幕間「買い出し」
純白の壁紙とは、それだけで気分が明るくなる。
汚れや傷が目立つのが難点ではあるが。エルフメイドのメリロットが毎日せっせとお掃除をしているので、とくに目立つ汚れも無く。毎日を清々しい気持ちで迎えさせてくれる。
窓も大きくお庭も広いので、日当たりも良く過ごしやすい。
エーリンやリーゼアリスは良く広大な芝生に寝転がり、裸体を晒して日光浴をしたりするが。他の住人からすれば、いつ変質者が湧き出てくるかと内心ヒヤヒヤものである。
リーゼアリスが引っ叩き、神保が顔面パンチした皇帝は、その後キル・ブラザーズなる騎士に反逆され、現在王宮は崩壊しかけているらしい。
アキハが言うには『数年に一回、どの時代の皇帝でも起きたこと』などと、とくに気にしている様子は無かったが。
萌としては、今の内に帝王を目指せば良いのでは無いか。などと考えてしまう。
神保はあまり乗り気では無いし、アキハは腐向け漫画をニヤニヤしながら見てるし。
今のこの生活も中々楽しいから、このまま神保を取り囲んで毎晩甘い夜を――ってのも良いかもしれない。
ただ。淫魔が二人もいるから、毎晩続けたら神保が死ぬかもしれないけど。
萌の父親は『女の子に囲まれて死ねるとか、それこそ男の子の夢だー!』と、窓に向かって叫んだりしてたけど。
今思えば、良く通報とかされなかったな。と思う。
「萌お嬢様、アキハお嬢様。お茶が入りましたが、どうでしょうか」
「うん。貰うわ」
ジャスミンは『かしこまりました』と頭を下げてキッチンへと姿を消した。
ピョコンと身体を上下させるのが、また可愛らしい。
リーゼアリスは『あの娘は痴女ですわ!』とか言ってたけど、あんたに言われたく無いでしょう。と返しておいた。
萌は明るい日差し差し込む優雅な部屋を見渡し。今日になってやっと足りないものの存在に気がついた。
「カーテン……。無い」
ずっと違和感は感じていた。いやに明るすぎるなとか、でもそれは壁紙が真っ白だからで、庭が広くて光を遮断するものが無いからだと。
夜はエーリンが月明かりを眺め、リーゼアリスがお酒片手に無駄話を語るのが日課になってたし。
カーテンの有無に不便さを感じさせなかったのだ。
だが今になってみれば、カーテンの無い部屋で自分たちは着替えたりしてたのか。
などと色々思い起こされ、頬がみるみるうちに桜色へと染まった。
「ヤバ、あれも。あれもじゃん!」
「お茶、入りました~」
ジャスミンがお盆にティーカップを二つ乗せ、ちょこちょこと歩いてテーブルまで歩く。
典型的なメイドさんのように、おしとやかかつ清楚にエプロンで手を拭い、砂糖とミルクまで的確な量を注ぎ。『失礼します』と、またパタパタとキッチンへと戻っていく。
萌はほどよく砂糖とミルクが注がれたお茶をスプーンで優雅にかき混ぜ、柔らかく立ち上る湯気を楽しみながら、飲める温度まで冷めるのを待つ。
そういえばここ数日の間に、ジャスミンが神保の前で行う仕草が若干変わったような気がする。
純心で献身的なメイドさんだったので、神保とジャスミンが一緒に出かけることに関して、萌はとくに気にしていなかったが。
神保にはニコポもナデポもある。
八割方二次専だった萌でさえ、神保のニコナデポには適わない。だが、メイドと主による禁断の恋など、萌はコテコテの少女漫画でしか見たことが無い。
アキハが持っている同人誌の中に、執事と主(男性)のカップリングはあったが。
メイドと主の関係など、現実に起こりうるのだろうか。
物語の中でなら、甘々でドキドキなシチュエーションだが。自分の想い人が献身的なメイドさんと――なんて展開は耐えられない。
もし、神保とジャスミンにそういう関係が出来上がるなら、神保が帝王になって合法的にハーレムを作れるようになってからにして欲しい。
少々冷めたお茶を口に含み、甘く妖艶な風味を楽しんでいると。キッチンからジャスミンがピョコピョコと歩いて来た。
「ジャスミン」
「はい、お嬢様。何でしょうか」
スカート端を摘んでピョコっと首を傾げる。何故だろう。気にしすぎなのかもしれないが、ジャスミンの行動一つ一つが妙にあざとく感じる。
ここはちょっと会話の場を設けて、気持ちを聞いてみるのも良いかもしれない。
「ジャスミン。お部屋にカーテンが欲しいと思って、」
「分かりました。柄と色をご指定くだされば、夕飯の買い物のときにでも買ってまいります」
ジャスミンは淡々と答えると、そのまま庭掃除に出かけそうだったので。
「待って、私と一緒に行きましょう」
「萌お嬢様と一緒にですか?」
ジャスミンは心底驚いている様子だった。
買い出しに主人が付いてくるとは、まるで彼女の趣味には任せられない。とでも言っているようなものだ。
ジャスミンはメイ奴隷として精一杯の仕事をしているつもりだったので、信頼を失ったのかと不安の渦に巻き込まれる。
「あの、」
「ちょっとお話したいことがあるんだ」
ジャスミンの強ばった表情が和らいだ。
初めて会ったときは無感情で冷たい娘かとも思ったけど、こうコロコロ表情が変わると、素直で可愛らしい。
ネコ耳もピコピコ動くし、ああ。ギュ~っと抱きしめたい。
萌は淹れてもらったお茶を飲み干すと、口元を軽く拭い、ジャスミンに向かって手を伸ばす。
「行こ?」
「はい」
◇
「あれ? 萌とジャスミンはどこ行ったんだ」
日光浴を中断したリーゼアリスは、首から純白のタオルを垂らして悠々と部屋の中をうろつき回っていた。
艶めかしい身体を見せつけるよう、モデルのように腰を振りながら歩いていたが。
部屋にアキハしかいないことに気がつき、リーゼアリスは残念そうにテーブルに着く。
「なぁアキハ。他の住人はどこに行ったのだ?」
「ぐへへ……」
薄い本をめくっては幸せそうな表情を浮かべるアキハの耳には、リーゼアリスの声は全く届いていない。
精神だけ漫画の世界へとトリップしているようだった。
「おーい、アキハ」
「ジャスミンと萌お嬢様なら、カーテンを買いにお出かけになったようですよ」
畳み終わった洗濯物を抱えたメリロットが、ライトグリーンの可愛らしいツインテールを揺らしながら、アキハの代わりに応える。
リーゼアリスは顎に手を当て、小さく頷いたが。もう一つ疑問があるらしく。
「神保とエーリンはどこに行った?」
「……あれ。でも多分、お二人は外に出ていないと思います」
メリロットは洗濯物を床に並べ、ツインテを揺らしながら首を傾げる。
リーゼアリスはその様子を微笑ましげに眺めたあと、フッと何かを思い出したような顔をしてから、一目散に部屋を飛び出して階段を駆け上がった。
「エーリン、神保!」
リーゼアリスは2階まで駆け上ると、一番端っこの部屋に飛び込んだ。
幸い鍵はかかっておらず。とくに手間をかけること無く闖入することはできたのだが。
「え、ちょっと! 何入って来てるの」
ベッドで気持ちよさそうに眠る神保は、寝巻きをだらしなく剥がれている。
そして身体のうえでは、今にも襲いかかりそうにギラギラした目つきで見下ろす彼女の愛娘。エーリンの姿があった。
リーゼアリスはペタペタと裸足で歩み寄ると、エーリンを見下ろして口元だけで『ニマリ』と笑う。
桜色の舌をペロリと出し、薄く淡い唇を丁寧に舐め回し、頬を桃色に染めて神保の総身をチラリと見やる。
「神保は……起きないのか?」
「うん。起きてから“しよう”と思ってたから、まだいろいろと準備中だけど」
リーゼアリスは神保の顔から視線を順々に下げていき、ある一点まで行ったところで、ピクンと反応し、愛らしく頬をピンクに染めた。
「準備中、かぁ……」
「神保も男の子だもん。そういう欲求はあると思うんだ」
エーリンは全身を撫でながら、ゾクゾクと身を震わせる。期待に満ちた、とても幸せそうな表情だ。
「私たちだって淫魔だもん。定期的に補給しないと、ね?」
「ああ、同感だ。ローズ・ガイでの隠居生活中はもう酷かった。庭に咲いている花々の“雄しべ”からちょちょっと、な」
リーゼアリスはキュッと腰を締め、ゆったりと眠る神保の頬をやさしく撫でる。
目を隠すほどに長い前髪を手で払い、その下に眠る凛々しくも優しい双眸を拝む。
「エーリン、私が先で良いか? 別に本番では無いのだから良いだろ?」
「ええ、ズルいけど。別に構わないわ」
エーリンとリーゼアリスは神保のベッドに寝転がり、お互いで神保を挟みながらゆっくりとモロモロの準備をする。
「それじゃあ、いただきまーす」
「“親子丼”って、何だかいかがわしい匂いな響きがすると思わないか?」
淫魔親子は艶やかな視線を交わし合い、その後行うことは、お互いに理解し合った。
◇
ロキス国中心街の商店街。
萌の神保アンテナがピクっと反応した。
妖○アンテナのようにビクビクと伸びる髪を見て、ジャスミンは気になって萌に問いかける。
「あの。それって、」
「大丈夫、神保はまだ純正な身体をしてる。大丈夫だから」
ジャスミンはそれ以上声をかけるのをやめた。
悪鬼羅刹が如く顔を歪める萌の背後には、呪いと怨念から創り出された精神生命体が、ユラユラと紫炎のように揺れている。
幼馴染とは、相手が初めてかどうか。それどころか、今“どこまで”行ったのかまで分かるのか。と、ジャスミンは不本意ながらも納得するしか無かった。
で無ければ、盗聴でもしてるのかと若干不安になる。
「ジャスミン。真っ白なカーテンと真っ赤なカーテン、どっちが好きかな?」
萌からの問いに思わず鳥肌がたつ。
危ない。顔にも出てるけど、萌お嬢様は今最高に怒っている。
自分を売っていたミーアも、イライラしていると奴隷であるジャスミンに当たったり、自身の魔力を売っぱらってでもヤケ買いをしていた。
これは、荒れそうだなぁ……。
ジャスミンはダランと垂れた尻尾を丸め、ちょっぴり怯えた姿勢で萌の後を付いて行く。
「らっしゃいね。布地、どれが良い?」
定食屋のおばちゃんみたいに明るく元気な店長が、ボロ布から上質な生地までを並べてお勧めする。
テンションというものは伝染るらしく、萌は楽しそうにおばちゃんの説明を聞いていた。
長くなりそうだったので、ジャスミンは夕食の材料を買いに辺りを周り、生もの含め今日の買い物を終わらせてから戻って来たのだが。
おばちゃんの商品説明は、冒険者になった息子の話へ話題を変えながらも、まだ続いているようだった。
「それでね。うちの息子が剣振り回してたら、すっぽ抜けて牛の背中に刺さっちゃって。もう牧場中が大騒ぎで」
「えへー……」
萌は笑顔だった。
カーテンの布地は大体決まっているのか、薄緑や桃色が使用された春色の布を抱えている。
お金も払い終わったようで、おばちゃんの前にある棚の上にレシートが置かれていた。
だがその笑顔に、もはや精気を感じることは出来ない。
テンションとは伝染した後、強い方に吸い取られるらしく。やっと復活した萌の元気は瞬く間におばちゃんに吸収され、昔話をするための原動力となっている。
流石にこれではマズイと思い、ジャスミンはネコ耳をパタパタさせながら、終わらない物語を放出し続けるおばちゃんの、真っ白なエプロンを引っ張る。
「あの。今日は忙しいから、また今度にでも……」
「それで牛と旦那の喧嘩にまで発展して――」
「…………」
ジャスミンの策はガラガラと音をたてて崩壊し、不本意ながらも、萌に『生ものがあるので』とだけ伝え。一人で持つにはちょっと重たい買い物袋を抱えて住居へと戻った。
ジャスミンが元宿屋である家へと戻ると、リビングでは二人の淫魔が幸せそうな表情を浮かべ、放心状態で座っていた。
口からミルクのような物を垂らし、嬉しそうに遠くを見ているが。ジャスミンはとりあえずその状況を無視し、生ものを冷蔵庫に入れる作業を開始させた。
夜。晩御飯の用意ができた頃に、やっと萌は帰ってきた。
フラフラとキョンシーのように歩んでおり。せっかく戻った元気は、残らず吸い取られてしまったようである。




