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第五十八話「迷宮洞窟」

 フィグマン街ギルド。

 受付嬢(女性)より窓口職員(男性)が多いという、珍しいギルドであり。

 昔年より続く、この地方独特な掟である『人外生物も殺生してはならない』のために、その他地域と比べて魔物や魔獣の出現が多発している。


 そのためか。この辺りで依頼される事件とは、ほとんどが人外生物とのトラブルであり。集団で行動するオークやゴブリンなどの被害に合うなどの、大きくなくとも見逃せない、大切な依頼が特に多いのだ。

 結果。この地では勇者が増加し、フィグマン街でも、生活を哀れに思った冒険者たちもギルドに通い始め。

 今では北部最大のギルドとして名高く。優秀なギルドへと、評判を上げているのだ。




「さて、今回の依頼人は?」


 爽やかなホストスマイルを浮かべる窓口職員は、顔中ミミズ腫れだらけの冒険者から、新しい依頼書を提出される。


「ほぅ。迷宮洞窟でオークゾンビが出たのですか」


 冒険者は傷だらけの顔を撫でながら、壊れた赤べこのようにコクコクと頷き。

 悪寒でも感じたかのように自身の総身を抱きしめながら、ノソノソとギルドを退去していく。

 その様子を見送った窓口職員は、依頼書を張り出すための印刷を行うことを伝え、ギルドの奥へと姿を消した。




 ◇




「おい、窓口の兄ちゃん!」


 ギルドの入り口が乱雑に開け放たれ。先ほど『ゴブリン追い払い』を受注したはずの異世界人が、堂々と腕を組み、意気揚々とした様子で窓口まで向かってくる。

 その様子を見て、爽やか笑顔な窓口兄ちゃんは「おや?」と首を傾げた。

 ゴブリン追い払いにはかなりの時間がかかる。

 しかもこの地では、殺害や暴行などの行いを固く禁じているので。追い払っては戻り、追い払っては戻りの繰り返しになり。

 必然的にイタチごっこのような依頼になるので、完全に終了させて戻るなんてことは、実質不可能なはずなのだ。

 大抵この依頼を請けた初心者冒険者は、同じように受注して次に現れた初心者と力を合わせて立ち向かうか、後から来た勇者たちに押し付けて戻って来るか。の、どちらかだ。


 だが現実問題。送り出したはずの彼はそこにいる。

 途中で放棄したかと、窓口兄ちゃんは心配になるが。帰還した冒険者たち三人の目が、輝かしいほどにキラキラ煌めいているのを確認し。

 窓口兄ちゃんは、顔がひきつりそうになるほどの動揺と困惑を笑顔で隠し、清々しいほど爽やかなスマイルで、生還した冒険者を快く迎え入れた。


「お帰りなさいませ。依頼の進行状況は、いかがなものでしょうか?」


 さりげなく皮肉を突っ込んでみたのだが、冒険者たちの華やかな笑顔は消えず。

 片頬を押さえたままのキツネ耳エルフが、小さな紙切れのような物を窓口に提出した。

 手馴れたように差し出された紙切れを見て。心の中で苦笑いを放っていた窓口職員の精神は、氷山に佇む山荘のように凍り付けられた。

 全く崩れることの無かった営業スマイルにも亀裂が入り、とうとう隠しきれなくなった困惑の表情が徐々に浮き彫りになっていく。


「あ、あがが。……コホン」


 咳払いをして必死に精神の安定を図ったが。手渡された紙切れに目を向けるたび、悍ましい物を見たように総身を戦慄させる。

 その様子をどう見たのか。彼の精神状態とは裏腹に、心地良いほどに春色笑顔を振りまくメシュは、普段通り「あらあら」と呟き。鈴の音のように優しげで心地良い声音で、語りかけるように告げた。


「畑主さんから受け取った“依頼完了書”です。畑を荒らしていたゴブリンは、全員元の住処へと強制送還させましたわ」


 春風のような声で物騒な言葉を言い放たれ。かろうじてスマイルを作っていた窓口職員の顔が、みるみる内に引きつっていく。

 世界の終幕を見せられたように眼球の光が消失し、濁った双眸からは、薄く涙が流れ出る。

 半開きになった口からは、声にならない言葉をブツブツと垂れ流し。

 鼻の穴からも、何やら透明な液体が垂れてきた。


「あ、ぐ。えっと。……分かりました。依頼を完了なさいましたので、ここに張られた依頼書から、お気に召されたものをどうぞ受注なさってください」


 ファーストフード店にあるメニュー表のような紙を取り出すと。鼻垂れ職員は、どれを受注するか三人の化け物冒険者に問いかける。


「ど、どれになさいますかぁ……?」

「ん~……そうねぇ。神保さん、どれにしますか?」


 メシュに問いかけられ。背後にボサッと佇んでいた神保は、ハッとして二歩ほど前方へと進む。

 受付に片腕を乗せて身を乗り出した神保は、舐めるように品定めするような視線を流し、紙上に並んだ色とりどりな依頼を選別する。

 ここでの目的は自身の名前を売ることだ。

 簡単すぎる依頼を受けても、ギルド的には“流しの冒険者”程度の認識だろうし、逆に難関な依頼を受けて、尻尾を丸めて帰還するような真似だけは避けたい。

 ここは、目立つ依頼であり、それでいて難関で無く簡単過ぎない。

 ゲームなんかでは良くある、緊急依頼なんかを受注すれば良いのだ。


 神保は伺うような視線を窓口の兄ちゃんに向け、授業中に教師の間違いを指摘する小学生のような弱々しい声で。


「あの、緊急で受注して欲しい依頼とか、あったりしませんよね……?」

「緊急依頼ですか? ……そうですねぇ。今現在は多分無いですが、」

「あ、ありますよ」


 鼻垂れ窓口兄ちゃんの言葉を遮ったのは、先ほどミミズ腫れだらけの冒険者から依頼を受け取った職員であった。

 彼は真新しい依頼書を受付に広げると、神保の方を見て丁重に説明をし始める。


「フィグマン街端にある迷宮洞窟での依頼なのですが。先ほど向かわれた冒険者様によると、殺害許可魔物である“オークゾンビ”が発生したとのことです。オークゾンビが民家などのある街に出現すると、大変なことになってしまうので。この依頼は今から緊急依頼として、張り出すこととなっています」


 眼前に広げられた依頼書を、神保はじっくりと眺める。

 “オークゾンビ”なる魔物とは。生命を失い、肉体が腐敗したオークやゴブリンが、何者かの魔力によって復活した状態のことを言うらしい。

 内蔵をぶちまけながら金切り声を上げる魔物であり。オークゾンビに理性や感情は存在しない。

 女だろうと子供だろうと、視界に入った生物の肉を食い散らかすだけであり。

 放っておくだけで多数の損害が出る、恐ろしい魔物なのである。


 神保はしばしの間、依頼書とにらめっこをしていたが。

 自らの思いに決着が着いたのか。顔を上げると、彼はメシュに顔を向けて静かに頷く。


「これを受注したい。メシュさんは、“オークゾンビ”なる魔物と戦ったことはありますか?」


 普段通り穏やかな笑顔でメシュはしばらく無言のまま佇んでいたが、何かを思い出したようにハッとした表情を浮かべると。片手を頬に添えたまま小さく頷き、銀鈴を転がしたような愛らしい声音を発し。


「前に討伐したことはあります。神保さんや萌さんレベルでしたら、殲滅は可能かと」


 いつになく説得力のある声音。

 神保は鼻垂れ窓口職員に顔を向けると。その情けない顔を見て一瞬だけ口元を緩めたが、すぐにまた真剣な表情へと戻し。


「この緊急依頼を受注したい。先ほどの依頼料は、この依頼から帰還してから受け取りに来ます。それでも良いですか?」

「ええ。かまいませんが」


 依頼料の先払いは許されていないが。後払いなら何の問題も無い。

 鼻垂れ窓口職員は口元まで伸びた鼻水を手の甲で汚らしく拭うと、依頼書の下部分に『受注者:秋葉神保』と書き加えて。次々と、この場にいる二人の女性陣の名前も書き連ねる。

 三人の名前を書き終えると。鼻拭い職員は手の甲を撫でながら、ギルド内にいる他の冒険者に声をかけようと立ち上がったが。

 椅子から身体を起こしたところで、同時に立ち上がった神保に片手で制され。


「俺たち三人で行きます。他の冒険者たちは必要ありません」


 と、のたまり。鼻拭い職員の鼻の穴から、また透明な液体が吹き出した。




 ◇




 ――フィグマン街迷宮洞窟。


 入り口付近は文字通り“洞窟”であり。一階層だけに絞って言えば、先日彼が潜った無限迷宮と大して変わらず。

 むしろ、闖入者が神保たち御一行の三人しか存在しないので、本家本元の迷宮よりダンジョン探索を楽しむことができそうである。


 漆黒の闇に包まれ、奥まで床が続いているか。はたまた“奥”が存在するのか。

 某ゲームでは“フラッシュ”なる、画面内を全て照らし込む能力があったが。そのように都合の良いもの、流石の異世界人でも持ち合わせていない。

 せいぜい炎系魔術によって作り出される、足元を照らす程度の明るさを持つ魔力灯が関の山である。



 神保たちは各々魔力灯を手のひらに浮かべ、足元を踏みしめるように慎重に歩を進める。

 時折小石に足をぶつけ、つまずきかけることはあるが。突然床が抜けるなど、無知な冒険者をあざ笑うような、鬼畜仕様(いやがらせ)にはなっていないようだった。

 遥か昔に創られた遺跡のように繊細で、岩石で造られた一種の芸術では無かろうか。

 事実。存在自体が伝説であった無限迷宮とは違い。この迷宮洞窟は、森に棲むエルフやオーク、そしてさっきのゴブリンなどが、古代文明時代に創造したらしく。

 頑丈さは他の迷宮とは比にならないらしい。

 その話を聞き、神保は自身の拳とどちらが堅いか勝負をしてみようと思ったが。下方へと伸びる無限迷宮とは異なり、上方――天に向かって広がる迷宮らしく。下部の支えが緩むと崩壊し、生き埋めになると忠告されたので。神保は今回の迷宮探索では、床や壁に向かって拳を振るおうなどとは思わなかった。


 神保は小さく溜息を着くと。片手を頬に、もう片方の手で魔力灯を生み出して両手が塞がっているエルフさんに駆け寄り、そっと肩を並べて歩く。


「両手塞がってると危ないから」

「あらあら、ありがとう。でも私は大丈夫。それよりも、もっと大切な女の子を助けてあげてね?」


 メシュのその言葉を聞き、神保が後方を振り返ると。自身の顔以上に膨らんだ魔力灯を両手に広げ、壁際に身体を擦らせながら必死に歩む幼馴染の姿が目に入った。

 萌はまるでその身を削り取るような勢いで、総身をゴツゴツした壁際に寄り添わせ、カタカタと身体を震わせながら、文字通り亀のようにゆっくりと足を進めている。


「萌!」


 神保は手に灯した魔力灯を消し、大切な幼馴染の元へと駆け寄り。精一杯の情熱を込めて熱い抱擁をした。

 たくましいとは言えないものの、ゴツゴツと男の子らしい腕に包み込まれ。先ほどまで戦慄していた萌の総身は、徐々に落ち着き、神保の胸の中で大人しく深呼吸をし始める。

 温かく優しい、愛しの幼馴染の匂い。

 震えが止まった萌は顔を胸の中にうずめたまま、両手の炎を消失させて神保の身体をギュッと抱きしめ返した。

 神保は萌を抱きしめたまま、優しく背中を撫でる。


「ごめん、萌。……萌が暗いところ苦手なの忘れて、一人でどんどん進んじゃって」

「ううん。いい歳して暗いところがダメなんて、私が悪いんだよ」


 ――でも。と萌は一息置くと。


「神保と一緒なら、私……大丈夫かも」


 涙に濡れた顔が、魔力灯による仄暗い空間に現れ。神保の心に潜む“男心”が掻き立てられる。

 今までは『か弱い女の子だから守る』だったが。今現在神保の心に宿った思いとは、『大切な女の子を守りたい』という。本能から来る、魂の思いであった。



 メシュはその様子を眺め、普段と変わらぬ春色笑顔で佇んでいたが。おぼろげに照らされた壁を一瞥し、若干首を傾げたメシュは、細く美麗な指先で堅く無垢な岩石の壁を艶かしくなぞると。

 目を線のようにして微笑みながら、その身を翻して神保たちに向き直った。


「二人とも! この先に階段があるみたいよ」

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