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異世界勇者は速度と拳で無双する  作者: 山科碧葵
『古代龍討伐』編
36/93

第三十三話「最高の贈り物」

 熱が篭もり、作業場の湿度は限界まで上昇する。

 マグマのようにドロドロな鉄片を叩き続け、鉄片は徐々に鋭さを増し、薄く薄く伸ばされた。

 元が鉱石だとは信じられないほどの薄さを誇る、布のようにヒラヒラとした防具を作業場の外へ引っ掛け、触れただけで切断されそうな刃をしっかりと見据え、もう一度鉄片へとハンマーを振るう。

 普段は滅多に取り替えないハンマーだったが、今回の依頼品を作成するために、もう5回はハンマーを替えた。

 非常に難しく力のいる武具なため通常より遥かな回数叩き続け、表面がドロドロに溶けて使い物にならなくなったハンマーは、作業場の隅っこに積まれている。

 技師の腕には火傷の跡が悍ましいほどに増え、右手小指の表面が捲れ上がっていた。


 技師タイラーは幾数回かさらに叩き続け、最後に滑らかな曲線を精製すると、「よし」と言った様子を見せ無言で頷く。


「完成だ……」


 顔も見たことの無い三人の戦士用武具。

 機動力と耐久力を最大に込めて作成した男性用防具。

 ヒラヒラしたマントのようで、纏えば溶岩に囲まれてもビクともしない女性用防具。依頼通り、魔術を込めて鉄同士を結合させて作った『無限ポケット』も付いている。

 そして最後。女の子でも着衣した状態で走り回れる軽さで、全身を盾で囲み人体に影響を出さないような緻密な設計。

 亀の甲羅を模して基盤を作り、重量に影響が出ない範囲で見た目を改修させて騎士が身につける鎧のような形状にした。

 万が一山崩れなどで生き埋めになったとしても、全身を囲えば身体に被害を被ることはまず無いと断言できる代物だ。


「こんなに力を入れたのは、何年ぶりか――」

「やっほー、タイラーさん!」


 疲れが吹っ飛びそうなほど明るく元気な笑顔とともに、ツヤツヤして艶めかしい身体が現れる。

 予言魔術が使えるだとか言っていた彼女は、『今まさに出来上がりました』と言う凄いタイミングで姿を見せた。


「相変わらず凄いタイミングで来たな」

「えっへー。私には何もかもお見通しなのです! ところでここ二日間、タイラーさんは何も食べていませんでしたね。お口に合うかどうか分かりませんけど、食べないと身体に毒ですよ」


 食堂のおばちゃん見たいな文句をブツブツ垂れ流しながら、リーゼアリスは手持ちのバスケットから果物やおにぎりをテーブルに並べ始めた。

 確かにタイラーはここ二日間何も腹に入れていない。

 突き詰めれば、自分が流した大量の汗や、不幸にも作業場に迷い込んでしまい、ウロウロと空をさまよっていた小バエを飲み込んでしまったかもしれないが。

 こうしてちゃんと座って食物を口にするのは、実に久しぶりな気がするのだ。


「タイラーさんは苦手な食べ物はありますか?」

「基本何でも美味しく食うな。強いて言えば味が薄いものは嫌いだ、食べた気がしない」

「それはきっと、汗をたくさんかくからですよ」


 リーゼアリスは胸の谷間からハンドタオルを取り出し、びっしょりと濡れたタイラーの頬に垂れる汗を優しく拭き取る。


「やめろ。俺は子供じゃ無い」

「え~? 私から見ればよっぽど幼いですけどね~」

「それはあんたが淫魔だからだろ。ほら、こちとら腹が減ってるんだ。早く食おうじゃないか」


 顔には出さなかったが、柄にもなくタイラーはちょっぴり照れていた。

 感情表現やその場に適した言葉遣いが苦手なタイラーに、こんな親切で親近感溢れる対応をしてくれる人に出会えたのは、実に何年振りであろうか。

 タイラーは文字通りペッタンコになった腹を押さえながらテーブルに着くと、口の中で一言食事の挨拶を発し、リーゼアリスお手製の心温まる食事を楽しんだ。



「いい食べっぷりですね。こんなに美味しそうに食べてもらえると、凄く嬉しいですわ」


 顔ほどの大きさを誇るリンゴを丸かじりしながら、タイラーは彼女に問いかける。


「旦那とかはいないのか?」

「もうこの世にはございません。数百年前に勃発した悪魔間の戦争で、貴い生命を落とされました」


 タイラーは『悪いことを訊いた』と己の行動を悔やんだが、あえてとくに気にしていない表情を作り、黙々と並べられた食材を口に運んだ。


「でも、元々関係は良くなかったんです。淫魔ってほら……。見境無く、男性を身体で口説くでしょう? 旦那も、自分以外の男に私を触られるのは凄く嫌だったそうで」

「まぁ、男ってのはそんなもんだろうな」


 恋愛事情を語れるほど経験のある彼では無かったが、目の前で寂しそうな顔をする彼女を見ていると、気の利いた言葉の一つや二つ程度言えなくてはならないような気がしたのだ。

 シンだけになったリンゴをテーブルの隅に追いやると、リーゼアリスが心を込めて握ったと思われる温かいおにぎりに手を伸ばした。


「本当に、良くお食べになりますわ」

「せっかく頂いた物を残すなんて、バチが当たるからな」


 口ではこう言っていたが、彼は凄く嬉しかったのだ。

 ここ数十年人との会話は『武具できたぞ』とか『魔石十個でどうだ』などの、仕事上最低限必要なことしか話していない。

 誰かと一緒に食事をするなんて、見習い時代に、同僚たちと地べたに座って少ない弁当を分け合ったのが最後だろう。

 溶岩のように暑い場所にはいるが、人と人との触れ合いから感じる“温かさ”を感じるのは、実に数十年ぶりのことだった。


「では、私もいただきましょうか」


 リーゼアリスはタイラーと向かい合い、彼女自身が握ったおにぎりを口の中へと放り込む。

 その様子を見ていたタイラーは、ふと何かを思い出したように席を立つと、陳列室の隅からヒラヒラしたマントのような防具をテーブルの横にかけた。


「リーゼアリスさんよぉ。あんたも戦いに参加するんだろ?」

「何のことでしょうか?」


 平然と応えるリーゼアリスの眉が、若干ピクリと動いたのをタイラーは見逃さない。

 こんなにも美味しさを表現できるのか、と思うほどに幸せそうな表情を浮かべて、彼女自身が握ったおにぎりを食べるリーゼアリスの目を真っ直ぐに見つめ。


「俺だってこの道数十年だ。武具を新調するなんてのは、大切な戦いが起こる前にしかしないこと。しかもお前さんは贈る相手を“大切な彼”では無いと言った」


 リーゼアリスは黙ったまま、半分程度食べかけたおにぎりを口から離した。


「別に怒ってるんじゃ無いんだ。だがな、お前さんはいつもここに来るとき防具どころか衣服――布切れ一枚身に纏っちゃいない。そんな姿で戦いに参加して、何事も無く帰還できるとは思えねぇんだ」


 リーゼアリスの前に一枚のマントが突き出される。


「だからよぉ。これはあんた、リーゼアリスさんへの俺からのプレゼントだ。元々武器を一人分しか注文されなかったし、値段内でまかなったから『プレゼント』と呼んでいいものかは分からねぇが。とりあえず、受け取ってくれねぇか?」


 リーゼアリスはマントを受け取り、首元に引っ掛けて姿見の前に立つ。

 深紅の薄いマントは行動の妨げにならず、身体を締め付ける感覚も全く感じさせない。

 だが、視覚的にはとても信じられないほどの耐久力を備えており、魔術遮断と反射可能な魔力コーティングが美しく施されている。

 陳列棚に並べられたエーリンの物と比べても優劣を付け難い、まさに最高の防具であった。


「身体を隠すことはあまり好まないのですが……」


 リーゼアリスの今にも泣き出しそうな表情が姿見に写り、タイラーは初めて体験する女性の涙に動揺して思わず立ち上がったが。


「ありがとうございます。ぜひ戦場では、これを纏わせていただきますわ」


 泣いていた。

 涙がボロボロ溢れている。だがそれは、悲しさから起こるものでは無い。

『プレゼント』として何かを貰うなんてこと、彼女にとって初めてのことだった。

 女性悪魔からは妬まれ嫉妬の対象とされ、男性悪魔を性的玩具として扱う元魔王。

 貢物や挨拶がわりの贈り物(お中元やお歳暮のようなもの)なら貰ったことはあるが、こうして自分のためだけに心の込もった“何か”をいただくのは本当に初めてなのだ。


「まぁ、とりあえずインナーとかは身につけろよ?」


 照れ隠しにそんな事を言ったのだが、リーゼアリスの口から発せられた言葉は実に予想外のものであった。


「え~、嫌です。当日は全裸マントで戦闘に臨みますわ」




 ◇




 逆巻く砂塵に身を隠し、モーランの街にて一人の男が姿を現す。

 この世界の物では無いと思われる真っ白なシャツにグレーのズボン。目まで隠れる前髪は彼が“暗い人”であることを表している。

 右手に力を込め、腰にぶら下がる一本の魔剣を引き抜くと、まるで剣舞を踊るような艶やかさで(くう)を一刀両断した。

 スパンと華麗な音が響き、巻き上げられていた灰色の砂塵が一瞬で姿を消す。

 舞い散る砂は一斉に砂漠地帯である地面に落下すると、そこには風一つ無い静かな空間が広がった。


「神保、水分補給大丈夫?」


 萌の温かな笑みとともに、ペットボトルのような容器に入った水を手渡される。

 モーランの街に売られるふざけた値段の水では無く、昨晩の内にエーリンが近隣の街(加速魔術を使っただけであり、実際はかなり遠い)で水を買い占め、これから繰り広げられる戦闘のために準備をさせたものである。

 神保は受け取った水をゴクゴクと飲み干すと、魔力を込めた右手で容器をクシャリと潰し、静かな砂漠へと投げ捨てた。


「いよいよ来るのか」

「エーリンも今こっちに向かってるわ。大丈夫よ神保、三人全力で戦えば倒せるって!」


 無理に作ったような明るい口調。震えている。

 萌の声色には普通では気づかない、微量だがほんの少しだけ震えがこもっていた。

 そんな萌を見た神保は左腕を肩にまわし、萌の身体をグッと自分の方へと引き寄せる。

 身体を密着させると分かるが、萌の心臓は凄いリズムで脈打っていた。


「萌、大丈夫だから。何があっても俺は一番に二人を守る」

「神保……何言ってるの。神保がいなくなったら、私――」

「古臭いお約束は良いから早く行きなさいよ。死亡フラグビンビンじゃない」


 水を大量に抱えたエーリンも到着し。三人はもう一度顔を見合わせてから、砂漠地帯中心部へと足を進める。

 古代龍エンペラー出現日は予言によれば今日明日だ。なるべく被害を出さないためにも、戦闘は出現地で開始させた方がいいとの判断により、神保たち三人はジリジリと頭が焦げそうな熱さの中、砂漠地帯を歩いていた。




「暑いよ~……」


 エーリンの全身から膨大な量の汗が流れ出る。人外生物にも淫魔的効能があるらしく、小さなサソリや虫が汗にたかって真っ黒な行列が作られている。

 熱気のせいか視界がゆらゆらと揺れ、神保の足取りもふらふらと千鳥足のようになっていた。

 方向感覚も失いかけ、このままでは古代龍と出会うより先に、あの世にて女神様に出会ってしまう。

 思考能力や判断能力も奪われるほどの暑さに、とうとう三人は砂漠の真ん中で行動を停止させてしまった。

 膝に込める力が無くなり、その場に崩れ落ちる三人。

 ジリジリと熱せられる砂に手足を着き、皮膚の表面が熱のため焼けただれる。

 だが身体を起こすことは出来ない。皮膚が焼ける嫌な臭いが鼻を突き、膝に感じる感覚は“熱い”ではなく“痛い”だった。

 コンクリートで転んですり傷を作ったように痛い。その痛みを尚も連続で体験させられる。

 今にも飛び上がりたいほどの痛みだったが、体内の水分を奪われたためか、身体を起こす方法が分からない。

 思考する力が無いのだ。


「萌、エーリン大丈夫か……?」


 既にうつ伏せに倒れた二人から返事を聞くことは出来なかった。

 全身から焼け焦げた臭いが放たれ、言葉を介さずとも『無理』だということははっきりと分かる。


「何てバカなことをしたんだ。寒さなら衣服を着込めば何とかなるけど……。暑さを抑えるには魔術が必要だ。だけどここで魔術を使って、古代龍との戦闘までに使い切っては大変なことになる。そんなちっぽけな貧乏性が、俺だけじゃ無く二人の未来まで奪ってしまったのか……」


 ドサリと力が抜けて地面にうつ伏せになる。熱い――。全身の皮を引き剥がされるような、痛みを伴う熱さ。

 灼熱の牙に皮膚を貫かれ、精神力を根こそぎ奪い取られる。焦げたような臭いが、神保の鼻腔付近に漂ってきた。

 生命を焼き尽くされるような感覚。

 たい焼きってこんな気持ちなのかなぁ……。なんて事が頭に浮かんだところで、神保の頭に何かの“影”が差した。

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