第三十四話「戦士集結」
老師フリーゼンには数百人の弟子がいる。
そしてその弟子一人一人にも数十人の弟子がおり、マ○チ商法も驚愕の莫大な派閥ができているのだ。
それは転移魔術だけにとどまらず。治癒魔術や攻撃魔術――さらには増幅魔術なる、体内魔力を増幅させるという生命の禁忌までを研究し実行するという、まさに裏の帝国とも呼べるほどの規模である。
フリーゼンはロキス国最北部にて採掘をしていた青年たち(転移魔術師)を連れ立って、世界中に広がる自分の弟子やその教え子たちを探し求めた。
高等魔術師にのみ許される許可無しでの遠距離転移。世界の宝とも呼ばれるその魔術にて。たった数日間の内に現在戦闘体勢に入ることの出来る魔術師たちを、世界中からかたっぱしにかき集めたのだ。
その数およそ数万人である。
転移魔術師たちはフリーゼンに成約を誓った魔術師たちを連れ立ち、最終地点であるここ、モーラン街にやってきた。
ジリジリと照りつける太陽を魔力壁で防ぎ、数万の魔術師軍はゾロゾロと行列を作って中心部へと歩き出す。
先頭を歩くのはもちろん老師フリーゼンであり、穏やかな表情で淡々と詠唱を呟きながら身体の前で手を合わせて前へと進む。
サソリや害虫が行列のそばまで近づくと、突然金縛りにでも遭ったようにピクリとも動かなくなり、しばらくすると身体を引きつらせてゴロンとひっくり返る。
何でも、弟子の一人が広めた『虫除け魔術』なる魔術の力らしい。
「フリーゼン様。あと数分でたどり着くようです」
フリーゼンの一番弟子であるイェーガーが、詠唱を続けるフリーゼンに告げると、フリーゼンはピタリと足を止め、後続の弟子たちも行動を停止させる。
フリーゼンはイェーガーに何かを囁くと。イェーガーはフリーゼンよりも前に出て、後を続く弟子たちに向かって振り返る。
「この辺りから古代龍エンペラーが出現するとの予言をされた。第一部隊から第五十部隊までは後衛、第五十一部隊から第九十九部隊は遊撃を行い、そして――」
そこまで伝達したところで、青白く光る魔法陣が砂漠地帯に広がり、数人の魔術師とともに三人の戦士たちの姿が現れた。
斧を持った巨漢。槍を持った戦士。書物を抱えた男性。
「遠距離転移魔術とは、便利なものだなぁ!」
ガハハと笑う赤ら顔の戦士は、巨大な斧を背中に差しながらイェーガーの元へと歩み寄る。
「古代龍がまだ出てないってのは良かった。だが、我を呼んだ張本人である秋葉神保はどこにいるんだ?」
「アキバ・ジンボ?」
フリーゼン一行にそのような名前は知らされていない。
彼は単に愛しのリーゼアリスに授けられた“願い”を受け継ぐために、ここまではるばるとやってきたのだ。
そんな人のことは知らない。
「おい、クリーフ! この辺りに生命反応は?」
クリーフと呼ばれた、もやしのようにひょろいメガネの男性は書物を手でなぞり、目をつぶり何やら呟く。
「――・・・――・――」
「クリーフ!」
「ここから東方数十メートル先に微弱ですが、確かに三人の生命反応が――ん?」
クリーフの眉間にシワが寄り、その先を言う前に口を閉じる。
「どうしたのだ!」
「その後ろに、何やら小さい生命反応が無数に存在しています。虫やサソリのような――」
アックスの赤ら顔がみるみる内に青くなった。
まさか――。考えたくも無いが、サソリに刺されて虫にたかられているのでは無いか。
サソリの毒には、人体を行動不可能にするだけの強い毒素がある。
神保とエーリンは、もう一人の仲間とともに行き倒れになっているのでは――。
「レータス! 行くぞ」
アックスは槍を持った戦士の腕を掴むと、肩から腕が外れそうな勢いでレータスを強引に引きずり込んだ。
レータスにもこれは慣れっこらしく、「はい」とだけ呟きアックスと並んで地平線へと走り去る。
残されたクリーフは一緒に来た転移魔術師に紹介され、フリーゼン一行たちにその素性や功績を長々と説明された。
――影?
焼き付くような熱さが若干薄れ、神保の頭を何者かの大きな手が触れる。
朦朧とする意識の中、確かに自分は誰かに担ぎ上げられた。
真っ白なモヤがかかったように霞む視界には、同じように抱えられたエーリンの姿が見える。
――ああ。無事だったのか……?
まぶたが重くなり、後頭部にはガンガンとした痛みが走る。身体に力は入らず、足の先がカタカタと痙攣し。唇はカサカサに乾燥していた。
意識が薄れ、視界も真っ白になり何も見えなくなる。
だが彼の意識を取り戻そうと、何者かの丸太のように太い腕が、抱えられた神保の身体をゆさゆさと揺さぶる。
「神保、エーリン! 死ぬな、絶対に生きろ!」
聞き覚えのある声に怒号を浴びせられ、神保の全身にヒンヤリと冷たい感覚が降りそそぐ。
お湯を沸かせそうなほど熱されていた全身が一気にクールダウンされ、神保の背中から大量の水蒸気が発せられた。
「うぐ……」
目が覚めた。頭がガンガン痛くて気持ちが悪い。
視界がはっきりすると、目の前にボーっとした様子で前を見つめるエーリンの姿が目に入る。
焦点が合わず、口から唾液が垂れているが、鼓動のためか一定間隔毎に全身がピクっと動くので生存はしているようだ。
「アックスよ。こっちも息を吹き返したぞ」
「そうか、レータス! 早く治癒魔術を使える者のところへ連れて行くぞ!」
◇
クリーフを含めた冒険者たちの武勇伝を聞かされ続け、イェーガー含む弟子たちは砂漠のど真ん中でうんざりと直立していた。
魔力壁により不快指数を感じることは無いが。ボサッと立たされ続けられ、それでいて他人が聞いても全く面白みの無い話を延々と続けられれば、流石の魔術師でも飽きてくる。
「――で、ありまして。私たちはゴーストタウンに現れた盗賊たちを一刀両断にしてやりましてね。レータスの槍が捕らえてアックスの斧が引きちぎる。そして私の賢者的な力で――」
「おいクリーフ!」
校長先生のありがたいお話中チャイムが鳴ったときのような、ホッとする安心感。
弟子たちは同時に溜息をつき、クリーフの武勇伝を中断させた男の方へと身体を向ける。
まるで訓練でもされているかのようにピシッと揃っているのが不思議だ。
彼らのうち大半は今日、数年ぶりに再会したらしいのだが。
苦虫を噛み潰し、その上飲み込んだような顔をしたクリーフが振り返り、自分の武勇伝を直前で止めた張本人に向かい合う。
「何ですか、アックス」
「治癒魔術を使える者を、早く!」
「どうかなさったのですか?」
イェーガーは治癒魔術を使える魔術師を数人連れて、アックスの元へと向かいながら問いかける。
アックスは青ざめた赤ら顔――顔を紫色にして。世界の終幕を見せられたかのように血相を変えながら、彼自身が抱えた怪我人を差し出す。
「砂漠の熱で皮膚がボロボロだ。レータスが抱えている方が重症らしいから、そっちを優先的に頼む」
イェーガーは走りながら頷き、レータスが抱える少女の全身に一瞬で魔法陣を描き、ブツブツと何やら詠唱を唱えると。時間が巻き戻るように少女の傷がみるみる内に回復した。
気を失ったままだが、色っぽくスベスベした素肌が顔を覗かせ、イェーガーは思わずゴクンと唾を飲み込む。
「治癒、終わりました」
フリーゼン一行が広げる魔力壁の中に寝転がせると、淫魔と唯一の少年はフッと目を開き、ほぼ同時に身体を起こす。
フリーゼンの顔に一瞬「もしや……」という表情が浮かんだが、パチクリと目を開いてキョロキョロする姿を眺め。フリーゼンは、さも残念そうな顔をして目を逸した。
少年――秋葉神保は虚ろな目で辺りを見渡し、視線をアックスまで向けると若干驚いた様子で軽く会釈をする。
「アックス……。来てくれたのか」
「当たり前だ。戦士たるもの、一度交わした約束は絶対に破らん」
堂々たる面持ちで腕を組むアックスの姿は、精神的にも神保を安心させた。
仲間が増える。それ以上に頼もしいことなど他に無い。たった三人で古代龍を倒すなど無理を通り越して“無謀”なことだったのだ。
実際は無関係なのだが。神保の頭の中では『ここにいる数万人の魔術師はアックスが用意した傭兵であり、自分たちが戦う手助けをしてくれるのだ』と思っている。
後半は当たっているが、前半は大きな間違いだ。
だが考えを言葉にするのが苦手な神保は、その事を口には出さず。将軍のような風格を持つアックスを見て、『流石だ』と心の中だけで感嘆した。
「神保……。私はどうしたのだ?」
突然多勢の人間に囲まれて動揺しているのか。エーリンは怯えた――見る者が怯えそうなほど興奮しきった表情を浮かべ、トロンとした目で神保を見つめる。
「砂漠の暑さで気絶しちゃったみたい。でも大丈夫、ここにいる魔術師さんが助けてくれたみたい」
「そうか、私は気絶してしまったのか。――神保は平気なのか? 見た目よりずっとタフなのね。……この戦い終わって結婚したら、いっぱい楽しもう?」
何を――と訊こうとしたところで、神保の背中にゾクッとする寒気が走った。
脂汗が背中をつたって腰まで到達する。
ギリリ……と、アックスが行う歯ぎしりの音が聞こえて、神保はようやくアックスがこの戦い参加した理由を思い出す。
――ああ。エーリンにデレたんだっけ。
色気を魅せられ、まんまと引っ掛けられた相手が目の前で別の男に婚姻の約束をするなど、冗談でも許せない。
告白を受けたのが神保やレータスで無かったら、今頃猛獣のように激昂したアックスによって、身体を真っ二つに引きちぎられていただろう。
きっとアックスは、目の前に座り込む淫魔に思いを伝えるまで生涯独身を貫くだろうと、この場に居合わせた全員がそう思った。
「ところで、真打が来てませんな」
イェーガーの発言に、フリーゼンの眉が若干ピクリと動く。
そう。フリーゼンが今か今かと待ち続けている淫魔リーゼアリスだ。数十年前の約束を憶え、しかも自分をまだ魅力的だと言っていたような気がする。
もう一度会えば、次こそは思いを伝えられるかもしれない。
そんなフリーゼンの葛藤は知らず。神保はそばにいる、エーリンの滑らかに露出したツルツルの腕を指先で突っつく。
「真打って誰のことだ?」
「まさか、」
エーリンの表情が固まり、何かを言いかけたところでカラスが一羽飛んできた。
悠々と空を飛ぶカラスは、照り返しでサウナ状態なはずの空中を華麗に旋回し、徐々に降下しながらこちらへと向かってくる。
カラス――では無いようだ。背中に燃え上がる業火のような赤い刺繍がしてある。
そして鳥程度の大きさでは無い。
このまま近づけば分かるが、神保よりも背が高く、そして――スタイルが良い。
「おお。いらっしゃったようですよ」
イェーガーの見据える先には、たった今降り立った黒い翼を持つ悪魔がスラリと立っている。
深紅のマントに身を包む彼女は、見られて当然とでも言うように『全裸マント姿』で仁王立ちをする。
腰に手を当て胸を張っているためか。それとも裸マントという格好が危ないのか分からないが。
目の前にいる淫魔は、エーリンと比べても非常にグラマラスな身体を、思わず鼓動が速まってしまうほどに艶かしく魅せていた。
はっきり言ってエロい。風になびくマントが滑らかな素肌を撫で、腰周りをグリグリと艶かしく回しながら、縦筋で綺麗な“へそ”を見せつけるように身体を反る。
魔術師数人は既に若干前かがみになり、顔を赤らめながら周りの同僚たちと何やらコソコソと話し合っている。
それだけなら良いのだ。
「おお……ビューティフォー、ボディー」
先程まで無表情を貫き通していた老師フリーゼンの鼻の下が伸びきり。
立派なおヒゲが紅白を彩っている。
フリーゼンを囲んでいた弟子たちは、厳格な老師の緩みきった表情にドン引きし、後ずさりをして若干距離を置く。
ボタボタと鼻血を垂らす彼を見て、誰もが思うことがある。
『鼻血爺……』
そんな心の声が聞こえた気がした。




