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第五十四話「期待と裏切り」

「ほら、そこやって頂戴」

「ん~……。良い気持ちだ。もっと下の方も強く頼むよ」

「あ、そこにある同人誌取ってー。中身は見ないでね」


 メシュたちが出発した民宿にて、ゴクウは住人全員にコキ使われていた。

 たった一人の男性として、淫魔たちからは甘い夜をプレゼントされたりするのでは無いか。と、多少なりとも期待はしていたのだが。

 どうもここの住人は全員秋葉神保に想いを寄せているようで、ゴクウのことはまるで、ゴミ虫以下の扱いをさせられていた。


「ゴクウ様、大丈夫ですか?」


 そんな彼に唯一温かみのある声をかけてくれるのは、上下関係には人一倍厳しい奴隷さんであるジャスミンのみだ。

 メリロットも優しく扱ってはくれるが、ほぼ同僚のような感じに接さられ。酷いときには『ゴクウー!』と呼び捨てにされる。

 何もかんもメシュが悪い。『好きに使え』とか言って放り出すとは。

 自分で言うのも何だが、一応お客様なのだがね。


「ジャスミン。ワシはもう疲れたよ……」


 ここで『それでは、お客様にご奉仕を兼ねて肩もみとマッサージでも……』なんて展開を期待したのがまずかったか。

 ジャスミンはうっとりとした面持ちで。


「ご主人様は、いつお戻りかなぁ……」


 と、頬を淡く染めて両手で包み込む。

 秋葉神保。何と手が速い男か。メイ奴隷まで落とし済みとはな。

 心を読まれたのか。それともジャスミンがひらつかせるミニスカートの裾に、妙な視線を送ったのがバレたのか。優しい目をしたジャスミンの双眸が、突如南極の氷のように冷ややかな瞳へと変貌する。


「まぁ。頑張ってください」


 感情を感じさせない冷徹なその言葉に、ゴクウの溶けかけていた心はまたしても凍結された。




 ◇




 耳元で囁かれる妖艶な吐息に、シグナムの精神テンションは少年時代に戻っている。

 他意のない言葉で舞い上がり。ちょっとした刺激で興奮する。

 人生経験を積み重ねるに連れ、徐々に失われていく“未知への冒険心”。少年という生き物は、いつでも何かを探求しようと試みているものなのだ。


「あの、」

「ねぇ、シグナムさん?」


 シグナムの全身に鳥肌のようなものが走る。

 この問いかけるような話し方が、妙に男心をくすぐるのだ。

 どんどん速まる鼓動。シグナムは色々な意味での興奮により、頭や視界がクラクラしてきた。

 素晴らしい肢体を魅せる淫魔と出会い。贅沢な暮らしができるようになり。次は妖艶な美女との甘い展開。

 生まれてこの方女性との縁が無かったシグナムの脳内は、もう正常な思考をするための回路が存在していない。

 回線が完璧にショートされ、“女性に酔う”という言葉を的確に表現している。


「シグナムさん。突然現れて、こんなことを申し上げるのも若干気が引けるのですが……」


 ねっとりと絡みつくような色っぽい声音。

 シグナムは脳内をイケナイ桃色に煌めかせ、うっとりと恍惚とした表情を浮かべてメシュを見やり、訓練された執事のように清らかな声で発す。


「何なりとお申し付けを、愛らしいキツネ耳のお方」

「あらあら。そんな口説き文句のテンプレみたいな言葉は、使わなくて結構ですわ」


 太陽が切れ切れの雲に隠れ。逆光で暗転していたキツネ耳の表情を、シグナムはやっと拝むことができた。

 視界に入ってきたのは、邪気の無い笑顔。そして、思わず「うふふ」とアテレコしてしまいそうに温かな春色笑顔。

 線のように細く、まったりしたような目も高評価だ。


「あらあら。そんなに人の顔を見つめるのは、ちょっと失礼ですよ?」


 第三者から見れば“あざとい”以外の何者でも無いのだが。それを目の前で体感している本人だとすれば話は別だ。

 疑問系の言葉遣いも。ちょっぴり怒ったような「メッ」とでも言うように、人差し指をピッと立てるポーズも。

 とにかく仕草の一つ一つが愛らしい。


 ――シグナムは色々と拗らせ、メシュの春色笑顔に完璧に堕とされているようである。


 メシュは「あらあら」と頬に手を添えながら、春色笑顔を一時も崩さず。全く悪意を感じさせない口調で、軽やかに語りかけた。


「ここのお手伝いをさせていただきたいの」








 熱い抱擁を交わし合い、全身が火照った二人は、制服のシャツをパタパタと扇がせながら、メシュが向かった細道を歩んでいた。

 獣道のような細く長い通路であり、神保はともかく、萌は上半身の一部分が数回引っかかり、その度に照れくさそうに顔を赤らめている。


「ごめんね神保……。こんな迷惑がかかるような、面倒くさい身体つきしてて……」


 申し訳無さそうに俯く萌の姿を見ると、幼馴染として気の利いた一言ぐらい言っておきたいのだが。

 今までこのような状況に陥ると、毎度のように“難聴”や“スルー力”が発動して良く聞こえなかったためか、ここで何と返せば正解なのか分からないのだ。


「そんなこと、無い」


 口に出してから、心の中で溜息が出る。

 何だこの感情の無い言葉は……。数ヶ月以上自室に引きこもって、やっと出てきた三番目の兄でさえ、もう少しまともな言葉を出していた。


『俺、将来の夢決まった。アニメ作る人になる』


 だったと思うが、内容はともかく。今神保が萌に放った言葉には、心が込もっていない。

 こんなことを言うのも何だが、“難聴”を取り戻したかった。

 “聞きたくないふざけたセリフは聞かないことにする”。そんな人生は確かにつまらないだろう。逃げているだけだ。

 だが、あっても無くても相手を傷つけてしまうのなら。いっそのこと――、


「あたしさ」


 制服中に木の葉や木の枝を散りばめた萌が、全身に付いた葉っぱや小枝などのゴミを、道端に捨てながら神保へと語りかける。


「神保から難聴能力が消えてくれて、良かったと思う。……聞きたく無かったら、“一人の幼馴染が垂れ流す戯言”程度に聞き流してくれて良いから。……何ていうか、今まで私……神保が局地的難聴になってから、ずっと自分の想いを伝えようともしなかった。出来ないってことを理由にして、逃げてたんだと思う」


 だから。と萌はひと呼吸置き、神保の顔を凝視する。

 顔が火照り、呼吸も荒くなり。時折自身の大きな胸に手を宛てがい、思い出したように、大きく長い息を吐く。


「私はこの旅が終わるまでに、絶対神保に想いを伝えるから」

「待って。それ死亡フラグだし、それに俺“鈍感系”とか持って無いから実質これが一種のこ、」


 突然の告白まがいの行動に、いつになく神保はたじろいでしまう。

 この世界に召喚される直前にも、これに似たことは言われたが。神保の中であれは半分以上冗談だと受け止めていたのだ。

 自分でも非常に情けないと思いながらも、神保は顔中から滝のような汗を流し、顔を真っ赤に紅潮させる。

 思わず顔を逸らして俯いていると、神保の頭に例えようも無い心地よさが舞い降りた。

 優しく温かみのある手。

 萌が神保の頭を撫でているのだ。

 普段は“撫でるほう”である神保としては、女の子に優しく頭を撫でられる。などまさに未知の体験である。


「良かった……」


 萌の安堵したような声音に、神保は目だけで萌の顔を見やった。

 淡い桜色に染まった頬と、瞳から溢れる一筋の光が目に入る。

 目の前に佇む大切な幼馴染は、この上無い幸福を感じながら、神保の長い前髪を優しくなぞった。


「神保、戻ってきた。さっきみたいに焦ったり突っ込んだり、良く口が回る神保の方が、私は良いと思うな」

「それ、褒めてるの? もしかしなくても、遠まわしにけなしてたり、」

「それだよ。幼馴染に遠慮なんかして、さっきみたいにどうとでも取れる言葉を使うのは無しなんだからね!」


 涙に濡れた顔には、炎天下に咲くひまわりのように輝かしい笑顔が浮かんでいる。


 ああ。考えすぎてたのか。


 感極まり、泣いているのか笑っているのか分からない萌の顔を見て。神保は心の中で酷く失礼な事を考えていた。


 ――泣いてる女の子と笑ってる女の子は可愛い。って良く聞くけど、中途半端に両立してても特別可愛いとは思わないな……。




 ◇




 シグナムは頭の中が真っ白になった。

 処女雪のように美しい純白の脳内は、どこまで行っても“白”のみであり。先ほどまで彼の脳内を支配していた煩悩や期待は、亀裂が入った南極氷山のようにガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 例えるならば。

 個人商店で店長やってたとして。超絶美女が物憂げに闖入し、『あたなに大事なお話があります』とか言って上目遣いで見つめ。

 これは告白か! というシチュエージョンで、カバンから『アルバイト募集』のチラシを見せられたような……。ダメだ。自分でも良く分からねぇ。


 シグナムは虚ろな目をして茫然と虚空を眺めている。

 目の前には可愛らしいキツネ耳なお姉さんが春色笑顔で佇んでいるのだが、シグナムの瞳にその姿は映っていない。

 死んだ魚のような目をしたまま動かなくなったシグナムを心配し、メシュは半開きになった口の前でしきりに手を振ってみる。


「あの。シグナムさん?」

「あー、うー」


 返事が無い。完全に魂が抜け飛んでいるようだ。

 メシュは今まで、絶望の境地に立たされた人間の素顔を幾度となく見てきたが。

 ここまで酷い顔を見るのは初めてである。

 濁った双眸を空に向け。半開きになった口元はカサカサに乾ききって、唇には亀裂が入っている。

 死に直面した人間でももう少しまともな顔をするだろう。と、思いながらも。メシュはこの状況下でも春風のように暖かい微笑みを崩さず、頬に手を添えたまま「あらあら」と静かに見守っていた。





「メシュさ~ん!」


 涙のために赤くなった鼻と目を拭いながら、萌は神保を連れてフローズン採掘場の最奥部まで駆けてきた。

 だが、いつになく困惑した表情を浮かべるメシュを見て。思わず萌と神保は足を止め、その場で一旦停止する。

 笑顔と微笑みをモットーに生きているようなあのキツネ耳が、眉毛を『ハ』の字にして焦ったように辺りを見渡しているのだ。

 この状況に直面した異世界人二人は、いったいこの身に何が起こったのか。と不安になる。


 そんな二人の心情を知らぬメシュは、自身が振り返った刹那。立ち止まって動かない二人を見て、『ダルマさんが転んだ』でもしているのか。と、15度程度首を傾げる。


「あらあら。二人とも、動いて大丈夫よ」


 メシュがそう語りかけるように言うと、萌と神保は顔を見合わせてから駆け足でメシュの傍まで寄ってきた。


「あの、何があったんですか?」

「ん~……? 良く分からないんだけど、突然シグナムさんが倒れたまま動かなくなったのよ」

「緊急心不全じゃ無いですよね!?」


 放心状態で固まっていたシグナムは、突然悍ましい響きをする病名を告げられ、驚愕のあまり、辺りを浮遊していた魂が帰還してきた。

 我に帰ったシグナムの前では、三人の男女が集まって、何やら真剣な表情で何かしらの会話をしている。

 シグナムの脳裏に嫌な予感が駆け巡った。

 まさかとは思うが。王宮からの臨時調査ではあるまいな。

 だとすれば、今現在シグナムの立ち位置は、この上無い窮地に立たされていることとなる。

 臨時調査官の目の前で昼寝をぶっこいてる時点で、もはやシグナムに待っているのは、泣く子も大泣きするほどに脅威の“罰”のみだろう。

 しかも岩陰には、家に持ち帰ろうとして布袋に詰め込んだ魔石がゴロゴロと転がっている。

 どっからどう見ても、どう弁解しても。これは確実に“魔石横領罪”になってしまう。

 シグナムは自身が起きていることに勘付かれ無いよう、そっと薄目を開けて三人の様子を眺める。


 一人はさっきの美麗なお姉さん。

 二人目は、やけに前髪が長い一見根暗な少年。

 三人目は――スタイル抜群で割と可愛らしい少女。


 逃げられるだろうか。

 シグナムも一応、冒険者を目指して訓練を積んだことのある戦士である。

 もう身体はガタガタで、戦闘に参加したり走ったりすることは苦手だが。毎日穴を掘る仕事を続けている分、腕と手の力だけは同年代のおっさんと比べれば割とある方だと思う。


 ――逃げよう。すたこらさっさと逃げるのだ。


 シグナムは三人に見つからないようにそ~っと身体を起こし、漫画に出てくるドロボウさんのように、つま先立ちをしてさっさとその場から立ち去った。

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