第三話「父親の教え」
ロキス国エッジウェア街。
ロキスの中心街からはかなり離れた辺境のような土地であり、草原や森に囲まれた空気の綺麗な地方である。
攻撃的な魔物などもほとんど現れず、エルフやオークなどが動物たちと平凡に過ごしているという。
自然環境的にはロキスで最高に住みやすい場所だとも言われている。
逆に土地が広すぎるために貿易や街の発展に乏しく、住みやすい割にはこの地方に住む人間はほとんどいない。
背後が森という草原の一角に、アキハの家が存在する。
アキハが住む土地も、周辺数百キロ範囲に他の民家は存在せず。
平和を絵に描いたような高原に、隠居した老魔術師やアキハのように人を避けて生活しているような人間が、好んで住むと言われている。
そのような地方のため。ちょっとやそっと大声を上げようが、他人には全く迷惑がかからない。
防犯や災害時の救出が遅れる。などの欠点もあるのだろうが、わざわざこのような辺境に来て犯罪を働くもの好きなどおらず。
事実アキハは今日まで事件事故に巻き込まれること無く、気ままな生活をゆったりと送ってきた。
争いを好まず平和に暮らしたい者が集まる地方とは、案外問題ごとは起きないのである。
「ん、んー……ぅ」
思いもよらない衝撃的な体験のせいで萌は気絶した。
電話が終了した神保は耳元から首筋、頬を伝って唇までがちょっぴり湿っている萌の姿を見て、何となく彼がいない間に起こった事態を推測した。
「アキハ……」
「精神を楽にさせてからゆっくりとキスをしないと魔力コピーはできないの」
満足げに吐息を漏らしたアキハはうっとりと神保を見つめる。
「だから……しよ?」
「ぐぬぬ……」
秋葉神保という少年は意外と純粋であり、浮気などができる器では無い。
ちなみに今のアキハの濁った言い方を、意味が分からなかったと言ってごまかしてはならなかった。
彼は父親からの教えで『鈍感系主人公は嫌われる』という名言を聞いた事がある。
アニメやラノベで主人公に多いが、現実で鈍感系を気取っているやつの大半は単に好かれていないだけであり、本人の気づかぬうちに敏感になっている。
気にしすぎて好かれていると思い込み、気づかない振りをする――
後で思い返すと酷い黒歴史になるから注意しろと、彼の父親自身の体験談を伝授してくれたのだった。
それと『だが断る』の使い方もかなりキツく教えられた。
今この状況でその万能な魔法の言葉を使う人もいるかもしれないが、その言葉には、解除不可能の巨大な地雷が潜んでいる。
中には原作を熟知しており、使い方が違うとキレる人も存在するらしく、使用には十分な注意ときめ細やかな観察が必要なのだ。
これは彼が一番上の兄に教わった事の一つである。
「別に嫌では無いですが……」
「本当!」
アキハは嬉しそうに飛び跳ねながらキャーキャー喜ぶ。
神保は若干呆れていた。
初めて会った時は大人しめの文学少女かと思ったのに……。
これだから現実の人間関係は疲れるんだ。
彼も実際彼女などは別に欲しくなかった。
ただ非リア状態でハーレム系アニメを見ると苦痛に感じるからという理由で、話題もノリも合う萌の事は大切に思っていた。
ネットで『このアニメは人生』と呼ばれたゲーム原作のアニメのように、病弱な女の子と結婚して――な人生は別に望んではいない。
上っ面の会話だけでも、自分の趣味を理解して一緒に楽しんでくれる異性が欲しかった。
ただそれだけである。
アキハともそういう関係でいられたら良かったなどとも思う。
まあ神保も男の子なのでソレはソレ、コレはコレではあるが。
「それでは遠慮無く」
顔に赤みが差したアキハが、神保の首に腕をまわす。
ゆっくりと顔を近づけ合い、アキハは神保の耳元に口を寄せる。
ねとっとした温かい物が首筋を走り、ゆっくりと頬を伝って上ってくる。
アキハの艶めかしい吐息が漏れ、神保の精神が彼女色に染められていく。
最後に淡い唇が触れ合い、ゆっくりと魔力を流し込まれた。
「気分はどうですか?」
「めちゃくちゃ気持ち悪い……」
当たり前である。
普通に日本で高校生活を送っていた学生が、突然魔力を体内に流し込まれて正常でいられるわけが無い。
妙な特殊能力を持ってはいるが、それは別に神保の体組織が常人と違っているからとかそういうわけでは無く。
単に育った環境がイカレていただけである。
「萌みたいに気絶してれば少し楽かもなのにぃ……」
「気絶しますか?」
アキハはそう言うと部屋の奥から大きなハンマーを持って来た。
木槌では無く金槌である。こんな物で殴ればたちまちお陀仏であろう。
虫も殺せそうに無い、可愛いくて無邪気な顔をしているのに、やることは意外とバイオレンスだ。
神保は口を押さえながらも必死に拒否する。
「大丈夫だ、問題無い」
「でも部屋では吐かないでくださいね」
容赦無い一言。当たり前のことではあるが、ここは『我慢出来なくなったら、ちゃんと言ってくださいね』とか気の利いた言葉が他にあるだろう。
社交辞令的なものだ。まだ会って丸一日経ってい無い相手が『気分が悪い』と言って、真っ先に『吐くな』はあまりに酷では無いか。
――実際、自室で吐かれては非常に困るが。
◇
しばらくするとスーっと吐き気も治まり、精神を落ち着かせられるようになった。
昔、『不快感が取り除かれたとき、人間は快感を感じる』的な言葉を聞いた気がするが、まさにその通りだ。
さて、ここからが本題である。
わざわざ異世界から神保を召喚したその真意。その理由が聞きたい。
「とりあえず聞いていい?」
「何ですか神保君」
「俺を召喚して何をしようとしたの?」
神保の疑問はこれだった。
何故自分を異世界に召喚させようとしたのか。見たところ召喚勇者に守ってもらいたそうな偉い方もおらず。
ドラゴンとか魔王が国を滅ぼしているわけでも無い。
それに、さっきかかってきた電話は電気料金の催促の電話だった。
国が危険な状態にさらされている状態で、一個人の家にそんな電話をかける電力会社はこの世に存在しないだろう。
「欲しかったから……」
文字通り「ボソリ」と、口の中でモゴモゴと声を出す。
難聴とは関係無く聞こえなかった。
「え、何だって?」
「男の子のオタ友達が欲しかったから……」
蚊の鳴くような声とはこのことだろうか。小さな小さな囁き声。
かろうじて聞こえた神保は、この世界での自分の存在意義を黙認しうなだれる。
「マジか」
「はい……」
「別に俺にチート能力があるからとか、勇者としての素質があるからじゃ無く?」
黙ったまま俯くアキハ。ギュッと白衣の裾を握り締め、神保は何だか恐喝をしているかのようで無駄に心が痛む。
「俺のこの世界での役目は?」
アキハは潤んだお目目を神保に向ける。やっと覚えた嘘泣きを、幼い少女が父親に初披露するが如くわざとらしい湿り具合。
どうせロクなことで無いとは薄々感づいてはいたが、アキハから発せられた言葉に、神保は心底落胆し、恥も外聞も無く盛大に叫んだ。
「私とアニメのお話しよ?」
「んなぁぁぁぁぁ!?」
空間が捻じ曲げられそうに鋭く悲痛な叫び声により、気絶していた萌が起きた。
真っ白な百合畑を、顔の見えない少女とキャッキャウフフしながら駆け巡る残像がまぶたの裏側をかすめる。
一部の方々にはこの上ない楽園なのだが、恋愛対象は平凡な萌にとって、それは苦痛以外の何者でも無かった。
「んへ~……何か変な夢を見た気がするよ~」
「萌! 俺らがここの召喚された理由を知ってるか!?」
「んへ! 神保っ……近い、近いよぉ……」
起きたら大好きな男の子の顔が目の前に! な体験をして幸せな気分の萌。
少女漫画の純粋ラブシーンのように顔を赤らめ、うっとりと神保の顔を見つめた。
神保の表情は前髪に隠れているので分からないが、声を荒げていることから怒っているのだと推測される。
神保はまるで、世界の終焉を伝達するかのようにおどろおどろしい声色で、まだ半分寝ぼけ眼の萌に語りかけるように言った。
「あの魔術師が単にオタ友が欲しかっただけなんだと」
「オタ友?」
アキハはビクッとして縮こまる。
萌と神保で縮こまる魔術師を見下ろし、何とも言えない空気が漂う。
誰が見てもこの少女はヒキニートだ。ボサボサの髪に真っ黒な私服。しかも自称オタクだと言う。
高校生から見ると若干ロリな風貌に、ピンクに煌くショートヘア。だが髪の毛はたっぷりあるらしく、余った髪を右側で横ポニのようにしている。
これがエロゲなら真っ先に攻略対象にしているであろう。
まぁ簡潔に言えば可愛らしい。
――コスプレさせたら似合うだろうな。
と、二人の脳裏に同時に思い浮かぶほどだった。