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第四十九話「激昂」

 子とは大抵親に似るものだ。

 それは体格的特徴だけで無く。生活環境も関係するのか、食べ物の好みや得意教科なども、意外と似るものなのだ。

 神保がオタクなのは、家族全員との生活環境によるものである。

 よって。彼に付属されたハーレム能力は、実質生活環境や英才教育からなるものであり、遺伝的なものでは無い。

 そのため、確かにその才能を潰されることは、100パーセント無いとは言い切れない。

 もしできるのであれば、この才能だけは誰かに潰して欲しかった。

 事実“その能力”は神保にとっても無駄であり。邪魔でしか無かった。


 その能力で、神保は多数の女性を傷つけてきたことだろう。――そう、“だろう”なのだ。

 自分でも気がつかないうちに傷つけてしまう。後で気づいた事だったのだが、メリロットの純粋な心を踏みにじったこともあったらしい。


 5歳くらいの頃だったか。急に萌の言葉が聞こえにくくなった。

 それまでは、毎日のように『お嫁さんになる!』とか『神保大好き!』とか言ってくれていたのに。

 急に言われなくなった。

 だがそれは、自分が聞こえていないだけだったのだ。

 それでも萌は、神保から離れようとしなかった。もしろ、聞こえる単語を選び、選び抜いた言葉で、神保に好意を伝えて……。




 神保はそのまま動けない。

 全身に鉛でも流し込まれたかのように、身体を動かすことができないのだ。

 心配する声が部屋中に飛び交い、情報を吸収せずに耳を通り抜けていく。

 頭の中を特急電車が駆け抜ける。外界からの音に集中できない。

 テレビジョンの砂嵐を流されているように、他の声が全て雑音にしか聞こえない。


「あ、ああ……」

「神保さん、あなたが一番大切な人を、この中から選んで頂戴」


 メシュの声をやっと認識できるようになった。透き通るような綺麗な声は、まるで砂漠に降り注ぐ豪雨のように、積もり積もった感情を浄化する。

 神保はやっと我に帰り、『うふふ』と邪気の無い笑顔を向けるキツネ耳の顔を凝視した。


「一人。ですか」

「そう、一人。長旅になるだろうし、人数は最低限にしなくてはならないの。それに、その……凄く言いにくいんだけど」


 メシュは微笑みを崩さぬまま、酷く失礼な事を言い放った。


「もし、男の子的事情で迫られても、私は絶対あなたを身体的に受け入れたくないわ」








 閃光のように眩い光を放つ夕日は、とうとう山の向こうへと沈んでしまった。

 辺りは真っ暗になり。黄金色に輝いていた宿屋街は、瞬く間に漆黒の闇へと包まれる。

 視界に映るのは、ぼんやりとした提灯や麩越しに漏れる部屋の灯。橙色の淡い光が、萌が進むべく足元を照らす。


 ずっと昔。ひな祭りの夜を思い出した。

 薄ぼんやりとしたお部屋と、可愛らしいお洋服を着せてもらってご機嫌な萌。

 当時から家族のように接していた秋葉一家は、代々木家にお呼ばれされ、リビングで小さな宴会のようなものを開いていた。

 もちろん二人の少年少女は退屈になり、お雛様が飾られた部屋へとこっそり忍び込み。二人仲良く並んで、階段状になった立派な雛壇を眺めていた。

 男の子はやっぱり、ただ並んでいるだけのお人形はつまらなかったらしく。数分もしないうちに無言のまま倒れこみ、神保はその場で寝息を立て始めた。

 その時に初めて、神保が男の子なんだって思ったなぁ。


 走馬灯のように流れる思い出。

 楽しい記憶も嫌な思い出も、思い出すもの全て。萌の隣にはいつでも神保がいた。

 萌はもう、神保無しの生活を想像することができない。

 神保が傍にいることが当たり前で、いない日常なんて。


「そんなの日常じゃ無い」


 俯いたまま歩み続け、ふと萌が顔を上げると。雪景色のように純白な宿屋が姿を現した。

 広大な芝生に建つ氷山のような建物の前に立ち、深く深呼吸をしてから『ただいま』と呟き。萌は、愛しの幼馴染が待つ場所へと戻ってきた。








 メシュのその言葉に、その場にいた全ての住人が言葉を失った。

 自分たちが必死になって取り合っている殿方の身体を、メシュは本人の目の前で一刀両断したのだ。

 アキハたちとしては、迫られなくとも自分から誘惑したいと言うのに。目の前で笑顔を振りまくキツネ耳さんは、遠慮や謙遜では無く。『いらない』と完全に拒否したのだ。

 通常の思考回路を以てすれば、逆上するような言葉では無かったのだが。たった一人、プライドが高い淫魔は、神保をバカにしたようなその言葉にどうしても耐えることができなかった。


「今、何て言ったぁ!」


 空間が歪曲するほどの強いオーラ。窓際から放たれた名称し難い澱みは、瞬く間に部屋中を包み込んだ。

 精神的豪風が放たれ、発生源であるリーゼアリスの目には、例えようも無く禍々しい紫炎が浮かんでいる。

 激怒や憤慨を通り越し。“激昂”という言葉が的確であろうその姿は、文字通り鬼の形相である。

 口から業火でも吹き出しそうなその双眸には、悠々とカップに口を付けるキツネ耳エルフ、メシュの姿しか映っていない。


「恋敵が増えないのはありがたいことだが。大好きな想い人を目の前で侮辱するなんて、元魔王として許せない!」

「あらあら。私はあまり、争いごとは好まないのだけど」


 そう言いながらも。メシュは尻尾を妖艶に振りながら、舞を踊るように慎ましい動きで立ち上がる。

 片頬に手を添えたままだが。黄土色をした尻尾の毛が、針山のようにザクザクと逆だっている。

 表情は穏やかな微笑みを浮かべているが、例えようも無い怒りを放出していることは、火を見るよりも明らかだった。


「元魔王に楯突くとは、いい度胸してるわ」

「あらあら。困ったちゃんはあまり好めないわね」


 リーゼアリスはここが室内だということも忘れ、右手に火花のような電撃を蓄積し始める。

 右手から全魔力を放出する、リーゼアリスが得意とする最大威力を持つ魔弾だ。

 あれを室内で暴発させれば、この建物ごと塵のようになるのではないか。


「あらあら。血の気が多いこと」


 メシュは至って落ち着いたまま、自身の目の前に氷の壁を多重展開する。

 一枚一枚が鉄壁のように厚く。水滴一つ落とさず、どういう原理か空間に固定されている。

 もちろん片手は頬に添えたまま、花のような微笑みは常時続けていた。


「こうなったらもう外部からは止められないわ。みんな一応下がっておいて」


 エーリンはそう言うと。戦闘態勢に入った二人のお姉さんを包み込むように、薄緑色に光を放つカーテンのような壁を作り出す。

 まるでシャボン玉のように、儚く淡い見た目をしているが。エーリン曰く、並大抵の魔力爆撃なら抑えることができるらしい。


 怒りに満ちた表情を浮かべるリーゼアリスの右手に魔力が収集され、七色に煌く魔弾が作り上げられる。

 メシュは落ち着いた様子でその様子を眺め、『うふふ』と花のように温かな微笑

みを見せ、表情とは裏腹に凍りつきそうな氷壁をこれでもかと多重展開し。

 空を舞う氷壁一つ一つにメシュの笑顔が映り、何やら幻想的かつ妖艶なビジョンが創り出された。


「防御だけで勝てると思ってんのかぁ!」

「あらあら。言ったでしょ? 争いは好まないって」


 一閃。刹那、空間が壊滅されるほどの爆撃音。

 リーゼアリスの右手から七色の煌めきが放たれる。風よりも速く、空を割り、切断するような勢いで、春色笑顔を振りまくメシュへと襲いかかる。


「単調で一方的ね」


 メシュが多重展開している氷壁が集結し、空間に散らばっていた氷壁同士が密集すると、分厚く広大な一枚の氷板と姿を変えた。

 メシュは片手を頬に添えたまま、柔らかい微笑みを絶やさず。

 リーゼアリスが撃ち込んだ魔弾を氷壁に激突させる。

 花火のように輝かしい閃光が放たれ、攻撃のために無防備な身体を晒していたリーゼアリスに、爆撃の衝撃波がまとわりつく。

 七色の煙が舞い上がり、リーゼアリスは眼前で起こる状況を判断できない。

 視界を奪われ、戦場の情報を目視することができないのだ。


「く、」

「あらあら」


 次にリーゼアリスが認識した情報は、先程まで氷壁として固定されていた氷が、鋭利な礫へと姿を変えた瞬間だった。

 先ほどの魔弾をいともたやすく弾き返すほどの硬質氷壁。その氷塊が、現在進行形でリーゼアリスを襲うための攻撃魔術へと変貌する。

 次々に作り出される氷の礫。その一つ一つが、光を反射するほど滑らかな形状を持ち、ナイフのような外見へと徐々に鍛え上げられる。


 リーゼアリスの頭の中で、耳を塞ぎたくなるほどの警鐘がガンガン響き渡る。

 数百年ぶりに体感する、生命維持不可能の恐怖に彼女の戦意は消失し、攻撃態勢に入っていたリーゼアリスは、虚ろな瞳で氷塊の先端を凝視した。

 このような魔術の使い方は見たことが無い。

 防御に使用したエネルギーを解体して再構築する。通常なら完璧に無駄なことだ。

 攻撃魔術と防御魔術を個々別々に作り出したほうが、確実に魔力の総使用量は少量で済む。

 物理的な話なら『盾で受け流し、盾で殴る』ようなものであり。通常の戦士であれば、攻撃用の武具を別に揃えるだろう。

 体内魔力許容量に制限がある“普通の生物”なら、上記の理由から防御魔術か攻撃魔術のどちらかを極め、片方はおまけ程度に使用する。

 だが、彼女(メシュ)のように体内魔力許容量に制限が無ければ――。



「あらあら。反撃も回避も防御もしないんだ」


 空気中の水分も凍らされ、至るところから亀裂が入った音が響く。

 霧に包まれたように白っぽい空間は、まるで純白のカーテンをかけたような情景だ。

 ドライアイスを水中へ落としたように、メシュとリーゼアリスが存在する空間は、徐々に煙のような靄が侵食していく。

 視界を奪われるほどでは無いが、戦場で多少なりとも視力を奪われることは死に直結する。

 リーゼアリスの脳内では、もう何度も反撃を試みた。だができない。

 無数に固定された猛獣の牙のように鋭利な氷塊が前方を囲む。

 氷結のスナイパーに捉えられた元魔王に、これ以上の反撃は望めない。


「反撃は無駄かな……」


 元魔王として降伏だけはしたく無かった。だが、空間を冷気が支配するにつれて、リーゼアリスの高ぶった感情が徐々にクールダウンされていく。

 愛しの殿方を冒涜的に非難された。

 何故それだけで、自分は生命を駆けた闘争を繰り広げているのだろうか。

 自分の行動を冷静に分析できるだけの平常心が帰還する。


「待ってくれ」

「あらあら。どうしたの?」


 速まっていた鼓動も徐々に本来の速度を取り戻し、お湯を沸かせそうなほどに熱を持っていた頭も、すっかり爽やかになった。

 同時に全身を悪寒が駆け巡り、リーゼアリスはその場に両手を着いて倒れ込んだ。


「私は何か間違っていたらしい」

「それは本心から? それとも命乞いかしら?」


 リーゼアリスはキッと発言者(メシュ)の顔を見据えたが、その表情に“邪気”や“殺気”は感じさせない。

 心を直接温められるような視線と、包み込まれるような微笑み。片頬に手を添えているのが、優しいお姉さん的な魅力をさらに醸し出している。

 寒冷空間に突如咲いた一輪の花。

 犬歯のような氷塊は徐々に溶け始め、メシュから攻撃の意思が消えていくのを感じる。

 色々な感情に苛まれ、止めどもなく溢れ出る涙。

 リーゼアリスは止まらない涙を拭いながら、春風笑顔のキツネ耳エルフに、負けないくらいの幸せそうな微笑みを見せ。


「秋葉神保を、よろしくお願いします!」

「はい。この私が責任を持って、最高の殿方にしてお返しいたします」



 ――娘を嫁に出す父親みたいだな。


 ゴクウ含め、その様子を外部から眺めていた六人は、予想外の結末に一同は全く同じことを頭に思い浮かべたという。

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