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第五十三話「採掘場の春風」

 タイラーは高級な素材を各地から取り寄せ、普段通り作業場へと石のように篭った。

 他の予約を一旦待ってもらい、二人用の防具作成に取り掛かる。

 女勇者系の装備は大体頭の中で作り出さたので、あとはそれを形にするだけなのだが。

 問題は神保なる男性用装備の方だ。

 メシュとか言うキツネ耳が言うには、“伝説の勇者”や“帝王”と言っていたが。

 伝説の勇者はともかく、帝王とはどのようなものなのだろうか。

 予定では黒っぽい革製のマントに、ルビーや金属をあつらえ。高級感を出そうかという方向で考えているのだが。

 妥協はしたくない。タイラーが一番悲しいこととは、魂を込めて精製した武具を手にした客が、残念そうな表情を浮かべることである。

 仕方無いか。などと思わせてはいけない。

 『ここに頼んで良かった!』と思わせたいのだ。

 何かを作る仕事をしている人間として、そう思うのは致し方無いことであり。いつでも一番良いものを目指す。という点では、タイラーはこの精神を誇りに思っていた。




 ◇




 ――フローズン採掘場。


 採掘場責任者のシグナムは、掻き出した土砂の中から魔石や素材として使用できる鉱石を発掘している。

 数ヶ月前にリーゼアリスなる淫魔が魔弾を撃ち込んだためか。採掘場の土砂や岩盤がまるで粘土のように軟化して、採掘の手間が非常に省かれることとなっていた。

 フリーゼン軍団の青年たちも、他に仕事を見つけてしまい。

 現在シグナムは、近隣のギルドに『採掘手伝い』という依頼を臨時で時偶張り出している。

 採掘効率が異様に良いので、皇帝や取締にどやされることも無く。

 休憩時間に飲食する弁当を買う余裕もできて、今では採掘用の機材を購入しようか、などと考えたりもしている。


 リーゼアリスが開けた大穴はシグナムの手によって徐々に掘り進められ、元の数倍以上へと空間が膨れ上がっていた。

 だが、未だにシグナムは極魔石オリハルコンを発掘できていなく。現在彼は、『死ぬまでに一度は、オリハルコンを自分の手で発掘する』という目標を持って、毎日採掘を続けているのだ。



「さて、一休みするか」


 一通り土砂を掘り返し、数百個の魔石を袋に詰めると。シグナムは「フゥ」と額の汗を袖で拭い、ドカリとその場に腰を下ろす。

 午前中普段以上に頑張ったので、昼飯はちょっとリッチな物にしたい。

 だがフローズン街に“レストラン”なる高級感溢れる食事処は無いので、リッチとは言っても、生肉に火を通した自作の弁当が関の山である。


 干し肉では無く。新鮮な生肉を焼いたものにかぶりつき、シグナムは実に幸福そうな笑みを浮かべる。

 ガッシリした歯ごたえに、口中いっぱいに広がる旨みと肉汁。

 口に含めば、噛み砕かなくとも口腔内でとろけてしまう柔らかさ。

 残った皮は、シグナム特性のタレを絡めてパンに挟んで口へと運ぶ。

 甘酸っぱいタレの香りが鼻腔をくすぐり、口に含めば含むほど腹の虫が鳴きわめく。

 このタレとパンも素晴らしくマッチして、タレが染み込んだパンを味わうと、思わず頬が緩んでしまう。

 ほっぺたが落ちる。とは、まさにこのような時に使うのだろう。


「午後はどうしようかなぁ……。今日はもうノルマ達成したし、南方のレストランにでも行こうかな」


 パンと肉、そして菜類を平らげ、シグナムは食休みも兼ねて今日掘り出した魔石の整理を始めた。

 どこかの異世界人が皇帝に制裁を加え、一国の騎士たる『キル・ブラザーズ』がクーデターを起こしたせいで、ロキスの王宮は、現在非常に傾いているらしい。

 そのためか知らないが。皇帝直々の家臣が、ここフローズンのような辺境まで見回りに来ず。毎日の採掘成果を公開する必要も無くなったので、最低限暮らしていけるだけのノルマ分だけを納めれば、後は家に持って帰っても誰にも文句は言われない。

 家の倉庫に仕舞いこんでおけば、一日の採掘量が足りなかった時に、前日までのを付け足して納めることで、理不尽なペナルティを回避できる。

 ツキが回ってきた。とは、まさに今現在の彼のためにある言葉なのだろうと、シグナムは悠々と空を眺めながら考えていた。



 しばしの休憩を終了させ。

 堅く冷たい岩と接触してヒリヒリする尻をさすると、シグナムは腰を上げて盛大に伸びをする。

 太陽が丁度真上に到達し。眩い閃光が瞳を焼き付け、シグナムは思わず目を覆い涙を浮かべた。

 日光を見ると、どうも眠たくなる。

 家に戻って夕食をとるレストランを探すのも良いが、せっかくのポカポカ陽気だ。

 日当たりの良いところでゆったりと寝転がるというのも、中々乙なものでは無いか。

 シグナムは平らな岩盤を探し、手頃な大きさの布袋に干し草を詰めて枕として設置すると。

 そのままゴロンと仰向けになって転がった。

 ちと眩しいが、贅沢を言ってはいられない。この場所なら丁度日が沈む頃に岩盤が冷え、目が覚めるだろう。


「さてと。ひとやすみ、ひとやす――」

「あらあら」


 人がせっかく気持ちよく眠ろうかとした刹那。半開きの視界に黄土色をしたキツネ耳がピョコピョコと顔を覗かせた。

 眩い輝きを放つ日光に照らされ、風になびく立派な耳が黄金色に煌く。

 目を凝らして良く見ると、時偶透き通るような銀髪も混じっており。実に美しい女性だということは理解した。


「えっと……。何か用ですか?」


 ここ数日間。採掘現場の仕事に滞りもなく、確か支部ギルドへの依頼は解除してもらっているはずである。

 どこかのおっちょこちょいが外し忘れて、受注を依頼したのかと不安の渦が心の中を駆け巡ったが、彼女は「うふふ」とアテレコしたくなるような玲瓏な微笑みを見せ、愛らしく首を傾げた。


「フローズン採掘場責任者、シグナムさんですね」

「は、はい。ソウデスガ」


 何だろうか。逆光で細かい表情を読み取ることはできないが、語りかけるようなその口調と声音は、シグナムの心を優しく撫でる。

 春風のような心地よさに、シグナムの表情が緩む。

 通常誰かに見下ろされるというのは、大抵良い感じはしないのだが。何故かこの見下ろされ方は、むしろ心の底から浄化されるように安心感を持つ。

 天使の視線のようだ。


「うふふ。……あ、そうでした。シグナムさん、ちょっと一つお頼みしたいことがあるのですが、よろしいでしょいうか?」

「あ、別に良いですよ。ただ、今日はちと休もうかと」


 笑い声も愛らしい。

 上方から向けられた声でもこれだけ素晴らしいのだから、耳元でソっと囁かれでもしたら……。おっと、いかん鼻血が。


「あらあら。お鼻」


 キツネ耳なお姉さんは、ポケットから出した純白のハンカチで軽やかにシグナムの鼻を拭う。

 ふんわりとしたフローラルの香りが鼻腔を舞い、彼女が自宅で使用している洗剤が、どこのメーカーの物かはっきりと分かった。

 そして、鼻血を拭うためにかがんだのか。洗剤とはまた違った香りがシグナムの付近に舞い上がり、局地的な春風が巻き上がる。


「ねぇ、シグナムさん」

「はふ!」


 耳元に感じる甘~い吐息。

 優しく包み込むような温かさが耳に絡みつき、情けないことにシグナムの口からは、女の子みたいに可愛らしい声が漏れた。

 キツネ耳さんが唇を舐めるたび、耳元で甘ったるい音がねっとりと響く。

 一般的に見ると、もう青年とは呼べない年頃のシグナムだったが。いつになっても男性には“少年の心”というものは残っているのだ。

 女性がいつまでも“女の子”であるように、素晴らしい体験をしている男性は、精神面が一気に若返る。


 ――それは時折、身の丈に合わない無謀な行動をして、身体に悪影響を及ぼすことにもなるのだが。








 何をしているのだろうか。


 フローズン採掘場入り口付近では『責任者と話をしてくる』と、春色笑顔を振りまきながら闖入したメシュを待つ、二人の異世界人の姿があった。

 二人とも岩壁に背中を預け、実に暇そうな表情を浮かべて空を眺めている。

 カラスかトンビが青空を旋回し、空色の海では綿菓子のような雲がゆっくりと流れる。

 太陽がまだてっぺんまで行く前にメシュは向かったが、一向に戻る気配が無い。

 どこで油を売っているのだろうか。キツネ耳だけに。


「神保、ちょっと見に行ってみない?」

「んー……」


 萌が神保の方を見ると、彼は真剣な双眸を岩壁に向けてゴツゴツした表面を撫でていた。

 動物園の飼育員が象とかサイとかを撫でるときのような手つきで撫でる姿を見ると、一瞬神保は“石フェチ”だったかと不安になるが。

 きっと何かしらのアニメの影響だろうと、萌はそれ以上その行動を追求しようとはしなかった。


「神保、ちょっと私行ってくるよ?」

「ああ、萌が行くなら俺も行くよ」


 萌と神保はお互いに肩を並べ合い、登校中の恋人同士のように時折視線を交わし合いながら歩む。

 他愛も無い世間話や、ちょっぴりエッチな会話。

 付き合いが長いためか。お互いに超えては行けない境界線は理解しているので、ふとしたことで相手の逆鱗に触れる、などということはありえない。

 時偶肩が触れ合い、静電気でも発せられたようにピクっと離れる。

 第三者の目から見れば、完璧両思いの奥手同士カップルだ。


「ねぇ……。神保はこの冒険に、本当は誰を連れて行きたかった?」


 川のせせらぎのように軽やかに続いていた会話が、その発言でパッタリと途切れる。

 今まで気にも留めなかった、風の音や鳥の声が耳に入り。突如現れた“沈黙”に、萌は思わず首をすくめる。


「あ、別に答えたく無ければ、」

「萌」


 刹那。熱くたくましい抱擁。

 決して太いとは言えない腕が、萌の女性的な一部分を除いてスレンダーな身体を包み込む。

 上半身がほぼ密着し、強く定期的な鼓動がお互いの身体を揺らす。


「じん……ぼ?」

「俺は、」


 神保は一字一句をしっかりと思考し、英語の翻訳をしているかのようにゆっくりと一言ずつ続ける。


「きっと。誰が何と言おうと、『萌を連れて行く』って、言ったと思う」


 照れている。

 神保が萌を見て、薄く頬を紅潮させているのだ。

 可愛らしい小動物でも発見したかのような何とも言えない視線を向けていると、神保はハッと我に帰り、黙ったまま顔を逸した。

 こんなにも照れた神保なんて、何年ぶりに見ただろう。

 萌は、俯いた神保の手を両手で包み込むと、天使のように愛おしい笑顔でにっこりと微笑んだ。


「私を選んでくれるって言ってくれて、ありがとう」

「ん、」


 神保の返事は簡略的かつ短かったが。優しく緩んだ口元が、神保の心情をしっかりと萌に伝えていた。

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