第三十六話「死闘」
戦闘開始である。
舞い上がる砂が徐々に消え去り視界が鮮明になっていく。
濛々と立ち込める砂埃を通し、古代龍エンペラーの姿が影となって視界に入る。
例えるなら砂漠に立ち尽くす一隻の豪華客船。――いや。一つの“壁”と表現したほうが良いだろうか。
リーゼアリスが直前に放った魔弾の着弾地点。寸部違わずその場所から、古代龍エンペラーが出現した。
そしてもう一度、天を裂くような悍ましい鳴き声を砂漠中に響かせ、エンペラーの背中から膨大な量の砂が噴き出される。
「危ない!」
リーゼアリスの甲高い叫び声とともに、背中から噴出された砂が地上へと落下し、まるで隕石が墜落したかのように、サラサラ砂の砂漠地帯に穴を開けた。
半瞬遅れてくる地響き。
直接身体を揺らされたような激震に、神保は思わず膝から崩れ落ちる。
「では予定通りに」
リーゼアリスが駆け出す。
身体を低くする体勢をとり、深紅のマントを翻しながら忍者のように素早い動きでエンペラーとの距離を縮める。
冒険者アックスもその後を追いかける。
豪傑を思わせるその身体に似合わず、リーゼアリスと同じ速度で彼女の真後ろにピッタリと位置をとった。
「では、参りましょう」
少し遅れてレータスが飛び出した。
自慢の大槍を構え、まるでイノシシのように無心で突進する。
彼の体格なら二人を追い越すことは十分可能だろうが、予定では彼の攻撃順番は三番手だ。速すぎず、それでいて決して遅すぎない絶妙な速度で砂上に足跡をつけていく。
「神保、私たちも行くよ!」
エーリンが神保の手を握ると、突如彼女の身体がふわりと浮く。
地上から浮上するその一瞬を見逃さず――蹴った。地面を豪快に蹴り、神保とともに一気に前進する。
これは正解だ。
運動神経は平凡な高校生である神保に、前方を駆け抜ける三人と同等の速度で駆けろというのは無茶な相談だ。
だがエーリンは自身の背中に翼を生えさせることができる。
この状況で大空を舞うことは難しいが、時折吹く風のために起こる空気の流れに乗れば、多少なりとも滑空して前進することは可能だ。
神保は先ほどリーゼアリスが言った言葉を思い出した。
『萌、あなたには荷が重すぎます』
萌の魔術に問題があったのでは無い。常人を超えた筋力を持った者たちとの連携戦闘。
いざというとき、他人をなげうってでもこの場から離脱しなければならない事もある。
神保には筋力を補う加速魔術がある。だが萌にはそれは無い。
絶体絶命の窮地に立たされ、一旦退避するなどといったとき、萌は一人取り残されてしまう。
逃げる術を持たない者は、そのような状態では真っ先に見捨てられる。
リーゼアリスはそれを危惧して彼女を最前線組に参加させなかったのか。
「神保、集中して!」
エーリンの怒号で我に返る。
萌のことを考えている間に、リーゼアリスとアックスの二人は既にエンペラーの腹部へと到達していた。
「はぁぁぁ!」
リーゼアリスの手から黄金色に輝く魔弾が放たれる。
空間を削り取るように豪快な音を響かせながら発射された黄金は、速度を落とすこと無くエンペラーの壁面へと着弾し、花火のような轟音とともに黄金の煙が巻き上げられた。
「次は我だな!」
アックスは走りながら、背中に差した“魔轟斧”を抜き取り、その身を体当たりさせるかの勢いで突進し、そのままエンペラーの体表に向かって抜刀攻撃を叩き落とす。
魔術攻撃と物理攻撃の同時追撃。
砂煙まで舞い始め、レータスの場所からはどのような状況か読めない。
だがとくに気にする様子も見せず。眉を一ミリたりとも動かさずに大槍を構え直し、そのままエンペラーへと突進する。
刺さった。弾かれていない。砂で作った山にスコップを刺したような、サクッとした心地良い感覚。
確かな手応え。レータスの頬が若干緩み、全体重を乗せてさらに追撃する。
「神保、どんな状況かそこから見えるか?」
「見えない。でも誰ひとりとして戻って来てないところを見ると、弾き返されたりはしてないみたいだ」
エーリンは滑空したまま右手を前に突き出すと、もう一度地面を蹴り飛ばし、空中から桃色の魔弾を撃ち込んだ。
リーゼアリスのと比べると一回り小さいが、途中で消えたりすること無く、確実にエンペラーに着弾する。
桃色の煙幕が放たれ、遠目に見るとまさに花火のようだった。
「いくぞ、神保!」
「大丈夫。心の準備はできてるから」
エーリンは無言で頷くと、そのまま神保を力いっぱい前方へと投げ飛ばした。
神保はそのまま空を切り、腰に差した魔剣を引き抜くと、背中から加速魔術を発動させる。
「俺は加速する!」
徐々に降下する身体から、地面に向かって加速魔術を放つ。
衝撃波によって砂塵が巻き上げられ、神保の身体はエンペラーに向かって一気に前進する。
そしてエンペラーの壁面まで到達すると、地面から浮上したままの状態で魔剣を横に向かって振り抜き、体表をスパリと切り裂いた。
だが血液らしきものが吹き出たり流れ出たりしない。古代龍には血液が無いのか、などと考えていると、突然左斜め下方からリーゼアリスの叫び声が響いた。
「神保! 危ない、逃げて!」
声を聞き終わったと同時に空間が揺れる。
物理運動に逆らわず地上へ落下した神保は、リーゼアリスの言葉通りエンペラーに背を向けて加速魔術を放つ。
辺りの砂を巻き上げ近距離から離脱する。見るとアックスやレータスも、元の位置へと戻っていた。
神保は加速魔術で戻りながら、緊急離脱を命じたリーゼアリスに疑問をぶつける。
「何事ですか?」
「古代龍との戦いは一撃離脱が重要よ。見てなさい、今から古代龍が反撃しにくるわ」
悠々と海を泳ぐクジラのように砂上を動き、古代龍エンペラーは全身をワイパーのようにグイっと方向転換した。
鉱山にでも穴を開けられそうなほど、堅く鋭いキバが二本こちらを向く。
幸い高い場所にあり、さらに早めに離脱した甲斐もあって今の攻撃に巻き込まれた者はいない。
流石古代龍戦経験者だ。古代龍自体を初めて見た神保にも的確な指示を出す。
これ以上無い指揮官である。
「次は一斉に向かいましょう。一人一人の攻撃では全く効いてないようです」
リーゼアリスのその言葉に、神保は意義を唱える。
彼の魔剣は確実に古代龍を捉えた。決して驕傲するわけでは無いが、彼にできる事が他の四人にできないとは思えない。
あれを続けていれば、確実に討伐することはできるのでは無いか。
その旨を伝えると、リーゼアリスは首を振りきっぱりと否定する。
「神保が攻撃した場所から血は出ましたか?」
「出ませんでしたが……。でも、確実に切り裂きました」
「あんな傷。古代龍は付けられたことさえ気づいていませんわ」
流石の神保もムッとする。
見てもいないのに何故そう言うのか。リーゼアリスは遠くから魔弾を撃っただけで近場の傷は見ていない。
なのに何故、彼女は自分の能力を軽んじるのか。
反論しようとアックスの方を見ると、彼は自身の斧を見つめたままピクリとも動かなかった。
レータスも同じく自身の大槍を眺めたまま茫然と立ち尽くしている。
何だ。何があったと言うのか。
「我の斧が裂いた表皮からも、流血の兆しは見えなかった」
「私が突いた部分ですが、数十センチは穴を開けたのに――叫び声一つ上げなかった」
すっかり戦意を無くした二人の戦士を眺めていると、後ろからリーゼアリスが聖母のように語りかける。
「今までの敵とは違うのです。龍神を叩き割るアックスの斧でも、鉱石を突き抜けるレータスの槍を以てしても、たった一滴の雫さえ落とすことができないのです」
確かに――と神保は思う。
目の前に存在する古代龍は、数千人の人間を乗せてもガラガラな巨体である。
イ○バ物置どころの騒ぎでは無い。
背中からは砂を巻き上げ、地平線を見事に隠している。
実を言うと、エンペラーの身体を全て見ることはできていないのだ。
縦長の身体をしているためか、途中から消失点に消し去られて全長を精密に計測することができない。
それだけの巨体にたかが引っかき傷――(下手するともっと小さい傷)を与えても、全くもって意味は無いだろう。
小さな虫が人間にぶつかるとどうなるか。
どちらが運動エネルギーをぶつけたとしても結果は変わらない。虫の方が勝手に弾き返される。
そうならないだけでも、“マシだ”と思わなければいけないのかもしれない。
心の葛藤を読んだのか、神保の考えがひと段落着いたところでリーゼアリスが深紅のマントを飜えし、威勢良く立ち上がった。
「でもここで引き下がるわけにはいかないわ。何も可能性が0パーセントだと言っているわけでは無いの。最後まで全力を尽くして戦うのが、私たち最前線組が行うべきことよ」
リーゼアリスはそれだけ言うと、真っ先にエンペラーへと突進する。
予定ではここでアックスが向かうのだが、今この状況でそれを望むのは不可能だ。
レータスはかろうじて戦意を回復したが、アックスはもう少しだけ時間がかかりそうである。
「私が見てるから、二人は行って!」
エーリンに促され、レータスと神保はリーゼアリスを追ってエンペラーへと向か
う。
かかとから少量の加速魔術を使用し、レータスと同じ速度で砂漠地帯を駆け抜ける。
リーゼアリスは射程距離に到達し、両手を胸の前に突き出すと、山吹色の魔弾が轟音とともに放たれた。
鼓膜を破りそうなほどの爆音とともに着弾すると、先ほど撃ち込んだ魔弾より遥かに莫大な煙幕が上がる。
衝撃でレータスと神保の走る速度が若干低下する。またしても砂が巻き上げられるが、エンペラーの身体はこれっぽっちも傾いていない。
ダメージが通っているのかさえ分からないのだ。
「神保とか言ったな。まずお前が先に行って表皮に傷を付けてくれ。そうしたら私が、その傷口にこの槍をぶち込んでやる」
神保は加速しながら問いかける。
「可能ですか?」
「いや、分からない。だがやってみる価値はあるだろう。もし可能であれば、次はアックスの魔轟斧で傷をつければ――何とかなるかもしれん」
レータスの提案は簡単なことだ。
各々が全く別な箇所を攻撃しても無駄なのだから、全員で同じ場所を攻撃しようとの事である。
だが魔弾をそこまで正確に撃ち込めるかは分からないので、この計画は物理攻撃手段を持つ三人でしか行うことができないことだった。
「では先に行きます!」
神保は背中から家族魔術を噴射させ、目で追うことも困難なほどの速度でエンペラーへと追突する。
その衝撃で魔剣をできる限り深く差し込み、全身に力を込め、歯を食いしばりながら、やっとの思いで魔剣を振り抜く。
案の定血は出ないものの、さっき付けた傷よりは深い傷をつけられた。
突如高加速した神保に次ぎ、レータスも駆け抜ける速度を若干速める。
鉄をゴムに当てたような鈍い音が耳に入り、神保の魔剣がエンペラーの身体に攻撃を成功させたことを認識する。
魔剣を引き抜いた神保は弧を描くようにエンペラーから離れ、レータスはそのままエンペラーの切り傷部分を捉えた。
よーく目を凝らさなければ見えないちっぽけな切り傷に的確に大槍を差し込むと、全身の筋肉を伸縮させ、壁面へと突進する。
ザクリと槍が突き刺さった。
表面癖と比べ、やはり薄皮の方が若干柔らかいらしい。
「ぐぉぉぉぉぉぉ!」
渾身の力を込めて大槍を差し込み、前へ前へと踏み込む。地が砂漠なこともあり足がズルズルと滑って思うように進めない。
「動け。動けぇ!」
ルームランナーの上を走っているような感覚。走っても走っても前に進むことができない。
苦痛である。通常ならできる行動を制限されるというのは、戦闘者として酷く悔やむ事態だ。
だがここで戦意を消失するわけにはいかない。どんな環境でも全力で立ち向かうことこそが、レータスが目指す“真の戦闘者”だった。
アックスと初めて出会ったキャベツ畑での戦闘。彼は足場が悪いことに文句一つ言わず、有り余る理不尽さを全てその斧に乗せて叩き込んできた。
彼こそが“真の戦闘者”である。レータスは彼を信頼し、心から尊敬していた。
「レータス、戻って!」
リーゼアリスの招集命令に、レータスは身を飜えし舞い戻る。
もう少し続けたかった。だがここでリーゼアリスの言葉を無視すれば、確実に彼の生命は線香花火のように儚く消え落ちる。
古代龍との戦闘は、自分を低く見るものにしか行えない。うぬぼれ屋は確実に生還するのは不可能だ。
レータスはそんな事を考えながら、チラリと神保とアックスを一瞥する。
――まぁ。たまに例外もいるようだがな。




