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第五十七話「畑荒らし」

 “世界”に名前は無い。

 日本が存在する惑星には地球という名前があるが、その世界を呼ぶための名称は存在していないのだ。

 ここ。ロキス国が存在する世界にも、呼称名称は在らず。

 神保たち冒険者三人組は、自分たちが現存する位置を、ロキス国から見た方角で認識することとした。



 ロキス国から遥か北方。

 ロキス国最北部であるフローズン街は、北部を全て山脈に囲まれている。

 連なる山々を強引に突き抜ける意味も無いので、メシュが使用する遠距離転移魔術を使用し、ロキス国を離脱することとなった。

 ギルドカード一枚でパスポートの役割も果たすらしく、神保とメシュは何事も無くロキス国から出ることができたのだが。

 残念ながら萌はギルドカードを持っておらず、役所のような建物で数分間だけ書類提出の手間を取ってしまった。


 萌のギルカが作成されるまで二人とも暇だったので、神保は自身のギルカの書き換えを行い。メシュのブラックカードまでは行かないにしても、光沢を持たない銅の色(カッパー・ブラウン)を持つカードへとレベルアップした。

 実際。レベルアップしようが、見た目以外にほとんど変化は期待できないのだが。



「お待たせっ!」


 竹製のギルドカードを高く持ち。飼い主にフリスビーを差し出す従順な飼い犬のように、太陽のような笑顔を見せる萌が、神保に向かって飛びついた。

 首筋にかぶりつかれたような感覚に、思わず神保は反動でやや後方へと退くが。

 大好きな女戦士コスチュームで抱きしめられ、神保も別にまんざらでは無いようである。

 珍しく口元を緩め、甘えっ娘で可愛い幼馴染の背中を優しく撫でながら、次に目指すべく地方へと誘導を頼む。


「それでは行きましょうか」

「そうね。まずこの先にある、フィグマンの街にあるギルドに向かいましょう」


 メシュは普段通りの春色笑顔で肯定すると、若葉萌える深緑の絨毯を踏みしめ、緑豊かなフィグマンの街へと足を進めた。








 フィグマン街ギルド。

 中心街と違ってちゃんとしたギルドであり、勇者や冒険者、ギルドナイトなどが、皆思い思いの依頼を受注していく。

 受付嬢では無く、窓口の兄ちゃんが死地へと送り出す。という、神保たちが思うギルドの常識とは、若干変わっているギルドである。


 神保たちがドアを開けてギルドに闖入したが、誰ひとりとしてその様子を物珍しそうに眺めることも無く。

 営業スマイル100点満点の若い兄ちゃんが、姿勢良く神保たちの前に現れ、右手を伸ばして軽やかに三人を誘導する。


「どうぞ、フィグマンギルドでは初めてですね。あちらに再登録窓口がございますので、順番にお並び願います」


 輝かしい笑顔のため、萌やメシュの心が奪われていないかどうか。神保は一瞬心配になったが。

 特に気にする様子無く再登録窓口に並ぶ状況に安堵し。メシュ、萌、神保の順に再登録なるものを澄ませることにする。


 窓口の兄ちゃんは常時極上スマイルを発しており。神保は自身の番が来るまで、幾数回か『ここはホストクラブだったか』と不安になった。


「はい、次の方」


 心を遥か彼方へと旅に出していると、突如呼ばれたことに気がつき、ボサッと突っ立っていた神保はフッと我に返る。

 辺りを見渡すと、登録を終了させたらしい萌とメシュが後方の椅子に腰掛けており。バツの悪さのためか、神保は多少顔を赤らめながら、先ほど書き換えたばかりのギルドカードを受付の兄ちゃんへと差し出す。


「は、はい。秋葉神保です」

「はい。ちょっと待っててくださいね。えーと、秋葉神保……秋葉神保。ああ、異世界からお出でのお方でしたか。どうも、先ほどあちらの女性にも説明しましたが、一応もう一度解説させていただきます」


 神保は内心ホッとする。

 事実。受付の兄ちゃんが萌に説明をしているところを、神保はこれっぽっちも聞いていなかったのだ。そのため、最初から説明していただかないと、後で何か面倒事が起こったとき、神保は非常に困苦するところだった。

 受付の兄ちゃんは一度咳払いをして、清々しいほど爽やかな笑顔を浮かべると。

 まるで語りかけるかのように、聴き心地の良い声音で淡々と話し始める。


「フィグマンの街付近には、森や孤島もあり。連なった山脈なども存在するため、モンスターや怪物などが街へ姿を現すことが非常に多いのです。ですが、オークや怪物も生物であることに違いはありません。そのため当ギルドでは、討伐依頼を与えられていないモンスターの討伐は、行うことを固く禁じております。ですが、全てのモンスターを無視するわけにもいかないのが現状でして……。ええ、そこに張り出されているモンスターのみは、“討伐願いモンスター”となっておりますので。出会い、闘うことのできるレベルまで達していましたら、ぜひ討伐か捕獲をお願いいたします」


 兄ちゃんが指差す先には、“オークゾンビ”や“バーサーカー”など。存在するだけで危害を及ぼす魔物が複数体書かれていた。


 だが、この量では流石の神保でも覚えることは不可能だろう。

 細かく分けると百種類以上は書かれている。

 ここまでするなら、もう討伐全面解禁で良いのでは無いか。などと思うのだが、中にはエルフやオークのように身を守る手段に欠けている種族も存在するため。そんな単純なことにはならないらしい。


 神保は指さされた注意書きを凝視し、脳内に焼き付かせようと必死に文字を目で追っていると。窓口の兄ちゃんから、神保は肩を指先でチョンと突っつかれ、不快感を感じさせない清らかな笑顔でニコリと微笑まれる。


「詳細や、あれと同じ説明はこの紙に書いてありますので、良かったらご覧下さい」


 ホストスマイルで手渡された一枚の紙には、今現在神保が記憶しようと試みた注意書きと全く同じ文字が書かれており。

 その他、薬草が採れる地域の解説。危険度の高い魔物。タヌキとムジナのように類似している魔物の絵と、至極詳細な見分け方が的確に記され。

 初心者にも解りやすく、素晴らしくためになる物であった。


「なるほど、これを見ながら依頼を……」

「そうですね。その紙は、初めての冒険者様たちには無償で差し上げております。ギルド納品の解説なども裏にあるので、お出かけの前には隅々までお読みを――それと、秋葉神保様がどれだけの力を持たれているのか判りかねますので。本ギルドでの最初の受注は、他国での功績関係無しに『ゴブリン追い出し』の依頼を受注願いますが、それでもよろしいでしょうか?」


 神保は瞬間的にムッときたが。

 実際この紙を凝視しながら、未知の土地で依頼を受けなければならないのだ。

 無駄にレベルの高い依頼を受注し、ボロボロになって帰還すれば威厳が丸つぶれになってしまう。

 ここは慎重に、窓口の兄ちゃんに従ったほうが賢明だろう。


「分かりました。では、『ゴブリン追い出し』の依頼を、この三人で受注します」

「はい、行ってらっしゃいませ。お気を付けてお戻りください」




 ◇




 輝かしいほどのホストスマイルに送り出されたが、神保は嬉しくも何とも無かった。

 しかも『行ってらっしゃいませ』は、メイドさんが言う言葉だろう。

 何故窓口の兄ちゃんに、爽やかスマイルで言われなければならないのか。


「神保さん。『ゴブリン追い出し』って、掃討すれば良いってことかしら?」

「いえ。ゴブリンは討伐厳禁種の魔物なので、畑を荒らしているゴブリンを元の住処へと追い返す依頼らしいです」


 “掃討”とは。虫も殺せそうに無い春色笑顔で、これまた物騒なことを言うお方である。

 メシュは片頬に当てた手で顔を若干撫でると、先ほどもらった注意書きをもう一度読み直し始めた。

 神保はその様子を一瞥し。歩行速度を緩め、メシュの斜め後ろからヒョコヒョコと付いてくる萌の隣へと身体を並べる。


「萌、どうしたの?」

「うん。この防具、すっごくお腹周りとかが出てるから。冷えないかちょっと心配で……」


 神保は思わず視線を下ろす。

 萌が着込む衣装からは、健康的なくびれとともに縦筋で綺麗なおへそが艶やかに顔を覗かせている。

 確かに少し心配だ。

 RPGとかの女戦士は普通にこの格好で冒険をしているが、萌は普通の女の子であり。ましてやこの世界はゲームでは無い。

 温度や湿度の問題も生じるだろうし、虫刺されや怪我の原因にもなるのでは無いか。


「寒くないか?」

「うん。別に寒さは感じないけど……あれ?」


 萌は何やら胸元に手を突っ込むと。鎖骨の辺りから、何やらジッパーのような物を引っ張り出した。

 雨合羽に付属しているように粗雑な作りをしており。まるで後から付けたような、萌が身につける武具とは似つかない材質をしているようだったが。

 萌はしばしそれを眺め、何やらピンと来たように拳で手のひらを叩くと。

 表情一つ変えず、ジィィィィと音を立てながらジッパーを下ろした。

 すると、胸周りを覆っていた鎧から私服生地の衣服が姿を現し。色っぽかった萌のお腹周りは、突如現れたカーテンにより、普通の私服姿のように変貌した。

 神保の視界から美麗な縦筋が姿を消し、何とも言えぬ残念な気分が、神保の心中をグルグルと渦巻く。

 萌はちょっぴり照れた様子で神保を見やり。


「ごめんね。神保はさっきの格好好きかもしれないけど、女の子だって、寒い時は寒いんだよ?」


 心を読まれたかと思うほどの的確な言葉に、神保は心臓がひっくり返るほど驚き、金魚のように口をパクパクさせたまま黙ってしまった。

 萌はその様子を見て嫣然とはにかんだが。神保は気まずさのためか、目を逸していたために、せっかくの萌特製春色笑顔を堪能することが出来なかった。


 その様子を微笑ましげに眺めていたメシュは「あらあら」と嬉しそうに呟くと、小さく咳払いをして、楽しそうに歩く二人の異世界人に声をかける。


「二人ともー! もうすぐ目的地の畑に辿り着くんだから、ちゃんと前を向いて――ひゃぅん!」


 突如視界が反転し、メシュは柔らかい土へと身を投げ出された。

 何も無いところで転ぶわけが無く。メシュは笑顔のまま困惑した様子を見せ、自身が何につまずいたのかを必死に探っている。

 メシュが転ぶ一部始終を眺めていた神保と萌は、あまりのお約束展開に微笑みを隠せず。顔を見合わせては頬を緩め合う。


 ――メシュは、彼女自身の垂れたキツネ尻尾を踏みつけ。可愛らしくステコンと転んだのである。




 ◇




 依頼通り目的地の畑に着くと。おびただしい数のゴブリンが、畑中の野菜をせっせと強奪している情景が広がっていた。

 ゴブリンとは言っても、ファンタジックな鼻が低く醜い小人種では無く。体表が深緑色をした人間のような容姿をしている。

 一人一人顔つきは違い、畑荒らしの中には女性型のゴブリンもいるようで。

 ツルハシやクワを持って、埋まっているカボチャのような野菜を転がして森へと運んでいた。


 神保と萌は、その情景を見て絶句する。

 グラフィックで見るよりもグロテスクな見た目をしており、あんな生物が目の前を歩いているというだけで、精神的に参ってくるのだ。

 だが逆に、簡単に殺害できない。というのもまた事実であり。

 ほぼ人間と同じ身体つきをした生物を問答無用で惨殺することは、確かに法に違反しそうである。

 奴隷を普通に売りさばくロキス国と違い、フィグマン街では人外生物との交流は最先端を突っ走っているようだった。


「しかし……こう言っちゃ何だが、気色悪いな」

「こいつらをどうやって追い返せば良いのかしら」


 時折顔を背けては、苦虫を噛み潰したかのように眉を歪め。二人の異世界人は、畑に足を踏み入れる前から、もう戦意を消失していた。

 ゴブリンと言うよりは“エイリアン”と呼んだほうが近いかもしれない。

 最もこの世界に、“宇宙人”なる生命体が存在するのかどうか分からないことだが。


 メシュは春色笑顔で畑荒らしの状態を静かに眺めていたが。共に足を運んだ二人の異世界人が、戦闘を躊躇していることに気がつき。邪気の無い微笑みを崩さず、「あらあら」とだけ呟くと。

 頼りがいのあるお姉さんのような声音で、穏やかに言葉を紡ぐ。


「仕方ありませんね。ここは先輩である、メシュさんがお手本を見せてあげましょう。二人とも、下がってちゃんと見ててくださいね?」


 そう言って半歩前に出ると、メシュは胸の前で両腕を交差させ。大きく開いた手のひらに、淡く儚げな、幻想的な雰囲気を醸し出す緑色の光が集まってくる。

 光は指先まで到達し、美麗に研がれた形の良いツメが、発光ダイオードのように透き通る輝きを放ち。

 メシュの足元に、春風のように柔らかな空気が渦巻き始めた。

 温かく甘い香りを放つその風は徐々に動きを変え、やがてメシュの総身を包み込むようにまとわりつく。

 彼女は両手を広げたまま、押し出すように前方へと手のひらを向ける。

 突き出した腕に春風が絡みつき、黄土色がかった銀髪が風を受けて美麗に舞う。

 そのままメシュは右足を一歩前に出し、一瞬だけ虹彩異色な双眸(オッド・アイ)を見開き。


「舞い上がれぇっ!」


 刹那。メシュの突き出した手のひらから、春風のように暖かな突風が吹き。

 民家の畑を駆逐していたゴブリンたちを暖かな風が包み込み、問答無用で天空へと舞い上がらせた。

 地上にいたゴブリンたちは、まるで竜巻にでも襲われたかのように根こそぎ刈り取られ、傍の森林に向かって吹き荒れる旋風に巻かれ、彼らの住処へと強制送還させられた。

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