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第五十九話「無双」

 ――フィグマン街、迷宮洞窟第二層。


 第一層と比べて、特筆するほど変わったところは無いが。階層が変わったことにより、入り口付近から差し込む日光が完全に消失し、魔力灯以外の灯が全く存在しない。

 そのため、先ほどのように壁に身体を擦りつけて進むこともできず。

 萌は柔らかな身体を神保に密着させ、顔を肩の上に乗せることで、何とか平常心を保っていた。


 床や壁の触覚は変わらず。ゴツゴツした岩場のように、堅い遺跡のような造りであり。

 スニーカー生地の靴で歩くと、地面と靴底の摩擦により、掠れるような音が迷宮内に反響する。

 だがその他の音は全く響かず。この世界から“音”という物を消し去られたのでは無いかと思うほどに、迷宮洞窟内は真夜中のようにシンと静まり返っていた。


 メシュは一足先に前方へと進み、オークゾンビなどが不意打ちをしないよう、十分に気を配っている。

 彼女は時折虹彩異色な双眸(オッド・アイ)を見開き、遥か彼方までの道順を“鑑定”し、把握しているのだ。

 視界を照らす光が無くとも、遮る壁があったとしても。彼女が使用する鑑定魔術の前では、全ての反抗が無意味となる。

 流石に透視能力があるわけでは無いが。生命反応や魔物の匂いを鑑定して探知することが可能であり、メシュがいる限り、この場所で不意打ちを成功させることは不可能である。



 しばし進んだところで、頭上に生えるメシュのキツネ耳がピコピコと揺れた。

 彼女の表情は普段通り緩やかな春色笑顔なのだが、その表情の裏では、一時も休むこと無く、四方八方からの不意打ちを警戒している。

 メシュは片頬に手を添えたまま、もう片方の手をゆっくりと前方へと伸ばし。

 ポツリと一言だけ呟く。


「氷結」


 メシュが伸ばした手のひらから氷の礫が生み出される。

 獲物を発見した猛獣のキバのように鋭く、無垢で冷徹なそのキバは、時折雫を垂らしながら、徐々に鋭利さを増していく。

 そのままメシュの手には二本目の礫が作り出され。いつでも春色笑顔なメシュとは裏腹に、無感情かつ寒冷な氷結が、空を裂くような勢いで発弾された。

 一閃。いや、二閃と言うべきか。

 鋭利な礫が二つ暗闇の中へと闖入し、刹那。何者かの呻き声が暗黒世界から絞り出される。

 苦痛に歪められた声音がにじり出され、荒く深い呼吸音が漂った(のち)。二つの生命反応が眼前から消失した。


 メシュは背後を振り返る。

 後方では神保と萌が、お互いを支え合いながら先へ進もうとしているのだ。

 後方に位置する二人に悟られぬよう、メシュはさりげなくしゃがみ込むと、一言二言呟き、しばしの沈黙の後、思い出したように姿勢良く立ち上がった。


「この階層に鮮血や殺戮の臭いは感じさせない。多分オークゾンビがたむろっているのは、3階層かそれよりも上の階層。なら、さっき感じた生命反応は、群れからはぐれたオークゾンビってとこかしら」


 メシュはその場に立ち止まり、自身の考えを口に出しながら的確に整理していく。

 複雑な思考を脳内だけで行おうとすると、大抵ゴチャゴチャになり、最終的にわけが分からなくなって脳内会議は強制終了させられる。

 そのためか、メシュは思わず口に出してしまったのだが。


「オークゾンビが現れたのか?」


 いつの間にか背後まで歩み寄っていた神保に、メシュの独り言を聞かれてしまっていたらしい。

 二人三脚でもするかのように二人で一つになった神保と萌は、お互いを支え合いながらその場に佇む。

 神保になるべく負荷をかけず。メシュ自身が陰から大きく手助けをして、神保を必要以上に持ち上げることこそが今回行っている冒険の主題だと思っていたが。

 その行動は神保への侮辱に当たると、メシュは考え直す。

 神保だってれっきとした勇者なのだ。

 メシュが使用する魔術の方が万能かつ種類が豊富だが。裏を返せば器用貧乏ということ。

 メシュは自身の力を過信しすぎた。

 普段からソロプレイ(ゴクウはほぼ使い物にならない)で戦場を駆け抜けた彼女は、たった一人で文字通り“無双”してきていたのだ。

 だが今回は違う。

 集団(パーティ)で、力を合わせて闘うことが今回の主題である。

 神保にも萌にも、パーティ内で活躍させる。という経験が必要であり、それはメシュが裏から手を回すような三文芝居では意味が無い。

 今回の冒険は、未来の帝王、秋葉神保が主役なのだ。


 メシュは静かに頷くと、普段通りの春色笑顔を振りまき、片頬に手を添えたまま、二人に先へ進むよう促す。


「この先にオークゾンビが二匹転がってるけど、気にしなくて良いわ」



 神保たちが先へ向かうと。メシュが言った通り、血溜まりの中にオークゾンビが二匹、仰向けになって転がっていた。

 内蔵を抉りとるように突き刺さった礫は若干溶け始め、肋骨に引っかかったままポタポタと赤味の混じった雫を床に垂らしている。

 半開きになった口からはボロボロに折れたキバが顔を覗かせ。即死だったのか、白く濁った瞳は、恐怖のために見開いたまま機能を停止させていた。

 幸いだったのは、オークゾンビは元々の身体形状が人間に近くなく、あまりリアル感を覚えさせないところか。

 体表が緑色をした鼠人間の死骸を見たような感覚であり、死体慣れをしていない神保や萌でも、落ち着いて冥福を祈る程度の余裕はあった。

 これで先ほどのゴブリンのように人間に近い魔物であれば、胸元を氷結の礫で抉られた惨状を見ただけで、二人の戦意は瞬く間に消失していただろう。


 神保は一旦手を合わせてから、オークゾンビの元へしゃがみこむと。体内魔力を吸収しておこうと触れようとしたのだが、後方から遅れてついて来たメシュに止められた。


「ダメよ。ゾンビ系統の魔物から魔力を吸い取ると、余計な病原菌も一緒に吸収しちゃうから」


 メシュは倒れたオークゾンビに目もくれず。神保と萌に、先へと進むように促すと、普段よりかは真剣な声音でため息のように呟く。


「その先に、階段があるから。……その先は気をつけて。多分、いっぱいいる」


 メシュの忠告を耳に入れ、神保は萌を抱きかかえながら、静かに頷き返す。


「分かりました。俺と萌で飛び込みますが、メシュさんも、」

「分かってるわ。私もすぐ、後ろから付いて行く」




 ◇




 ――3階層。


 その光景を一言で表すとすれば、“地獄”という言葉が的確だろう。

 階段を越え、3階層の床に足を踏み入れた刹那。強烈な腐敗臭が鼻腔を貫き、鼻の奥まで到達する。

 悪臭とは、良い香りよりも認識しやすいと聞いた事があるが。これほど悍ましい臭いを嗅いだ経験は今までに一度たりとも無い。

 生ゴミを頭から被る方がマシだと思えるほどの腐臭に耐え切れず、神保と萌は数歩だけ後方へと退く。

 先程まで神保の鼻腔に絡みついていた、女の子特有の甘ったるい匂いは一瞬で消失し、現在神保の鼻腔に残留した臭いとは、オークゾンビによる血なまぐさい悪臭のみである。


 威勢良く飛び込んだと言うのに、何という無様さであろうか。

 神保は左腕で鼻を押さえ、もう一度闖入しようと意気込んだが。背後からの優しい声音に、神保は思わずたたらを踏む。


「待って。がむしゃらに飛び込んでも、無駄に戦意を消失するだけよ。こっちで万全の対策をとって、私たちの流れを作るの。逆流に飛び込んでも、限界が来ればいつかは押し戻される。でも、向かい風を追い風にすれば、最高の状態で戦いに臨めるわ」


 春風のように暖かな言葉の風が舞い上がり、不快感を催していた喉元がスーっと楽になる。

 胸焼けのような吐き気も、肺中に広がっていた圧迫感も、透き通るように浄化されていく。

 メシュは両手を天へ伸ばし、足元へ春風のような旋風を巻き上がらせる。

 暖かく柔らかな空気が足元をくすぐり、神保と萌は思わず頬を緩めた。

 先ほどまでの腐敗臭が薄まり、徐々にお花畑のような暖かく甘い香りが辺りに充満する。


「疾風」


 メシュが呟いた刹那。辺り一面が春色に染め上げられたような感覚に陥る。

 淡い桃色や柔らかいライトグリーンな春風に包まれ、ヒンヤリとしていた迷宮内が、ポカポカ陽気へと早変わりだ。

 充満していた悪臭も薄まり、呼吸が楽になっていく。

 メシュは上げていた両手を下ろし、片手を頬に添えたところで、呆然と辺りを見渡す二人の異世界人に優しく声をかけた。


「さぁ、腐臭は浄化したわ。三人で伝説を作りましょう」





 真っ先に飛び込んだのは神保である。

 背中から発射された加速魔術により音速を超えた神保は、魔力を込めた拳を前方へ突き出し。迷宮内をうろつくオークゾンビを片っ端から殲滅していく。


 続いて闖入したのは萌だ。

 走行速度は決して素早いとは言えないが。彼女の行く手を遮ろうとするオークゾンビは、萌が使用する鉄拳魔術(グーパンチ)により、無慈悲にも容赦なく壁に叩きつけられる。

 加速度の付いた神保の拳に比べれば、大したパワーを感じさせないように見えるが。

 一発一発の鉄拳が重圧的かつ急所を的確に狙うので、身体に大穴を開けて貫く神保よりも、無慈悲な激痛を与え、“即死する”という安息を迎えさせない。

 壁に打ち付けられ、事切れるまで数秒間。一瞬で魂が消し飛ぶ神保の拳より、攻撃を受ける者とすれば、萌の鉄拳を受ける方が辛かった。


 続いて階段を上がってきたのは、春色笑顔なエルフお姉さん。メシュである。

 温かい笑顔とは裏腹に、両手の平から次々に発射される氷の礫。

 飢えた猛獣が持つキバのような氷結は次々にオークゾンビの胸元を捉え、一瞬でそれ以上の行動を不可能なものとする。


 第3階層は2階層と比べて広大だ。

 だが、三人が闖入したことにより。その広大さは全くの無意味となった。

 床中に広がるオークゾンビの死骸。血塊と肉片が散乱し、雄大な空間は瞬く間に鮮血の宴会場へと姿を化す。

 吐き気を催すような悪臭が蔓延するが、メシュが時偶放つ春風により、死臭が充満するより早く爽やかな空気が空間を浄化する。


「これで全部か?」


 3階層の端から端まで行って帰ってきた神保は、右腕でひたいの汗を拭うアクションをして。生き残りが残存していないかどうか辺りを見渡しながら、メシュと萌の傍まで駆け寄った。

 神保が身につけた武具は、オークゾンビの汚らしい返り血でベットリと汚れている。

 右手拳にも赤黒い鮮血が絡みつき、遠目に見ると巨大な血塊に見えなくもない。


「神保さん、お疲れさま。待ってて、今すぐ回復魔術(ヒーリング)をかけるから」


 そう言ってメシュは神保に駆け寄ると、淡い黄色に輝く手のひらで神保の背中を這わせた。

 やつれきって目の下に澱んだクマができていたが、回復魔術を与えられた神保は、みるみるうちに疲労が消失していく。

 完全に元の調子を戻した神保は元気そうに両腕を回し、壁に寄りかかって溜息を着く幼馴染を精一杯の愛念を込めて抱きしめた。


「やったよ! 萌」

「んぇっ……! 神保、あん!」


 温かい抱擁に、思わず萌の頬が桜色に染まる。

 頑張って必死に戦った。そのご褒美が、大好きな幼馴染からの愛情たっぷりな抱擁なのだ。

 優しく包み込まれるような感覚に、思わず萌は表情をとろけさせる。

 すっかり安心しきった顔で、口元をペロリと舐めると。待ちきれない! といった様子で、神保の肩に指を絡めるが。


「あらあら、二人とも。仲良しさんなのは十分結構なんだけど、そういうのはお仕事がちゃんと終わってからにしようね?」


 キツネ耳なお姉さんに言われ、神保と萌は顔を見合わせて、幸せそうにはにかみあった。 

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