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第六十五話「メイド・エルフ・幼馴染、そして魔獣」

 ギルドの奥へと神保たちは誘導され、小さな客室に通された。

 いかにもレトロな雰囲気を醸し出す木造の部屋であり。壁には、青白い魔力を灯しながら時を告げる、焦げ茶色をした縦長の掛け時計がかかっている。


 メイドさんの格好をした受付嬢は、フリフリスカートの端を指先で押さえ、コンロのような魔術器具でお湯を沸かしていた。

 火を点ける際に腕を捲くって「えい!」と両手を突き出すアクションをとり。三人の来客はその様子を見て、小動物を愛でるように穏やかな表情で優しく微笑んだ。


 しばしの間待つと。メイドさんの手によって、四つのティーカップがテーブルに並べられる。

 甘い香りを漂わせながら、三人の前に一つずつカップが置かれると。

 メイドさんは小さく会釈をして。部屋の隅から木製の椅子を持ってきて、お人形さんのように姿勢良く腰を下ろした。


「どうぞ。お砂糖もいっぱい入ってます。冒険の疲労には、甘い紅茶が一番ですよ」


 メイドさんはネコのようにうっとりと目を細め、愛らしい表情で神保たちの顔を順々に見やる。

 時折唇の端を小指で突っついたり、少し照れたように頬を掻いたりと。妙に男心をくすぐるような仕草を続ける。

 神保は思わず見とれてしまったが、不機嫌そうな顔をした萌に、無言のままズボン越しの太ももをつままれ。神保は何かしらを察したような顔をして、メイドさんからわざとらしく視線を逸した。


 そんな様子を見て、メシュは「あらあら」と微笑ましそうに眺めると。カップに口を付け、若干中身の減った純白のカップを受け皿に戻し、普段通りの春色笑顔でメイドさんを見つめ、思い出したように口を開いた。


「ところで、“帝王”ってどう思いますか?」

「あら、政治的発言。皇帝でも国王でも無く、“帝王”ですか?」


 メイドさんはカップを受け皿に置くと。頬に人差し指を当て、玲瓏な笑顔を絶やさずに小さく首を傾げる。

 そのまま小指を立て、薄く開いた唇を妖艶に撫でると。天使のように穏やかな笑みを神保に向け、頬をちょっぴり淡い桜色に染めて。


「帝王様かぁ……。うん、そうですね。私は偉いお方や、大好きなご主人様に“尽くす”ことが好きなので、雇ってほしいなぁ」


 うっとりと神保に甘い視線を送るメイドさんの姿を眺め、メシュは微笑みを絶やさずに返答する。


「あらあら。やっぱり分かっちゃいますか?」

「分かります。……ご主人様は、この世界の帝王になられるんですか?」


 ネコのような可愛らしい笑顔を二人のお姉さんに向けられ、神保は軽く動揺して座ったまま俯く。

 隣で苦虫を噛み潰したような顔をする萌の姿が目に入ったが。微笑みを浮かべる二人のお姉さんは、お互いに顔を見合わせると小さく声を出して笑い合う。


「こう言っては何ですが、今現在皇帝の立場は非常に危ぶまれています。私としては、“ご主人様が支配する世界”には賛成です」

「支配。……支配かぁ。あらあら。神保さん、こんな可愛らしいメイドさんまで、『支配されたい』なんて言ってくれてるわよ」

「もしそのような世になるのでしたら、どうぞ私を呼んでください。夜のご奉仕もお任せあれ! ですよ」

「……あらあら。ダメよ、それは。未来の帝王様には、ちゃんと心に決めた想い人がいるんですものね」


 二人の甘ったるい双眸に捉えられ、神保の顔がみるみる紅潮していく。

 息が詰まりそうなほどふわふわした空気にとうとう耐え切れなくなった萌は、突如ガタンと椅子を鳴らして立ち上がり、空になったカップを丁寧に戻すと。

 敵意丸出しな鋭い双眸を向け、品定めをするように三人を舐めまわすように眺めた。


「お紅茶ありがとうございます。私たちは先を急がなければならないので、」


 言い終わるが早いか否か。

 萌は俯いたまま放熱する幼馴染の襟首を掴み、ソリを引きずるような格好で足早にその場から退出する。

 嫉妬心と、年上のお姉さんたちからからかわられたという決まりの悪さのためか。萌の頬も若干桜色に染まっていたが。

 その様子を見たメシュとメイドさんは穏やかな表情を交わし合い、玲瓏な面持ちで甘い紅茶を啜り、カップの中身を空にした。




 ◇




 お腹に両手を添え、深く頭を下げるメイドさんに見送られ、神保たちはメシュが発動した転移魔法陣に飛び乗った。

 まるでホタルの集会のような、透き通るように淡い光に包まれながら、三人の姿が徐々に薄れていく。

 三人が完全に消え去る直前に、メイドさんは顔を上げ、同性でも心を奪われてしまいそうな愛くるしいウィンクをパチコンと放つと。

 完全に消失したその場所を、彼女はしばしの間物憂げに眺めていた。







 ロキス国から遥か西方。


 神保たちは深い森林の中に転移させられたらしい。



 辺りを囲うのは背丈が高く、例えるなら“豪傑”のように立派な樹木たち。

 生い茂った若葉が日光を遮断させ。暖かさの欠片も無い、冷徹な空間が作られている。

 地面も妙に湿っぽく。一歩足を踏み出すと腐敗した落葉に足を取られ、蟻地獄のようにズブリと沈む。

 幸い“底なし”というわけでは無いので、神保たちはくるぶしまでを落葉に覆われながら、辺りの探索を開始させた。


 耳に響く猿のような鳴き声や、不快感を伴うような鳥の声。

 遠吠えのような音響までが空間を揺るがし、まるで死へと送り届ける交響曲のようだ。

 時折ミミズのような生物が足首に絡みつき、メシュはその度に氷系統の魔術を発動して無慈悲にも生命を根絶していた。


 積雪道を歩くような重々しい足取り。

 靴底に土や落葉が張り付き、物理的にも重くなってはいるのだが。そうでは無く、精神的な理由にて、鉛でも詰められたかのように足を進める速度が徐々に遅れていく。

 進んでも進んでも代わり映えのしない景色。

 どの方向へ行けば森から出られるのかも分からない。そんな状況で、ピクニック気分で森林内を歩ける人間はいないだろう。


 そんな葬式の晩のような陰気臭いムードで一歩一歩を前方へと踏み出していると、突如森林内に情けない叫び声が響き渡った。


「うわぁぁあぁあぁぁあ!」


 強弱のついた低い声。

 刹那。大地を揺るがすような咆哮が、静まり返った森林内を一瞬にして禍々しい雰囲気へと塗り替える。

 神保はメシュに顔を向けて小さく頷くと、それに応えるように彼女は玲瓏に首を傾げて溜息を着くかのように呟く。


「鑑定・千里眼」


 メシュの片目――エメラルドの輝きを持つ方の瞳が開き、透き通るような視線を森の向こうへと向ける。

 神保や萌の視界には生い茂る木々や垂れたツタ植物しか認識できないのだが、メシュの瞳には何かしらの情景が浮かび上がっているらしい。

 しばしの沈黙の後。メシュはエメラルドの輝きを瞼で隠し、普段通りの玲瓏な笑顔へと戻して言う。


「左の方で男性が一人、猛獣みたいな魔物に襲われてるわ。探索者かな? 武器とか何も持ってないみたい。早く助けないと、死ぬかもしれない」


 何事も無かったかのように淡々と言葉を発し、神保と萌は最後まで聞いたところでやっと事の重大さを理解する。

 聞き違いかと思い、二人は困惑した表情でメシュの顔を見据えたが。彼女は表情一つ変えず「うふふ」と温かい微笑みを見せ。


「あらあら。それじゃ、出発しましょうか」


 メシュはモデルのように軽やかなステップで、泥濘んだ土壌を悠々と歩いて行き。二人はお互いに顔を見合わせた後、急いでメシュの背中を追いかけて行った。







 あるところに、竹取のおっさんと言うものありけり。


 森林に潜って珍味を探し求めていた探索者オッキーナは、突如出現した猛獣の重圧的な咆哮に圧倒され、情けなくも腰を抜かしてしまった。

 自身を丸呑みにしてもまだ三人分余裕がありそうな特大の口に、ヒビが入りそうなほど充血した鋭い双眸。

 歯の隙間から垂れる雫が地上に着くたびに、何とも言えない不快感を醸し出す。


 絶体絶命とはこのことだ。

 日光も届かない、冷たい空間。張り詰めた空気が精神を圧迫し、臓物を直接締め付けられたかのような錯覚に陥る。

 眼前に佇む魔獣の唸り声以外に音は無く、耳鳴りがする。

 激しく波打つ自身の鼓動音が全身に響き渡り、肺を潰されたように呼吸が苦しくなる。


「だが、俺だって……」


 探索者オッキーナは探索用の小型ナイフを懐から取り出し、慣れない手つきで柄の部分を握り締めると。まるで追い詰められた銀行強盗犯のように全身を戦慄させ、錆び付いた刃を魔獣へと向ける。

 魔獣もそれを戦闘体勢と理解したのか、自身の手に持つ天然の剣(ツメ)を剥き出しにして見せつけた。


 オッキーナが持つナイフと比べ、造形だけを見れば非常に無垢で大雑把だ。

 だが。獣が持つ爪や牙とは、進化の過程で常に洗練し続けられた狩猟特化な武器である。

 彼が持つような、植物の茎やきのこを切り落とすために作られたナイフとは違い、外敵を殺傷するために存在するものだ。

 天から与えられし誇り高き剣に、彼の貧弱なナイフが適うはずが無い。

 

 諦めるか。否。

 最後まで全力を尽くして抵抗する。

 最初から諦めるわけにはいかない。

 街では彼の収穫を待っている人々が大勢いるのだ。


「来るなら、こい!」


 オッキーナは戦慄する身体を押さえながら、魔獣に向かって飛びかかろうと足に力を込めた。

 刹那。突如視界が豹変する。


 眼前に存在する魔獣の全身に、膨大な量の槍が突き刺さっている。

 ガラス細工のように精巧な造りをした礫は、魔獣の動きを完全に停止させた。

 圧倒的な連撃に不意を討たれた魔獣は、喉から血塊を絞り出し。総身に食らいつく氷結を身震い一つで一斉に引き抜く。

 ボッカリと開いた傷口は鮮血を吹き出した刹那、淡く煌く青色の光に包まれ。赤黒く痛々しい傷跡は、まるで時間を巻き戻したかのように無傷の状態へと修復される。


 探索者オッキーナは眼前で繰り広げられた戦闘に恐れを抱き、身体の力が抜けて地面へと崩れ落ちる。

 じんわりと感じる温もりと湿り気に、彼は安堵感と不快感を同時に覚え、ペタリとその場で女の子座りをした。


「は、ははは……戦いを挑まなくて良かった」


 魔獣は彼に向けていた殺気を消失させ、氷結を撃ち込まれた咆哮へと身体を向ける。

 たった今、生命を根絶されるほどの猛攻を受けたとは思えないほどに緩やかな動きを見せ。身体を低くした魔獣は、小さく唸り声を上げて前方を見据える。

 オッキーナは身体に力が入らず。ただただ彼自身の聖水を地面に向かって垂れ流しながら、その状況を静かに見つめる。

 背徳感溢れる快感を感じながら、彼は魔獣と同じ方向を静かに見つめ。

 時折カクンと下半身を痙攣させる。


「あらあら。随分タフな魔獣さんだこと」


 春風のように暖かな声音が漂い、刹那。ヒンヤリとした空間が一瞬で春のように暖かく変貌する。

 オッキーナの衣服も綺麗に乾き、耐え難い惨状を無かったことにされる。



「さて……と、二人は下がってて。ここは私がやるから」


 刹那。全身を凍りつけられるようなただならぬ悪寒。

 雄々しく枝を広げていた豪傑のような樹木には、一瞬にして真冬のように霜が降りる。

 焦げ茶色になった枯葉が落葉し、外気が徐々に冷やされていく。

 メシュは両腕を広げて力を込めると、ガラス板のような氷結版が空間に設置される。


 彼女は氷魔術を使い、さらに気温を降下させていく。

 多重展開された氷結版は空間を不規則に漂い。生命を抉りとる氷の礫は、徐々に鋭利さを増しながら前方に位置する魔獣を捉える。

 刹那。魔獣は飛びかかった。

 思わず怯んでしまいそうな咆哮と共に、鋭いカギ爪を、静かに佇むメシュへと向ける。

 だが。メシュは笑顔を崩すこと無く、普段通り頬に手を添えて「あらあら」と小さく呟いた。


「氷結」


 それは全て同時に起こった。

 空間に設置されていた氷結版と礫が魔獣に食らいつき、魔獣の総身を半瞬間の内に真っ赤な氷で包み込む。

 噴出された鮮血は固められ、飛びかかるポーズを取ったまま動けなくなった魔獣は、全身を業火のように自らの血塊で赤く染める。

 総身を瞬間冷却された魔獣の臓物は完全に凍結され、ただただ無言のまま地面へと落下した。


 瞬く間に生命を奪われた魔獣を見下ろすと、メシュは体内残留魔力を吸収して小さく溜息を吐く。

 苦痛に顔を歪める暇も無く絶命した魔獣の面は、威嚇行動を行った状態のままの凛々しく頼もしい面持ちであった。

 メシュはくるりと身を翻すと、静かに佇む神保と萌の傍に歩み寄り、そっと肩に手を乗せ、戦闘が終了したことを知らせる。

 二人も回れ右をして戻ろうと足を踏み出したところで、背後から呼び止められた。


「待ってくれ。……その、助けてくれて感謝する。凄くありがたい。あんた方は命の恩人だ。……お礼と言っては何だが、俺っちの店にご招待したいのだが。ああ、紹介が遅れた。俺っちはシルファイの街で小さな料亭を営んでいるんだ。今日も食材探索に出かけて、ちと深く潜り過ぎてしまってな、ハハハ……」


 自らを料理人だと名乗る探索者は、錆び付いたナイフを懐に仕舞い込むと。姿勢良く深々と頭を下げる。

 洗練された無駄の無い動作に、神保たちは思わず息を呑む。

 メシュは玲瓏な笑顔でしばしの間その様子を見据えていたが、溜息を吐こうかと口を開いたところで。彼女の腹部から、空腹を知らせる可愛らしい音が鳴り響いた。


「…………」


 二人の視線を向けられ、メシュは笑顔のまま頬を淡い桜色に染めてそっぽを向くと。照れ隠しをするように小さく咳払いをして、自分の思いを言う。


「そうね。大分歩いたから、そろそろそんな時間かもしれないわ」


 頬では無く口元に手を添えて照れるメシュの姿は、神保の目に、美麗な一人の女性として映りかけたのだが。

 独占欲の強い幼馴染に耳を引きちぎられるような勢いで引っ張られ、彼の頭からそのような煩悩は半瞬間の内に消失した。

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