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第四十六話「皇帝」

 王宮の城壁が壊滅させられる。

 通常なら起こりえない事象だ。例え体内魔力許容量全開に溜めた魔弾を撃ち込んだとしても、城壁を破壊してなお王宮の壁まで粉砕するなど不可能なはず。

 事実、今日まで城壁は無事であった。

 王宮の騎士や重臣たちは右へ左へと逃げ惑い、メイドの甲高い叫び声が響き渡る。

 防音工事のなっていない王宮では、この騒ぎはすぐさま皇帝の耳に入った。


 皇帝は自室でゆったりと座りながら、これから起こる大体の結末は予想した。

 城壁を破壊し、その上攻め込んで来れるような者。

 皇帝が今まで生きてきて、そのような化け物に出会ったのはこれが初めてだ。

 だが聞いたことはある。

 魔力攻撃に長けた人外生物以外にも、体内魔力許容量が存在しない者。

 皇帝は前に出会ったキツネ耳の言葉を思い出し、口元だけで「フッ」と笑う。

 その笑顔には『とうとう来たか』と、全てを理解したような色が含まれていた。


「アキバ・ジンボ……。キル・ブラザーズの催眠魔術を解いたのか」


 皇帝はベッド脇の鈴を鳴らし、テーブルに乗せたグラスへ透き通るような白ワインを注いだ。

 目の前に持ち上げ、ワイン越しの世界を楽しんでいると、忙しなくドアが開け放たれ、犬耳エルフが一匹ゴミのように放り込まれた。

 エルフは必死に甘えるポーズをとり、皇帝を誘惑しようとする。


 ――これは、黙ってろと言うことか……。


 皇帝の表情から笑顔が消えた。

 その顔を悟ってか、犬耳エルフは途端に顔を強ばらせ、寝転がった体勢から飛び起きると一目散に逃げ出そうとしたが。


「まあ待ちなさい」


 皇帝の力強い腕が犬耳エルフのモフモフした長い尻尾を掴み、観念したのか、犬耳エルフは逃亡の動作を停止させた。


「あぁ、良い娘だ。素直な奴隷さんは、我は大好物なのだよ」


 ピクピクと血管を震わせながらも、目と口だけは異常なほど笑っている。

 雪の中放り出された小動物のように、全身をカクカクと震わせる犬耳エルフを舐めまわすように撫で、布地が異様に少ない青色ビキニをゆっくりと脱がす。

 皇帝の膝に座らされ、藍色の瞳をした犬耳エルフは、開放を懇願するような目で皇帝を見つめたが。

 皇帝の表情は全く変わっていなかった。


「ほら、いつものように我に甘えてごらん。ん?」


 犬耳エルフは青ざめた顔のままコクンと小さく頷き、桜色の舌をペロリと垂らして皇帝の身体を抱きしめようと手を伸ばしたその刹那。


 天地を揺るがすほどの爆撃音。


 だが。今までのとは違う。

 城壁でも無く、王宮の壁でも無い。――破壊されたのは、皇帝が位置する部屋の床だった。

 隕石が落下したかのような大穴が開き、撃ち込まれた魔弾は、部屋の天井を突き破って空の彼方まで吹き飛んだ。

 突然の事態に、流石の皇帝も驚きを隠せない。

 先ほどまでの擬似笑顔は消え去り、バカみたいに口をあんぐりと開けたまま、同じようにボッカリと開いた大穴を眺めている。

 埃やチリによる真っ白な煙がたち、薄いモヤに三つの影が映りこんだ。

 一人はスタイル抜群な女性。もう一人はネコ耳が生えた少年――少女か。

 そして二人に抱えられるように真ん中で立ちはだかるその影こそが。


「アキバ・ジンボか……。登場の仕方が渋いねェ~」


 典型的な悪役っぽさを醸し出す皇帝だったが、神保から見ると無精ヒゲを生やしたヒマそうなおっさんにしか見えなかった。

 赤紫色の立派な服を着ているので“偉い”ことは分かるが。もし皇帝が放った今の言葉が無ければ、きっと神保は皇帝に向かって『皇帝はどこだ!』と聞いていたことだろう。


「あなたが皇帝ソリティウスですか」

「いかにも」


 神保の脳内を疑問が駆け巡る。

 ドボルが言うような傲慢さや、傭兵に対して侮辱的な態度をとる様子はほとんど感じさせない。

 膝の上に犬耳エルフを乗せ、飼い犬を愛でるように優しく頭を撫でているし。もう片方の手では、優雅にワイングラスが踊っている。

 貫禄はあるが、恐怖は無い。威厳も無いが――ヒゲがある。


「皇帝からお手紙をいただき、まことに――」

「神保ぉ……。何だかこのお部屋、凄く良い匂いがするぞ?」


 美麗な言葉で開始させようとしたのだが、うっとりと頬を桜色に染めたリーゼアリスの言葉にそれは華麗に遮られた。

 クンクンと鼻を揺らし、リーゼアリスは指先を舐め始めた。


「ヤバい……。ちょぉ良い匂い」

「そうですか? 私はむしろ臭い部屋だと感じましたが」


 ジャスミンは小さな鼻を手で覆い、軽く咳き込んでいる。

 しばらく可愛らしい咳を披露していたが、皇帝の膝に乗る犬耳エルフを見た途端、ジャスミンは咳き込むのをやめてじっとエルフを見据えた。


「犬耳……」

「んにゅぅ? ネコ耳ー」


 背丈は小さいものの、リーゼアリスにも引けを取らないナイスバディの犬耳エルフは、まるでその肢体を見せつけるように、ジャスミンの眼前でセクシーポーズをする。

 藍色の双眸を向けながら、思わず見とれてしまうほど艶っぽい投げキスを繰り出す。

 ジャスミンはその軌道を手で払い除け、酷く迷惑そうな表情を浮かべていたが。

 皇帝はその様子を見て『可愛いでしょう』などと、まるで孫娘の紹介をするように優しい声で呟いた。


「ところで、このディアブロ・キルとドボル・キルのこと何ですけど、」

「ああ。二人とも倒したのか? んー偉い偉い。さて、礼をすると言ったな、待ってろ」


 皇帝は早口にまくし立てると、テーブルに置かれた鈴を振り回すように鳴らし、にっこりと笑う。


「アキバ・ジンボ殿は、大層な大富豪だそうで。いやはや羨ましいことで」

「いえ、そんな」

「ですからねぇ。カネを差し上げるのは失礼に当たると考えたんで、いくらおカネを積んでも手に入らないものを差し上げようかと。ええ、私が気に入った方々に贈るしがないプレゼントですよ」


 長ったらしい社交辞令的文句を神保が聞き流していると。隣にいる犬耳エルフが両腰に手を宛てがい『ネコ耳さんはスリムで良いな~。私なんか太ももが超ムチムチしちゃって~』などと言い。

 普段は大人しいジャスミンだが、顔が酷くひきつっていた。

 その様子を眺めながら神保が溜息をついていると。背後から『うわっ、何じゃいこりゃぁ!』という情けない声と、乱雑にドアが閉まる音が聞こえた。


「アキバ・ジンボよ、その中から気に入ったのを一つ選べ。ああ、もし選びきれないのであれば――特別だ。二人まで選んで良いぞよ」


 訝しげな表情で神保が振り返ると、その表情は嬉しさと驚きへと変化する。


「……おぉ」


 神保の眼前には、三人の犬耳エルフが仰向けになって寝転がっていた。

 パチっと開いた目は透き通るような藍色をしており、抜群なスタイルを惜しげもなく晒している。

 褐色――まではいかないが、健康的な日焼け色をしており、健全な男子高校生である神保は、こみ上げる期待のためか思わず鳥肌がたつ。


「えっと、これを……?」

「二人、お好きなのを選ぶと良い」


 皇帝がそう言うと、三人の犬耳エルフは一斉に媚び始める。青色のビキニをチラリとずらす娘。太ももを全開にさせ、色っぽく目を細める娘。指先を舐め舐めしてベットリと糸を引かせる娘。

 流石の神保でもその色気にやられ、皇帝を殴りに来たことなどすっかり頭から抜け落ちた。

 隣に女性陣が二人いることも忘れ、神保はゆっくりと前へ歩き出す。

 犬耳エルフの誘惑も徐々に過激になり。脱ぎ出す娘や、口をアーンと開いて笑顔で顔を近づける娘。そして、じっと神保の目を見つめる娘まで――。


「神保、ダメ!」


 神保の身体が右方へと吹っ飛ばされ、クリーム色をした壁に激突する。

 衝撃で後頭部をぶつけてしまい、視界は霞がかかったようにモヤモヤとし始めた。

 突き飛ばしたのはリーゼアリスのようだ。

 顔が良く見えないが、どうやら困惑している様子であり。キョロキョロ辺りを見渡しながら、何やら叫んでいる。



「ちょっと! ジャスミンちゃんまで」


 ジャスミンの目には精気が無く、ライトグリーンな瞳が影を差したように灰色になっている。

 視線も定まらず、ボーっと眼前の犬耳エルフを眺め。当の犬耳エルフは紫色に光った目で「ニヤリ」と笑った。

 リーゼアリスはその目を見ずに。皇帝の前へ詰めよると、おもむろに胸元を掴み上げた。


「あんたねぇ!」


 リーゼアリスのその言葉に、皇帝は汚らしく顔を歪め。


「あぁ? 俺は皇帝だぞ、ロキスの皇帝。お前が誰だかは知らないが、偉いお方にこんなことして良いのか――」


 パッシーン! と凄く良い音が響いた。


 その場にいた全員が思わず目を瞑る。良くしなったリーゼアリスのツヤツヤなお手手が、皇帝の脂ぎったほっぺたを思いっきりぶん殴ったのだ。

 余りの強烈さに前歯が数本吹き飛び。ベッドの端に座っていた皇帝は、情けないことに頭から転げ落ちた。


「ハガガガガ……」

「私は、リーゼアリス! お前の先祖の一人とともに、古代龍ブロッコリー(仮名)を討伐した。元魔王だ!」


 空間を揺るがすほどの怒号。百獣の王が放つ咆哮のような振動が響き渡り、その場にいた者たちは、恐怖と驚愕のために思わず息を呑む。

 犬耳エルフを連れてきた騎士など、あまりの驚きのためズボンをビッショリと濡らしている。

 現在、リーゼアリスの表情に淫魔的要素はこれっぽっちも無い。

 元魔王としての“威厳”と“自信”を込めた、姿を確認できないほどの高姿勢。

 見下ろす目には嘲りや蔑みが浮かび、“見下す”という言葉が的確であろう邪悪の念に駆られた双眸を、床に倒れたままの皇帝へ向ける。

 前歯があったはずの部分には真っ赤な血がにじみ。反動で舌でも噛んだのか、ザラザラで不健康そうな舌先にも薄く血の色が広がっている。

 リーゼアリスは冷徹で鋭い視線をしばらく向け。気が済んだのか、少し経ってから「フゥ」と溜息をついて振り返った。


「あなたたちは、犬耳エルフを連れてこの部屋から出なさい」


 よほど怯えていたのか。犬耳エルフを連れてきた騎士たちはとくに歯向かう様子も無く。連れてきたエルフとともに皇帝ご執心のエルフを連れ、ライオンから逃げるシマウマのように忙しなく。逃げ出すように部屋から退去した。



「オボボボボ……」


 情けない声を上げながら身体を起こした皇帝は、全身をワナワナと震わせながら、リーゼアリスを睨みつけ。血塊の混じった唾をペッと吐き出す。


「よくも、よくもこの淫魔がぁぁぁ!」


 皇帝は内ポケットから素早くククリナイフを取り出すと、まるで強盗が住人を脅すように両手で握り締め。刃先をリーゼアリスに向けたまま、一歩一歩後方へと退いていく。

 どう見ても負け犬の遠吠えだ。

 事実リーゼアリスの得意分野は、魔弾による遠距離攻撃なのでナイフでは分が悪い。

 おおよそ察するに、近戦攻撃を得意とする神保を殺害しようとして持ち込んでいたのだろう。


「無礼者がぁっ!」


 リーゼアリスの長く滑らかなふくらはぎが皇帝の左頬をぶっ叩く。

 だが、リーゼアリスの顔はもう怒っていなかった。

 どちらかといえば『スッキリした』とでも言うように、頬を淡い桜色に染め、蹴りを入れた方の太ももを、素晴らしく滑らかな指先で艶かしく撫でる。

 ククリナイフを手から取り落とした皇帝は、そのまま戦意を消失し、シーツの端を掴んだまま床の上に倒れ込んだ。

 皇帝は全裸で仁王立ちするリーゼアリスを一瞥し、ペッと吐き捨てるように。


「リーゼアリスだとぅ? 嘘こくのも休み休みにせい。もし本当に魔王リーゼアリスだと言うなら、年齢的にとっくにオババ――」


 神保の身体が金縛りにでも遭ったかのように、ピクリとも動かなくなった。

 神保が昔から家族に言われたこと。

 女性に年齢やシワの話をしてはいけない。男性に髪や階級の話をしてはいけない。

 だがこの皇帝は……、よりにもよってオバ――。


「オババ?」


 リーゼアリスの背後に死神が見えた。

 彼女なりの配慮なのだろうか。神保には彼女の表情がどのようなものか、角度的に確認することは出来ない。

 だが、向かい側で正気を取り戻したジャスミンは、今にも泣き出しそうに顔を歪め、世界の終幕に立ち会ったように真っ青な顔をしている。

 皇帝は――ああ。立ったまま白目向いてる。


「神保、」

「は、はい?」


 リーゼアリスが神保の方を向くと、それはそれは輝かしいほどに天使のような可愛らしい笑顔が浮かんでいた。


「ドボルさんが言ってたあれ、やっぱ神保がやってくれない?」

「あれって……。殴ること?」


 リーゼアリスは邪気の無い表情で小さくコクンと頷く。

 実際やりたくは無かったが。神保は『女の子の頼みを断れない』。


「分かった。じゃ、二人は下がってて」


 リーゼアリスは、凍りついたように固まったジャスミンを抱えて後方へと退いた。

 神保は皇帝の前に立つと、ゆっくりと呼吸を調える。

 そして――


「ていっ!」


 加速する拳が皇帝の顔面を貫き、皇帝はクリーム色の壁へと総身を打ち付けた。

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