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第四十四話「罠」

 秋葉神保は確かに確認した。

 一瞬。ほんの一瞬だったが、暴君ディアブロ・キルの目に宿った小さな灯。

 神保は今までに培った知識から、この状況を割り出す。

 かなり偏った情報ばかりだが、今はそっちの方が有用だ。


「操られている――」


 神保は駆け出した。加速魔術を使わず、己の足だけで必死に走る。


「おい! しっかりしろ」


 大量に血を吐いた戦士に駆け寄ると、何が起こっているのか理解できず立ち尽くしているジャスミンに叫ぶ。


「ジャスミン、治癒魔術使えるか!」

「お任せください、ご主人様」


 ジャスミンが駆け寄り、小さな手をいっぱいに開いてディアブロに向けると。

 青白い光に包まれ、ディアブロの傷が徐々に修復された。


「これ以上は、私の魔力が危ないです」

「私にまかせて!」


 先程まで寝そべっていたリーゼアリスが立ち上がり、走り寄ると、目を瞑り集中している様子で手を広げる。

 赤い光がディアブロを包み込み、彼の身体がピクっと動く。


「まだ息はあったみたい。神保、一応ジャスミンに魔力を」

「ああ、」


 神保はポケットから虹色に輝く“極魔石オリハルコン”を取り出すと、ジャスミンの頬に宛てがい、魔力を少量だけ流し込む。

 目の下に澱んだクマができ、やつれた表情をしていたジャスミンの顔に少しずつ赤みが差した。

 神保はフゥと息を吐き、まだ膨大な魔力を溜め込んでいるオリハルコンを仕舞い込むと、後ろからリーゼアリスが手元を覗きこんだ。


「何で神保がオリハルコンなんて高価な物持ってるの!?」

「ああ。古代龍討伐の前に変なおっさんに貰ったんだ」


 モーランの街。温泉宿の裏で亀○人みたいなおじさんに渡された。神保はこれが魔石だと言うこと以外のことは何一つ知らないが、リーゼアリスの反応から見て、かなり高価な物には違い無いらしい。


 三人でしばらくディアブロを眺めていると。彼は、生まれたてのポニーが初めて立ち上がるように、全身を震わせながらゆっくりと起き上がった。

 そのままドカリと座り込み、寝ぼけ眼のような虚ろな目で三人を交互に見やり、まるでダイイング・メッセージを残すようにポツリポツリと語りかける。


「罠、だ。罠に、ハメられた。俺ら兄弟は、犬耳エルフの、催眠魔術で」

「ハメられたって、誰に!」


 興奮し、甲高い声で詰め寄るリーゼアリスを神保は片手で制し、ディアブロの肩に手を乗せ。温かく包み込まれるような、ゆったりとした口調で問いかける。


「大丈夫です。何があったのですか?」

「皇帝、だ。皇帝が、俺らを罠に――」


 そこまで言うと、ディアブロ・キルは冷たい地面に倒れこみ、天地を揺るがすような酷いノイズのいびきをかきだした。

 治癒魔術で怪我は治ったが。催眠魔術により鈍くなっていた“疲労”が、一気に流れ出たのだろう。

 疲労回復には就寝が一番だ。


 ――風邪薬のCMでも『食事、睡眠、アリ○ミン』と言っていた。


 隣で倒れたままのドボル・キルは放っておいても問題無さそうなので、神保たちは王宮を目指して森林を抜けることにする。








 聞いているだけで妙な気分になってしまいそうな淡い声が響き、皇帝は犬耳エルフの柔らかい唇を塞ぐ。

 どうもこの建物は防音対策がなっとらん。

 騎士や重臣に指摘されたわけでは無いが、流石の皇帝でもそれくらいは気づく。

 何せ普段はノックも無しに飛び込んでくる重臣たちが、ちゃんと戸を叩き、しかも『入ってもよろしいでしょうか?』などとご丁寧に声をかけるのだ。

 ノックがある時と無いときの違いは、この犬耳エルフが愛らしい声を上げているか、上げていないかである。

 実験のために勝手に喘がせておいたときもあったのだが、もちろん重臣たちはご丁寧に戸を叩いてから入ってきた。


「ふむ」


 真っ赤な顔をしてくったりとする犬耳エルフを抱きかかえ、皇帝はベッドの端に座る。

 テーブルに用意したブランデーを一杯飲み、大窓から外を眺めると、槍を持った傭兵たちが茂みに向かって槍を突き立てていた。

 訓練の一環なのだろうが、こう自室のすぐそばで行われるのは、いささか気分が良くない。

 ここは二階であるし、外から見えないガラスを使用しているので、皇帝自身の生活環境を見られてしまう。というわけでは無いが。

 傭兵の姿が見える場所で、エルフを可愛がる趣味は無い。


 皇帝はテーブルに置かれた鈴を鳴らし。人差し指を艶かしく咥えながら熱っぽい視線を向ける犬耳エルフに、『今日は終わりだ』と告げる。

 エルフはまだ不満足そうな表情を浮かべていたが、渋々青いビキニを着直すと、四つん這いになって尻尾を揺らしながら部屋を出て行った。


 エルフが出て行くとほぼ同時に部屋の扉が開き、訝しげな表情を浮かべた騎士が入ってくる。


「お呼びでしょうか?」

「キル・ブラザーズは今どうなってる?」


 騎士はグチャグチャに乱れたベッドを一瞥すると。感情を込めない実に事務的な声で淡々と告げる。


「今のところ音沙汰はありません。それ以前に、まだアキバ・ジンボはここまで到達していないのでは」


 皇帝は手に持ったブランデーを飲み干し、アルコールの篭った生暖かい吐息を部屋に漂わせた。

 若干ブラウンを帯びているのは、口臭のためでは無いと信じたい。


「アキバ・ジンボが古代龍討伐に使用した“武器”を知っておるか?」


 試すような口調で質問を問いかける。

 騎士は何とも不可解な表情で、正直に『存じておりません』と呟いた。


「拳だ」


 皇帝は遠い目をして、もう一度グラスになみなみとブランデーを注ぎ、飲み干す。


「アキバ・ジンボには拳一つで伝説を倒すだけの“速度”がある。常人ならば、まだ中心街から向かっている途中であろうが、やつは違う。胸騒ぎがするのだ。何か、恐るべし驚異が迫ってきているような」

「でも、そのためにキル・ブラザーズを差し向けたのでしょう? 高度な催眠魔術までかけて」


 騎士の遠慮ない口調のためか、皇帝は若干顔をしかめる。


「キル・ブラザーズに任せておけば大丈夫ですよ。異世界人っていうものは、誰も彼も一匹狼を貫いてるものなんです」


 騎士は言うだけ言うと『では』と短く放ち、深々と頭を下げてから部屋を出て行った。





 皇帝の部屋を脱出した騎士は、他の者に悟られないよう細心の注意を払って、深く深呼吸をする。


「……はぁ。臭かった」


 気持ちは分かる。皇帝だって男性だし、皇帝が何のために犬耳エルフを飼育しているのかも、王宮の騎士や重臣なら誰でも知っていることだ。

 だが呼ぶタイミングが悪い。

 ただでさえ閉め切った空気の悪い部屋なのに、直後で呼ばれるとは。


「最近やっと音漏れに気づいたと思ったのに、次は臭いか」


 防音工事は頼めばやってくれる建設業社があるだろうが、防臭工事などという都合の良いものがあるだろうか。

 プライベートな内容なので、皇帝に悟られたく無い。

 部屋中に防臭剤を敷き詰める。なども考えたが、あれは大抵アロマのような匂いが漂うので、バレずに消臭は不可能だ。

 使用人が毎日のように清掃に入ってあの臭いなのだから、もはや通常の臭い取りではどうしようも無いことなのかもしれないが。

 生活臭はともかく、思春期男子の部屋みたいな臭いはどうにかして欲しかった。

 あれでは呼吸が出来ない。

 口調も荒っぽくなってしまうし、早く出たくて堪らないのだ。

 騎士はもう一度深呼吸をすると、鼻や喉の奥を洗い流したい衝動に駆られた。

 こう、新鮮な空気の中でスパッとやりたいものだ。


「さて、外で一服でもしてくるか」


 騎士が階段を下りていると、階下が何か騒がしかった。

 メイドや使用人が忙しなく走り回り、重臣や騎士たちは何やら深刻な表情で話し合っている。

 何だ。自分が皇帝に呼ばれている間に何があったのだ。

 彼が呼ばれた時は、メイドはニコニコと掃除をして、重臣たちは偉そうにふんぞり返って廊下を歩いていた。

 カップメンを作るにも満たない、たった数分の時間に、いったい何が起きたのか。


 騎士は階段の隅で険しい表情を浮かべたメイド二人に問いかける。


「おい。一体全体何があったんだ」

「王宮に侵入者があったようです」


 その言葉を耳にいれ、騎士は「はて」と首を傾げる。それはおかしい。

 周囲は黒々とした城壁で固めてあるし、城門の兵士たちが侵入者を許すはずが無い。

 ましてや近隣の森には、理性を無くしたキル・ブラザーズが暴挙を起こしているはずだ。

 脳に物理的な衝撃を受けると解除される魔術らしいが、あれだけ筋肉質な頭に解除衝撃を与えるのはまず不可能だろう。

 と、言うことはロキス国方面からの侵入は不可能だ。

 西方の国から過激派集団でも参ったのだろうか。


 刹那。天が落ちてきそうなほどの爆撃音。

 確かに王宮の東側から聞こえたが、ありえない。城門は南方にある。

 裏門が無いわけではないが、頑丈に封鎖されているうえ、あるのは西方だけだ。

 東方から王宮に侵入するなどありえない。

 あるとすれば――。


 騎士が茫然と立ち尽くし、頭の中で精一杯の思考を巡らせていると、ロングスカートの端をつまみながら、メイドの一人が血相を変えて階段を駆け下りてきた。


「東方の城壁が破壊されました。クマでも通れるほどの大穴が空いているようです!」

「な――」


 何だって! と声を発そうとしたところで、騎士はそれ以上声を出すことはできなかった。

 繰り返される爆音。だが今回は、その一部始終が彼の目の前で怒っている。

 砂埃が舞い上がり、先程まであったクリーム色の壁が消えた。

 ――正しくは粉々に粉砕されたと言うべきか。


「きゃぁぁぁぁ!」


 メイドたちの甲高い悲鳴とともに、不快感を伴う黄色い声が廊下中に響き渡る。

 バタバタと埃を巻き上げながら逃げ惑うメイドたちを無視して、騎士は腰に差した剣を振り抜く。

 いくらいい加減で傲慢な皇帝だろうと、一騎士である自分は生命ある限り皇帝を守らなければならない。


「何者かは知らないが、ここを通すわけには――」

「ちょっと黙ってて。痛くしないから」


 突風に煽られたような感覚とともに、騎士は自分の身体が後方へと移動させられていることに気がついた。

 確かに彼は廊下の中央にいたはずだが、ザ・ワールドを受けたかのように自身の立つ位置が変わっている。

 騎士は自身の身に何が起こったのか理解できず、情けないほど華麗に腰を抜かし、真っ赤な絨毯が敷かれた廊下にペタリと女の子座りをした。

 あんぐりと口を開いたまま、自身に起きた超常現象を無理にでも理解しようとしていた。


 超能力や時を止めたのでは無い。――超スピードだ。疾風のように現れて、疾風のように去っていく……。


 騎士の身体を光速で移動させた怪物(アキバ・ジンボ)の姿はもう、ここには存在していなかった。

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