第三十二話「技師と魔王」
鉄が溶ける温度の中、『カーンカーン』とハンマーを打ち付ける音だけが響く。
全身から滝のように汗をかくタイラーは、時折目の周りを腕で拭い、ひたすらに鉄同士を打ち付け合う作業を継続する。
作業場に籠もってからもう丸一日が経っていた。
作業に差し障りの無い程度に魔力壁を纏っていても、通常人間の体力と身体構造ならば、もうとっくに倒れているはずの状態である。
だがタイラーは倒れない。自分を信頼して滅多に取れぬ玉石である“極魔石オリハルコン”を持って来た彼女のため。
それは別に愛欲や性的な物では無い。タイラーの信念であり誇りでもある強い意思。
彼自身の力を求めやってきた大切な客のために、タイラーは身を削ってでも立派な武具を作ると心に決めたのだ。
これは“覚悟”や“意地”などの薄っぺらいものでは無く、タイラー自身の強い“ケジメ”だった。
彼女も大切な誰かの為に、自身の身を削ってオリハルコンを発掘してきた。
ごく普通の生活を送っていれば、炭鉱夫でさえもオリハルコンを採掘するのは一生に一度あるか無いかの奇跡である。
客の事情を聞くことを好まないタイラーだったが、今回ばかりは事情を知りたくてウズウズしていた。
「はぁ……しかし何なのかね、あの姉ちゃんは」
「うわっ、熱ぅ……。タイラーさん、ちゃんと休まないとダメですよ!」
思いがけない来訪者に、タイラーの手からハンマーがすっぽ抜けそうになる。
熱気による光の屈折でよく見えないが、ドアから艶めかしい脚と色っぽい肩を覗かせているのは――間違いない、彼女だ。
「おい姉ちゃん、作業中は入るなって扉に書いてあるだろ。それと何で来たんだ!」
言葉自体は激怒している様子だが、その語気からは怒りの感情を読み取ることは出来ない。
それよりかは『待ち人来たる』とでも下に書きたくなるような、素晴らしくウキウキしたニヤケ面を浮かべている。
「姉ちゃんじゃありません。私の名前はリーゼアリスだと、ちゃんと注文書に書いたはずですが?」
ぷくぅ。と頬を膨らませ、子供っぽく顔を逸らす。
今日もまた大人の色気ムンムンな裸体を晒しているが、この体型でそう子供っぽい対応をされると、流石のタイラーでも戸惑ってしまう。
いったいこの女はいくつなのか。
まさか数千歳を超える娘持ちだとは思わないだろうが。
タイラーは「フゥ」と息を吐くと。作業場のマグマのように熱い火を止め、最低限の厚さを誇る魔力壁を破り捨てて、ドアのそばで佇むリーゼアリスへと歩む。
「分かったよ、ちっと休憩すらぁ」
「すみません、突然お邪魔して。でも、誰かが行って忠告しないと。完成するまであの中に閉じこもっていそうだったので、一応探りに――」
タイラーはリーゼアリスを見て「はて」と首を傾げる。
確かにそのつもりだった。
何度も熱量を設定し直すと機械にガタがくる上、若干の火力量の違いで、出来上がる武具の“力”が格段に変化する。
作成者が最高だと認められない武具を販売するなど、職人魂を冒涜する行為だと彼は心に刻んでいた。
だからこそ、一つの武具を作成する間は滅多に火を止めたりはしない。
機械の火を止めないということは、作業場から技師が退室しないということをも同時に意味する。
――だが、何故このリーゼアリスと名乗る女性はそのことを知っていたのか。
「勝手ながら覗かせていただきました」
「覗いた……だと?」
怒りでは無く。疑問符がバリバリ着くような口調で、タイラーはもう一度首を傾げた。
「はい、私が使う最高魔術の一つである禁忌『夢幻夢想』を使って、この世に起こる全ての事柄を予知、予言できるのです」
「姉ちゃ――リーゼアリスさんは魔術師なのかい?」
リーゼアリスは吸い込まれそうなほど美麗かつ蠱惑的な微笑を浮かべ、タイラーの口元を長く繊細な指先でそっと撫でる。
タイラーはその行動には全く動じてはいないが。
「あら、私の姿を見ても分からないのですか?」
「露出が好きなのは分かるがね。それと相当な遊び人だと見た」
リーゼアリスの表情に若干困惑の表情が薄く浮かぶ。
彼女は自身の胸を撫で腕をペロペロと舐めると、スっと伸びる細くて妖艶な両腕で自慢のおっぱいを挟み、二つのポヨヨンとした膨らみを自信満々にタイラーへと向けた。
元から巨大なおっぱいをしているが、普段にも増して現在はその膨らみが強調されている。
「もしかして――巷では結構有名人か?」
「そうですね。一昔前の方々なら私の名をしらない民衆はいないと思います」
この“一昔前”というのは十年そこらのことでは無く、何百年も前のことであることをここに記しておく。
そんな事を知る余地も無いタイラーは、ふと十数年前の事を必死に思い出そうとしていた。
だが彼はその時期にはもう技師として一角を目指していたし、例え目の前の美しい美貌を持つ女性が元トップアイドルだとか、超人気モデルなのだと言われてもイマイチピンと来ない。
タイラーは大量の汗が滲む頭を抱えて「うんうん」唸りながら、彼なりには的を得た解答をリーゼアリスにぶつける。
「もしかして、美人魔術師とかで一時期話題になったとかかな?」
「ん~、魔術師ってとこから違います。魔術師って、大抵ひきこもり属性が付属してるじゃ無いですか。私は普通に家を出てましたよ」
一時期は隠居と言う名のひきこもりをしていたが、あえて突っ込まないことにする。
余談だが。ロキス国宿屋にてアキハなる魔術師が今、盛大にくしゃみをした。
「へぇ……そうかい」
「降参ですか?」
おっぱいをたゆたゆさせながら、リーゼアリスは耳がとろけそうに甘い声を出した。
右手中指と人差し指を艶かしく舐めとり、愛らしい糸が二本の指を繋ぐ。
普通に性欲のある男性であればこの状況で“我慢”できるはすは無いのだが、タイラーは彼女の行動に興味を示すようでも無く、「降参だ」とでも言うように肩をすくめる。
「私、人間じゃ無いんです」
「何だと……!」
語気は怒っていない。むしろ驚愕に顔を包み込まれ、茫然とリーゼアリスの身体を舐めまわすようにジロジロと見る。
それでいていやらしい視線をこれっぽっちも感じさせないのだから、世界には物凄い精神の持ち主がいると素直に感嘆した。
「そう言われりゃぁ……。確かに肌が若干艶っぽいような」
若干どころの騒ぎで無く、触れればペタペタと音がしそうな程ツヤツヤ肌である。
身近な物に例えるなら少女――幼女の足の裏とかか。
「触ってみます?」
「いいや、遠慮しとく」
タイラーが向ける探究心いっぱいの視線は無くなり、リーゼアリスは長く美しい銀髪をバサリと流すと、タイラーに向かって再度問いかける。
「さぁ、何だと思いますか?」
「んん~……。人間に近い種族なはずだから、エルフとかか?」
惜しいと思いながらも、アリスリーゼの身体の前には、容赦なく腕をクロスさせたバッテンが作られた。
先ほど舐めていたせいか腕はねっとりと濡れ、普段の肌以上に艶めいている。
「だめだ、分からん! 魔術才能が飛び出した種族なんて、他にいるかどうか――」
「えへへ、私は淫魔なのです」
気をつけの姿勢をして、リーゼアリスはもう一度「えへへ」と笑顔を見せる。
元魔王だと言うことはとくに言わなかったが。淫魔だと聞いたタイラーはまるで世界の心理でも教えられたかのように唖然として、口をポカンと開けたままほぼ全ての行動を停止させた。
一種のパニック状態のようなものである。
「い、いいいいいっ淫魔だとぅ!?」
決して表情豊かとは言えないタイラーだが、この時ばかりは満月のように目を丸く見開き、情けないことに腰をすっぽりと抜かしてしまった。
「あががががが……」
顎が外れたのか。タイラーはわけも分からない言語を開きっぱなしの口から放出し、葬式中に目の前で死体が起き上がったかのような驚愕の表情を露にする。
「ちょっと失礼すぎやしませんか?」
「がががが……」
むぅ。とむくれたリーゼアリスは地べたに座り込むタイラーの顎を無理やりはめ直し、「えへん」と可愛らしく咳払いをした。
顎がハメ直され、何とか言葉を発することができるようになったタイラーはニ、三度深く深呼吸をしてからリーゼアリスの姿を上から下までじっくりと眺める。
「言われてみりゃぁ……。確かに、素晴らしく女性的な魅力を持った身体つきをしているな」
「そうでしょう?」
ただでさえ爆乳な胸を思いっきり張り、リーゼアリスは見られる快感にうっとりと目をつぶったが、タイラーの目からは色欲的な視線を感じることができず。
色欲や愛欲を食料とする淫魔としては、何となく物足りなかった。
「まぁ、どうでもいいや。リーゼアリスさんが淫魔だろうと、俺は客の需要に応える武具を作るのが仕事だ。とりあえず今日は心配しに来てくれてありがとな」
淡々と言葉を次いだようにも聞こえたが、リーゼアリスはタイラーが言葉の内に秘めた“感謝の気持ち”をしっかりと理解し、実に700年ぶりに胸の奥がキュンとなる。
愛情や恋愛感情などでは無く、“魔王”という肩書きのせいで世界から悪者扱いをされていた彼女が、“誰かに必要とされること”を心から感じ。南国のように温かく、透き通るような感情が彼女の全身を駆け巡った。
「今日はそろそろ帰りますけど、お身体には気をつけてくださいね」
「分かってるよ。大切な“彼”のために武具を作ってもらってるのに、作成者が倒れちゃぁ完成日が遅れるからな」
『違――』と、言いかけた。喉のすぐそこまで出かかったのだが、あえて彼女はその言葉を飲み込んだ。
言葉にするのは簡単である。
『違うわ。私はあなたの身体が心配で、あなたに倒れられたら困るのよ!』
だが声に出すと薄っぺらくなってしまう事だってあるのだ。
心に秘め、届かない想いの方が煌びやかで美しかったりするものだったりする。
言葉に出さなくて正解だったであろう。リーゼアリス自身はこの言葉に、『無理しないでくださいね』と軽い心配のようなものを埋め込んだだけなのだが。聞く人が聞けば、“熱烈で遠まわしな愛の告白”だと勘違いしそうである。
実際この言葉を受け取るはずだった技師タイラーが、そのような勘違いをするかと聞かれれば、そのようなことは断じて無いのだろうが。
だが彼女は、彼の言葉に一つだけ訂正したい部分があった。
「残念ですけど。この武具をプレゼントするお方は、私の大切な“彼”ではありませんよ?」
リーゼアリスの顔には、太陽のように輝かしく、邪気の無い温かな笑顔が広がっていた。




