第二十四話「薔薇の街」
――ロキス国郊外ローズ・ガイ。
この地を開拓した富豪が最初に植えた植物が薔薇の花だったという言い伝えから、この辺りはローズ・ガイやローズの地と呼ばれている。
アキハの住むエッジウエアとは正反対に位置する場所であり、植物や動物を好む者たちが集まる場所だった。
昆虫なども多く生息しており。研究者や科学者なども多く暮らしている、至って平和な土地である。
そこに一人の老婆が暮らしていた。
見た目から判断すると軽く90歳は超えてそうであり、目まで隠れるローブを着込み、昼間は一切外には出ない。
時折真夜中に自身の庭を徘徊し、花壇に植えた植物に話しかけているなどの噂が流れ。越してきたばかりの頃は多かった来客数も、最近はめっきり減少して、誰もその老婆の家には近寄らなかった。
「それでね。研究者グーリュ様に『今度遊びに行ってもいいかしら?』って聞いてみたの」
「ええー! それでそれで?」
「明日にでも行くことにしたわ。グーリュ様と二人きり……。何てロマンチックなんでしょう」
ローズ・ガイの村娘がうっとりと指を絡めながら広々とした高原を踊り歩き、もう一人の村娘セーミュがそれを追いかける。
「お花でも付けて行こうかしら」
「この紫のなんて良いんじゃないかしら?」
セーミュが腰を曲げて、地面に咲いたパンジーのような花を摘もうとすると――
「きゃぁぁぁぁぁ!」
二人のスカートが舞い上がり、ローズ・ガイ北部の高原に生える草々が、根こそぎなぎ倒された。
生命を失い引きちぎられた花々は、無残にも、高原中に茎や花びらを舞い上がらせる。
竜巻でも通ったかのような激しい暴風。
二人は何が起こったのか分からず、ただ茫然と高原の真ん中に座り込んだ。
「いったい何なの……?」
「科学者さんか誰かが作った人口の台風かもしれないわね。危ないからやめてっていつも言っていますのに」
無表情で高原を突っ切る淫魔と異世界人。
ここに来る途中に火山を数個崩壊させたが、マグマ内に眠る魔石を大量に手に入れられたので『得をした』と淫魔がボソリと呟いた。
全身に付着した火山灰はビーム加速により剥がれ落ちたものの、火山特有の焦げ臭い臭いは残ってしまい。
先程から萌はクンクンと袖の臭いを嗅いでいる。
「どこまで行くの? このままじゃロキス国を出ちゃうわよ」
「もしかして最北部か?」
二人の異世界人の疑問に淫魔は答えず、黙ったままじっと進行方向を凝視する。
高原を抜けてポツポツと民家が見えてきたところで、ようやく淫魔エーリンが口を開く。
「恐ろしく強い魔力を持った人に会いにいくの」
エーリンの背中から発せられるビームが止まり、ローズ・ガイを見下ろせる高原の丘で三人は停止する。
「その人に古代龍出現予測をしてもらう。……まぁ、あまり乗り気じゃ無いんだけど」
「その人は古代龍出現を感知できるのか?」
「この世の生物で、あの人を超える探知魔術を使える人はいないわ」
エーリンはポツリと付け足す。
「誰ひとりとして越えられない……」
「エーリン……?」
神保はエーリンの“心の揺らぎ”を見逃さなかった。
主人公体質スキル『女の子の不調にいち早く気がつく』の恩恵かは分からないが、神保はそっとエーリンの背中を撫でる。
「この地で……何かあるのか?」
「神保……」
エーリンが何とも言えない表情で神保を一瞥し、顔を背ける。
「触り方がエロいぞ」
「うわっと! ごめん」
エーリンの服装は紛れもなく“裸メイド服”なので、背中のバッテンから艶めかしい素肌が顔を覗かせているのだ。
ツヤっとした素晴らしい触り心地に、神保は思わず指を撫で、感触を確かめる。
「では行くぞ、二人とも」
エーリンはその身を飜えし、スカートを危ない角度までふわりと広げると。
崖のように切り立った丘を、優雅に舞を踊るような軽やかさで颯爽と駆け下りていった。
神保たちは、高所から飛び降りて無事でいられるほどの高い身体能力を持ち合わせていないので、緩やかな斜面を探して、ゆっくりと高原の丘からエーリンの元へと向かう。
神保たちがエーリンのそばまで追いつくと、彼女は一つの一軒家をじっと見つめていた。
懐かしいような――青春を過ごし、廃校となった学園を見に来たような、セピア色のモノトーンが似合いそうな視線を向ける。
その先に建つ一軒家に生活感は感じられない。
壁にはツタ植物が巻き付き、屋根には雑草が大量に生えている。
白かったと思われる壁面にも赤茶けた汚れが目立ち、カビやコケのようなものがベットリとこびりついているのだ。
ただ一つ、庭先に広がる手入れされた花壇だけが、この家に誰かしらが居住していることを物語っている。
「ここに最高の魔術師が……?」
神保の呟きを無視して、エーリンはゆっくりと廃墟のような家に近づく。
ツヤのある艶めかしい指使いでドアを撫で、見ている方がとろけそうになるほどなめらかに撫でまわし――
「破壊して飛翔」
突然恐ろしい単語を発したと同時に、えんじ色をした木造のドアが家の中へとめり込み、粉々になって吹き飛んでいった。
「ちょっ……!」
「何やってんのよバカ!」
モウモウと煙が立ち込める中、エーリンは眉をピクリとも動かさず。濁ったような虚ろな目で、たった今破壊したドアの向こう側をじっと凝視している。
「私よ、エーリンよ!」
「何じゃい、近頃の若者は野蛮で末恐ろしいわい……」
ツタだらけの家からは顔まで隠れるような真っ黒なローブを着込み、年季の入った杖をついたヨボヨボの老婆がしゃがれた声を出しながらのそりと姿を現した。
おとぎ話に出てくる“魔女のお婆さん”を絵に描いたようなその老婆は、シワだらけの口をモゴモゴと動かしながら何やら呟く。
「何しに来たんじゃ、魔王の仕事はどうしたんじゃ」
「魔王? そんなもの、とっくの昔に辞職したわよ」
黒ローブの老婆はピクっと震え、干し柿のようにしわくちゃな顔を余計にグシャグシャにして激怒した。
「バカもん! 魔王をやめたじゃと? 何を勝手に――」
「うるさいわね! とりあえずその老婆ごっこやめなさい!」
エーリンが老婆に怒号を飛ばしてローブの端に掴みかかり、必死に抵抗する老婆の顔を日光の下へとさらけ出した。
「や、やめなさい!」
老婆――いや、正確には違う。
ローブがめくられ隠されていた顔が外界へと晒されたが、その姿は“老婆”では無い。
妖艶な魅力を振りまく切れ長な目に、瑞々しくハリのある美しい素肌。
キュッと引き締まりプルッと濡れた色気ムンムンの唇。
グンニャリと曲がっていた腰もピシッと伸び、エーリンと比べても引けを取らないほどの素晴らしい肉体がローブの端から見え隠れする。
自分より優れる者など他にいない! とでも言うように堂々たる面持ちで悠々と構えるその姿は、まさに『上に立つべき者』だった。
「いきなり何するのよ!」
「変な格好してるのが悪いのよ。そんなに老けたいなら、魔術で身体を老化させればいいでしょ」
睨み合う二人の目はどことなく似るところがあった。
“元”老婆はキッと神保たちを一瞥すると、柔らかな表情を作り神保の元へと近づいてくる。
「あら、可愛らしいボーヤ……」
トロンとした目つきで神保の顎を触り、ゆっくりと顔を近づける。
そしておもむろに口をカバのようにガバァっと開き――
「はぷっ……」
「うぐぅ……」
猛烈に艶めかしい雰囲気を醸し出す甘噛み。
“元”老婆に首筋を噛まれた神保は突然動かなくなり、枯葉が地面に舞い落ちるように、音もなくゆっくりと崩れ落ちた。
ヘルメットのような前髪のせいで彼の目を見ることは出来なかったが、口元はニヤつき頬を桜色に染め、純情少年が初めて女の子からほっぺたにキスをされた時のように、幸せそうな顔をしていた。
◇
ツタだらけの“元”老婆の家に入り、リビングと思われる部屋へと通される。
大きな窓があるにも関わらず、闇のように真っ黒なカーテンが釘打ちにされているので、日差しが部屋を照らすことは無く、ぼんやりとしたロウソクの灯だけがゆらゆらと小さく揺れていた。
萌は口を“へ”の字に曲げながら神保をお姫様抱っこ(一度してみたかった)して、ヨロヨロとリビングへとたどり着く。
ふんわりとしたソファーが向かい合うように設置してあり、奥側のソファーにスタイル抜群な“元”老婆がどっかりと座る。
神保を床の上に寝転がせ、彼女はソファーの端っこに遠慮がちにちょこんと座ったが。
てっきりこちら側のソファーに座ると思っていたエーリンは、悠然とした面持ちで“元”老婆の座るソファーへと姿勢良く腰を下ろした。
「ところでエーリン、魔王の仕事をほっぽり出して何しに来たの?」
魅力ある切れ長の目をちょこっと動かし、隣に座るエーリンをギロリと睨む。
口元は微かに緩んでいるが、背筋が凍りつきそうな目つきに、直接視線を向けられたわけでも無いのに、萌は悪寒を感じてゾクッと身体を震わせる。
「変わらないわね~、その視線。私は慣れてるから良いけど、私の可愛いお友達さんが怖がってるからやめてね?」
顔は笑っているのにどことなく攻撃的なエーリンの表情。
萌は、龍と虎の威嚇中に飛び込んでしまったウサギのような心持ちで、その大きなおっぱいに詰まった小さなハートをカタカタと震わせた。
「あの……エーリンさん」
思わず“さん”付にしてしまう。
それが悪かったのか、“元”老婆は凍てつくような冷たい視線を萌に向け、まばたき一つせずに見つめたまま、ひと時も萌から視線を逸らさずにエーリンに問いかける。
「あら……“お友達”に“さん”付けを強要しているのかしら?」
「ち、違いますっ!」
萌は『蛇に睨まれたカエル』の気持ちを心から体感しながら、怯える心を押さえて必死に否定する。
絶対零度を感じさせるようなその冷ややかな視線から逃れるように、萌はエーリンに救いの眼差しを向けた。
「エーリン、この方はいったい誰なの?」
「この人? 初対面の人には凄く怖いけど、とっても“ミョーチキリン”で面白い人よ」
「ねぇ?」とでも言うように首を傾げるエーリン。
チラリと視線を横にズラすと、怒ったように目を瞑る“元”老婆の姿がそこにあった。
「この人はね、昔『王』と呼ばれた凄いお方なのよ」
「あんたもでしょーが。せっかく引き継いでやったってのに、それをあんたはゴミでも捨てるようにそうやすやすと……」
怖かった視線が徐々に柔らかくなり、絶対零度の目つきは、元の色っぽい切れ長な目へと姿を変える。
萌はしばらくボーっと考えていたが。何かに気が付いた様子で、声を発さず、金魚のように口をパクパクさせ。
驚愕の表情を浮かべたまま、萌は向かいに座る二人を交互に指差す。
「もしかして……エーリンのお母さん!?」
「リーゼアリスです。初めまして~」
さっきまでの恐ろしい表情は消え去り、娘のお友達を迎え入れてくれた母親のような表情で、花のように愛らしくにっこりと微笑まれた。




