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第五十五話「採掘場での功績」

「あれ、そこにいたおじさんは?」


 萌がふと岩盤に目をやると、先程まで気を失っていたはずのシグナムが、煙のような静けさで、姿を消していることに気がついた。

 慌てて三人で辺りを見渡して見るものの、散らばった土砂や空になったお弁当箱が散乱しているだけであり。

 仕事に復帰したわけではなさそうである。


「どこ行ったのかしら。まだお手伝いの許可をもらっていないんですのに」


 メシュは残念そうに眉を下げ、片頬に手を添えて小さく溜息をつく。

 彼女はここでシグナムの手伝いをして、タイラーが精製する武具が出来上がるのを待とうと思っていたのである。

 フローズンの街は、ロキス国内にあるのだが。最北部に位置するため、中心街からはエラく離れている。

 そのためメシュは、『秋葉神保の功績を知らない人がいるかもしれない』と危惧し。ここで採掘場の手伝いをして、名前を売ろうと思ったのだ。


 ――断られないよう、耳元で精神魔術を囁いたのは内緒だ。


 メシュがもう一度辺りをグルリと見渡すと。トイレのドアでもノックしているかのように、岩盤をコツコツと叩いている神保の姿が目に入った。


「神保さん、何してるんですか?」

「あ、いえ」


 神保は短く答えると、その辺に放り出されたままのツルハシやスコップを指差して、推理ドラマのラストで探偵役が視聴者に事件の全貌を説明するかのように、語りかけるような口調で自身の考えを発す。


「お弁当箱や、採掘具。その他モロモロの備品が放置されたままなので、多分すぐに戻って来ると思うんです」


 メシュとしては、岩盤を叩いている行動についてが知りたかったのだが、神保が全くその事に触れないので、答えを問うのは諦めることにした。


「そっか、戻ってくるよね。ねぇ、メシュさん。だったら、責任者さんがいない間に手伝っちゃうってのはどうですか?」

「うーん。いわゆる靴屋さんの小人みたいなやつかしら? 寝てる間に靴ができてるって……あれでしょ?」


 萌の提案に、メシュは半ば納得する。

 確かに。『俺がやってやったんだぜ!』とドヤ顔で名前を売るより、疾風のように現れて疾風のように去っていくほうが、国民からの評判や反応も良いだろう。

 それこそヒーローであり、真の勇者である。


「そうね、萌さんの意見に賛成だわ。神保さん、ちょっと待っててね」


 メシュは首を15度程度傾け、片手を頬に添えたまま「うふふ」と微笑む。

 そして、フッと春色な笑みを停止させると、ルビーとエメラルドに輝く双眸をパッチリと開く。

 普段線のように目を細めているため、虹彩異色(オッド・アイ)な瞳を外界に晒すことは滅多にない。

 彼女が瞳を開くときとは、何かしら高等な“鑑定魔術”系統の魔術を行うときだけである。

 機械のように正確な動作で、一定範囲を視界に入れると。瞬き一つせず、黙ったまま二色の双眸に眩い光が映った。

 思わず見とれてしまうほどに美しい瞳。

 暫しその行動を行った後。メシュは両目を妖艶にパチンと閉じると、腰から生えたモフモフしたキツネ尻尾を忙しなくバサバサと扇がせる。

 顔に浮かんだ表情こそ、普段通り「うふふ」とでも聞こえそうな春色笑顔だが。

 キュンキュンと音を立てながら愛らしく跳ね回る尻尾を見ていると、実はすっごく褒めてもらいたいのではないか。と、ちょっぴり微笑ましくもある。


 メシュはニュートラルのポーズに戻り、何事も無かったかのように微笑みを振りまき。神保に視線を向けると、首を15度程度傾け。


「神保さん。……今から私が言うところに、思いっきり拳を打ち込んでください」

「拳を?」


 メシュは静かに小さく頷くと、片手を頬に添えたままモデルさんのような足使いで歩み、採掘場岩盤のとある一点をその細く長い指先で触れる。

 突っつくようなその行動に若干の色っぽさを感じ、しばし見とれてしまう。

 神保がその様子を無心に眺めていると、メシュは笑顔のまま顔を傾け。


「ここに、お願いします」

「ここか。……分かった」


 神保はメシュに後方へと下がっているように伝え。体内を駆け巡る膨大な量の魔力を、右手拳へと集中させる。

 淡い緑色に煌く光がまとわりつき、右腕にみるみる力が込もっていく。

 電流が走るような痺れが指先まで到達し、内側から亀裂が入るような膨張感を感じる。


「てぃぃぃぃぁぁぁああ!」


 体内魔力を放出しながら、加速する拳が岩盤へと右ストレートを放つ。

 衝撃波により辺りの土砂が吹き飛び、竜巻のような旋風が、地面に散らばる木の葉を舞い上がらせる。

 神保が放った右手拳は、天を裂くような爆音を響かせながら岩盤へとめり込んでいく。

 通常なら肉体にヒビや亀裂が入るのであろうが、拳にまとわりついた魔力が身体破壊を食い止める。

 全身の肉が吹き飛びそうになる暴風を堪えながら、無我夢中で神保はその拳を岩の中へと闖入させた。


「ああぁぁぁ!」


 ズボ……っと。嫌な音が響く。

 泥沼の中へ足を突っ込んだような不快感が腕を襲い、押し込んだ拳はまるで蟻地獄にはまったかのように、停止する術もなく徐々に吸い込まれていく。

 泥に食われている気分だ。

 凄く腕を引っ込めたいのだが、速度を出しすぎたか急には止まらない。


 ――車は急には止まれない。


 昔からある交通安全の標語が頭の中に羅列される。

 神保は情けないことに、片腕を岩壁に突っ込んだまま身動きがとれないという。まさに“周知(羞恥)の沙汰”へと連れ込まれてしまった。


「ヤバい、抜けない」

「ちょっ……! 大丈夫、神保」


 萌は心配そうな声を上げて駆け寄ってきたが。口元は若干ニヤつき、時折顔を背けては総身をカタカタと震わせる。

 笑っているらしい。

 気持ちは分かるが、凄く悲しい気分に陥る。

 腕を突っ込んで抜けなくなったとか、もう恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。

 ……この穴から腕を抜いたら、いっそのこと中に入ってしまおうか。


「神保、ほら。せーので引っこ抜くよ?」


 萌はとうとう俯き、神保の腕を掴む両手まで悪寒でも感じているかのように小刻みに震える。

 時折口元から漏れる「ふへっ……」とか「ひゃふっ」なる笑い声が、地味に可愛らしいのが微妙に腹立つ。


「せーのっ……。えいっ!」


 萌の掛け声とともに、神保の腕はスッポリと岩壁から抜き取られた。

 肘の辺りから粘土質でグレーな土がベットリとこびりついており、神保は自身の腕を眺めて顔をしかめる。


「二人とも~、危ないから逃げてー!」


 神保たちが岩盤の前で佇んだままでいると、仄かに柔らかさを感じさせるメシュの声が二人のところまで届く。

 片手を頬に添えたまま、もう一方の腕を天に向けて高く上げ、「お~い」とでも言うように大きく振っている。

 まるで、運動会で子供を見つけた親バカな両親のような……。

 と。神保がその様子を若干微笑ましげに眺めていると、萌が心配そうな顔をして神保の顔を覗き込む。


「ねぇ。さっきメシュさん、『危ないから逃げて』って言ってなかった?」


 萌のその言葉に、神保の心から微笑ましさが消え去った。

 手を振るメシュがあまりに普段通りなので気にしていなかったが、そういえば彼女の第一声は『逃げて』だった気がする。

 間延びした言葉遣いが危機感を感じさせないが、もし言葉通りのことが起きるのであれば、この場所は危険なのではないか。


 刹那。南極の氷山が崩れるような、大気を振動させる音が響き渡った。


 足元から揺らされているような感覚に、神保は思わず腰から崩れ落ちる。

 眼前に立ちはだかる岩壁はパリパリと音をたてながら、擦過傷のように小さな亀裂をその外壁に削り込んでいく。

 内部から崩れ落ちるような音が振動し。大地を揺るがせる。

 まるでガラスを割ったかのように嫌な音が響き、岩壁の表面がメロンのようにヒビまみれになった。


「神保! 危ない」

「俺は加速する!」


 神保は背中から加速魔術を繰り出し、咄嗟にお姫様抱っこをして萌を抱え込み。

 スケートリンクを華麗に滑り進むように、軽やかなステップでメシュの傍まで疾走した。

 刹那。氷山が崩壊するような、重圧的な轟音が背後から発生される。

 何かしらが粉砕されている状況なのだろうが。九死に一生を得た二人の異世界人には目もくれず、春色笑顔のお姉さんは片頬に手を当てたまま「あらあら」と、崩れ落ちる岩壁を線のような目で見つめている。


「あらあら。大丈夫ですか?」

「何であんな危険なことさせたんですか!」


 思わず叫んでしまうが、とりあえず神保の心に安堵感のようなものが発生した。

 実際神保には加速魔術があり、萌には短距離転移魔術がある。

 さらにメシュも高等な魔術を使えるはすだ。

 何かがあったとしても、多分この状況で取り返しのつかないことにはならなかったのだろう。


 もっとも。神保が拳を振り抜いたために、フローズン採掘場の三割方が瓦解してしまったのだが。



「神保さん、あれをご覧になってもらえますか?」


 スっと伸びた細く綺麗な腕。そしてそこから伸びる処女雪のように純白な指先。

 矢のように真っ直ぐ指し示すその先にあるものは、粉々に粉砕された岩壁と、必然的に生み出された瓦礫や土砂の塊だけである。


「何かあるのか?」

「魔石……」


 神保の疑問に答えたのは、彼の隣で一緒に一部始終を眺めていた萌だった。

 眉の辺りに手を当てて遠くを見る姿勢を取った萌は、パチクリと瞬きをして、必死に目を凝らしている。

 神保も同じように目を見開こうと頑張ったが、長く鬱陶しい前髪のせいで、大きく目を開くことができず。

 彼の目からは、剥がれ落ちてボロボロになった壁のみしか認識できない。


「魔石が、凄くたくさん……いっぱい、出てる……」


 萌の言葉に色々な意味で若干戸惑いながらも、神保たちは先ほど粉砕した岩壁へゆっくりと歩み寄る。

 これ以上崩れる予兆は無さそうだが。油断したせいで三人まとめて生き埋め状態、なんてことになったらどうしようも無い。

 そのため、どうしても三人の行動は慎重になってしまうのだ。


 メシュは一足先に岩壁までたどり着くと、頬に手を添えた花のような笑顔で振り返り、


「計画通り」


 と、邪気の無い微笑みを見せながら呟く。


「こんなに魔石って埋まってるんですね」

「そうね。とくに切り立った崖付近とかは、危険だからあまり掘ったりしないの。だから壁ごと壊しちゃえば、こうやって結構出てきたりするのよ」


 メシュの言葉を耳に入れながら。神保と萌は、日差しを反射して星空のように輝く岩壁を眺めていた。

 ロッククライミングでもできそうに、青々と煌く小さな魔石が、ヒビ割れた表面壁から宝石のように顔を覗かせている。


「綺麗ね……」


 萌は幸せそうに目を細め、神保の肩に彼女自身の顔を乗せた。

 その様子を一瞥したメシュは、普段通りの微笑みを絶やさず。


「想い人と見る景色って、普段以上に綺麗に見えたりしますよね」

「はい、そうなんですよ! 私が召喚される前にいた国の『桜』っていう花とかも、神保と見ると凄く綺麗に見えて本当素晴らしかったんですよ!」


 遠まわしの告白を受け、神保は顔を赤らめながらそっぽを向く。

 照れ隠しか、ズボンの裾を指先でつまみ、排泄を我慢しているかのように腰周りをモゾモゾとする。

 メシュはその様子を見て「あらあら」と何かを誤解したように微笑むと、萌の手を握り、神保に愛らしく手招きをして、天使のように愛らしく目を細めた。


「そろそろフローズンの街に戻りましょう。神保さんも、何か我慢できなくなっちゃったみたいだし」


 パチコンと可愛らしくかた目をつむり、スキップでもするように軽やかな足取りで採掘場から退去する。

 若干遅れて神保もそれに続き。フローズン採掘場には、文字通り誰もいなくなった。




 ◇




 メシュたちがフローズン採掘場を後にしてから、数時間後。


 腰を曲げながら辺りを伺うように採掘場まで戻ってきたシグナムは、放置されたままの布袋とツルハシを確認し、安心したように溜息をつく。

 何事も無く、三人は帰宅したらしい。

 まさか『フェイント』とか言って、茂みとか洞窟内から突然姿を現す。などということにはならないだろう。


「はぁ……。しかし、理由はどうあれ仕事中に逃亡するのは良くなかったな」


 シグナムは思わず行ってしまった己の行動を悔やみ、若干苦笑いをして、普段一服をするために誂えた岩壁に、腰を下ろそうと足を伸ばすと。


「あれ。座る場所がねぇ……」


 いつも座っている場所が忽然と姿を消している。

 代わりに、何故か膨大な量の土砂やら瓦礫が散々なほど積み重なっていた。

 シグナムは何が起こったのか理解できず。ただただ茫然と辺りを見渡し立ち尽くす。


「何だ、いったい……」


 心ここにあらず。といった様子で茫然と佇んでいると、突如頭上から何か石のような物が頭部へと落下してきた。

 少々尖っていたらしく、痛みも相まって思わず瞳に涙が滲む。

 シグナムは一瞬その石を恨み、怒りを込めて遠くへ投石しようかと思ったが。地面に落下したその石を手にとった瞬間、シグナムの表情は岩のように強ばった。


「……魔石?」


 シグナムが首を傾げていると、またしても痛みが後頭部を襲う。――それも複数回。二度や三度では無く、五、六回はぶつかったか。

 少年時代から“鈍感系男子”として定評のあったシグナムだったが、流石の彼でもこう何度も意石が落下してくれば、異変を感じないはずが無い。

 降り始めた雨を心配するような表情で、シグナムは落下方向を見据え、天を仰ぐ。


「魔石……?」


 シグナムがポカンと口を開けたまま壁を眺めていると、亀裂が入った壁から時折思い出したように、顔を出した魔石がポロっと落ちてくる。

 また一つ。上を向いたままなシグナムの鼻先に落下し、顔面の脂のために滑った魔石は、そのままスーっと物体運動に逆らわずに地上へと降下する。

 その様子を目の当たりにしたシグナムは、口元が緩み『うへへ』とか『うひょひょ』だとか気味の悪い声で笑い出し。


「神様ぁぁぁぁぁぁハッハッハぁぁぁハハハ!」


 “棚ぼた”とはまさにこのことであろう。

 シグナムは恥も外聞も無く、盛大に高笑いをしながら両手拳を振り上げ、天に向かって心から謝意を示した。

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