第六十二話「萌×神保」
処女雪のように純白なお屋敷は、若葉萌える広大な庭園に玲瓏な面持ちで佇んでいる。
馬車から降りると、即座に十数人のメイドさんが姿勢良く現れた。まるで人形のようにピッタリと揃って深々と頭を下げ、耳通りの良いはっきりとした声で精一杯の歓迎を込めて、
「お帰りなさいませ。リリナお嬢様」
ファンタジーな世界でしか見られないような、メイドさんのお辞儀によるアーチが目の前に作り上げられた。
驚愕と困惑に心を支配された神保とは裏腹に、リリナはさも当然といった様子で馬車を駆け下りると、堂々と胸を張ってメイドさんたちの間を歩いて行く。
後に続くことを若干躊躇われたが。馬車から降りたセバスが恭しく、神保たちに“ここを通るよう”促したので、二人は顔を見合わせながら、心臓バクバク状態でメイドさんの道を足早に駆け抜けたが。
メシュは普段通り「あらあら」などと微笑みながら、平然とした面持ちでゆったりと歩行した。
この方も、ある意味凄いお方である。
外壁も確かに立派だったが、お屋敷内も素晴らしく美麗な造りをしている。
建物内に入った途端、バージンロードのような深紅の絨毯がピッチリと敷かれ。
宝石箱のように色とりどりな煌きを放つ特大のシャンデリアが天井に姿を現し、一定間隔毎に玲瓏な光を灯す魔石が飾ってある。
まるで終わりが無いのかと思えるほどに長い廊下を進むと、一足先にたどり着いたメイドさんが、突き当たりに備えられた大きな扉を開く。
寝ぼけ眼で対面する朝日のように眩い閃光が扉の向こうから放たれ、神保と萌は眩しさのあまり思わず腕で目を覆う。
「どうぞ。こちらへ」
神保たちが目を開けると。扉の向こうには、真っ白に磨き上げられたテーブルクロスをかけた“いかにも金持ちの食堂”というような長テーブルが荘厳に置かれていた。
ツヤツヤに研磨された木製の椅子も並べられ、テーブルには黄金色に煌く燭台が幾数個も設置されている。
自分たちには到底似つかわしくないその情景に、神保と萌はお互いに視線を交わし合い、何かしらの言葉を発そうと口を開きかけたのだが。
食堂に礼儀正しく佇む数人のメイドさんに取り囲まれ、二人は艶やかな装飾品に彩られた高価そうな椅子へと、半ば無理やり座らされてしまった。
動揺と困惑の表情を浮かべ、辺りを見渡すが。慎ましく佇むメイドさんと目が合うと、天使のような微笑みでにっこりと返され。
二人は目のやり場に困ってしまい。緊張感溢れる表情で、ただただ真っ白に磨かれたテーブルクロスを無心で見つめていると。「あらあら」という聞きなれた声音とともに、続いてメシュがこの豪華な食堂へ闖入してきた。
幾数人もののメイドさんに囲まれながら現れたその堂々とした状況に、神保は何となく安心感を得る。
春色笑顔を振りまきながら神保の隣に座ったメシュは、メイドさんと目が合うたびに優しく顔を傾け。
作り笑顔が本業であるメイドさんに、『笑顔が素敵ですね』などと言われていた。
本当に、この方はどういう心身構造をなさっているのか。
「皆様」
テノール歌手のように低く渋い声音が背後から聞こえ、神保は椅子に座ったまま首だけを後方へと向けて振り返る。
すると、先ほどの執事さんとはまた違った衣装を着込んだ執事が恭しく頭を下げ、その鋭い眼光がキラリと煌き。
「私、セバス=アヤサキと申します。リリナお嬢様のお命を救ってくださったとかで、使用人一同心から感謝しております。あの、何卒失礼な事をお聞きいたしますが、お客様方は“苦手な食べ物”がございますでしょうか?」
神保はとくに好き嫌いは無いが、萌は確か神保でも覚えきれないほどの好き嫌いがあったはずだ。
隣に座っているメシュもそれを察したのか、普段の微笑みを崩さずに萌の顔を覗き込んだのだが。
張本人である萌は、黙ったまま俯いて動かなくなっていた。
普段と比べて何かしらの違和感を抱いた神保は、心配そうに萌の肩に手を置いて、幼い少女に問いかけるような声音で優しく声を発し、穏やかな口調で問いかける。
「萌、どうしたの?」
神保が顔を向けると、萌は頑なな表情を多少緩め、内緒話でもするような小声で神保の耳元にソっと囁く。
「私。この世界での好き嫌い分からない。……どうしよう」
萌は不安そうに神保を見つめている。
瞳には若干涙が浮かび、迷子になった少女のように困惑した表情を見せた。
神保はその様子を見て、何とかしてあげたいと思ったが。同じように正確な食材の名前を知らない神保には、この状況でできることは無い。
焦ったように辺りをキョロキョロしていると、メシュが笑顔のままじっと萌を見つめ。華麗に立ち上がると、モフモフした尻尾を軽やかに揺らしながら、置物のように静かに佇むセバス=アヤサキの耳元へ駆け寄り、微笑みを絶やさずに何やら話しかけた。
セバスは表情一つ変えず、真剣な面持ちでメシュの言葉に耳を傾けていたが。
メシュが「うふふ」と微笑み、身体を離すと。セバスは凛々しい眼光をキラリと煌めかせ、重々しく頷いて。
「承知いたしました」
とだけ呟き、数人のメイドを従えて食堂から速やかに姿を消した。
その姿を笑顔で見送った後で、メシュは普段のポーズをとって神保の隣に腰掛けると、花のように温かな微笑みを見せ、
「大丈夫です。萌さんが苦手なものは、全てお伝えしました」
透き通るように美麗な声音が神保の耳を通り抜け、心身ともに春風で浄化されたような清々しい気分に全身を包み込まれる。
神保は壁際に並んだメイドさんを目線で伺いながら、そっとメシュの耳元に口を近づけて、自身の疑問を問いかけた。
「あの。どうやったんですか?」
春色笑顔を見せたメシュは、まるで手品の種明かしでもするかのように、玲瓏な微笑を神保に向けると。
何事も無かったかのような、普段と一切変化の無い淡々とした口調で真相を告げる。
「鑑定魔術です」
「ははぁ……?」
目の前で微笑むキツネ耳なエルフは、冗談めかした表情で「うふふ」と笑っていたが。メシュは普段からそのような表情であり、今回だけ特別に神保をからかっているようでは無さそうだ。
神保はその輝かしいほどに美麗な笑顔を眺め、一つの言葉が頭の中に浮かび上がった。
――最近の鑑定魔術は凄すぎだろ……。
◇
お料理が運ばれる。
長テーブルの上へと次々に並べられたクロッシュを開けると、食欲を掻き立てる甘辛い香りが、神保たちの鼻腔をくすぐる。
独特な色をした香辛料を人数分用意されると、用意されたワイングラスが泡立った水で満たされた。
数人のメイドさんが軽やかに食事の準備をこなしている間に、セバス=アラカワに連れられたリリナが、堂々とした面持ちで胸を張って現れると。一番奥の上座では無く、神保たち三人が姿勢良く腰掛ける向かい側に陣取り、嬉しそうにはにかみながら、ちょこんとでも擬音がつきそうに可愛らしく椅子に腰を乗せて。
「今日は母がいないから、この四人で全員揃っているのだ。だから、遠慮無く食べて良いのだぞ」
リリナの言葉が終了すると同時に、三人の腹から食欲を感じさせる音色が放たれる。
見事に腹の音が三重奏を奏で、それを聴いたリリナは無邪気に「えへー」と笑う。
三人は多少顔を赤らめ、顔を向け合い視線を交わすと、堰を切ったようにテーブル上の食事をムシャムシャと口腔内へと押し込んだ。
とろけるような舌触りの分厚い肉。
トマトソースの酸味が舌を跳ね、下味の付いた白身魚がスルリと喉に入っていく。
霜柱を踏みつけたように、シャキシャキと歯ごたえのある音を響かせるレタスのような菜類。
何もかもの味が異世界人である三人の口にピタリと合う。
舌も喉も腹も、全ての臓物が食物を求めて暴れ狂う。
通常ならば『作法がなっていない』などとどやされそうな、鼠もびっくりなほどの汚らしい“食事作法”だったが。
リリナ含めこのお屋敷の住人たちは、そんな三人を咎めること無く。ただただ嬉しそうにそんな食事風景を眺めていた。
一通り腹を満たすと、リリナはクスクスと笑い出し。セバス=アラカワとセバス=アヤサキによる、幻想的かつ波乱万丈なリリナの武勇伝が食堂を潤し。
幸福感溢れる笑い声に包まれ、お屋敷での晩餐は過ぎて行った。
◇
セバス=アヤサキに連れられ、神保たち三人は“お客様用”なる棟に案内された。
深夜に使用人などがうろつくことも無く、安眠を妨害することも無いように、数々の防音対策が施されているらしく。
壁や床の触り心地は、先ほどまでいた棟とは若干違っていた。
一人では手に余るような広い部屋へと案内され、神保は部屋に入ると同時に呆然と立ち尽くす。
まるで高級ホテルのようだ。
塵一つ無いグレーの絨毯が床を覆い、三人は寝られそうなほど広大なベッドがドッカリと鎮座され。
テレビや小さめのキッチン。木彫りのサイドボードや個人用シャワールームまでが用意されており。
神保はアニメなどのテンプレ通り、それらしく目をゴシゴシと擦ってもう一度部屋中を見渡す。
セバスはしばしの間部屋の入り口に佇んでいたが、やがて思い出したように恭しく一礼すると。
「では私はこれで失礼いたします。何かご不自由な点がございましたら、ベッド脇に置かれた内線電話をご使用ください。用件を承り次第、メイドか執事がすぐに参りますので、では」
そう言ってセバスは静かに扉を閉めると、足音一つ立てず速やかに廊下から姿を消した。
何時間くらい経ったのだろうか。
窓から差し込むおぼろげな月光に寝顔を照らされ、深く夢の中へと潜っていた神保の双眸がうっすらと開く。
セバスが退室してから、やや躊躇い飛び乗ったベッドは非常に寝心地が良く。極上のベッドメイキングにシワを寄せることに若干の戸惑いはあったが、全身が沈んでしまいそうにふかふかなベッドへ横になると、もうその途端に柔らかな寝息を立ててゆったりと夢の世界へと沈んでいったのだ。
神保は身体を起こすと、玲瓏な月明かりが目に入り、思わず口元を緩める。
妖艶な雰囲気を出すこの状況に、神保は何故か何かしらの不足を感じていた。
自身の家にあるような物なら、何だってあるこの空間。
だが神保は、どうしても満足感を感じることができないのだ。
奈○様の歌を聴いていないからとか、アニメグッズに囲まれていないから。などといったくだらない理由では無く。
神保の中から湧き上がる何かしらの感情が、神保の満足感を満たさぬものとしているのだ。
「いや。……これ以上を望むのは、流石に欲張りだな」
誰に言うでも無く小さく呟くと、神保は月明かりにもう一度だけ微笑を向け、まだ温もりを感じさせる特大ベッドに身を沈める。
それがどんなに魅力的なものだとしても、求めてはいけないものとは存在するものなのだ。
神保はフッと瞼を閉じ、寝る前の脳内カラオケを開始させたところで、突然ガチャリと扉が空いた。
玲瓏かつ妖艶な月明かりに照らされた扉の向こうには、備え付けのパジャマを着込んだ萌の姿がある。
彼女の表情は暗くて良く見えないが。部屋の扉を静かに閉めると、萌はちょっぴり俯いたまま神保へと歩み寄る。
しっとりと濡れた素足が絨毯の毛を寝かし、萌は神保が転がっているベッドの脇まで到達すると、おもむろに彼女自身が着ている衣服に手をかけた。
パサリと床に落ちる萌の衣装。
処女雪のように美麗な身体を惜しげもなく披露すると、萌は躊躇いなく神保のベッド内へと闖入する。
「神保……」
耳元で放たれる甘い声。
神保の満足感を阻害していた何かしらの感情が消失し、絹のように滑らかな背中へと腕を伸ばす。
萌の指先が神保の衣服に引っかかったところで、神保の抑えられない欲求がとうとう爆発した。
たゆたゆと揺れる大きな膨らみ。
頬を桜色に染め、愛らしくちょっぴり舌を出す。
神保は萌の健康的な肩を両手で優しく掴むと、ほんのりと顔を赤らめた萌の唇を、彼自身の唇でしっかりと塞いだ。




