第六十話「斜面」
緊急依頼とは。手が空いている冒険者や勇者を出来るだけかき集め、依頼を受けてからできる限り手早く終了させることを目的とした依頼であり。
通常は、一パーティのみで依頼に参加させることは無い。
時間をかければクリア可能な依頼ではあるが、名称通りこの依頼は早急にクリアしなければならない。
そのためギルドの兄ちゃんたちは、神保たちが出て行った後。一応緊急依頼の依頼書を受付に張っておいたのだが。
「さて、今回の依頼人は?」
「さっきの冒険者よぉ。あの依頼を三人でこなしてくるって言ってたが、本当にクリアして戻って来ると思うかい?」
ここでは有名な冒険者であるダックムは、ゴリラのように毛深い顔を撫でながら、受付でホストスマイルを振りまく窓口職員に詰め寄る。
ロクに磨いていないらしい、赤茶けた歯が外気に触れ、生ゴミのような悪臭が受付付近に漂う。窓口職員は若干顔を背け、口呼吸のためか多少くぐもった声音を発し。
「そうですね……。あの三人がどのような人間かは存じ上げませんが、流石に三人では無理だと思いますね。いかがです? ダックム様も、この依頼に参加なされては――」
ダックムは受付に拳を振り下ろし、窓口職員の言葉を物理的に遮断させ。ピンポン玉のようにギョロッとした眼球を向け、不快感極まりない舌打ちを放つ。
「俺はなぁ! 伝説の冒険者ダックムなんだよ。そんな、どこの馬の骨かも分からない、弱々しい冒険者のおこぼれに与ろうたぁ。思っちゃいねぇんだよ。……なぁ、それより兄ちゃん、俺と賭けないかい?」
「何をですか? 一応、ギルド内での賭博は禁じられておりますが」
窓口職員は至って冷静に、ダックムが発した戯言を受け流した。
いつものことだ。
自称伝説の冒険者なるダックムは、立場の弱い者に威張り散らしては踏ん反り返って自慢げに語り。子供でもできるような依頼を何十個も受注しては、『もの足りねぇ依頼だ。もっと骨のある依頼は無いのか、あぁ?』とか何とか言って詰め寄り。
結局自身の手に余るような依頼を勧めると『殺す気か!』と、怒鳴り散らす。
数ヶ月前にロキス国ギルドにも行ったらしいが。畑に肥やしを撒く依頼と、物置のビーズを探す依頼をこなして帰宅した。と、街では噂になっていた。
だが見た目は威厳のある豪傑なので、ギルド外では“優秀な冒険者”で通っているらしい。
窓口職員は清らかなホストスマイルを崩さず、問いかけるように口を開き。
「ところで、私と何を賭けたいのです?」
「おぉ? 話が分かるじゃ無いか、兄ちゃん。簡単だ。あの初心者冒険者がマジにあの依頼を三人でクリアできるか? ってやつさ。どうだ? 面白そうだろう?」
窓口職員は小さく溜息を着き、営業スマイルを崩さず静かに頷いた。
無駄なのだ。
この状況下で、暴君冒険者ダックムに楯突いたり逆らうことは出来ない。
窓口職員は観念し、黄ばんだ歯を見せて笑うダックムの目を見て。
「さて、ダックムさんは何をお賭けに?」
「俺か? まぁ、俺が絶対に勝つ賭けだからな。もし、あの冒険者が依頼を成功させて戻って来たら、俺は今日限りで冒険者を辞めてやる。これでどうだ?」
その言葉を聞いた他の冒険者たちは、壁際に向かって小さくガッツポーズをとる。
このギルドで、ダックムを良く思う冒険者や勇者など一人として存在しない。
街一番の嫌われ者。と言えば、多分ダックムのことだろう。
ギルド内に控えていた職員たちも、ダックムからは死角になる箇所で、ハイタッチをしたり、ガッツポーズをとって喜び合っている。
今現在このギルドで喜びの念が存在しないのは、ダックムの賭博相手である、窓口の兄ちゃんだけだ。
さてどうするか。
賭け事。ということには、彼にもまた何かを賭ける義務がある。
こんなくだらない戯れに、自身の職を賭けるほど彼は落ちぶれてはいない。
窓口職員の兄ちゃんは、困り果てて頭を抱えた。
絶対に勝つことのできない賭け事で、何を賭ければ自身に降りかかる被害を最小限まで抑えることができるか。
実際彼も、異世界の冒険者があの依頼を三人でクリアできるとは、これっぽっちも思ってはいない。
だが、この状況で賭けを無しにすることは不可能だろう。
「あー……。そうですね、私は何を賭ければ、」
と、ここまで口を開いたところで。困惑の表情を浮かべていた窓口職員の顔に、少なからず笑顔が浮かんだ。
頬が緩み、今にも笑いだしそうな表情を見せる。
その様子を目の当たりにしたダックムは訝しげな表情を浮かべると、吹き飛ばされそうなほど豪快な鼻息を吹きかけて、笑顔の窓口職員に怪訝そうに問いかける。
「何だ。何がおかしい?」
「ダックムさん。私が賭けるものが決まりました」
窓口職員は芝居がかったアクションをして。
「私自身の魂を賭けよう」
「Good!」
ダックムの顔に汚らしい笑顔が塗りたくられ、黄ばんだ歯の隙間から赤茶けた吐息が漏れ、受付付近の空気を汚す。
勝利を確信した表情を見せたダックムは、彼自身の腰に差さっている古ぼけた剣を引き抜き、うっとりとした様子でその剣を汚らしく舐め。
「この剣にはなぁ、毒が塗ってあるわけ無いんだぜぇ!」
ダックムの意味不明な脅しにも怯まず、窓口職員は飄々とした様子でギルドの大窓を見据えている。
その行動が気に食わなかったのか。ダックムは剣をしまうと、怒りに任せて椅子から立ち上がり、涼やかな表情で窓を見つめる窓口職員の胸ぐらに掴みかかった。
「てめぇ! さっきからよそ見して、どこを見てやがるん」
「戻りましたー!」
ダックムの怒号を遮ったのは、今現在賭け事のネタにしていた冒険者。秋葉神保の元気そうな声音だった。
背後には二人の女性陣も連なり、出発と全く変わらぬ姿で、意気揚々とした面持ちで受付付近の椅子に座り。絶賛賭博中であるダックムと窓口職員の姿を悠然と眺め。
「どうぞ、お気になさらず。俺たちの用件は後で大丈夫ですので」
優しく慎ましい声音に、怒気を示していたダックムは、渋々とその力を緩める。
居心地の悪そうな顔をしたダックムは後方へと退き、たった今帰還した神保に、先に用件を済ませるよう促す。
「いや。俺の用は緊急じゃねぇんだ。だから、俺の先を譲ってやろう」
「あらあら。ありがとう、ダックムさん」
春色笑顔を見せるメシュが、汚らしい冒険者に顔を向けて小さく会釈をする。
実際はメシュの鑑定魔術で名前を知ったのだが。ダックムは、このキツネ耳エルフと自身は知り合いだったか。と、椅子に腰を下ろしてから、自身の記憶を掘り起こしていた。
神保、メシュ、萌の順で受付に腰掛け。ニヤケ面の混じったホストスマイルを向ける窓口職員に、緊急依頼終了の結果を口頭で伝達する。
今にも笑いだしそうに頬を緩める窓口職員は、時折鼻息を漏らしては、椅子の上で小さくなるダックムに何とも言えない視線を向ける。
「そうですか、いやはや流石です。緊急依頼を三人でクリアなさるとは、本ギルド最大の功績でしょう。……あの、それでですね。このギルドの“伝説”として、冒険者様の名前を飾りたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉を待っていたかのように神保は強く頷き、精一杯の心を込めてにこやかに笑顔を見せ。
「はい。喜んで」
と、穏やかな声音で承知した。
◇
神保たちがギルドから退去しようと外に出ると。大勢のギルド職員や、フィグマン街の冒険者たちが盛大に見送りをしてくれた。
ダックムだけは、悔しさが滲み出るように複雑な表情を見せていたが。その他大勢の人々は、メシュの遠距離転移魔術が終了するまで、盛大な拍手を振り続けていた。
「さて、出発するわよ」
メシュは転移魔術の魔法陣を描くと、片手を頬に添える春色笑顔で二人の乗客を優しく見つめる。
「今度はどこに行くんだ?」
神保の問いかけに、メシュは春風のように温かい笑顔を見せ。甘いミルクのような声音で「うふふ」と、いたずらっぽく微笑んだ。
「神保さんは、どこが良いかしら?」
◇
ロキス国から遥か西方に位置するミジュルン村。
青々とした山脈が広がり、田畑や草原を敷き詰められた空気の綺麗な土地である。
坂道が多く高度もバラバラな地域のため、徒歩による移動は適していなく。そのうえ、『綺麗な空気。住みやすい村』をモットーにしているためか。
移動手段に科学的な乗り物を使用できず、この地方での移動は専ら馬車系である。
「どう? セバス。……やっぱり動かない?」
「すみませんお嬢様。どうやら車輪が溝に嵌ってしまったようです」
ミジュルン村中腹部に存在する“魔の坂道”と呼ばれる非常に急な坂では、今日もまた立派な馬車が立ち往生してしまっていた。
滑らかな黒毛をなびかせ、つぶらな瞳を下に向ける二匹の馬に連れられ。深紅のカーテンに包まれた馬車は、斜面から若干ズレた地面に車輪を取られて動けなくなっている。
セバスと呼ばれた執事は、必死に車輪を押しているが。ここが坂道であることや、馬車に荷物を大量に積んでいるせいもあり、先程からビクともしない。
「ごめんなさい、セバス。私がもっと大勢の使用人を連れて行こうと言えば、こんなことにはならなかったのに……」
深紅のカーテンが開き、金髪ロールな少女が馬車から颯爽と飛び降りた。
フランス人形のような整った顔立ちに、あどけなさの残る可愛らしい表情。
青く透き通るような瞳をパッチリと開き。深紅のドレスに身を包んだ少女は、必死に馬車を押し続ける執事の元に駆け寄ると、一緒に馬車を押し始める。
「お嬢様、危険です。おやめください! お嬢様がもし怪我をするようなことがあっては、お嬢様の亡き父上に合わせる顔がございません」
セバスは必死に少女を説得するが、彼女は全く聞く耳を持たない。
セバスはイチかバチか、一生懸命に馬車に力を加える少女の腕を掴み、語りかけるように声をかけた。
「お嬢様、ここは私にお任せください。……お嬢様は、誰か手を貸してくださるお方を数人探して来てもらえませんか」
これはセバスの賭けだ。
このまま二人で馬車を押しても動くことは確実に無い。
だがもし、お嬢様を馬車に乗せたままにして、自身が離れている間に馬車が何かのはずみで動き出したら。
そのまま、どこに行ってしまわれるか分からない。
急な斜面で馬車を放っておくなど、そんな恐ろしいことをするわけにはいかない。
ここは彼自身が押さえ、お嬢様には誰かを呼んで来てもらうことこそが、得策だろうとセバスは考えたのだ。
少女は若干戸惑った様子を見せたが。すぐに表情を戻し、静かに小さく頷いた。
「分かったわ、セバス。誰か探してくる」
「お気を付けを」
セバスの言葉を聞き終えると。少女はドレスの裾をつまみ、真っ白な細脚で急な坂道を駆け下りていった。
ミジュルン村の坂道を、神保たち御一行はゆっくりと歩んでいる。
メシュの転移魔術により西方地域までは到達できたのだが、下方にはギルドが存在せず。
散歩がてら、三人は地形の高い箇所まで歩いて行くことになったのだが。
「何だこの坂……」
「思ったより、凄く急ね。……転んだら、下まで落下するかも」
「あらあら。流石にそこまで急じゃ無いわよ。……フゥ」
よほどの事が無い限り表情を変えないメシュも、流石に疲労が溜まったらしく。眉を若干下げ、息が荒くなっていた。
日は傾き、紅の夕日が坂道を照らしている。
日当たりが良いのか、乾いた土から熱気が蒸散され。坂を登る者たちの体力を奪う。
足が鉛を詰められたかのようの重くなり、腰から下が石のように堅くなる。
三人の全身に疲労感が蓄積され、とうとう地面に両手を着いて倒れ込んでしまった。
「無理だ。……これ以上は」
「神保さん、上まで行けば宿泊施設とかがあると思うから、頑張ってください」
神保は立ち上がり、二人の女性陣を両腕で抱きかかえると、重くなった足を必死に踏ん張り、背中に魔力を溜め込んでいく。
生まれたてのポニーのように足を震わせながら、神保は喉から絞り出すように声を発する。
「俺は加速――」
「助けてください!」
神保が加速魔術を使用する刹那。ボロボロになった少女が、坂道を転がり落ちるような勢いで駆け下りてきた。




