第三十話「寒冷地の温泉」
場所は変わって、ハクレイ国ゲンキョー・ソウ。
冒険者アックスは準備を整えると。下駄箱の上に置かれた、優しそうな笑顔を見せる遺影に向かって「いってくるぜ」と呟いて玄関を出る。
昨晩妙な連中と半ば強引に“戦闘参加”を協約してしまったので、彼はかつて共に冒険の旅路を歩いた仲間たちに声をかける旅に出ることにしたのだ。
“大槍のレータス”と“大賢者クリーフ”。
迷宮回廊を共に歩き、彼らと別れてからまだ数日間しか経っていないが、またこうして出会うきっかけが出来た。
そう考えると、昨日の協約は自分にとっても悪く無い決断だったと思える。
――事実淫魔に丸め込まれたわけなので、例えるなら酒に酔っている間に契約書を書かされたようなものであるが。
昨晩の蟲惑的な体験を思い出し、アックスの顔に微妙な赤みが差す。
悪く無い体験だった。
今まであんなに素晴らしい女性と夜の出会いをしたことなど、彼には人生のうちに一度として無い。
生まれてすぐ暴君のような父親に鍛え上げられ、物心つく頃には自分にあるもの
こそ“戦闘者としての誇り”さと思っていたし、異性との付き合いなど無駄以外の何者でも無いと心から感じていたのだ。
「さてと、まずはレータスから探すか。あいつは大抵ロキス国の辺境をウロウロしてるだろう。次にクリーフ、あいつは地元にひきこもって本でも読んでるだろう。まったくしょうがないやつらだ」
口ではそう言いながらも、アックスの頬は緩み気持ち悪いほどニヤついていた。
彼を象徴する巨大斧を背中に差すと、“自信”と“威厳”に満ちあふれた漢は、その顔を一時も振り替えらせずにゲンキョー・ソウからの新しい旅を始めた。
ロキス国南西部、モーラン。
全体を砂漠地帯に囲まれたその地方は、昼は非常に暑く夜は極度の寒冷地帯という、生物が住むことに最も適していない土地である。
そのうえこの地方にはナイツ・サソリという、語るも恐ろしい虫が生息している。
普段は通常のサソリと同じく地面を這って進むのだが、ナイツ・サソリは自身の能力で時を止め、ナイフを投げて狩りをするといういかにも作り話のような毒虫である。
研究者が聞けば確実に生態を分析しようと思うほどの幻の毒虫だったのだが、突如この地に現れた“光の塊”により、ナイツ・サソリは根こそぎお陀仏となった。
――夜の砂漠。
三人の屍が砂漠に転がっていた。
見慣れない服装をした男女三名であり、当初は異世界人ではないかとも噂されたが。発見と同時に現れた“光の塊”が言うには『この服装は異世界の物では無い』とのことだった。
砂漠地帯を管理する自警団は警告を発し、三人の屍を近くのオアシスまで運ぼうとして、光の塊にも注意を呼びかけようとしたのだが、振り返った時にはもう彼らは存在せず。
代わりに乾いた砂が大量に巻き上げられていたという。
言うまでも無いことだが“三人の屍”は単なる遭難者で、古代龍出現場所の調査
をしにやってきた神保たち三人組こそが、さっきから何度か話題に上がる“光の塊”そのものである。
こうして決戦場までやってきた神保は、リーゼアリスが示す出現予定地の上に立つと。まるで子供が砂山を壊すように彼の足が地面を踏みつけ、灰色の砂にはスニーカー型の足跡が一つ付けられた。
「古代龍エンペラーとやらはここに出現するのか……」
「そうね。私の母の予言が外れたことは、私が知る限り一度も無いわ」
素体温の高いエーリンに、神保と萌はピッタリと密着する。
――寒い。寒いのだ。
今にも耳に亀裂が入り、バラバラに砕け散ってしまいそうだ。現に二人の耳は熟れたトマトのように真っ赤になっていた。
エーリンはかろうじて平常運転を決め込んでいるが、発汗作用が発達して暑がりな淫魔でさえも、身体を包み込みガタガタと震えている。
「こんなところで戦うのか?」
「絶対ヤダ。しかも昼間は暑いんでしょ? 普通に考えて熱中症で死ぬわよ」
「二人とも……。もっと全身でくっついてよぉ……!」
辺り一面地平線が広がり、三人は砂漠のど真ん中に茫然と立ち尽くしている。
神保の提案で『決戦場は下見しておいた方が良い』とのことだったのだが。神保含めエーリンでさえ、夜の砂漠がこれほど冷気を纏っているとは思いもしなかったのだ。
全身を凍り付けられたような感覚。
身体を動かさないと、それだけで総身に悪寒を感じるのだ。
萌は早くこの場所から移動したく、自身の身体を腕で包み込んでいるエーリンに
問いかける。
「この辺で一番近い街ってどこなの?」
「ここから南西に向かうと“モーラン”という街がある。きっと寒冷対策バッチリな住みやすい街だろう」
「もうどうでも良いから、早く出発しちまおうぜ」
とは言ったものの、三人は今一歩も動くことが出来なかった。
ここで一旦停止したのが運の尽き。
身体を動かし続ければ体温は一定に上昇するが、身体の運動を停止させると途端に体温は低下していく。
体温が極限まで下がれば、ご存知の通り震えが止まらなくなり、身体を動かすことが困難になる。
今現在、三人はまさにそのような状況に陥ってしまったのだ。
エーリンは非常に魅惑的な表情を浮かべ、全身に触れられるという快感に身を委ねていた。
不可抗力なのだが、神保のガッシリした手がペタリと胸周りに張り付き、何とも言えない感覚に、思わず心が跳ね躍ってしまうような気分になる。
何を思ったか突然指先をペロペロと艶かしく舐めると、口を開いたまま固まる神保の舌へと彼女自身の唾液を直に塗りたくった。
「これで若干体温が上昇するわ。神保、身体動かせる?」
身体をカチコチに動かす神保は、妙に色っぽい目をエーリンに向け『大丈夫』と震える声で囁く。
ドキドキと鼓動が速まり、身体のあちこちから熱を帯びて全身が熱くなってくる。
淫魔の体液――その中でも特に効果が強いと言われる唾液を、原液のまま直接味合わされたのだから、正常な男子高校生としてはもう別の意味で危険な状態だろう。
多少前かがみになった神保は、両側から女の子に抱きしめられ出発の準備をする。
ついでに言うと、萌もエーリンも身体のとある一部分は破格のサイズを持っているので。ただでさえ興奮状態の神保の脳内では、ショートしそうな程の電気信号と、耳から溢れ出そうなほどの脳内麻薬が発生させられ、目はトロンとして“とても気持ち良さそう”な表情を浮かべていた。
「俺は加速する!」
――と、次の瞬間にはもうモーランの街にたどり着いた。
マッハだとか秒速だとか、そういう単位が鼻で笑われそうなふざけた速度で神保は加速したが。幸い砂漠であり、誰ひとり一般人を巻き込むことなくここまで来ることができた。
もし彼が日本に戻ることが出来て、東京のど真ん中で“これ”を発動すれば、一瞬でビル街が殲滅されるだろう。
意図せず行われるえげつないテロ行為とでも言えばいいか。
とまぁ、余談はこれくらいにしておいて。
神保たちが足を着いた“モーランの街”は、同じ砂漠とは思えないほど温かく活気づいている街だった。
テント型の店舗がズラリと並び、遠目に見ればちょっとしたサーカス団のようである。
テント張りの店では野菜や干し肉などの保存食や、ツルハシやスコップのような便利用品が多々売買されている。
だが真水は恐ろしく高い。
ゼロを二つ付け間違えたのでは無いかと聞きたくなる値段で、平然と陳列棚の上に置かれていた。
ゼロを二つ減らしたとしても冗談のような値段であり、エーリンや萌はしげしげと目を丸くして水を眺めていたが。神保が視線をちょいと下ろすと、棚の下に『通常の三割引』と書かれており。
完全なぼったくりだろう、と神保は心の中で呟いた。
そしてテント型商店街のはずれには、地熱とオアシスの水を利用した温泉が広がっている。
硫黄の臭いが辺りを漂い、鼻の奥を嫌な感じに突っつく。
だが砂漠を通ってきた三人としては“温泉”の二文字はなんとも抵抗し難い誘惑であり、エーリンは通りすがりに見かけた『混浴』の文字に心奪われ、頑としてそこを動こうとしなくなってしまった。
「なぁ、神保ぉ……」
耳の奥をくすぐられたように心地が良い声。
鈴の音のような声とはこういうのを言うんだろう……と、神保がうっとりと聞き惚れている間に『ドボ~ン』という音と若干の水しぶきがかかった。
目の前では、既に全裸になった淫魔が艶めかしいボディラインを外界に晒している。
混浴風呂は男湯や女湯と違って壁や衝立の無い構造をしているので、仕方無いと言えば仕方ないのだろうが、道行く男性陣が「ほほぅ……」などと言って足を止めていくのは何となく気に食わない。
淫魔としては見られるのが何よりの絶頂であり快感なのだろうが、一応神保にも独占欲のようなものはある。
姉妹――でも恋人でも無いが、やはり見知らぬ男どもに知り合いの裸を見られるのは嫌だ。
などと考えていると、萌がどこからかドライアイスを買ってきて、混浴風呂の中へと“それ”を投げ込んだ。
熱いお湯の中に投げられたドライアイスはモウモウと湯気を放ち、これで一件落着と思いきや。
「萌、あまり意味が無いみたいだぞ」
「う~ん……」
二酸化炭素の湯気を通して見えるエーリンの身体も中々エロく、『見えそうで見えない』という感覚が、別の意味で男心を掻き立てるらしい。
観衆は徐々に増加して、今ではちょっとした見世物小屋のようになっていた。
ただでさえ人目を引く身体をしているのに、エーリンは見られていることに興奮しているのか、ワキ見せセクシーポーズをとったり、艶かしく伸びる長い脚をピッと伸ばして挑発的なポーズをとったりと。
その様子を目の当たりにして、神保は興奮を感じるよりも頭が痛くなってきた。
「私も入りたかったけど、こんなに人がいるところで入るなんて絶対嫌よ」
同感だ。
幼馴染の裸体まで見知らぬ男達に見られることとなれば、温厚な神保でも流石に怒りは頂点に達し。身体の毛穴という毛穴からビームを出して、観衆という名の変態共を一瞬で焼ききってしまうだろう。
余計なことをして、わざわざ犯罪行為を増やすわけにもいかない。
今までの罪は全部『どこかの魔王様』に無理やりかぶせたが、こんな辺鄙な地方で問題を起こせば確実にバレる。
ギルド登録者が面倒事を起こせば、たちまち“古代龍討伐”どころでは無くなってしまう。
萌はしばらく「う~ん」と考えていたが、不意に神保をチラリと見て、彼の耳元で彼女は女子高生らしからぬ世にも恐ろしい言葉を言い放った。
「私が男湯に入れば良いんじゃ無いかな?」




