって不都合な異世界人のことですわね」


 もの知らずな神保にさりげなく意味を伝え、メシュは困ったような顔をして溜息を吐く。

 姫君の双眸から雫が垂れ、声に嗚咽が混じり始める。


「しかもっ……。私だけならともかく、そい、そいつらは、」


 涙とは、一滴でも落ちると、そのまま歯止めが効かなくなる。

 止めどもなく溢れる涙を腕で拭いながら、姫君はグズグズと鼻を鳴らす。

 メシュと神保は彼女の精神状態が落ち着くまで待っていようと思ったのだが、姫君は嗚咽を漏らしながらも、真っ赤に腫れた瞳を神保に向けると。

 聴くだけで胸が締め付けられそうに悲痛な声音で、喉から絞り出すように一生懸命言葉にする。


「この世界を支配する帝王。神保さんをも殺そうとしてる……」


 メシュのキツネ耳がピクンと立ち上がり、大人しく丸まっていた尻尾も忙しなく上下し、バタバタとソファを叩く。

 表情こそ普段の春色笑顔だが、内心では非常に激昂していることが見受けられる。


 泣き腫らした双眸を二人に向け、姫君はメシュの手を強く握り締める。

 瞳は涙によって濡れていたが、強気な視線を向け、力強い声音で彼女自身の思いを言い放った。


「兵を集めて下さい。それと、絶対に神保さんを守ってください。お願いします」


 強く握り締める手から力が抜けると、その小さくて頼りない姫君の手を、メシュは優しく包み込む。


「ええ、分かったわ。喩え私の生命が消滅したとしても、神保のことを絶対に守ります」


 非常に頼もしい声音で、メシュは姫君にその意思を堅く誓った。

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