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異世界勇者は速度と拳で無双する  作者: 山科碧葵
『古代龍討伐』編
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第三十八話「勇者の拳は砕けない」

 何かが流し込まれる感覚。

 前にも体験したことがある。初めてこの世界に召喚されたとき、アキハの魔力をコピーしてもらった時だ。

 あの時は魔力が合わず不快感を伴ってしまったが、現在の神保は魔力耐性が確実にできている。

 リーゼアリスによって流し込まれた膨大な量の魔力は、神保の全身を駆け巡り、心身ともに回復させていく。

 力がみなぎり戦意を掻き立てる。戦いの本能を刺激され、神保の心の中に“やる気”が立ち込めた。

 柔らかく甘ったるい唇の感触が離れ、リーゼアリスの艶めかしい吐息が鼻先をくすぐる。

 リーゼアリスはトロンとした虚ろな目を見せ、玲瓏な小悪魔笑顔で穏やかに微笑む。


「私の体内魔力をほとんど送り込んだわ、私はもう戦えない。でもね、あなただったらできるかもしれない。異世界人は体内に蓄積できる魔力の上限が無い。だからあなたなら、世界を救えるかもしれ――」


 そこまで言ったところで、リーゼアリスは力尽きて崩れ落ちる。

 死んでしまったかと顔を近づけると――。思わず吸い付きたくなってしまうほどに妖艶な、桜色の柔らかな唇から吐息が漏れ。あどけなさを感じさせる温かい寝息が、春風のような心地よさで神保の耳を撫でる。


 ――良かった。生きてた……。


「神保。アックスとレータスの治癒は終わったぞ」


 エーリンが二人の元へと駆け寄ると。例えようも無く煌びやかなオーラを放つ神保が、真剣な眼差しで佇んでいた。

 そして目の前には彼女の母親が気持ちよさそうに眠っている。

 後衛にいる魔術師さんたちが地面に『熱量遮断』の魔術を張っているので、身体に害は無いだろうが。

 通常なら半身がトーストになっているはずだった。


「母さん、どうしたの?」

「俺に全魔力を与えるって……」


 神保の右腕には、(いかずち)のように煌びやかな魔力がバチバチと走っている。

 拳は虹色に光り輝き、思わず目を覆ってしまいそうなほど燦然なる光が輝いていた。


「俺は、加速する」


 神保は穏やかな微笑を一瞬だけ浮かべ、代わり映えのしない決まり文句を力強く呟く。

 拳に力を込め、空間を貫くように鋭い視線を前方へと向ける。 





 天が裂けるような轟音。刹那。神保の背中から無数の光が降り注いだ。

 例えようも無く繊細で、眼球を焼き付かせるような輝きを放つその光は、一つの塊に見えて実際は否。

 糸のように細く、真っ直ぐな閃光が纏まり合い。神保の背後を神々しく煌びやかに彩る。


 その瞬間。彼は駆け出した。

 何かに押し出されるように加速する。

 地上に散りばめられた砂が空間に巻き上げられ、視界をあやふやなものとする。

 だが彼には関係無い。全身を見ることさえ適わない巨体を持つ敵。打ち込む箇所はもう理解していた。

 神保が行うことは、最大火力で加速し、リーゼアリスから授かった魂の魔力を込めたこの拳を叩き込むだけだ。


 背後にはともに戦った仲間たちの姿がある。

 全身全霊を賭け、自身の武器である魔轟斧を振り抜いた。伝説の冒険者アックス。

 効率良い戦闘布陣をあみだし、剛壁のように堅く分厚い体表に傷を与えた魔術剣士。大槍のレータス。

 そして。彼――神保に魔力を捧げ、全ての願いを託した元魔王。リーゼアリス。


 三人とも全力を使い果たし、ジリジリと焼き焦がすような砂漠地帯に倒れている。

 うつ伏せのもの。仰向けのもの。ネコのように丸まって幸せそうな表情を浮かべ

るもの――。

 後衛に位置する魔術師たちには頑張っていて欲しいものだ。


「神保。私も付いていくわ!」

「ありがとう、エーリン。その言葉は何より心強い」


 同じように背中から加速魔術を発動したエーリンは、同じ速度で神保の横にピタリと追いつく。

 砂塵が巻き上げられ、視界を塞ぐ壁が徐々に濃くなっていく。

 砂の壁を突き抜けるように、神保とエーリンは疾風の速さで駆け抜ける。


 衝撃波により作られた風塵の壁に、雄大かつ重圧的なエンペラーの影が映った。

 標的が大きい分攻撃を外すことはまず無い。

 心配なのはこの一撃で古代龍を壊滅できるかどうかである。

 最大魔力を込めたこの拳でも壁面を破れないとしたら、もはやどうすることもできない。

 リーゼアリスの魔弾や、神保たちの武具では小さな傷を付けるのが精一杯であった。

 だが一つ。古代龍エンペラーの硬質化した壁面に傷を付ける方法がある。


 ――エーリンの放つ魔弾だ。


 着弾後高速回転しながら体表にめり込む強烈な魔弾。

 爆撃威力は然程でも無いが、神保の拳を最大火力で打ち込むための突破口を開くことができる。

 だがそうなると、攻撃可能範囲が一点に集中されてしまう。

 チャンスは一回。この一撃で、古代龍エンペラーを撃墜させる。



「はぁぁぁぁ!」


 エーリンの両手から放たれた水色の魔弾は、雷鳴のような唸り声を上げ、砂塵舞う空間を音よりも速く疾走する。


 直後。爆撃音。


 前方から爆風が舞い上がり、新たな風塵により視界が遮られる。

 神保は地面を蹴った。巻き上げられた砂塵から脱出するように飛び出すと、彼が目指すべき古代龍の岩のような壁面が現れる。


 見えた。


 エーリンが放った魔弾の着弾地点。硬質化された壁面にポッカリと空いた爆撃痕を、神保の視界がしっかりと捉える。

 拳を振り上げた。体内に蓄積された全魔力をその拳に充足させる。

 右腕を電撃が走り、旋風のような竜巻が覆う。

 吹き飛びそうなほどに豪快な金属音が響き、神保が放つ強烈な拳が、古代龍エンペラーの壁面へと激突した。


 天地が割れるような爆音とともに、鉄壁の身体へと拳が打ち込まれる。

 地上に広がる砂を根こそぎ舞い上がらせ、あらゆる物質を粉々に粉砕するほどの衝撃波が全身を襲う。


 前進する。

 全身の肉片が粉々になりそうな衝撃に耐え、己の拳を打ち込むことだけに集中し、前方へと腕を伸ばす。

 空間が歪曲するほどの風圧。関節部から先を引きちぎろうとでもするような暴風に身体が悲鳴を上げ、砂が舞う。


「ああぁぁぁぁ!」


 絶叫。

 気合や士気を高めるのための叫び声では無く、落雷のように激しい魂の叫び。

 放たれた魔力量に耐え切れず、神保の右腕にはバキバキと亀裂が入った。

 魔力とともに鮮血が放たれ、業火のように真っ赤な血しぶきが上がる。


 だが打ち込む。


 全身全霊を込めた魔力の鉄拳制裁を全力で打ち込むのだ。

 亀裂が入る。だが今回の亀裂は彼の腕では無かった。

 拳を打ち込む、古代龍エンペラーのダイヤのように堅い壁面。

 南極の氷山が崩れ落ちるように。断末魔一つ上げること無く、古代龍エンペラーは全ての行動を停止させた。








 砂漠の照り返しのためか。

 エーリンの位置からは戦闘状況を確認できない。

 激突の衝撃を感じることは出来た。だが、その先そうなったのか。拳がエンペラーの身体を貫いたのか。

 それともエンペラーの壁面に弾かれたのだろうか。

 巻き上がる砂塵と閃光のような照り返しのため、前方の状況を確認できない。


「神保ぉ!」


 駆け出した。

 肩から下がるマントを飜えし、エーリンは砂漠を疾走する。


 無事でいてほしい。


 一撃が終了したのは事実である。

 勝者が神保だろうとエンペラーだろうと、恋する乙女であるエーリンには関係無い。

 神保が生存しているか。自身の治癒魔術で修復可能だろうか。ただそれだけだ。

 勝敗はどうでも良い。

 神保が無事ならばそれでいい。


 刹那。直立不可能なほどの地響きに襲われた。

 地底から揺るがすような直接的な振動に、思わず地面に手を着いて倒れこむ。

 何事かと前方へと顔を向けると――。視界を遮る砂塵を通して確かに見えた。


「倒した……?」


 果てしなく眩しい日光を遮っていた巨大な壁。古代龍エンペラーの身体が確実に消え去る。

 天地を揺るがすような衝突音とともに、巻き上げられた砂塵が一斉に吹き飛ばされた。


「神保!」


 彼はいた。

 運動能力を無くし、盛大に横転したエンペラーを蔑むように。右腕からボトボトと血液を垂れ流しながら、肩で息をしてその場に立っている。


 生きている。


 鮮血により、辺りを真紅の絨毯のようにしているが、確実に生命は保っている。

 エーリンは神保へ駆け寄ると、何よりも先に、精一杯の愛を込めて神保の全身を包み込む。

 温かく柔らかい温もり。今一度神保が生きていることを証明させる。


「エーリン、」

「大丈夫、しゃべらなくて」


 エーリンは瞳を閉じると、両手を重ね合わせて最大級の治癒魔術を神保に向けて放つ。

 青く煌びやかな光に包まれ、まるで蛍の集会のように美しい情景が戦場に浮かぶ。

 キラキラと舞い散る魔力光。

 ドクドクと流れ出ていた血塊は完全に止血され、生命維持に必要な血液は回復される。


「ありがとう、エーリン」

「神保こそ……。良く頑張ったよ」


 力が抜け、砂上へと崩れ落ちた神保を抱えると、エーリンは後方にて倒れこむ三人の戦士たちの方へと向かう。

 彼女自身の魔力を分け与え、今回の戦績を伝えなければ。最前線の五人――そして、準前線から後衛までの魔術師たち。

 彼らにも結果を伝達しなければならない。

 それらの事後報告を行うのは彼女の仕事だ。神保はこの通り疲労のため気を失ってしまっているし、後方三人は結末をその目では見ていない。


 大賢者クリーフなる方が実況しているらしいが、世界を塗りつぶすように濃い砂塵のせいで、多分はっきりとは見えていないだろう。


 ――最後は私が頑張らなくっちゃ。


「んぅ……エーリン」


 胸の中で神保が彼女の名を呼んだ。だが残念なことに、エーリンの耳にその言葉は届かなかった。

 彼女はこれから実行するべき事柄があまりに多すぎて、他のことに気を取られていられる状態では無かったのだ。


 エーリンは漆黒のマントを悠々と飜えし、共に戦った仲間たちの元へと、胸を張って歩み戻った。

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