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第四十話「紅茶」

 精神が不安定なとき。信頼できる誰かから優しい言葉をかけられると、たちまち心の重みが軽くなったりする。

 そして、温かいお茶は精神をリラックスさせる効果があると言われ。リーゼアリスは甘い香りのするお茶を淹れるのが大得意だった。

 魔王という職業柄。来客が多く幼少時から色々な茶を飲んで育った彼女は、本人も気がつかぬうちに“茶”に関する舌が肥えていたのだ。

 甘いものも心の疲れをとるのに効果的である。

 リーゼアリスが偶発的に行ったこの三つの行動は、全てが神保の精神を安定に導いた。

 雪景色のように純白なテーブルにお茶を並べ、彼女は台所からクッキーを持ってテーブルに並べる。

 そこまでしたところで。お掃除中だったジャスミンが血相を変えて駆け寄り、「いけません! そういうのは私にさせてください!」と半ば絶叫のように頼んだが、リーゼアリスは二人の分までお茶を淹れており。

 深々と頭を下げたジャスミンは、メリロットを呼びに2階へと足を急がせた。



 エルフメイドを含む女の子6人に囲まれながら、神保はチビチビと紅茶を啜っている。

 テーブルを囲んでいるのが、自分以外女性というのは流石の神保でも緊張するらしく。先程から何度も、熟れたトマトのように赤く火照った頬を触っていた。

 リーゼアリスはチェック模様のクッキーを口に入れながら、自身がいない間に起こったことについての説明を求めたが。

 その話題を出そうとすると、その場にいた全員が雨雲でも出たかのようにドンヨリとしてしまうので。仕方なくリーゼアリスは、そばに落ちていた手紙を手にとって黙読した。

 半分くらい目を通したところで、普段のエーリンからは想像できないほどにぶっきらぼうな声音で面倒臭そうに呟かれる。


「それよ。原因は」


 エーリンから明るさを奪ったら何も残らない。と、幼少の頃から散々言っていたが本当にそうだとは。育てた本人であるリーゼアリスも、驚きのあまり声も出なかった。

 アキハも死んだ魚のように濁った目で、腐向け同人誌をパラパラめくっている。

 普段なら『食事中に読むな。とは言わないから、お願いだからカバーくらい付けて読んで』と言うのだが、このような状態で口を開く気にはなれない。

 萌は萌でパサパサのクッキーがしっとりするくらい。口に含んでは出して、含んでは出して――と、年頃の女の子らしからぬ行動をしていた。

 ジャスミンとメリロットはティーカップを口に付け、クッキーには全くと言っていいほど手をつけていない。

 同居人に遠慮はするな。と毎日言っているのだが『規則です。甘やかされると後で困ります』と、冷たくあしらわれてしまった。

 見た感じ“ネコ耳エルフ奴隷”の一種なのだろうと言うことは事情を知らぬ彼女にも分かったが。他の住人もメイドさんのように扱っているので、リーゼアリスも彼女たちは“メイドさん”として扱われているのだとばかり思っていた。

 リーゼアリスとしては『みんな仲良く』とか『明るく楽しく』を目指しているので、今現在この状況はどうにかして打開したいのだ。


 それ以前に彼女としては、こんな葬式ムードで午後のティータイムを過ごすことが気に入らない。

 明るい日差しに包まれながら、みんなでわいわいお話して、甘くてふんわりしたクッキーを食べる。これ以上の幸せは無い。

 民宿だからか窓も大きく、壁紙もウェディングドレスのように真っ白である。

 せっかく明るい建物を選んだというのに、中に住む方々が灰色(グレー)では全然意味が無い。


「ああぁぁぁ!」


 リーゼアリスは雄叫びをあげ、純白のテーブルに「ダン!」と手のひらを叩きつけた。

 電気を流したようなピリピリする痛みが手のひらを走り、彼女は手と手を撫で合いながら。


「神保、ジャスミン。行くわよ!」

「え、」

「は、はい? え、あの、はい」


 淡白な返事をした神保は、『どこに?』とでも聞くように発言者の顔を凝視している。

 挙動不審なほど焦っている方が、もちろんエルフメイドのジャスミンだった。

 リーゼアリスは手紙の1行を指でなぞりながら、さも当然と言った様子で、その場にいる全員の顔を見渡す。


「このディアブロとかいうやつを倒せば良いんでしょ? 一人が心配なら、誰かを頼ればいいのよ」


 リーゼアリスは拳でポヨンと胸を叩き、思春期男子の精神的成長に何らかの不具合を与えそうな音と振動が空気中に伝わる。

 水まんじゅうのようにツヤのある膨らみを揺らしていると。その光景を眺めていたジャスミンに真っ黒な影が差したが、そのことに気がついたのは“同じ”悩みを持つ、アキハとメリロットだけであった。

 ジャスミンの小さな()に深い傷を負わせたことに気がつかないリーゼアリスは、深紅のマントをまとい、着々と出発の準備を完了させる。


「行くわよ! 迷ったら行動してみるの。やらないでウジウジ後悔するより、後悔を反省に活かすほうが良いに決まってるでしょ」


 リーゼアリスは太陽より眩しい笑顔で神保の腕を握り締めた。

 その目に悪意は無い。正しい道へと導くお姉さんのように、透き通るほどに繊細な視線が神保へと向けられる。

 そしてそのままジャスミンへと振り返ると。「ね?」とでも言うように黙ったまま頷く。

 ジャスミンは若干戸惑いを感じているようだったが。善の塊のようなリーゼアリスの笑顔に吸い込まれるように、そっと立ち上がり姿勢良く静かに佇んだ。


「お供いたします。ふつつか者ですが、どうぞ――」

「そう言う堅苦しいのは良いから、行こ?」


 リーゼアリスの温かい手がジャスミンの手を握り締める。彼女の心をそのまま反映させたように冷たい手は、リーゼアリスの体温によって徐々に温まった。

 ジャスミンは伺うような目つきでリーゼアリスの顔を覗き込み。凛々しく前方を見据える彼女の視線に、この上無い安心感を感じたのだった。








 ロキス国西方の森林にて、彼らは目醒めた。

 キル・ブラザーズと呼ばれた二人の戦士には、もう善悪や損得の感情は精神内から消し去られている。

 犬耳エルフが最後に放った“催眠魔術”により。誇り高き戦闘者は、殺戮を繰り返すだけの肉人形と化してしまったのだ。

 目覚めた彼らの目には青い魔法陣が映し出され、精気を失った虚ろな目で、辺りの木々を伐採し始める。

 理性や感情などそこには無い。ただ、脳内から焼き尽くされそうに強烈な“熱”と、内蔵を直接締め付けられるような心理的圧迫感に苛まれ。

 苦痛から逃れるためだけに、二人の戦士は暴動を繰り返していた。


 ――熱い。


 頭蓋骨が溶解しそうなほどの熱に襲われる。眼球の奥深くに針を突き刺したような痛みが伴い、目を覆わずにはいられない。

 一見無意味な破壊衝動は、自身の苦痛を抑えるために起こす苦渋の行動だ。

 争いや殲滅は何も産まないと言うが。彼らはこれ以上苦痛を生み出さないために、総身を超える長さの大槍を振り回して自然を破壊する。


 ――苦しい。


 胃を握りつぶされるような感覚とともに、立っていられないほどの目眩がする。

 喉を掻きむしり、全身を痙攣させ。鼻の奥を腐敗臭が充満する。


 ――エルフ。


 極上の夢から覚めた二人に“救済”という言葉はもう無かった。

 犬耳エルフによる心躍る“ご奉仕”。どこからが夢なのか見当もつかない。

 彼らが現在理解している事実。それは、『森林内への侵入者を問答無用で殲滅する』ただそれだけだった。








 ロキス国王宮殿。


 藍色の双眸を向けられながら、皇帝は一人の重臣と将棋を指している。

 全身をくまなく舐め取られ。愛らしい液体でベットリとした皇帝は、時折片手で犬耳エルフの頭を撫で、舐めるのをやめさせる。

 が――数秒もしない内に、うっとりとした目を向けて皇帝を舐め始める。

 犬だから仕方無いと割り切るべきなのか。短気で傲慢だと有名な皇帝だったが、従順な奴隷には弱く、今ではこの状態を少なからず楽しんでいるようだった。


 重臣――赤髪の騎士は右手で桂馬をクルクルと回し、盤の真ん中あたりにパチリと置く。

 木と木が接触する乾いた音が響き、犬耳エルフはびっくりしてパチクリと目を見開いてキョロキョロと辺りを見渡す。

 皇帝はその行動に全く興味を示さず、彼が一番好きな駒である“龍王”を一番隅っこまで進ませた。

 その光景を見て赤髪の騎士は目を細め。


「皇帝は龍王と龍馬が、本当にお気に入りで」


 赤髪の騎士がまた一手進めると、皇帝は盤の済に“角”の駒を置く。


「限られた動きしか出来ない者とは、将棋でも実践でも味方の足を引っ張るのだ。例えば、」


 桂馬が自陣に攻め込んできたことは気にも留めず。皇帝は角を移動させて“馬”へと裏返した。


「王が逃げるとき、四方八方を自身の歩兵や金銀に囲まれていると、それだけで詰まれる。多すぎる味方とは、足を引っ張るものだと決まっているのだ」


 赤髪の騎士は『なるほど』と頷き、王将の眼前に手持ちの金を置いて「フッ」と笑う。


「ですが、一人では守ってもらえませんよ。皇帝の陣地は、まるで“裸の王様”です」

「ぐぬぬ……参った」


 桂馬と金により勝利した騎士は、将棋盤を片付けながら、語りかけるように疑問を口にする。


「しかしどうして、皇帝はアキバ・ジンボをそんなにも抹殺なさりたいのですか?」


 皇帝は三匹の犬耳エルフを撫でながら、思い出すように呟く。


「NAISEIという言葉を知っておるか?」

「内政ですか?」


 初めて聞く単語に、騎士は片付けの手を止める。


「異世界人とは大抵、この世の政治に余計な口を出す。ただの厄介な物知らずだ。突然現れて『ここはこうしたら良い』などとドヤ顔で言われるのが、俺は何よりも気に食わんのだ」

「そういえば、いましたねぇ……。そんなキツネ耳が」


 騎士は遠い目をしてから、将棋盤を部屋の隅に立てかけると。皇帝に一礼してから、忙しなく廊下を駆けていった。



 足音が響かなくなったことを確認すると、皇帝はベッドに身を投げ、犬耳エルフへと手招きをする。

 頬をピンクに染め、愛らしい鳴き声をあげた犬耳エルフは、期待に満ちた表情を浮かべ。

 一糸まとわぬその姿を晒すと、ベッドの上へと飛び込んだ。

 緩みきった顔をした皇帝は犬耳エルフを抱きしめながら、何かを思い出したようにボソリと呟いた。


「異世界人、か」

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