第五十二話「想像上の防具」
鉄をも溶かしつくすほどの強烈な熱に囲まれながら、技師タイラーは自作の武具を鍛え直す作業を無心で続けていた。
鉄同士がぶつかり合う音が耳を突き抜け、タイラーの額に汗が滲む。
作業場に響く音は他に存在しない。見習い技師などもいない、ただただ一人で己が目指す最高の武具を精製するため。
長年培ってきた“勘”と、加熱したトマトソースのようにドロドロに溶けた鉄を伸ばす自慢のハンマーを使い、一心不乱に武具へと魂を打ち込んでいく。
床に落ちたハエの死骸はカラカラに乾き、砂山のように音もなく崩れ去る。
溶けそうなほど暑い。とは、まさにこの場所のことを言うのだろう。
「タイラーのおじちゃん!」
作業場の裏から少年の声が響く。
彼の武具を鍛え終わるのは、まだ何日も先だと説明したはずなのだが。待ちきれずに来てしまったのか。と、何となく微笑ましい気持ちになる。
「おいボウズ! お前の武具はまだまだ先だ。とっとと帰んな!」
「違うよ! お客さんが来てるから、キリが良くなったら陳列室に顔出して。ってだけだから!」
タイラーはハンマーを打ち付けながら、思い当たる客人を考える。
誰だ。
王宮殿の騎士ファンメルか。だがあいつは、『虫を素材にしたゴージャスかつビューティフォーなマントを作ってくれ』だのと無理難題をぬかしやがったから、『二度と来るな!』と追い返したはずだ。
今鍛え中の武具の持ち主か。いや、あいつは時間にルーズな野郎だから、完成よりも早く顔を見せるはずが無い。
あとは……。
タイラーの頭に、一人の女性が浮かぶ。口下手かつ頑固者なタイラーに“差し入れ”と称して、一緒に昼飯を食べた美麗な方。
スタイルも良く若々しい、それでいて優しく友人思いの悪魔族。
「リーゼアリス、かのぉ……?」
タイラーは作業室の火を止めると。岩のように堅くこった肩を回しながら、期待に満ちた表情で作業室のドアを開けた。
少年のようにウキウキとしているのが自分でも分かる。まだ、そうだとは決まっていないのだが。こんな辺鄙な工房に訪れる客人と言えば、彼の脳裏には他に思いつかない。
ドアを開けたところで『タイラーさん』とか言って、妖艶なリーゼアリスが自分に甘い贈り物を差し出す――いや。無いな。
たとえ来客者がリーゼアリスだとしても、こんな頑固ジジイに甘いプレゼントなど贈るわけが無い。
あれだけの美貌と艶やかさを持っているんだ。未亡人らしいが、想い人の一人や二人、確実にいるだろう。
タイラーは自身の煩悩を捨て去り、頬をペシペシと叩いてから顔を上げる。
作業場からモワッとした熱気が溢れ、来客に不快感を与えないよう慌ててドアを閉めた。
「あらあら。全身汗だくですけど、大丈夫ですか?」
ドアを閉めながら、タイラーは酷く落ち込んだ。
分かってはいたが。やはり期待はずれというのは寂しいものだ。
陳列室に佇み、タイラーの出現を待っていた人は、妖艶かつ悪魔族なお姉さんでは無く、キツネ耳をピョコピョコと揺らす春色なお姉さんだった。
片手を頬に添えて「うふふ」と思わずアテレコしたくなるような、邪気を全く感じさせない微笑みを浮かべる。
その笑顔を眺めていると。暑さのため滝のように流れ出ていた汗が、まるでクーラー全開の部屋へ闖入したようにスーっと消え去った。
後頭部を殴られ続けているような独特な痛みも薄れ始め、真夏の炎天下から春色お花畑へと連れてこられたような感覚だ。
じっとりねっとりと心身ともに溶解していたタイラーは、清々しく爽やかな気分へとリフレッシュされた。
魔術的な効能なのか。気持ちの良い笑顔は心も晴れ晴れするものなのか。魔術をあまり使用しないタイラーは分からなかったが、彼としてはどちらでも良い。
不快指数が飛んでもないことになっている作業場にいるより、とても心地が良い。
頑固親父を絵に描いたような表情も、全身に覆いかぶさっていた不快感が拭い取られたためか、実に幸福感溢れる顔へと変貌し、頬が緩む。
待ち人では無かった。なる遺憾は消え、タイラーは接客業らしい心からのスマイルで客人を迎え入れる。
「ようこそ、グランツ工房へ。こんな辺鄙な地方までお越しくださいまして、誠に嬉しい限りでございます」
「あらあら。リーゼアリスに聞いたより、凄く気さくで感じの良いおじさんじゃない。ご丁寧にありがとう。私はメシュと申します、ここにいる二人のために、新しい防具――ううん。見た目お洋服な防具を作ってもらえないかしら?」
タイラーはメシュの言葉を半分以上聞き飛ばしてしまった。
彼の耳には、一つの“ある単語”がこびりつき。それ以上の言葉を耳に入れることができなかったのだ。
……“リーゼアリス”。
このキツネ耳の女性は、リーゼアリスと知り合いなのか。
しかも『リーゼアリスに聞いた』と言っていた。リーゼアリスは、自分の仕事振りを友人に褒め、広めてくれたのだろうか。
リーゼアリスは、自分のことを憶えていてくれたらしい。
「あの、大丈夫ですか?」
ヨレヨレのシャツを着込んだ少年が、タイラーに声をかける。
前頭部が若干禿げ上がったタイラーとは対照的に、少年は前髪が目にかかっていた。
「お前さん。リーゼアリスと知り合いなのか?」
「あ、はい。簡単に言うと同居人です!」
その言葉を耳に入れ、思わずタイラーは吹き出しかけた。
同居人だと? それはいわゆる“同棲”ってやつか。そういえばあの時、リーゼアリスは女性用防具二つと男性用防具一つを注文していった。
女性用がこの二人だとすると、(実際はエーリンのなのだが)男性用防具の持ち主はこの少年ということになる。
タイラーの頭の中で『リーゼアリス×少年』という方程式が作り出され、息子の結婚を聞き入れた父親のように複雑な表情を浮かべ。
「そうか……。リーゼアリスは元気にやってるか?」
今度は娘をお嫁に出した父親のように、感慨深い溜息をつくように語りかけた。
ニコヤカに対応したり、突然物思いにふけり始めたり。神保は目の前で起こる百面相に、疑問詞がポンポンと飛び出してくる。
リーゼアリスが言うには、『口は悪いけど、根は優しいおじさんだよ』とのことだった。
だが神保は、現在進行形で行われるタイラーの対応から、そのような感想を述べることはできない。
どちらかと言えば、『表情がコロコロ変わる、愉快なおじさん』と言ったところか。
タイラーは落ち込んだような表情をガラリと変え、ニッと歯を見せるお日様スマイルを見せると、客の注文も訊かずに紹介者と神保の関係を問う対応のために、若干呆れた表情を浮かべる三人に向かって、普段通りの対応で語りかける。
「はい。それで、お洋服のような武具ですか? そうなりますと、耐久値を取るか見た目や動きやすさを取るかで、若干値段や素材が変わりますね。もちろん双方を組み込むことも可能ではありますが、やはり別々な方向性を取り入れると、器用貧乏であまりオススメできる商品は作成できません。なので、大体のイメージと特化させる方向性だけは、お客様に決めていただきたく――」
「そうね。イメージは“帝王”か“伝説の勇者”。動きやすくて格好いいのを優先でお願いするわ。耐久も出来るだけ高くお願い。それと、素材とかは良く分からないから、リーゼアリスと同じくこれで良いかしら?」
長く説明的かつ専門的な話に、神保と萌は途中から聞いていなかったのだが。
片頬に手を添えたまま微笑むメシュは、一回聞いただけで全てを理解し、自身が求める武具の注文まで、難なく一気にこなしてしまった。
童謡で『ゾーさんの耳は大きいから、なんたら』とかあった憶えがあるが。
やはりキツネ耳が大きいから、一言一言を聞き漏らさないのか。などと、若干失礼かつどうでも良いことをボサッと考えていると。
眉一つ動かさず注文書を書き終わらせるタイラーの姿が目に入り。耳が大きくなくても、理解力と集中力があれば一回で注文を取れるんだな。と神保は心から感嘆する。
「素材分も使うとなると、そんじょそこらに転がってるような魔石じゃ元は取れないな。リーゼアリスは極魔石オリハルコンを持って――って、」
「これで良いのかしら?」
春色笑顔なキツネ耳エルフは、温かみ溢れる微笑みを崩すことなく。平然とした面持ちで、虹色に煌く小さな魔石をポケットから取り出した。
その様子を見てタイラーは文字通り目を丸くして、メシュの手に乗せられた魔石をしげしげと眺め。時折指先で撫でたり、日光に透かして見たりする。
「まさか……。一生の内に二回もお目にかかれるとは思わなかった。……職業柄魔石やら鉱石と縁があるほうだとは思っていたが、まさか混じりけの無い極魔石をここ数ヵ月の内に二度も……」
「これで、足りますか?」
辺り一面に花畑ができそうなほど温かみのある春色笑顔。
未だ目を見開いたままのタイラーは、口を半開きにしたまま無言で頷き。赤べこのように数回コクコクと顔を揺らしたあたりで、ハッと我に帰った。
「……失礼。ええと、これだけの極魔石でしたら、十分注文の品を作成できます。その、こんな事を申すのもあれなのですが。そちらの女性にも軽装ですが、武具を作ることが可能かと」
「そう。じゃあお願いしましょう」
メシュは萌を軽く一瞥すると、艶やかに顔を斜め15度程度傾ける。
萌はその対応に笑顔で返し、クリスマス前に欲しい物をお願いする少女のような表情を浮かべ、若干頬を染めながら小さく呟く。
「えっと、私はその……。前にガチガチの盾装備をいただいたことがあるので、できたら今回は機動力と可愛らしさが欲しいかなって……」
ほぼゼロ距離でオリハルコンとにらめっこをしていたタイラーは、萌を見据えて男らしいサムズアップを繰り出す。
そのまま突き出した手でペンを取り、注文書の隅にメモ書きのように小さな文字で何やら書き足した。
タイラーはオリハルコンに視線を戻し、メモを書き足しながら萌へと問いかける。
「色とか形に指定とか要望はあるかい? できるだけ客の希望には応えたいんだ。それと『こういうのは絶対嫌だ』とかな。ヒラヒラなマントは無理とか、スカート生地はダメ。とか、そういうので良いんだ。専門的な言葉はいらねぇ。説明が難しかったら絵に描いてくれても良いや」
次々にまくし立てるタイラーの言葉を必死に聞き取り、萌は頬を桜色に染めると。
陳列棚を熱心に眺める神保をチラリと一瞥し、タイラーの耳元でこっそりと囁く。
「良く女戦士とかって、凄く露出度が高い防具とか着てるでしょ? 私あれ、ちょっとトラウマがあるんだ。……だから、可愛らしさとエロさの境界線は越えないで欲しいの」
――萌のトラウマとは。ご想像の通りだろうが、萌の姉が持って来たコスプレ衣装を無理やり着せられ、顔から火が出そうなほど際どいポーズを取らされた。という過去体験によるものである。
ちなみにその時の格好とは。妖精的な薄羽が背中に取り付けられ、大事な部分にだけピンクと黒の布が被せられ。
上半身に位置する女の子の部分を隠す布の先っぽからは、真っ白なキバが若干上を向いて伸びていて。さらには片足ニーソックスと言う、当時純粋だった萌としては何が面白いのか全く理解できない代物だった。
当時は楽しくポーズをとって遊んでいたのだが、それから数年後。性に関しての理解が深まった頃に偶然その写真を発掘し。
ノリノリで危ないポーズをとる自分自身の写真を見据えながら、業火のように燃え上がる屈辱と怒りのため。
恥も外聞もなく、サルのように甲高い金切り声を家中に響かせた。
「……分かった。俺は露出度の高い武具を身につけた女戦士なるものを見たことは無いが、嬢ちゃんがそういうならそうなんだろう。……ってことは、寝袋みたいに密閉したほうが良いのかな?」
そう言いながらタイラーが片手間に描いた武具の絵は、まるでスキーウェアのようにモコモコしている代物であり。動くことに不具合は無さそうだが、湿気が溜まりそうで、あまり長時間身につけたく無い。
この絵の通りに作られれば、サウナスーツでも着て戦っているみたいだ。
「えっと、もっとこう。……こんな感じで」
萌はタイラーからペンをひったくり、母親直伝のイラスト技法で手早くクロッキーを完成させると、その上に理想の形状をした防具を描き込んでいく。
実際は消しゴムとか練り消しを使って、立体的に描き込んでいくのだが。この状況では仕方無い。
ボールペンのような物なので線を消すことができず。身体と外身の防具が重なり合い、若干汚らしい描画となってしまった。
こんなんで通じるかな? と、萌は若干不安だったが。
タイラーは萌が描き上げた絵をじっくりと眺め、力強く頷いた。
「なるほど。身体の曲線を魅せ、それでいて欲望にまみれたような汚らしさを出さない。うむ、これは分かり易い」
実際萌が描いた防具は、肩やおへそ周りは多少露出しているのだが。二次元的な可愛らしさを出すためには、その程度は許容範囲だと思う。
それに神保は、女勇者がよく着るおへそと太ももがパチっと出てる健康的な防具が好きだったはずである。
神保が萌に『描いて』と頼んだことは無いのだが。前に神保のノートを借りたとき、端っこにイタズラ描きで女勇者系のイラストが描いてあったのだ。
当時の萌としては『目の位置とかバランスも悪いし、これ四頭身じゃん』とか専門的な指摘をするだけで、とくに気にしていなかったが。
きっとあれは、欲望から思わず描いた神保の本心なんだと思う。
――戦闘中に萌の防具に心奪われたりするのは若干困るのだが。
萌は口元だけで微笑み、腰から上をしっかりと曲げて深々と頭を下げる。
「どうぞお願いします!」
「ああ」
最低限の短い返事であり、言葉に感情が込もっているようには感じさせないが。
萌にはその返答は、何よりも安心感のある心強い言葉に感じたのだった。




