第六話「受付嬢ルルシィ」
自暴自棄とは恐ろしい言葉である。“どうせ”や“結局”なども同様であり、そのような言葉を最近良く使うな。と思ったら注意が必要だ。
秋葉神保はまさに今、そのような状況に陥っている。
異世界に召喚されて真っ先に前科持ちになるなど考えもしなかった。普通考え無いだろう。
誰だって“異世界”には夢や希望を持っているだろうし、神保に至っては召喚するかしないかの猶予もあったわけで。
後悔して何かを攻めるとなると、実質自分の決断力欠如によるものに行き着いてしまうのだ。
実際。この程度で不安定になるほど、秋葉神保という男はやわでは無いのだが。
◇
数値では観測できない速度で家まで戻ると、部屋のど真ん中にあるテーブルの上に重箱がポツンと置き去りになっていた。
神保がこの世界の料理本とにらめっこしながら必死に作ったお弁当であり、萌とアキハからすれば、大好きな男の子が心を込めて作ってくれたお昼ご飯である。
どんなに金を積んでも手に入らない、最高の宝物を忘れたアキハの頭に、もう一度萌の拳が落下する。
「あわてんぼ」
「ごめんなさい……」
「ダメだよ萌。女の子の頭をそんなに叩いちゃ……」
神保が思わずアキハの頭を撫でてしまい。
ナデポ発動。
デレ具合とは累乗するのか、アキハは何度でもデレる。
このままデレが加算されていくと、いつかヤンデレになってしまうのでは無いかと少々心配だが。
愛に限度は無い。
神保はこの言葉を信じることにして、テーブル上の重箱をアキハのポケットの中へと仕舞った。
「では行くぞ」
二度目の出発。
神保は地図を眺めてまだ通っていない森や草原を探す。
幸い荒野と荒れ山を通れば、多少遠回りになるにしても中心街に行けることが判明したので、神保は身体を斜め45度傾け、背中から発するビームでどんどん加速していった。
二週目の魔力集めも大体同じである。
突き出した拳が貫いた魔物やゴブリンの魔力も奪い、荒野中の魔力が枯渇した。
この後で、この荒野に魔力集めに来た勇者やギルドナイトがいたら涙目である。
神保は加速ついでに山を三つほど破壊していった。
ふもとから突っ込んで、高大な山々に続々とトンネルが作られる。
ついでに山の主である龍神をいともたやすく拳一つで抹殺したのだが、抹殺した張本人である神保は『おっ! 何故か魔力がめちゃくちゃ集まった』と、倒した事実どころか、出会ったことにさえ気づかなかった。
先ほど一旦停止した草原も駆け抜け、神保の加速は限度を知らない。
龍神から奪い取った魔力のおかげか、神保の体内に魔力がどんどんみなぎっていくのだ。
「そろそろストォーップ!」
アキハが叫んでから、森を二つ超えたところでやっと止まる。速度を出しすぎると止まるのに時間がかかるのはどこの世界でも同じである。
その間にも神保の体内魔力は格段に溜まっていた。
「どうした?」
「これ以上先もこうやって行ったら、流石に捕まっちゃうよ」
アキハの視線の先にはもう中心街の端っこが見えていた。
こちらから見えているということは、向こうからも自分たちの姿が見られているという事。
とくに今いる場所は開けた場所であり、中心街のすぐそばの森林を破壊する真似など行えば、たちまち三人とも打ち首だろう。
この世界は結構人の命を粗末に扱うのだ。
「ここからはどうする?」
「とりあえず……ご飯食べてからにしよっ?」
アキハはポケットから重箱を出して地面に広げた。
神保は料理上手であり、その腕前は母親譲りである。
彼の母親は高校時代に手作り弁当で意中の男性をコロリと落とした事もある。
実際は部屋に張ってあるアニメキャラのポスターに食わせただけであり。 当時の彼女は男の子はおろか集団内で誰かに話しかけることもままならなく、三次元の男性に手作りのお弁当を食べさせるのは普通に不可能なことであった。
だが腕は良かった。
高校生が過ごす通常の青春とは、友達や恋人といろいろな場所へ行って甘いラブロマンスを体験したり、放課後に寄った店でお揃いの物を買ったり。
とりあえず学生の青春は時間と金がかかる。
だがそういった人付き合いの全くなかった彼の母親は、自身の青春を全てアニメと料理に費やした。
アニメはともかく料理は生活に必要なものだからとしっかり覚え、普通の主婦をやっているのが勿体無いくらいの腕まで成長した。
だが彼女はそれを悔やんでいた。
料理とかアニメなら大人になってからいつでも出来た。
でも高校生同士の甘酸っぱい恋愛や青春はもう二度と体験出来ない。
彼女は自分の失敗を踏み台にし。若干ズレた家族と結束して最高の息子、神保を育て上げたのだった。
「凄く美味しい! 神保君ヤバい!」
「ありがとう。アキハ、そう言ってもらえると嬉しいよ」
アキハは難聴に阻害されない言葉を必死に選び会話する。
神保以外の物を褒めたり『ヤバい』などのどうとでも取れる言葉は聞こえるようだ。
幸い神保は鈍感系では無いので、少しずつ自分の気持ちに気づいてもらえれば良い。
人生まだまだこれからである。
「神保っ! あ~んして?」
「うん。ありがと、萌」
萌のお箸から直接唐揚げ(のような物。鶏肉では無いと思われる)を口で受け取る。
「もう一度だよ?」
萌は次々とおかずを神保の口へと放り込む。
神保の特殊能力の一つである『女の子の好意を断れない』が発動した。
行為では無く好意であり、別にやらしい意味では無い。
作った本人でさえ材料不明な食物を大量に詰め込まれ、神保は苦しくなり――はっきり言うと辛かった。
だがもう一つ『美味しく残さず食べる』の発動により、神保は何とかリバースカードを発動せずに済んだ。
「さて出発しましょう」
食休みの終了した三人はゆっくりと草原を歩き出す。
今までのようにふざけた速度で突っ走る事ができないのでやや不便に感じるが、本来人間の移動手段とはこっちが正解である。
背中から加速魔術を放出して衝撃波で加速する――こんな移動方法は世界中どこを探しても出てこないだろう。
一般的で無いだけで実際はあるのかもしれないが。
「中心街に着いたら何をするんだ?」
「とりあえずギルドに登録しなければなりません。日本で言うところのパスポートを作る事に近いことです」
「前科があっても良いのか?」
アキハは笑顔のまま黙ったが、神保はとりあえず、沈黙は肯定の返事として受け取ることにした。
意外とポジティブである。
「なぁ……少しぐらいビームを――」
「いけません! ギルドの方に見つかったら殺されますよ」
「じゃあ私の短距離ワープを使おっか?」
萌が神保の腕をキュッと抱きしめる。
柔らかい膨らみが布越しに神保の腕に押し付けられ、神保の表情が若干緩む。
流石の神保でも、女の子の身体の柔らかさが持つ魅力には勝てない。
嬉しそうな神保の表情を見て、少々悲しそうな顔をしたアキハが神保の身体にぺったりくっつく。
「そうね。萌の短距離ワープなら問題無いと思うの」
「じゃ! それで決まりね」
数メートル感覚での瞬間移動。
地上に足が着くたびに視界がグラグラ揺れる。
発動者である萌はそんなこと無いのだが、乗客であるアキハと神保は違う。
荒い運転の車で運転手が酔わないのと同じような原理である。
歩いたほうが絶対楽だと思われる萌の短距離ワープを利用し、一般道を走る車と同じくらいの速度で、三人は中心街へと向かっていった。
中心街に着いた途端、アキハと神保はぐったりと地面に倒れこむ。
元気なのは萌だけであり。彼女は腕を伸ばし小さくあくびをすると、ブッ倒れた二人を置き去りにしてさっさとギルドへと向かっていく。
何と薄情な娘か。
事実彼女は魔力を使った自分が一番疲れているものだと思っていた。
だから置いて言っても二人は勝手についてくると思っている。
「おーそーいーよー!」
元気に手を振る輝くような笑顔の萌。
普通なら太陽のように明るく元気の出る行動なのだが、絶賛乗り物酔い中の二人にとってその行動は、地獄で体験する悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
冒険者ギルド。
――その隣の住民票登録ギルドへと三人は向かう。
三人ともすっかり忘れていたが、神保と萌は転生者なのでこの世界に戸籍が無いのである。
戸籍が無い状態でもし死亡すると、永久にどこの誰だか分からなくなり非常に困ったことになる。そうなると大変です。
そのため転生者はどこかのギルドに転生届けを出さなければならない。
簡単に言えば役所に出生届けを出すようなことだ。
「秋葉神保です」
「代々木萌ですっ」
ギルドの受付人はペンでカリカリと書類を書くと、そばにいるフクロウにその紙を食べさせた。
この世界の魔法生物で、一種の永久記憶媒体のようなものらしい。
――無限容量のハードディスクのような物ですね。
「保護人――あー……召喚者は?」
「私です!」
アキハはウサギのように飛び上がり、受付人の前に颯爽と飛び出す。
『えへん、偉いでしょう』とでも言うように、腰に両手を当て、小さな胸を張って堂々と構えた。
「召喚許可は?」
「……してないです」
「契約違反だから打ち首ね」
これだけで打ち首。
何て怖い世界であろうか。
アキハはムチで一発首筋を叩かれ「エヘヘ」と照れながら笑う。
どうやら首の後ろをムチで打たれるだけらしい。
これでも十分痛いのではあるが。アキハは首の裏に膏薬魔法を張っていた。
簡単に言えば湿布の事である。
「お待たせっ! 早速だけど宿屋さんを探す? それともお隣のギルドで何か受注してく?」
萌と神保は互いに顔を見合わせて頷き合う。こういう時、お互いに考えていることを分かり合えるのが幼馴染の素晴らしいところである。
非リアから見れば、思わず地面を殴りたくなるほど羨ましいアイコンタクト。
これこそ『息がぴったり』と呼ぶにふさわしい光景だ。将来結婚すれば、新婚時代から熟練夫婦の貫禄を醸し出しそうでもある。
二人は嬉しそうにはにかみながら、お互いの顔を見合って「せーの」とでも聞こえそうなポーズをとり。以下の言葉を同時に言い放った。
「疲れたし宿を探すわ」
「ちょっとギルドの見学に行ってくる」
ちょっとした手違いどころでは済まされない、神様も驚愕の失態。
あれだけ期待させておいて、こんな結末を誰が予想できたか。
見事に意見は断裂した。
「じゃあ宿屋さん探してくるから! 神保、また後でね!」
元気よく手を振りながら萌とアキハは中心街の中へ消えていく。
ギルド見学はどうやら神保一人の提案だったらしく、仕方なく彼は一人で隣の冒険者ギルドへと向かう。
「ゲームみたいにクエストとかが張ってあるのかな……?」
西部劇に出てくる酒場のような木で作られたドアを開けると、ギルドの建物内では少年少女から老人まで老若男女でごった返していた。
冒険者ギルドと言っても集会所のような物であり、ここに本当に依頼を受注しに来る人間はほとんどいない。
しかし異世界人である神保がそのような事を知るはずもなく。
「冒険者ってこんなにいるんだな。流石中心街だ」
神保は華麗に『チャリで来た』のポーズをとり、静かに笑顔を向ける受付嬢に声をかける。
「依頼を受注したい」
「ええっ! 受注ですか? しょっ……少々お待ちください」
受付嬢であるルルシィは困惑していた。
自分はもうこのギルドに努めて数年になるが、依頼を受注しにわざわざ来るお客様の対応をするのは今日が初めてである。
事実彼女は愚痴の聞き役や悩み相談、旅行者のための街案内くらいしか仕事をこなした事が無い。
それは別に彼女がぐーたらな不真面目女なわけでは無く、単に仕事が無かったからである。
この間ここを退職した受付嬢さん(お婆さんなので“嬢”は変だが)も、依頼受注の相手は過去に一度しかしたことが無いと言っていた。
支部ギルドにはまだ受付依頼などはあるらしいが、こう人の多い街付近には魔物は棲みつかず、しかも魔石などは普通に市場に売っているので冒険に行く必要が無いのだ。
ちなみにこのような大きなギルドに来る依頼とは――
「魔王を討伐してくれ」
「無限迷宮の最下層ってどうなってるの」
「古代龍か古龍見つけたら素材持ってきて見せて」
「ど……どれになさいますかぁ……?」
ルルシィは顔を引きつらせながら頑張って笑顔を作りながら上記の三つの依頼を受注者(神保)に見せる。
上から順に依頼者は『ボケかけたお爺さん』、『やんちゃな坊や』、『退屈な変態貴族』
――はっきり言って変な人たちである。
まともな依頼はそもそも入って来ないのだ。
「もし気に入った依頼が無いのでしたら、支部に来た依頼を探しますが……」
「じゃあ魔王を討伐してくる」
「は……ひゃへっ!」
驚愕のあまりルルシィは舌を思いっきり噛んだ。
魔王討伐ですって?
「魔王は自分で探します。そうだ……許可証を発行してもらえると聞いたんですが」
「は……はぃ、ただいま……」
埃が積もった書類の束から許可証を取り出す。
いわゆる冒険者を法の裁きなどから守るためのものだ。
「えーと……ぼ、冒険者様が依頼を完了するまで、冒険者様が起こした問題や犯罪は……当ギルドが責任をもって許可いたします」
何度も言葉を詰まらせながらルルシィは必死に説明する。
ギルドカードといった大層な物は無いので差し上げられないが、一応支部ギルドにギルカの注文をすることにした。
「では行ってらっしゃい、お気を付けを……」
「ありがとう。お姉さん」
少年神保は片手で小さく手を振ると、駆け足にギルドを飛び出していく。
一応お見送りをしようと思い、ルルシィはギルドから出たが、今出て行った少年の姿は影も形も無かった。
「俺は加速する!」
神保は加速をする。
もう神保を縛り付ける法なる物は無い。
向かい風を受け流す魔法を前方に張りながら、神保は時速40キロ程度の速度で街を出た。
流石に一般人のいる場所でジェット機以上のスピードを出すわけにはいかない。
神保は罪に問われないが、無関係な人間を巻き込むほど彼は無頓着な人間では無いのだ。
――魔物には容赦無かったが。
「魔王ってどこにいるのかなぁ……」
魔王どころかこの辺りの地図も無い。
というより彼は、己自身以外に何も持たずに依頼を受けてしまった。
――服は着ているけど。
「とりあえず森にでも入ってみるか」
神保がまだ突入していない森がそばに残っている。
彼は周りに人がいないことを確認して背中の毛穴から加速魔術を一気に発射した。
音速ジェットを超越する速度である。
神保は拳を突き出したまま全速で前進する。
彼が直進する道に存在するべく物は、彼の拳が触れた途端一瞬で何もかもが消滅する。
木々は粉砕され岩は粉々になり、森中の魔石はその拳に吸い取られる。
魔力が消えるという点では一種のそげぶと言うべきか。