最終章プロローグ「異世界勇者、召喚される」
ロキス国皇帝。
この肩書きを使う日は、今日で終幕を迎える。
皇帝の座に着いてからも、神保は多忙に困窮したりなどもせず、至って落ち着いた状態で執務をこなしてきた。
実際皇帝が行う仕事の大半は、皇帝秘書という立場になったキツネ耳のメシュがテキパキと華麗にこなし。
神保の肩の荷が重くなるようなことは無かったのだが。
彼は自身の背後で何が起こっているのか、詳しい内容を一切知らされていなかった。
何もせず淡々と皇帝の椅子に座るだけ。
時折ジャスミンとメリロットを膝に呼んでは、真新しいベッドに身を投げて極上のご奉仕タイム。
夜は萌とアキハが代わりばんこに夜這いをかけ、毎晩精一杯の愛情を込めて可愛がる。
制服を着たままの萌が一番良い――などと言った桃色が全開なお惚気話は置いておいて。
皇帝の地位に着いてからは、色々とハードな異世界生活を送っていたため、神保は心身ともにやつれていた。
実際神保はこの生活のために、一時生死の境をさまよいかけたこともある。
萌とアキハばかりズルいと言われ、エーリンとリーゼアリスの親娘に挟み込まれて一晩中遊ばれたのだ。
何時かのゴクウのように干からびた神保は、メシュの蘇生魔術によって、そのまま死に絶えるなどということにはならなかったのだが。
淫魔母娘を部屋に入れることを一切禁じられてしまった。
だが実際。欲望の塊で出来ているような淫魔に、その衝動を抑えさせることができるはずも無く。
翌日リビングにてミイラ化したゴクウが、清掃中のジャスミンによって発見された。
ジャスミンはそのまま放置して掃除を開始させたらしいが。
メシュによってまたしても、吸い取られた精力を蘇生させられたらしい。
結論。淫魔相手に男性一人にすると最悪死ぬ。
上記の論理を他の住人たちに叩きつけられ。淫魔母娘は時折森林へと外出し、今まで通り見知らぬ冒険者やオークなどから吸い上げる、ということで一応は同意を得た。
◇
暖かな日差しが差し込み、神保の部屋を鮮やかに塗りつぶす。
皇帝秘書メシュの行動力と営業力は、この世のものとは思えないほどに、『流石』というしか言葉が無い。
メシュも異世界人らしいが、その世界はもしかすると詐欺などが日常的に行われているような世界なのでは無いか。などと疑ってしまう。
皇帝まで上り詰めただけでも末恐ろしいと言うのに。あの春色笑顔なお姉さんは、世界各国を回っては国々の第一人者を丸め込み、数ヶ月もしないうちに一気に“秋葉神保”の名声と活躍を肥大させて伝達した。
しかもそれは、メシュだけでは無かったらしい。
田舎へ十五年ぶりに帰宅したキル・ブラザーズ。
世界各地を冒険する、伝説の冒険者アックス。
壮大な人数で創られた派閥であるフリーゼン集団。
ポウロ国姫君お墨付きの料理人オッキーナ。
ミジュルン村ギルド受付嬢のメイドさん。
他にも旅先で出会った大勢の方々が秋葉神保の功績や武勇伝を広め、ロキス国を飛び越え、世界中に神保の名前が拡散されたのだ。
最初はポウロ国であった。
幼い少女である姫君から、ロキス国皇帝への贈り物だと言われ届いたメイドさん。
ざっと数十人以上のメイドさんが転移魔術により連れてこられ、風化して没落していた王宮内が一気に華々しくなった。
次にゲンキョー・ソウからゲンソウ酒が届き、『いつでも力になるぞ!』という内容の手紙がアックスから贈られた。
今現在アックスは、レータスやクリーフと世界各地を渡って“ギルドのお助け隊”のようなことをしているらしいが。どこに行っても、神保の名前を知らない職員や受付嬢はいないと言う。
ミジュルン村ギルドからは、何と唯一の受付嬢であるメイドさん本人が転移されて来た。
パーティグッズであろうネコ耳と尻尾を蓄え、うっとりとした双眸を神保に向けて愛らしく微笑んでくれたのだ。
ちなみに彼女はジャスミンとメリロットに親近感が湧いたらしく、三人で仲良く王宮の仕事をしている。
ご奉仕も任せてください。などとも言われたが、背後から萌やアキハの冷たい視線を感じたので、それに関してはやんわりと断った。
神保は数人のメイドさんに手伝わられながら、ジャージ生地の寝巻きへと着替えている。
仕事と割り切っているので、メイドさんたちは神保を着替えさせる最中に余計な言葉を放ったり、顔を赤らめたりということは無かったが。
繊細かつ汗が滲む指先で身体中をペタペタと触られることに、どうしても慣れることができず。
未だに神保はお着替え後、鼓動が正常より速くなってしまっていた。
神保はベッドに身体を転がすと、ふと脳内で“今日はどっちの日だったか”を考える。
萌は激しい方が好きらしいが、アキハは繊細な身体をしてるためか乱暴に扱うと直ぐに気を失ってしまう。
男としての神保は、大袈裟ともとれるアキハの反応の方が嬉しいのだが。己の満足感だけのために、抱きしめただけで壊れてしまいそうなほど華奢な少女を、毎度毎度危険に晒すわけにもいかず。
その辺りは一応、倫理的に行動しているのだが。
「……あれ。昨日は、そっか。待ったけど、二人とも来なかったんだっけ」
その事実を思い出した途端、神保は何とも言えない寂寥感を覚える。
高ぶっていた感情も、風船が萎むように抑えられ。
神保の全身を支配していた高揚感は、まるで夢から覚めたようにスーっと消失した。
神保はふと窓から星空を眺め、布団を頭まで被って眠りの姿勢に入る。
寂しさを覚えながらも、脳内で奈○様の歌をリピートさせて不安定な心情を落ち着かせようとしたのだが。
「――あれ。神保、もう寝ちゃったの?」
一曲目が丁度終わりに差し掛かったところで、扉が開く音とともに愛する幼馴染の声が部屋に響く。
ペタペタと絨毯と素足が触れ合う音が近づき、ベッド脇に誰かの気配を感じられ
た。
何かを期待するような甘い吐息が耳に入り、寂寥感に苛まれていた神保の心情は、徐々に温まっていく。
神保を包み込む布団が優しく捲られ、窓から差し込む煌びやかな星光に照らされる。
「ん。起きてた」
萌の温かな指先が神保の頬に触れ、タッピングするように優しくなぞる。
何とも言えない安心感を得て、神保は思わず頬を緩める。
瞳を隠す前髪を手で払い、萌は神保の素顔を晒してうっとりと微笑む。
「昨日来なかったから、拗ねちゃった?」
萌の手が頭を撫で、神保はとろけるような感覚を覚えながらネコのように喉を鳴らす。
最高の心地よさに耐え切れず。堪らず神保は萌に向かって手を伸ばしたが、萌はその手を優しく包み込むと、玲瓏な微笑を向けて小さく首を振り、甘えるような声音を出す。
「待ってて。今日は私だけじゃ無いの」
萌の微笑みを見つめていると、またしても素足と絨毯が触れ合う足音が聞こえた。
身体を起こして扉の方を見やると。桃色をした枕をギュッと抱きしめたアキハが、期待に満ちたような表情を浮かべて神保の姿を見つめている。
若干内股気味であり、視線もチラチラと外れては、時折頬を淡く染める。
しばしの間モゾモゾと身体を揺らしていたが。意を決したのか、アキハは枕を抱えたまま神保の座るベッドへとダイブした。
「――んえ?」
「神保くん」
四つん這いになりながらアキハが近寄り、掛け布団越しに神保の身体に覆いかぶさるような格好になる。
頬を桜色に染め上げ、時折誘うように唇の端っこをペロリと舐める。
神保は思わずその様子に見とれていると。準備が整ったらしい萌が、全身を艶かしく揺らしながら神保の入る布団へと闖入して、愛らしく目を細める。
「今日は、アキハも一緒」
「神保くん、今日は三人で遊ぼう?」
アキハに見とれている内に、神保自身をも萌は手際よく整えて、玲瓏な微笑みを向けて優しく頭を撫でる。
アキハも準備を終了させ、愛くるしい猫なで声を鳴らしながら神保に飛びついた。
甘く切ない声を響かせ、三人はそのまま同じ場所で朝を迎えた。
◇
カーマ・コン。
ロキス国から見て――ゲンキョー・ソウよりも遥かに東方に位置する街である。
そこに一人の術者がいた。
召喚術を極めし魔術師であり、死人のように白くシワクチャな顔を挙動不審に揺らし、薄暗い部屋の中に何十年も閉じこもっている。
彼は外の世界で起きていることを知らなかった。
自身を中心に世界が廻っていると考える、典型的な自己中人間であり。
自身の気に食わない事象からは、逃避するか無理やり捻じ曲げるかのどちらかであった。
彼は静かに暮らしたかった。
辺境のような地であるカーマ・コンに近寄る者は誰もおらず。数十年の間、彼は一人静かに引きこもり生活を送っていたのだが。
いつしか、ロキス国の冒険者や勇者がたむろするようになり。カーマ・コンの地から静寂を奪われた。
彼は知らぬことだったが。
ロキス国で秋葉神保が無限迷宮を踏破し、ギルドの依頼によって未開地を開拓する作業に駆り出されていただけだったのだ。
だが、彼にとってそれらは暮らしを邪魔するだけの反乱分子。
彼は無意味にその原因を恨んだ。
自身の過ごしやすい環境を崩壊させようとしているのは誰なのか。
そんな時、彼の元に訪問者があった。
ポウロ国から来たという数十人の住民だった。
いわゆる国家に反逆を唱えた集団であり。ポウロ国の時期国王が女性であることに反感を持った人々で創られた、一種の過激派だったのだが。
その姫君が突如、ポウロ国の領地や政治を全てロキス国に吸収合併させ、ロキスの配下になることを全国民の前で宣言したのだ。
姫君を慕い、ポウロの政治に肯定の意思を持っていた国民でさえ、意義を唱えた今回の決定事項。
立場を利用した横暴だと罵られ、少数派だった反対派はその日の内に膨れ上がった。
力をつけた反対派集団は、姫君を暗殺し、ロキス国――改めロキス帝国の帝王秋葉神保をも抹殺する計画を立てたのだが。
姫君暗殺の計画を国王に悟られ、八割近くの人間が投獄、殺害され。術者の住処に現れたのは、命からがら逃げてきた負け犬の生き残りだった。
最初、術者は人々に嘲りの視線を向けた。
国家に反逆を唱え、失敗して、残党が逃亡する。
何たる愚行であろうか。
だが反逆集団は、自分たちを軽蔑した術者に怒りをぶつけることも無く、逆に真摯な心をもって一つの事を懇願したのだ。
――異世界から救世主を召喚して欲しい。
残党たちを軽視していた術者だったが、その言葉を聞くと、彼は非常に興味を持った。
彼が極めし魔術こそが、現在必要とされている召喚魔術。
数百年前は盛んだったらしいが、近年異世界からの召喚記録はほぼ皆無と言っていい。
数十年前から引きこもっていた術者は、秋葉神保と代々木萌の召喚記録情報を認知していなかったのである。
それから術者は、自身の住処に仕舞い込まれた古書物を何十冊――何百冊と読みふけり、異世界からの召喚術を検索し始めた。
彼にとっての至福とは、自身の研究が世間――人々に認められ、必要とされることである。
事実難しいことだ。
世間に必要なことであれば、自身より先に誰かが行っている。
誰も行っていないことであれば、それは他不特定多数に人々がそのことを必要としていないからであり。
必要とされるものの開発者に自身がなることとは、非常に難解な事象なのである。
幾度となる失敗。
古書物の通りに行っても、召喚されるものは虫や化け物ばかり。
近年再復興され、驚くべく進化を遂げた最新魔術を彼は知らない。
血反吐を吐くような思いで古書物にかじりつき、術者は自身の知る範囲内で召喚魔術を進化させていく。
――こうして。
一人の異世界勇者が召喚された。




