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第六十六話「幼くも聡明な姫君」

 ロキス国西方に位置する国、ポウロ国。

 ロキスに引けをとらない広大な土地を持ち。この国の民たちは、ポウロ国シルファイ街のことを“中心街”と呼んでいる。


 ポウロ国中心街。

 多数の宿屋で埋め尽くされているロキス国中心街とは打って変わって、個人経営の料亭が満ち溢れている街である。

 道端にゴミ一つ落ちていない綺麗な街であり、食欲をそそる良い匂いが四方八方から漂っているのだ。

 分厚い肉を焼いたような香ばしい香りが広がる料亭や、焼きたてのパンが陳列された食堂。

 レンガ造りの煙突から調理中の香りを放出しているらしく、各々の店に近寄るだけで腹の虫が盛大に泣き喚く。


 探索者オッキーナは胸を張って悠々と中心街を歩く。

 その後ろを先程から空腹そうな三人が恥ずかしそうに俯きながら歩み、四人はオッキーナが経営するという料亭へと足を運んだ。




 オッキーナは“準備中”と書かれた看板を入口に立てかけると、実に慣れた手つきで三人を店内に誘導する。

 空腹に押しつぶされそうな神保たちは椅子に腰掛け、ぐったりとテーブルに突っ伏して待つ。


 待つこと数十分。

 空腹を掻き立てる良い香りのする料理が運ばれて身体を起こすと、三人は飢えた野獣のようにギラついた双眸を料理へと向ける。

 まるで元から皿の上には何も乗っていなかったのでは、と思えるほどに綺麗にたいらげると。ようやく三人は安堵したように溜息を着く。

 一時はどうなるかと思った。

 深い森林に突如飛び込み、転移魔術を発動しようにも方角が分からない。

 死を覚悟する。とまでは行かないものの、かなりの心労を請け負ったことに違いは無い。


 椅子に深く座り、皆思い思いの食休みをしていると。

 突如調理場からオッキーナが飛び出すと、料亭の扉を開け、誰もいない外に向かって深々と頭を下げる。

 その行動に疑問を持った神保は、ピリピリと緊張の糸が張り巡らされた空気を全く察すること無く。平然とした口調で、姿勢良く腰を折るオッキーナに向かって質問をぶつけた。


「あの、誰に頭を下げてるんですか?」

「…………」


 彼は答えなかった。

 だが神保は怒りの感情を見せること無く、隣で幸福感溢れる表情を見せる萌を見て、穏やかに微笑みを見せる。


「オッキーナさん、何してるんだろうな」

「うぅーん……。まさかとは思うけど、暗に『早く帰れ』って言ってるんじゃ無いよねぇ……?」


 心配げにメシュの顔を見たが、彼女は食後の紅茶を幸せそうに啜っており。二人の視線を感じたのか、「うふふ」と玲瓏な微笑みを優しく向けられた。








 太陽の光を浴び、少女は細く純白な腕を天へ向かって伸ばす。

 黄金色のかった茶髪を乱暴に掻きむしり、身につけた寝巻きを乱雑にむしり取る。

 あっという間にすっぽんぽんとなった少女は、お日様の光が差し込む大窓の前まで歩み寄り、もう一度盛大に伸びをした。

 しばしの間、彼女はその処女雪のように汚れのない身体を日光に晒していたのだが。

 忙しなく床を踏みつける音とともに、部屋のドアが乱雑に開け放たれ、優雅に楽しんでいる日光浴に今日もまた終わりを告げることとなった。


「姫君様! 毎度毎度申し上げてますが、将来一国を背負う立場にある女性がそんな姿を外に晒さないでください。……もし姫君様の身に何かあったら、私、どうしたら良いか……」


 芝居臭いアクションをとって「よよよ……」と崩れ落ちるメイドの前に駆け寄ると、少女はメイドの前で小さな胸を張って悠然と仁王立ちをすると。

 眼前で座り込むメイドを見下すような目を向けて、強気な声音で言い放つ。


「心配しなくて大丈夫よ! だって私、まだ十歳にもなってないのよ。こんな魅力の欠片も全く無い童女の裸体を見て、変な感情を持つ方がおかしいと思うわ。ね、そう思わない?」


 繊細な腰回りを撫で回し、ポウロ国姫君は実にごもっともな発言をする。

 崩れ落ちたメイドは目の前で仁王立ちする少女に、カタカナ四文字の邪悪なる性癖の存在を暴露しようかとも思ったが。

 純正な姫君に余計なことを教え込む必要も無いと考え、悔しげに拳を握り締めてグッと我慢した。


「はい、その通りでございます」

「でしょ? そうだ。今日、お昼外食の日よね。いつもの料亭に行くから、あなたたちも早く準備してちょうだい」


 そう言ってお姫様は口元からチャーミングな八重歯を覗かせると、真っ白な身体をまるで見せつけるようにしてメイドの前を素通りし。

 妙な露出癖を持った姫君を見送ったメイドは、側頭部に頭痛でも感じたかのように頭を抱え、盛大に溜息を吐いた。




 ◇




 美麗な衣装を着込み、その上にグレーのフード付きパーカーを羽織る。

 どこからどう見ても“普通の女の子”な格好をした姫君は、初めて遊園地に連れて来てもらった少女のように嬉しそうな様子で駆け出した。

 後ろからシックな外出着に身を包んだメイドたちが、大名行列のようにゾロゾロ連れ立って付いてくる。


 これでは前方を歩く少女が姫君であることを隠しきれていないのだが、現在ポウロ国には、この姫君以外に後継はおらず。

 姫君の身が危ぶまれる状況はどうしても避けなければならないので、こうして膨大な人数で護衛につかなければならないのだ。


 姫君は整備された道路をクルクルと回り、時偶振り返っては、姿勢良く歩むメイドたちを急かすように手招きする。


「ほら、早く!」


 その光景を微笑ましく思いながらも、メイドたちの空気は若干ピリピリしていた。

 週に一回だけ許可された姫君の外食。

 幼い姫君はその唯一の外出を毎日のように心待ちにしている。

 向かう店も既に決定済だ。

 毎週同じ時間に扉をくぐり、毎回店主が精一杯のオモテナシを魅せてくれる、最高の料亭である。


 だがその店の店主は、今朝早くに中心街外れに位置する森林に、とある珍味を探しに出かけたと知らせが入った。

 資源や食物が多く採れる素晴らしい地ではあるが。ロクに武装せずに闖入すると、非常に獰猛な魔獣や魔物に襲われ、肢体を粉々に粉砕されて食い尽くされてしまうのだとか。

 王宮の武官が数十人で時折掃討作戦を開催しているらしいが、魔獣は頭が良く、例え相手が人間だろうと“群れ”や集団には近寄らないらしく。大した結果は出せていないらしかった。


 姫君の駆ける方向を見れば、彼女がどこへ向かおうとしているのかは大体理解できる。

 この先にある料亭は、独特な外国料理や郷土料理を専門に出す店であり、童女である姫君が好むような食物は存在しない。

 行くとすればその先。

 まるで隙間を好むヘビのように、元から存在していた料亭の間に建てられた小さな店。

 珍味を探しに森林へと向かった店主が営む、姫君一押しの料亭。


 オッキーナの料亭だ。








 神保たちは食後のお茶をゆったりと啜り、実に優雅なひと時を楽しんでいた。

 穏やかに微笑む美麗なお姉さんに、甘い笑顔を向ける愛くるしい幼馴染。

 文字通り“両手に花束”な神保は、妖艶な香りが立ち込める紅茶を啜り、仄かに溜息を吐く。

 そして、今度は蚊の鳴くような囁き声でメシュに問いかける。


「ところで、さっきからあのオジサン、何でずっと外に向かって頭を下げているんだ?」


 神保としては、この世界にそういった習わしや習慣があるのかと思い、異世界歴の一番長いメシュに問いたのだが。

 メシュはカップを口から離すと、歌声のように軽やかな声音で穏やかに応えた。


「存じ上げませんね。ですが、何かしら理由があるのでしょう」

「鑑定魔術って、人の心が読めたりはしないんだな」


 残念そうに呟く神保を見て、メシュは思わずクスリと声を漏らし。玲瓏な微笑みを作り、小動物を愛でるように愛らしく目を細めた。


「あらあら。流石の鑑定魔術でも、人の心を読んだり透視したりはできませんよ。……でも、まぁ、目の前にいる人が“初体験”を済ませたかどうか。程度なら、」


 女の子が出すにはふさわしく無い汚らしい音が響き、紅茶を口から吐き出しかけた萌が顔を背けて盛大に咳き込む。

 神保も若干顔を赤らめ、伺うような視線をメシュに向けてはそっと目を逸らす。

 その様子をそっと眺めたあとで、メシュは半ばからかうような口調で続けた。


「挙動で分かります。……流石に鑑定魔術では分かりませんけど」


 邪気を感じさせない春色笑顔を振りまく、キツネ耳なエルフメシュをしばし見つめ。ともに捧げ合った二人は、ゆでダコのように顔を真っ赤に染め上げ、俯いたまましばらく顔を上げることができなかった。




 しばしの沈黙の後。

 突如外が騒がしくなった。

 ざわめくような民衆の声。そして、はしゃぐような少女の高い声音。

 綺麗に揃った足音が地面を踏み鳴らし、数十人以上の気配を感じさせる。

 刹那。グレーのパーカーを羽織った少女が、とびきりの笑顔を振りまきながら嬉しそうに入店する。

 興味津々といった様子で店内を見渡し、入り口付近で丁重に頭を下げるオッキーナの顔を覗き込むと。愛らしい口元から小さく八重歯を見せ、聴いた方まで楽しくなるように美麗な声音で、元気よく発す。


「来たぞ! 今日のオススメを頼むのだ!」

「承りました。少々お待ちを、本日手に入れた最高の珍味がございますので」


 オッキーナは凛々しく面を上げると、まるで高級レストランのウェイターのように無駄の無い動きで厨房まで向かう。

 少女はその姿を見送ってから、一番奥に位置する四人用テーブルを独占すると。

 幸せなネコのように目を細め、ふと気がついたように神保たちの方を一瞥する。


「あら、珍しい。オッキーナが定休日にお客様を入れるなんて」

「ええ。あの方々は私の命の恩人なのですよ」


 厨房から顔を出したオッキーナは、嬉しそうにニコリと微笑む。

 その言葉が外まで聞こえたのか。突如店の扉が乱雑に開け放たれ、数人のメイドが店内に飛び込み、小さく一礼する。


「やはり。森林で襲われたのですか?」

「ええ。見かけより獰猛な魔獣に殺されかけまして、あちらのエルフさんのおかげで、今の私はここに立てています」


 忙しなく駆け寄るメイドたちを迎えるように、カップを空にしたメシュは静かに立ち上がり。

 床に膝を着いて感謝の辞を示すメイド集団の前で、穏やかな笑みを見せて「あらあら」と普段通り呟く。


「そんな。大丈夫です。ただ、当然のことをしたまでですよ」


 普通に聞くと嫌味のようにしか聞こえないのだが、メシュの出す愛くるしい春風ボイスだと、そのような雰囲気は一切感じさせない。

 メイド集団は訓練でもされているのか、全く同じ角度で顔を上げると、姿勢良く立ち上がりもう一度深々と頭を下げる。


「オッキーナ様のお料理は、姫君様がこの国で何よりも好んで食すものなのです。私ども、いえ。この国において必要不可欠なお方なのです。改めてお礼を申し上げます」

「あらあら」


 大勢のメイドに深い感謝を示されるという、通常なら戸惑ったり困惑したりするような状況だが。

 メシュは全く動じることも無く、小さく吐息を漏らすと。


「あの、こんなことを申して良いか分からないのですが、」

「何なりと!」


 インテリ系のメガネをかけたメイド長らしい女性が一歩前に出ると、胸の前に手を当てて真剣な眼差しでメシュを見据える。

 メシュはメシュで、そんな緊張感のある空気をものともせず。普通に日常会話を話すような勢いで、実に安定して落ち着いた声音で自身の願いをメイド長に伝える。


「ポウロ国王宮殿の家臣や武官様を、数十――いえ、数百人ほど貸していただけませんか?」

「はい、喜ん――はへ?」


 いかにも生真面目そうな風貌をしたメイド長は、可愛らしい素っ頓狂な声を上げ、まるで珍獣でも発見したかのような眼差しでメシュを凝視する。

 インテリ系なメガネがずり落ち、ドジっ娘属性を付けたくなるような困惑した表情を浮かべていた。


 しかし流石メイド長。

 一つ小さく咳払いを行うと、すぐまた真剣な面持ちに戻り、スっとメガネの位置を直すと、実に事務的な声音でメシュに問いかけた。


「かまいません。ですが、そのような人数の武官と家臣を、一体何に使用するのか。それだけでも、お訊きしてよろしいでしょうか?」


 メイド長とメシュの難しい対話を、足をバタバタさせながらくつろぐ姫君は、何やら難しそうな表情で静かに聞いている。


 脱ぎグセはあるが、十歳に満たずとも実に聡明な姫君であり。彼女は二人の話している内容が、国にどのような影響を及ぼすのかはっきりと理解しているのだ。

 だが、姫君はメシュの願いを謝絶しない。

 むしろ、彼女は面白そうに眺めている。

 姫君の視線を感じ取ったか、メシュは半瞬間だけ背後を振り返った。

 そして軽く微笑みを見せると、頬に手を添えたナチュラルのポーズをとり、まるで子守唄を歌うような声音で穏やかに言い放つ。


「ロキス国を乗っ取るためです」


 ピクリ。と、姫君の眉が動いた。だが、特に怒りや困惑を、そのあどけない表情には出していない。

 姫君は処女雪のように真っ白で繊細な脚を組み直し、おとぎ話の続きを急かすような顔をしてメシュを見つめる。

 メイド長は表情こそ微動だにさせなかったが、身体が酷く戦慄していることが分かる。

 震える唇が、言葉を発せなくしているようだ。

 メイド長はメシュと同じように頬を手で支えると、動揺しきった表情で小さく顔を上げ、平然とした面持ちで佇むメシュに向かって問いかけようと口を開きかけたが。

 それを遮るように、メシュは強い口調で言葉を発す。


「そして、最終目的は全世界の統一化です」

「――!」


 メシュの爆弾発言により。メイド長は声にならない叫びをあげ、それ以上何も言えなくなってしまった。


「面白そう!」


 肯定の辞を示したのは、他でも無い姫君だった。

 よく通るロリボイスを響かせながら、小動物のようにちょこまかとメシュに駆け寄ると。姫君は、顔の前に現れたキツネ尻尾をギュッと抱きしめる。

 モフモフして気持ちが良いらしく、ぷくっとした頬を夢中で擦りつけている。

 メシュも満更では無いようで、「あらあら」と呟くと。彼女の尻尾にしがみつく姫君に、メシュは語りかけるように穏やかに言う。


「では、許可をもらえるでしょうか?」

「良いよ! でも、ちゃんと返してね。誰か一人でもいなかったり、別の人になって帰ってきたら、絶対許さないから」

「大丈夫ですよ。別に戦いを挑むわけではありませんから」


 何でも無いかのように呟き。その言葉を聞いた姫君は、不思議そうに首を傾げる。


「戦いに使うんじゃ……無いの? じゃあ、キツネさんは、私の家臣と武官を何に使うの?」

「制圧です。没落したロキス皇帝の王宮を潰します」


 メシュの吹雪のような発言は、春風のように優しいボイスで店内を通り抜けていった。

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