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異世界勇者は速度と拳で無双する  作者: 山科碧葵
『古代龍討伐』編
38/93

第三十五話「出現」

 貧血で倒れたフリーゼンに代わり、元魔王であり古代龍討伐隊の指揮をしたこともあるリーゼアリスに、今回のまとめ役を買ってもらう。

 深紅のマントに身を包んだ彼女は、地面に魔力を放ち、砂漠の砂上に船のような絵を描いた。


「これが古代龍エンペラーの姿です」


 砂の上には牙の生えた鯨のような絵が描かれ、全身が硬質化されているという事も追記事項として書かれている。


「まるで戦艦だな」

「とりあえず、最前線組を決めなければなりません。エーリンは憶えているかも知れませんが、前回のように数が多ければ良いという物ではありません」


 リーゼアリスは砂上を細く滑らかな指でなぞり、追記事項その2と付け足す。


「図体がデカイくせに運動神経がかなり発達しているので、無闇に多勢で近寄ると、無意味な被害を増やす恐れがあります。なので近戦組を数人選び、残りの方々は遠距離からの援護射撃や物質転移などをお願いします」

「それは何人くらい?」


 萌は律儀に手を挙げて質問する。表情から読み取るに、自分がその中に入ってい

ることを信じて疑っていない様子だ。

 リーゼアリスはグッと唇を噛み締め。


「私、冒険者アックス、レータス、神保、エーリン。この五人です」

「ちょっと待って」


 リーゼアリス独断の決定事項に割り込んだのはやはり萌である。

 その顔には困惑や驚愕といった色が浮かび、ショックのためか右手を握りながらカタカタと震わせていた。


「萌。あなたには荷が重すぎます」

「私だって神保と同じ拳魔術が――」


 萌の言葉はそこで止まる。別に誰かが止めたわけでも、リーゼアリスが制したわけでも無い。

 泣いていた。萌は言葉にならない声を漏らし、俯く。自分の行動に腹がたったのか、しばらくすると黙ったまま前を向き、リーゼアリスのマントに掴みかかった。


「絶対負けないでよ。――後で私に『やっぱ来て』とか言ったって、ぜーったい行かないんだから!」


 はたから見れば拗ねているようにも見える。自分の思い通りに行かないことに、疑問を持っているようにも見える。

 だが実際は違う。

 日々努力して神保たちに近づこうとした萌にとって、この戦いこそが自分の最大限の力を発表する場だと思っていた。

 三年最後の大会で、レギュラーを狙って猛練習を積み、出場を信じて疑わなかった選手がベンチ入りを発令されたような状態。

 萌の今の気持ちはまさにそれだった。

 単純な“拗ね”や“わがまま”では無く。努力の結果を示すことができないという、もどかしさと悔しさ、そして自分に対する行き場の無い怒りだった。


 リーゼアリスはそれ以上萌には触れず、準前線組、前衛、中堅、後衛を手早く決めて、記録魔術師が発動した魔法陣にその旨を記す。


「これで大体は決まりました。まとまりが崩壊すると、そこからガラガラと計画が崩れ落ちます。もし他の部隊――例えば最前線組で私が戦闘不能になっても、準前線組から一人を送り込む、などは絶対にやめてください」

「何故だ?」


 大賢者クリーフが、記録書籍にメモを書きながらリーゼアリスに問いかける。


「連携が崩れただけならば、その人数で何とか回避できます。ですが、そこに新たな分子を送り込むと、大抵の場合そこから連携が壊滅されます。なので、決して自身が所属する部隊からは外れぬよう、この場を借りてお願い申し上げます」


 元魔王の深く誠実なお辞儀。

 そこには何よりも信頼できる“威厳”があった。背後から眺めていた魔術師の幾人かが、リーゼアリスの腰の辺りに顔を覗き込んでいたことは、この戦闘が終わった後で彼女本人にたっぷり告発してやることにする。


「他に何か質問はございますか?」

「一つ良いか?」


 質問者は予期せぬアックスだった。

 風貌から感じる偏見かもしれないが、彼は上が出した命令に黙って真摯に取り組む性格をしているように感じた。

 意見を言うようには見えるが、質問をしたり説明を受けるのは何よりも嫌いなイメージがある。

 まぁ。これも全て大柄な身体に赤ら顔が醸し出す単なる偏見(イメージ)なのだが。


「最前線組に我を選択した理由は何なのだろうか。我がここに来たのは、リーゼアリス殿の娘であるエーリンに頼まれたからであり、我は魔術を使えないのだ。レータス含め魔術を使う者なのに、何故なのかと。うむ、決して不満などでは無い」


 リーゼアリスは「なるほど」と無言で頷くと、少々声のトーンを落とした。


「実を言うと、エンペラーに魔術が効くかも分からないのです。ガチガチな魔術部隊を作って、もし外壁に魔術無力などがあったらもうおしまいです。なので、魔剣を持つ神保、純粋な“戦士”であるアックスさん。そして魔術剣士であるレータスさんに、最前線組に加担してもらったのです」

「細密なご説明、ありがとうございます」


 深々と頭を下げるその姿は、まさに歴戦を勝ち抜いた武将の様である。

 この世界にも武士の世はあったのだが、もしかするとアックスの先祖は名のある武将や将軍だったのかもしれない。





「それでは最前線組の方々、最終確認をしますのでこちらへ」


 リーゼアリスの元に集まろうとすると、シャツの裾を何かにつままれた。

 何度も体感した感覚。幼い頃からずっと味わう大切な感覚だ。


「萌、どうした?」

「私、神保と一緒に行けないのは凄く寂しい」


 萌は顔を上げなかった。


「でも、私は自分に任された責務を全力でやる。だから、神保も頑張ってね」

「ありがとう、萌」


 神保は萌の頭を撫でると、懐かしい能力が発動して萌の頬に若干の赤みが差す。

 ずっと俯いていた顔を上げると、涙で目を光らせながら、吸い込まれそうな笑顔を向けられる。


「神保、絶対帰って来てね!」

「もちろんだよ」


 このまま萌をギュッと抱きしめてあげようかとも思ったのだが、萌は同じ準前線組のクリーフから。神保はリーゼアリスに呼ばれてしまったので、最後に触れ合うことは無く、笑顔と視線を交わしてそれぞれの場所へと向かった。



「それでは全員揃ったので、改めて布陣を発表しようと思うの」


 さっきまでの堅苦しい敬語が無くなった。やはり初対面の魔術師が大量にいたから、そこを意識したのだろう、と思う。


「まず、私と一緒に真っ先に本体に突進するアタッカー。誰かお願い出来ないかしら」


 神保が手を挙げようとすると、半瞬早くアックスが丸太のように太い腕を高らかに挙げた。


「我が行こう。リーゼアリス殿の魔術と、我の斧があれば問題無いだろう」

「ありがとうございます。では、その次にレータスさんお願いします」

「了解だ」


 レータスは重々しく頷く。その表情には特に特筆するようなものは何もない。

 逆になさすぎて、本当にやる気があるのかと心配になる。


「じゃあ最後にエーリンと神保が付いて来て」


 神保とエーリンは互いの顔を一瞬見合ってから、少々顔を赤らめ頷き合う。

 その様子を見てアックスの筋肉が伸縮したが、それに気づいたレータスが『どうどう』となだめる。


「背後にいる転移魔術師たちが魔石や物品などの不足品は補うことができます。確かクリーフさんは、情景を映し出して連絡を取る機能を持っていたと思いますが――」

受送信魔術(メールサーバー)だな。クリーフなら精密にできるぞ」


 この場に彼はいないため、レータスが代わりに答える。

 リーゼアリスは「ふむ」と頷くと、ハッとした様子で何かを思い出したような顔をすると。彼女が身に纏う深紅のマントから、何やら鎧のような物を取り出した。


「忘れるところだった。はい、これ」


 神保とエーリン、それぞれに立派な防具を手渡された。

 まさに勇者が着るような、漆黒の金属光沢を放つ黒衣騎士のような鎧。重々しく重量のありそうな見た目をしているが、高校生の神保でも軽く持ち上げられる程度の軽量防具だ。

 だが耐久力は申し分ない。表面を叩いてみるが、ダイヤモンドのように堅く、乾いた音が「コツコツ」と響く。

 エーリンに授けられたマントもそうだ。

 現在リーゼアリスが纏うものと色は違うが、同じようにヒラリと舞う軽量装備。

 防具では無くまさに文字通り“布切れ”なのだが、全身を纏うと何やらうっとりとした表情を浮かべ、とろけるような上目遣いでリーゼアリスを見つめる。


「ヤバい、この防具超良い。内面加工がサワサワして凄く気持ち良い」


 言葉だけを聞けば『ふかふかの絨毯に寝転んだような感触』なのだろうが、そこにエーリンの今にも昇天しそうな表情を合わせると『身体を舐め回されているようで感覚がヤバい……』と変換される。

 エーリンはうっとりとネコのように目を細めると、マントをすっぽりと頭まで纏い、幸せそうに頬を緩めた。

 ここだけトリミングすれば、柔軟剤のCMにでも出演できるんじゃ無いかとも思う。

 タオルに頬を包まれて幸せそうな表情を浮かべる女の子。それだけで十分だ。

 はっきり言って、神保自身もそのマントの内面加工をじっくりと堪能してみたかった。――別にいかがわしい意味では無く。


「それとね、」


 リーゼアリスは自身のマントに取り付けられたポケットからもう一つ防具を取り出した。

 全身を抱え込むように作られた“頑丈”な鎧。

 腕や膝など至るところに衝撃吸収板が取り付けられ、まさに“盾の勇者”と呼びたくなるような防具である。


「これを萌に渡してきて欲しいんだ」

「良いですよ。分かりました」


 見るからに重そうな盾の防具は、持ってみると意外にも異常なほど軽かった。

 発泡スチロールじゃ無いかこれ。とでも言いたくなる軽さであり、受け取った本人である神保は、一瞬リーゼアリスが見本の品でも盗んできたのかと疑ったが。


「頑丈ですね」

「この世で最高の技師さんに作ってもらったからね」


 誇らしそうに腕を組むリーゼアリスの顔を見れば、これが正規のルートで入手したものであることが分かる。

 本心から疑っていたわけでは無いが、自身の大切な幼馴染に不良品を与えるほど神保は無神経な人間では無い。


「それでは渡してきます」

「いってらっしゃ~い」


 耳に絡みつくような甘ったるい声。

 何もかもお見通しなお姉さんが、可愛い弟の初めてのデートに送り出すような声音であり、防具を片手に引っさげながら神保は“何故自分に頼んだのか”が何となく分かったような気がした。







 準前線組の責任者は大賢者クリーフである。

 魔術師数人と萌を含む十人あまりで結成された部隊では、クリーフが自身の武勇伝を長々と話し続けるだけで“最終確認”なるものは終わった。

 萌はさっきから溜息ばかりをつき、最前線組の中で楽しそう(実際は違うが)に会議に参加する神保を眺めては、ボーっと『もし自分が最前線組だったら』という題の非常に非生産的な妄想をする。

 だが誰でもする妄想だ。

 もし自分がこの場にいれば。ここでヒットを打っていれば。ここで右ストレートが出てたら。――たらればの後悔は、至って非生産的で無駄なものだ。

 後悔は何も生み出さない。

 後悔に反省を絡めることで初めて意味があるのだ。だが、今回の決定に萌が反省する点は何もない。

 ただ単に、萌の実力や能力は最前線組にそぐわないとそう判断されただけである。

 だからこそモヤモヤが止まらないのだ。

 自分に原因があるのであれば、そこを反省して次に活かすことができる。

 だが理不尽にも、“才能”という壁を超えることは出来ない。

 神保には魔術の才能があった。エーリンやリーゼアリスなどの高等悪魔も同様である。

 残りの二人は伝説と呼ばれた冒険者――はっきり言う。ここに自分が入るなんて不可能だ。

 高校野球のエースがプロ野球のスタメンを見て『何故俺がここにいない!』とテレビの前で怒鳴っているようなものである。

 実際萌にだって準前線組を任されるだけの実力はあるのだ。



 唇を尖らせてふさぎこんでいると、突然背後から自分の名前を呼ばれた。

 心躍る魅力的な声。

 萌の心を揺さぶるたった一つの“音”は、彼女の耳に絡みつき甘い音色を奏でる。


「神保、どしたの?」


 わざとそっけない態度をとってしまう。

 情けないし格好悪いことも分かるのだが、萌だって女の子である。

 大好きな幼馴染に甘えたい時だってあるのだ。


「これ、リーゼアリスさんから」


 期待に満ちた表情を浮かべ振り返ると、闇夜に照らされたように黒光りする立派な、全身を覆うフルプレートメイルな鎧が――神保の片手に持ち上げられていた。


 ――いつの間にそんな馬鹿力を持ったのよ。


 神保が軽々と持ち上げる防具は、パッと見で100キロほどはありそうな代物だ。

 これを自分が着込んで動けるか。などといった疑問は既に頭の中から吹き飛び、身体能力だけは平凡かそれ以下だった自分の幼馴染が、いつの間にか怪力野郎になってしまったことに彼女は例えようも無いほどのショックを受けた。


「神保……?」

「これね、見た目より凄く軽いんだよ。ほら」


 彼女の目の前に突然、見た目100キロほどの防具が投げ出される。

 純粋にインドア派な萌にとって、文字通り箸より重いものは天敵だ。彼女の場合箸ではなく、漫画の単行本かもしれないがそれは置いておいて。


「きゃん!」


 ――とまで叫ぶほどの重量は無かった。

 むしろ軽くて耐久力が心配になるほどである。

 発泡スチロールを全身に着込んで戦う戦士がどこにいるか。

 想像すればこの上なく滑稽なものであることに違い無いのだが、それを自分がしなければならないと思うと笑えない。

 確かに見た目だけなら『伝説の騎士モエ』と言われても信じそうな造形だが、子供のワンパン一つで崩れ落ちるような耐久度では目も当てられない。

 まさかとは思うが、どこかの見本品でも盗んできたのでは――と嫌な考えが頭をよぎる。


「着てみてよ」


 神保の温かな声に急かされ、萌は制服の上から鎧を着込むと。小学校のプール着替えのようにゴソゴソと腕を抜き、足元にギャルゲー世界の学生が着るような可愛らしい制服とスカートが落ちる。

 下着の上すぐに鎧を着込んだが、意外と暑さや湿気を感じることは無い。

 むしろ制服を脱いだことを若干後悔するような、スースーする感覚に全身がゾクッとする。

 下着とダンボール服だけで外に放り出された気分。はたして、まだ純粋な女子高生がしてよい格好なのかは分からないが、神保の前でこんな格好をするのは、何となく彼女のM心にくるものがある。


「どうかな?」

「うん。似合ってるよ」


 実際は似合う似合わないの問題では無かった。

 全身フルプレートメイルなため、女の子特有のスラッとした体型や腕も見えないし。顔もほぼ隠れているので神保から見ると“鎧の飾り物”である。


 だが嬉しい。


 真偽はともかく、一番褒めて欲しい相手に「似合ってる」と言われた。

 それだけで天まで昇ってしまいそうだ。そして柔らかい日差しに祝福され、二人は長く幸せなバージンロードを――。


「じゃ、俺は行くけど。制服を仕舞う場所が鎧の中にあると思うから、もし脱ぐときは気をつけてね」


 触れただけでおとぎ話の世界に連れて行かれそうなオーラが漂い始め。自分から女の子との距離を置くことなど、まず無い神保も流石に身の危険を感じ。萌に悟られないよう細心の注意を払い、シマウマがチーターから離れるように全速力でその場から逃走した。







 一足先に最前線組は出発する。

 リーゼアリスの探知魔術を使い、正確な古代龍出現場所まで己の足で向かうのだ。

 ここからは転移魔術や加速魔術は使えない。

 “音”に敏感な古代龍らしく、衝撃波や強い魔法陣を使用する魔術はエンペラーが姿を現すまで危険だと判断されたのだ。

 足音をたてぬよう慎重に、どこまでも広がる砂の上を歩き続ける。

 リーゼアリスが胸の前に持つ紅玉の魔術球はまだ濁ったままだ。

 この球体が光り輝くその下に、天地を揺るがすほどの生命反応を感じることが出来ると言う。

 異世界人である神保にはよく分からなかったが、何でも『古代龍の生命反応は並大抵のパワーでは無く、出現時には膨大な生命反応を生み出す』らしい。

 今リーゼアリスが広げている紅玉は、強い生命反応を感知して知らせる魔術らしく、さらに攻撃用にも使えるという便利な魔術だと言っていた。


 リーゼアリスの足が止まる。

 必然的に後ろを歩く四人の戦士たちも立ち止まることになり、五人は砂漠の真ん中で立ち往生する格好となった。


「リーゼアリス殿、何かございましたか?」

「来るみたい――。あと数十秒の内にここ一帯が古代龍に突き上げられる。急いで!」


 リーゼアリスの叫び声と同時に彼女を含む五人の戦士たちは、計画通り戦闘体勢を作りながらその場から逃走する。

 実際は逃走では無い。

 だが、はたから見ると逃げ回っているようにしか見えない。仕方無いのだ。


 今から現れる“敵”は、激突されただけで身体を粉々に出来るような怪物なのだから。


 地を裂くような轟音が響く。

 音を遮断するものが何もない砂漠地帯の砂上を走り、神保の足元まで地響きが届く。


「来た!」


 リーゼアリスは手に持った紅玉魔術を魔弾に変換させ、音の発信源へと全力で撃ち込む。

 砂が巻き上げられ、視界が不鮮明なものとなる。

 ゾウの鳴き声にメガホンを持たせたようによく響く鳴き声が響き、神保たちは走る足を止めて振り返った。


「あれが古代龍エンペラー……」

「あんな生物が存在するのか」

「表面の情報をクリーフに送っておきましょう」


 レータスが腕に付けたカメラ型の魔術器具を古代龍に向け、画像転送を行ったらしい。

 間も無くレータスの腕から携帯のアラームのような音が鳴り、レータスはしばらく魔術情報を眺め、魔弾を撃ち込んだばかりのリーゼアリスに叫んだ。


「クリーフの検索結果によると、魔術反射及び魔術無効は付加されていないようです!」


 巻き上げられた砂の中から姿を現したリーゼアリスは、頭の上に腕で大きく円を作り「分かった」と伝える。



 舞い上がる砂塵の中から地面を揺るがすほどの叫び声が響き――その根源である古代龍の姿が鮮明に現れた。

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