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第四十五話「ドボル・キルの願い」

 時間がやや巻き戻る。


 深い眠りに入ったディアブロ・キルに背を向けて歩き出したところで、神保たちの背後から、ガサっと音がした。

 砂利の上を靴で擦ったようなザラザラした音とともに、何かが立ち上がる気配がする。

 ディアブロはもう正常な意識を取り戻している――と、なると。


「ぐ、アァァァ」


 ドボル・キルだった。

 虚ろな目を瑠璃色に煌めかせ、“吐き気を催す邪悪”を奔流させる。

 溢れ出た悪意は澱んだ空気を作り出し、そこには明確な“殺意”が込められていた。


「ディアブロを殺したな、」


 立ち上がった巨漢は背中から大槍を振り抜き、神保とドボルの間に見えない空間歪曲のようなものを作り出す。

 感情を奪われているためか、その目は濁り、怒りを感じさせない。

 だがそれが恐ろしい。無表情に死んだ魚のような目つき――ヤンデレヒロインのバッドエンドシーンのようだ。

 神保のトラウマは以前掘り返したので割愛するが。筋肉質な男のヤンデレフェイスは、そのトラウマさえも凌駕した。


「じ、神保! どうした、寒いのか?」

「ご主人様、凄い鳥肌……」


 日本のサブカルチャーへの耐性はあったはずの神保でも、男のヤンデレとツンデレだけは拒否反応を起こす。

 神保は全身を撫で、深く深呼吸をする。

 オーラだけで負けてはいけない。

 ディアブロは治っている催眠魔術が、ドボルはまだ解けていない。

 時間制の魔術では無いらしい。

 ディアブロが行ったことで、ドボルがまだ行っていない事をすれば、もしかすると催眠魔術を解くことができるかもしれない。


「ドボル!」

「んぁ?」


 眠たそうな声でドボルが返事をする。

 神保はとりあえず、ドボル・キルの顔面にグーパンチをした。




 ◇




 ドボルはその後、背後の樹木に後頭部を打ち付けて我に帰った。

 二人の巨漢を何度も打ち付けられ、ビクともせず悠々と生きる背後の樹木には、何となく敬意を評したい。

 ぶつかった衝撃で葉っぱが数枚舞い降りたが、それ以外の被害を被った様子は今のところ見受けられない。

 一応また、この森に来て無事を確認しておきたいが。


 正気に戻ったドボルは、ディアブロとは打って変わって元気そうである。

 地べたにあぐらをかき、神保たちにもその場に座るよう促した。


「すまないね。いや、男ってのは欲望に弱くていかん。禁欲生活を続けてると、それはもう酷いことになってな、ハッハッハ。なぁ(あん)ちゃん。そんな可愛い娘二人も連れて、兄ちゃんなら分かるだろう?」


 その言葉に神保は思わず戸惑う。

 全裸マントの淫魔にミニスカメイドのネコ耳エルフ。そんな二人に挟まれながら、今の言葉を全否定することはできない。

 だからといって少しでも肯定すれば、双方から冷たい視線を向けられること必至である。


 ――実際はそんなこと無く。リーゼアリスは自身の魅力を再確認し、ジャスミンは気に入られていることに喜びを感じるのだろうが。


 とりあえず神保は話題を元に戻す。


「ところで、ドボルさんたちは何で催眠魔術を?」

「おう。そのことについてなんだが――ぁ、ちっと兄ちゃん頼まれてくんないかな」


 ドボルは人差し指で頬をボリボリと掻き、ツメに溜まったらしいアカと皮膚片をそのへんにペッと弾き飛ばした。

 ディアブロの方はすぐに気絶してしまったので真偽は分からないが、ドボルは割と汚らしいおっちゃん。というイメージを強く感じる。

 ドボルはネトネトした指先をいじっていたが、しばらくして鎧の端で拭い、タンが絡んだ咳を一発かましてから堂々とした面持ちで語り始めた。


 ディアブロとドボルは実の兄弟であり。幼い頃からディアブロとともに鍛錬を積み、将来は優秀な戦士となるのだろうと期待された。

 今から約十五年前、二人は王宮に傭兵としての訓練を受けに参り、数年の傭兵時代を過ごす。

 その後色々あって戦士となり、二日ほど前に行われた模擬試合の後皇帝に呼ばれ。モフモフポヨポヨな犬耳エルフを与えられた――辺りから記憶が無い。

 ただ事実分かっていることとは、犬耳エルフを使い、皇帝が彼らキル・ブラザーズを侮辱したこと。

 それと王宮からゴミのように捨てられ、無関係な生物に被害を与えるだけの肉人形として扱われたこと。

 原因があの可愛い可愛い犬耳エルフだということ。

 自分たちは死ぬまで禁欲生活を続けて飼い殺しにされるということ――。


 もう最後の方は八割がた愚痴になっていた。

 皇帝の部屋は臭いだとか、毎夜毎夜甘ったるくてよからぬ声が聞こえてくるとか。

 だが最後の最後になって、『兄ちゃんも毎晩コレか?』と下品な指サインを見せられたので、そこだけはキッチリと否定しておいた。


「――ってなわけで、俺らは皇帝にハメられたってことだ。あ、別にヤラしい意味では無いぞ?」


 神保とジャスミンは軽蔑するように半眼になりながら、一人でテンションMAXな巨漢を見据えていたが。

 リーゼアリスには受けたらしく、俯いたままプルプルと全身を震わせていた。


「ハメっ……ハ、」

「お。お姉さん、こういう話好きかい?」

「はい、大好きです。えへへ」


 頬を桜色に染めながら、照れ照れと無邪気な笑顔を見せる。

 リーゼアリスを見るドボルの目線がちょっぴり変わった気がするが、神保はとりあえず気づいていないことにした。

 ドボルはリーゼアリスに色目を使い、フッと表情を戻して三人に向き直る。

 鼻の下も伸びておらず。真剣な顔で三人の顔を交互に見て――。ああ、やっぱリーゼアリスのときはニヤついてた。


「皇帝に一泡吹かせてやりたいんだ。別に欺こうってんじゃ無い。立場を利用したあのムカつくイチャつき野郎を、俺は……俺はぁぁぁぁ!」


 かなり溜め込んでいたらしい。

 半ば悲鳴のような絶叫をあげながら、ドボルは地面に生えた雑草をむしり始めた。

 終わらない叫びを止めるが如く、ジャスミンは目を閉じて「コホン」と咳払いをして。


「それで、私たちへの頼みごととは何でしょうか」


 ペタリと女の子座りをしたジャスミンは、従順かつ冷淡な声音で、語りかけるように質問する。

 枯葉が当たってくすぐったいのか。ジャスミンは頬を淡いピンクに染め、若干艶

めかしい吐息を漏らしていた。

 その質問に、ドボルは思い出したように膝を叩くと、落語家が見せ場を話し出すように身振り手振り話す。


「さっき兄ちゃん、俺っちを殴っただろ? あれと同じ要領で、皇帝の顔面にワンパン食らわして欲しいんだ」


 内容はふざけているようにしか聞こえないが、ドボルの表情は真剣そのものである。

 時折リーゼアリスを横目でチラ見するのが、ちょっとばかし気にはなるが。

 ドボルは目線をリーゼアリスに向けながら、神保に向かって右手を突き出す仕草を見せる。


「俺ら、キル・ブラザーズの恨みと復讐を込めて……ね? 流石に一騎士である俺っちがマジで殴るわけにはいかないから、ここはあなた様にどうか――」


 ハエのように手を擦り合わせて土下座する巨漢を見下ろすのも、あまり良い気分では無い。

 それに、もしドボルが言ったことが実話なのだとしたら、皇帝はかなりの悪党では無いか。

 確かに神保が今までに見てきた『NAISEI』や『SEKKYO』物では、大抵国を統括している人は悪役だ。

 神保には、内政力や説教を垂れるだけのコミュ力も無いが、光速の拳で殴るくらいならできる。

 そういうのを巷では“脳筋”とか言うらしいが。神保の脳は正常稼働しているし、記憶力なども良い方だと思う。

 毎年のように萌含め代々木一家全員の誕生日をお祝いしに行ったのも、元世界での懐かしい思い出の一つだ。

 神保が感慨にふけっていると、両側からシャツの袖をクイクイと引っ張られた。

 流石の神保でも眼球は二つしか無いので、首を最大限利用して双方の姿を視界に入れ――ようとしたが。

 流石に無理だったので。顔は向けず、耳に小声で話してもらうことにした。


「神保ぉ……どうするの? 皇帝から貰った手紙とこの人の話、狙ったかのように相反してるんだけど」


 リーゼアリスの温かく艶めかしい吐息が耳に触れ、神保は思わず頬が熱くなる。


「ご主人様は、皇帝を殴るのとドボルとかいうお方を黙らせるの、どちらが賢明だと思いますか?」


 こっちはこっちで幼い少女特有の甘ったるい吐息が絡みつく。両耳から頬にかけて、じんわりとした湿り気と温もりに包み込まれ、流石の神保でも脳内を掻き回されたような感覚に陥る。

 桃色に染め上げられた脳内をリフレッシュしようと、神保はとりあえず、目の前で手を擦る“絶対に萌えない生物”に声をかけた。


「もし俺が皇帝を殴るって言ったら、ドボルも付いてくるのか?」


 神保の脳裏には今までに培った知識が駆け巡っている。

 エンカウント時は敵だと思い、拳や剣を交わすことで徐々にお互いを分かり合い、力を合わせて本当の悪を撃退する。

 熱血バトル系では絶対に外せないシチュエーションだ。

 ドボルは手を揉むのをやめ、顔を上げて神保を一瞥すると、大口を開けて『ガッハッハ』と盛大に笑い。


「無理無理。いくら極悪非道な傲慢野郎でも、一応あの方は“皇帝”なんだぜ。一騎士として皇帝に歯向かうなんて、絶対無理だって」


 まるで他人事のように笑い飛ばし、ドボルはまた頭を地面に擦りつける。


「だからよぉ。こういう風に思ってる騎士もいるってことを分からせてやりたいんだ。別に『暗殺しろ』とは言ってないんだぜ。ただあの野郎、面倒な仕事は全部重臣に任せて、自分は犬耳エルフとイチャイチャして。何でも採掘場にいる知り合いは、ノルマこなさないとカネ貰えないって言ってたしな」

「それって、フローズン採掘場の方かしら?」


 リーゼアリスがドボルへ問いかける。

 彼女が今身につけているマントを、技師タイラーに作成を頼むときに用意したオリハルコン。

 あれは採掘場でバイト代として貰ってきたものだ。

 そういえばあの時。仕事を手伝っていた青年たちがいなくなった後、髪の毛をガシガシと毟りながら『どうしよう、どうしよう』と嘆いていた。

 食べているお弁当も質素な物だったし、あれは一種の強制労働だったのでは無いか。

 リーゼアリスの頭にフツフツと何らかの感情が湧き上がる。

 直接的な関係はあまり無いが、彼とは知らない仲では無い。

 彼女の生まれたままの姿も見られたし、グランツ工房への道順も教えてくれた。

 一方的だが裸を見られた仲だ。正直なところ、ちょっと気持ちよかった。

 リーゼアリスはあの時の快感を思い出し。頬を染め、身体をゾクッと震わせる。


「分かりました。あなたたちの言葉を信じましょう」

「リ、リーゼアリス様!?」


 ジャスミンはあまり乗り気では無いらしい。

 普段他の人が出した意見に口を出すことは無いのだが、今回ばかりは否定したいところがあった。


「突然乗り込んで、問答無用で殴るとか。それはちょっと酷いと思います」

「リーゼアリス。それは俺も同感だ。理由も聞かずに突然ボコすのは、家族から教えられた“真の主人公”の行動と相反している」


 いつになく真剣な口調の神保。

 自分に危害を加える者に制裁を与えることは行うが、一時の感情に任せて拳を振るうのは好ましくない。

 ましてや皇帝だ。ドラマなどから得られた神保の知識内には、“実は良い人だった”という文字が羅列している。

 存在そのものが“悪”など、現実に実在するとは思えないのだ。


「でも事実、この手紙はウソだったんでしょ?」


 リーゼアリスは神保に届けられた手紙をヒラヒラと扇ぎ、桜色の唇を艶っぽく一舐めして、尚も続ける。


「神保とジャスミンの考えも分かる。でも、男性の欲望を弄んで催眠にかけるなんて、そんなの許されることじゃ無いわ!」


 神保としても凄く共感できるセリフではあったのだが。

 果たして、淫魔が言って納得できる言葉であろうか。

 リーゼアリスはマントを飜えし、見事なまでの曲線美を外界に晒して、心奪われるほどに蠱惑的な流し目をドボルに向ける。


「とりあえず、皇帝には会いに行くわ。攻撃的な手段に出るかどうかは別として、話し合い(物理)の場を設けるのも良いと思う」


 話し合い。の辺りで攻撃的な声音が混じったように感じたが、神保たちはとくに気にせず流した。

 色っぽい仕草に目を奪われたドボルを置いて、神保たち三人は改めて森林を出発する。

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