第三十九話「手紙」
槍を持った男たちが一斉に駆け出す。
岩石のように堅い筋肉に囲まれた漢たちは、その丸太のように太い腕に持った自慢の槍を向け合い突進する。
向かう先にも全く同じ布陣が敷いており、屈強な男たちが一斉に立ち向かう。
そこに“護る”という言葉は存在しない。
『攻撃こそ最大の防御』
その言葉を表現したような立ち回りに、高台から眺める皇帝は「ふむ」と顎ヒゲを撫でる。
砂が舞い、風塵が走り、割れるような雄叫びが響き渡る。
力強く、そして華々しく。漢たちの鮮血と汗塊が訓練場を戦いの色へと染め上げる。
ロキス国西方に位置する、王宮内訓練場にて。皇帝ソリティウスは高台から訓練の様子を眺めていた。
巻き上げられた砂埃により、砂漠のように乾燥した喉を潤し。
傍らに佇む騎士の一人に声をかけ、地上で闘う集団から二人の男を指差した。
双方“東軍”に身を連ねる戦士であり。歴戦によりボロ雑巾のようになった赤紫色のマントを、まるで剣舞を踊るよう、華麗に翻す。
「あの者たち。名はなんと申すのだ?」
「背中に“殲”と書かれているほうが、ディアブロ・キルでございます」
「なるほど。それでは、あちらの“滅”と書かれた方は」
「ディアブロの実弟であるドボル・キルでございます」
皇帝は手に持ったワイングラスを傾け、地上戦の光景を眺め、嬉しそうに目を細める。
「古代龍エンペラー。この名を知っておるな?」
「はい。この間、アキバ・ジンボなる異世界人が討伐したという。伝説の古代龍ですな」
皇帝が空になったグラスを持ち上げると、背後から踊り子のような女性が艶かしくグラスの中身をブドウ色に染め上げる。
皇帝がグラスを目の前まで持ち上げ、グラスを通して戦場を見据えた。
ワインの赤が鮮血を消し去り、視界から悍ましい“赤色”を消滅させる。
「そのアキバ・ジンボだが。古代龍討伐にて莫大な財産を手に入れたとか」
皇帝は自身の前に並べた将棋の駒を一歩進めた。“玉”の前に飛車が置かれ、実践なら王手である。
そのまま皇帝はもう一つ“角”を斜めに置くと、虫けらを見るような蔑みの目を盤に向け。
「これで、“詰”か」
ボソリと呟くと、皇帝は静かに立ち上がった。
数人の付き人を従え高台からゆっくりと降りていく。
その様子を見た騎士の一人が立てかけられた大銅鑼に、全身全霊を込めて棍棒を打ち込んだ。
寺の鐘を鳴らすよりもっと豪快な音が訓練場に響き、大槍を持った戦士たちは一斉に行動を停止させて皇帝へと向き直る。
皇帝が戦士たちの前に立ち『座れ』と合図をすると、機械のように足並みを揃え。
気持ちが良いほどの精密さで綺麗に座りこむ。
そこに“ズレ”は許されない。皇帝の前で腰を落とす訓練は、戦士になり最初に覚える常識である。
皇帝はしばし戦士の姿を上から見下ろすと、静かに頷き、また数人の付き人を従えて訓練場を退去した。
皇帝は自室に帰宅すると、高級なシーツを誂えた立派なベッドへと横になる。
しばらく転がっていると自室の扉が開き、犬耳を生やした上等なエルフがビキニ姿で現れた。
そのまま四つん這いになって胸を腕で挟み、強調するポーズをとり。ねっとりした熱っぽい視線を向けながらベッドへと飛びかかる。
自身の腕を枕にして寝転んでいた皇帝に躊躇無く抱きつき、甘ったるく温かい舌を伸ばして嬉しそうに皇帝の顔を舐めまわす。
だが皇帝は特別表情を緩めることも無く。ベッド脇に置かれた鈴を鳴らし、風鈴のように涼やかな音が響いたところで、赤髪の騎士が姿勢良く現れた。
「お呼びでございましょうか」
「キル・ブラザーズを呼んで来い。それと、こいつと同じ犬耳エルフ奴隷を“二匹”頼む。極上のをな、出し惜しみなどするな」
騎士は無言で敬礼すると、ガチャガチャと鎧の音を響かせながら廊下を駆けていった。
騎士の足音が遠くなったところで、皇帝はやっと頬を緩ませ、犬耳エルフの頭上
に生える耳を撫でる。
くすぐったそうに目を細め、犬耳エルフは艶かしく自身の指先を舐めとった。
そして彼女は、玲瓏な身体に纏う青色ビキニの端を指先で引っ張り、誘うように皇帝に向かってウィンクをする。
皇帝の指先がエルフのビキニに引っかかったところで。まるで狙いすましたかのように部屋の扉を叩く音がした。
皇帝はチッと舌打ちをしてベッドから身体を起こすと。ア○ゴさんのような渋い良い声で「入れ」とだけ言い、そばにあるソファーへと身を投げる。
「お呼びでしょうか」
先ほど訓練場で戦っていた豪傑が二人、身体をガチガチに緊張させながら闖入する。
さっきまで着ていた戦闘服は着替えてしまい、背中には“殲”の文字も“滅”の文字も存在しない。
どちらも重量がありそうな鉄鎧を身体に巻きつけている。これこそ皇帝が望む装備であり、彼は『シンプルイズベスト』をモットーに過ごしていた。
皇帝は二人を一瞥すると、自身が座るソファーの向かいへ座るよう促す。
そして、飼い犬に「来い!」とでも言うように左指を向けると。ビキニを脱衣し終わり、艶かしく真珠のような素肌を惜しげもなく見せつける犬耳エルフが、嬉しそうに目を線にして甘え始めた。
皇帝の腰周りを重点的に撫で回し、その様子を見てキル・ブラザーズの表情が若干曇る。
禁欲生活を強いられている戦士の前で、このようなことをするとは。
相手が皇帝だから黙っているものの、接待などでこのような事態に直面すれば。ディアブロとドボルは悪鬼羅刹の怒りをあらわにして、目の前の男をボロ雑巾のようにメッタ刺しにするだろう。
それだけ、この状況は二人にとって苦痛であった。
「皇帝、」
「まぁ、待て」
皇帝は片手で制すと、ソファーに置かれた鈴をもう一度鳴らす。
自転車に付いているベルのような音が響き渡り、忙しない足音とともに赤髪の騎士が、肩で息をしながら駆け込んできた。
「申し訳ございません! ただ今連れて参りました」
その言葉が言い終わるか否か。背後から黒服の男たちが、整った顔立ちの犬耳エルフに真っ赤なリボンをかけて部屋へと連れ込んだ。
茶髪でロングな犬耳エルフは両腕を背中に縛り付けられ、色っぽく潤んだ藍色の瞳でキル・ブラザーズを見つめている。
その目には“忠誠心”や“純真”を超えた“従順”なる心が映っていた。
愛らしく湿った淡い桜色の唇が、何とも言えない色っぽさを醸し出す。
もちろん身体つきも極上である。艶めかしい曲線美を誂え、純白な雪景色のように滑らかな素肌。
出るところは出て、絞られるところは妖艶に絞られ。まさに絶品である。
「おぉ……」
皇帝の前だと言うことも忘れ。キル・ブラザーズは身体を前のめりにさせ、少年のような期待に満ちあふれた熱い視線を送っている。
「ディアブロ・キル。ドボル・キル。そなたに一匹ずつ与えよう、たっぷり可愛がってくれ」
キル・ブラザーズは思わず唾を飲み込む。皇帝が楽しむために上玉同士を配合させて作りあげたと言う、まさに伝説の犬耳エルフ。
犬耳エルフ自体はロキス国の森林に住み着いているが、藍色の目をした犬耳エルフは自然界には存在しない。
皇帝が気に入った者に贈ることがある。という噂は、一戦士であるキル・ブラザーズの耳にも入っていた。
だがそれが自分たちになるとは。
天にも昇る心地とは、まさにこのことだろう。
藍色の熱っぽい双眸を向けられ、キル・ブラザーズのまぶたが徐々に重たくなって行く。
あまりの幸福感に眠気が出てしまった。――だがここは皇帝の部屋。
このような場所で睡魔に襲われるとは、何というたるみか――。
キル・ブラザーズは犬耳エルフを見つめたまま。その場にガタンと崩れ落ちた。
その様子を眺め、皇帝は口元だけで「ニヤリ」と笑うと。赤髪の騎士に命じてキル・ブラザーズを王宮から投げ捨てた。
キル・ブラザーズは犬耳エルフとの楽しい夢を見ながら、幸せそうな顔を浮かべて王宮外の森林で眠った。
皇帝は自室で何やら書き物をしている。
足元では先ほどの犬耳エルフ奴隷が三匹で、皇帝に“ご奉仕”をしていた。
だが皇帝はそのことを全く気にもとめず。腰周りに若干ムズかゆい感覚を覚えながらも、まるでそれが通常であると言わんばかりに。
一枚の紙に手紙をしたためた。
――拝啓。アキバ・ジンボ殿。
先日は古代龍エンペラーの討伐、おめでとうございます。並びに世界を救ってくださり、誠にお礼申し上げます。
さて、異世界人であるあなたを見越して、一つ頼まれてくれないか。
ロキス国最高の戦士である『ディアブロ・キル』、『ドボル・キル』この二人が突然反逆を唱えたのだ。
彼らは現在暴走し、ロキス国西方の森林を拠点にして根城を作るらしい。
こうなっては、私たちには打つ手が無い。
世界を救った異世界勇者よ。そなたの力で、ロキス国クーデターを食い止めてくれないか。
もちろん成功すれば、莫大な礼を差し上げよう。
検討を祈る。
――ロキス国皇帝ソリティウス。
神保が泊まる――。正確に言うと買い取った宿屋にその手紙が届いたのは、それから翌日のことであった。
神保たちが先日まで宿泊していた日本和調の宿屋では無く、民宿のような宿屋だが。
宿泊客がいない。というのは、過ごしやすくてとても良い。
エーリンやリーゼアリスも、生まれたままの姿で廊下を徘徊したり、アキハは腐向け漫画にブックカバーを付けずに読むことが出来たりと。
心身ともに休まる、温かな空間が出来上がった。
――そういえばバタバタしていたので忘れていたが。
リーゼアリスは結局このまま、神保たちと行動をともにすることとなった。
ロキス国北部に位置する『ローズ・ガイ』に建つ、ツタ植物に覆われた家には、もう帰りたく無いらしい。
彼女は他にもガタガタ理由を言っていたが、本心では『神保と離れたく無いから』であった。
リーゼアリスは古代龍討伐中、神保にさりげなく頭を撫でられたために。実に久しぶりに発動した『ナデポ』により、この世の全てを燃やし尽くすほどに情熱的な恋心を抱いてしまったのである。
既婚者であることはこの際置いておこう。リーゼアリス曰く『女の子はいくつになっても女の子』なのだ。
と、推定3500歳の淫魔がおっしゃっていた。
神保はその手紙を何度か読み直すと、若干不審そうな表情を浮かべ、そばに立つエーリンに手紙を差し出す。
「エーリン。この手紙、ちょっとおかしく無いか?」
「ん~?」
全身を外気に晒し、この上無い幸せを感じている淫魔エーリンは、神保が持つ手紙をひったくるように受け取ると。
身体をゾクゾクと震わせながら手紙の文を熱心に読み返す。
「どこかおかしい?」
「ん。えっと、何故俺なのかな? って。王宮ってことは、多分武器もあるだろうし魔術師だっている。しかも相手はたった二人なのに、軍隊で取り押さえようとか考えて無いみたい」
「面倒なんじゃ無いの? ロキスの皇帝って、こう言っちゃ何だけど。傲慢で女たらしだって有名だし。税金も無駄に徴収して、自分の趣味に当ててるって噂だよ」
アキハの発言には、まるで信憑性は無かったが。
神保はアキハの言葉を聞いた上でも、まだちょっとした疑問があった。
「それと。何で“俺だけ”なんだろう。相手が二人なら、アックスたち三人組とかに任せた方が効率良い気がするんだけど」
「神保は行きたくないの?」
萌が心配そうに神保へと寄り添う。
ネコが喉を鳴らすようにゴロゴロと擦り寄り甘える姿は、遠目に見ても近くで見ても、幸せな時を過ごす熟練のカップルのようである。
その様子を見て数人の女の子たちは、羅刹婆のような顔で怒りをあらわにしたが。
割と楽天家な神保の心底不安そうな表情を見ると、冗談を言っている場合では無いことに気がつく。
一人でも――特に意中の異性がこのように悩んでいると、負の感情として伝染するのだ。
普段は明るく楽天的な、若干騒々しい集団なのだが。この時ばかりは、文字通り水を打ったように静まり返っていた。
「お茶ですよ~」
香りのよいお茶を人数分淹れて戻ってきたリーゼアリスは、口をポカンと開けて皆、思い思いの方向を眺めている情景に直面した。
が、賢明な彼女はその状態だけで大体の想像はついたらしい。
リーゼアリスは太陽のような笑顔を見せて、頼りになるお姉さんらしく、不安そうに俯く神保の頭を。まるで犬を洗うようにぐしぐしと撫で回した。
「私が手伝ってあげよう」




