3章エピローグ「異世界勇者が目指すもの」
無限迷宮踏破祭りが開始されて二日目の朝。
中心街には冒険者や魔術師などの人々が存在せず、メリロットが歩く商店街は今一つ活気が足りていなかった。
支部ギルドの調査員も帰宅し、最近この辺りを騒がせていたという森林破壊事件は、狂乱した魔王が行った戯れだったということで終幕を迎えた。
メリロットは買い物かごを下げて商店街を静かに歩いている。
緑色のツインテールからちょっぴり顔を覗かせるネコ耳が、店屋の店員をそれとなく誘惑する。
雇い主である萌に頼まれた物は干し肉と野菜だったのだが、いろいろなお店でオマケをしてもらい、全て揃えるのに通常の半分の値段で済むこととなった。
お釣りは好きに使っていいと萌に言われているので、初めて自分のために使えるお金を握り締めてウキウキと商店街をまわっていた。
「神保様はまだ帰りませんし、どこかでゆっくりと『優雅な時間』なるものを体験しておこうかな」
奴隷には大抵雇い主が『奴隷の刻印』を刻むため、どこに行っても素性や職業がバレてしまうものなのだが、メリロットの雇い主は彼女を奴隷だと認識しておらず。
単に住み込みのエルフメイドだと思っているので、刻印は存在していない。
そのため奴隷という身分であっても、彼女にはそれを証明されることは確実に無く。
奴隷お断りなどの店にも、何のお咎めも無く入店することができるのである。
「このメリロットティーって何かしら?」
メリロットが入店したゴージャスな雰囲気を持った喫茶店のメニューには、他にも『ジャスミン茶』なるものも書いてあった。
彼女の名前は、奴隷売りミーアが適当に付けた名前では無くちゃんと生みの親が付けてくれた大切な名前だったのだが、人間が口にする物の名前から付けられたとは今の今まで知らなかったのだ。
――想像すると飲みたくないわね。
メリロットは可愛らしいネコ耳をパタパタさせながら、メニューを端から端までじっくりと眺める。
今後このような体験を行えるか彼女自身にも分からない。
ならば出来る時に精一杯楽しもうと思うのが、生物としてはごく普通の欲求だと思う。
メリロットは彼女自身が持っているお金をテーブルの下でこっそりと数え、そばにいたウェイトレスさんを呼び、コーヒーとケーキセットを注文した。
◇
中心街ギルド受付。
神保は使用済みの『緊急避難用瞬間回路』を顔なじみの受付嬢ルルシィに渡し、龍帝討伐の証である魔剣を捧げた。
ルルシィ含むギルド内職員は口をあんぐりと開け、高層ビルの屋上からキノコが生えてきたとでも言われたような、驚きの表情を浮かべている。
「とっ、踏破成功したんですかぁ!?」
素で叫ぶルルシィに胸をドンと叩き、誇らしげな表情を作る神保。
アキハとエーリンも彼の後ろで姿勢良く佇んでいる。
魔剣を手に入れた実際の功労者はエーリンなのだが『私が持つより、神保が持った方がこの剣も嬉しいだろう』と言って神保に快く受け渡したのだ。
「はい。だから依頼金とこの魔剣は報酬としていただきますね!」
神保の後ろでアキハが「げへげへ」笑いながら両手を前に突き出している。
念願の大金。
アキハの頭の中はバラ色に腐りきった妄想で充満しきっていた。
早くこの大金を家に持って帰り、異世界貿易人に頼んで日本の同人誌を買い占めようと、その妄想は頭だけでなく全身まで行き届いている。
「いえ、魔剣以外の報酬額はこの国に寄付します」
アキハの顎が外れた。
神保とエーリンを除くギルド内に存在する全員がアングリポカンと口を開ける。
動揺と不可思議な展開に包まれたギルド内から、口を開けっ放しにしたまま動かなくなったアキハを連れ出し、神保は彼女の耳元で囁いた。
「この寄付金を利用して帝王になるための踏み台にするんだよ。異世界勇者秋葉神保とは、最高に国民思いな人間だと思わせるためにね。それには謙虚さが必要、そして純粋さだ。だが裏では強欲かつ計画的でなければ、帝王なんぞになれない。萌も昔言っていたんだ『どんな手を使おうと、最終的に勝てばよかろうなのだ』……ってね」
清々しいほどの笑顔。
だが黒い。黒すぎる。
笑顔なのにニコポも発動しないほどアキハは呆然としていた。
異世界から召喚された勇者とは『憎めない』、『天然気質』、『純粋な優しさ』でできているのだとばかり思っていた。
確かにそんな人間が帝王になれるとはアキハ自身、これっぽっちも思っていなかったが、まさかここまで真っ黒な邪悪の精神を持った人間だとは思わない。
純粋かつ女性経験も初めてそうなおっとり系な顔をしておいて、何てブラックな勇者なのか。
「勇者様!」
ギルドから職員たちが出てきて、全員で深々と頭を下げ始めた。
膝を着き両手をバンザイさせながら額を地面にこすりつけている。
「えっと……ええ!?」
今まで通り純粋そうな驚いた表情。
こいつ多重人格者なんじゃないかとアキハは思った。
いつしか『今はオレだ、西園○二なんだよ!』とでも言い出すんじゃ無いか。
ブラック神保。
――いわゆる中二病時期に作った性格であり、秋葉神保の本性は至って真面目な優しい男の子です。
「格好良いわ……もう一回惚れそう」
身体に薄い布を巻いただけの格好で佇むエーリンが、うっとりした表情でギルドから出てきた。
指先を伸ばし、優しく絡め取るように舐める。
淫魔が誘惑するときに使う行動であり、思わずやってしまうらしい。
アキハの好感度が下がり、エーリンの好感度が上がったところで、神保たちのそばに見慣れたエルフが現れた。
「皆さん、もうお帰りなのですか!?」
買い物かごを下げて近づいて来たのはエルフメイ奴隷メリロットだった。
先ほどケーキセットをペロリと平らげ、幸せいっぱいの満腹感で散策をしているところで彼女はいないはずの人間に出会う。
メリロットからしてみれば神保たちは今頃迷宮の中にいるはずだ。
神保たちが出かけて二日――まだ二日しか経っていない。
迷宮踏破とは、小学生の宿泊学習のように一泊二日で帰宅可能なものだったのか。
「メリロットはおつかいかな?」
ニコリと微笑む神保から目を逸らし、メリロットはコクンと頷く。
この難聴さんの笑顔を見ると調子が狂うのだ。
理由は分からないけど、よく分からない物には触れないほうが良い。
ご主人様はもしかすると新たな生物平気に感染しているのかもしれない。
――などと結構失礼なことを頭の中に羅列させていると、建物の前でひれ伏す人たちが目に入った。
全員同じような服を着ているけど、何故この人たちは、ご主人様にお辞儀をしているんだろうか。
まるで将軍様のお通りのようである。
昔武将が政権を握っていたときの絵画(日本で言うところの徳川家光)でこのような物を見たことがあるが。
まさかご主人様はとてつもなく偉いお方なのではないだろうか。
「勇者様!」
「勇者様ぁ!」
いったい自分のご主人様は何をやらかしたのかと心の中で溜息をつき、買い物かごを身体の前に持ち姿勢を正しくして「コホン」と一回咳払いをする。
「ご主人様、お帰りでしたら、今日は宿屋でお休みになられたらいかがでしょうか。萌お嬢様もご主人様に会いたくて堪らないご様子でしたので」
「ああ、分かったすぐ行く」
将軍扱いをされている神保は少々焦り、その場から足早に立ち去った。
後ろから同じ速度でメリロットが続き、ギルド前にはブラック神保にドン引きしたまま立ち尽くすアキハと、初恋の思い出を思い出しているようにうっとりした表情のエーリンと、その他多勢のギルド職員。
そしてその様子を見て奇異の視線を向ける一般市民のみとなった。
「何をなさったんですか?」
メリロットは走りながら神保に問いかける。
同じく走る神保は平然とした口調で。
「今回の依頼料を全額寄付しただけなんだけど……」
「ご主人様には『欲望』や『欲求』という物がないのですか?」
ちょっぴり困惑した表情を浮かべる神保に、メリロットは疑問を続ける。
「前に私が『ご奉仕なさいますか?』とお訊きしたときも、ご主人様は私を襲おうとなさりませんでした。今回の件もそうです。健全な男の子とは、女の子とお金が大好きな生き物だとミーアから教えられました。ですので――」
「この秋葉神保には正しいと信じる夢がある」
神保は足を止めてメリロットの方へと振り返った。
笑顔――いや、初めての孫にどうやって注意をすれば良いかと悩んでいる優しいお爺さんのような表情。
そんな顔でメリロットを眺め「クスリ」と笑う。
「今のは萌の受け売りなんだけどね。でも俺には、この世界でやるべきことがあるんだ」
「私めが訊くべき事では無いかもしれませんが、お訊きしてもよろしいでしょうか?」
神保の口元がニッコリと緩む。
「俺はこの世界の帝王になるんだ」
「帝王……ですか?」
魔王でも無く国王でも無く『帝王』。
メリロットにはその違いは分からなかったが、きっと何かしらの違いがあるのだろうと思う。
――実際は特に無く。特別感が欲しいという理由でアキハが付けたのだが。
「帝王になって何をするんですか」
「アキハが目指す世界を創る。あとは……」
神保の脳裏に『ハーレムを創る』という言葉が蘇ったが、言葉には出さなかった。
神保が言葉を続ける前にメリロットが言葉を挟む。
「アキハお嬢様のために……ですか」
一人の女の子のために自分を変えることができる男性。
今まで自分がミーアに教えられた『けだもの』とは何だったのか。
目の前にいるご主人様はケダモノの『ケ』の字も無い純粋かつ優しい男性では無いか。
メリロットは心の中でミーアの顔を踏みつけた。
荷車に全裸で放置させて、毎日のように撫で回していたあんたの方がケダモノじゃない!
ミーアは将来怯えないためとか言っていたが、神保の奴隷ならそんな訓練は全く必要無い。
――もしかして、この方は救世主なのでは無いか。
過酷な環境に売られるはずだった自分を助けるために、あのクソミーアに彼自身の魔力を捧げて私を買ってくれた。
ああ何故だろう。
大切な言葉をいともたやすく踏みにじった難聴野郎のはずが、彼女の目から少しずつ神保が聖人のように見えてくる。
奴隷と主人の愛など許されることでは無いが、幸い神保はメリロットのことをメイドさんだと思っているのだ。
メイドと主の恋なら問題無い、万事OKである。
「ご主人様……。私――」
「メリロット~!」
メリロットの勇気。
奴隷という身分でご主人様に思いを伝える第二弾。
その勇気を誰かの声によって邪魔された。
「メリロットっ! あれ……神保? どうして、どうしてここにいるの?」
声の主はメリロットの雇い主パート2、代々木萌であった。
雇い主だと分かりギュッと握り締めた拳の力を抜き、深呼吸をする。
――落ち着かせなければ。
深呼吸を繰り返しながらメリロットはチラリと神保を見た。
愛しのご主人様はいったいどのような表情をなさって――
「ちゅぅぅぅぅぅ……」
目の前にいらっしゃるご主人様とお嬢様は盛大にキスをしていた。
しかも唇同士をふんだんに使い、柔らかな感触を楽しむ甘いリキュールのような香りを――
ケーキか! と、普段なら自分ツッコミを入れるのであろうが。現在メリロットにはそのような精神力は存在していない。
メリロットの頭からサーっと血の気が引く。
× 奴隷×主
○ 主(男)×主(女)
上記の方程式がメリロットの頭の中をグルグルと巡る。
『現実』と書かれた鉛の塊を頭上からぶっかけられたような感覚だ。
物語やおとぎ話の世界なら『お姫様×王子様』な展開で始まり、最後は『召使×王子様』で締めくくられ、盛大な拍手で幕を閉じる。
――ところがどっこい、これが現実です。
かの有名人『一○店長』の言葉である。
「ぷはっ……しちゃった。おかえり神保」
結婚して初めて夫が仕事から帰ってきたときのような、うっとりした様子で神保の首元を抱きしめる。
しばらく会えないと思っていた彼が目の前にいるのだ。
それ以上の幸せなどこの世に無い。
「ただいま、萌」
ニッコリと微笑み、萌のハートは完全に神保の物となった。
メロメロと心奪われる表情を見せながら、口元をペロリと舐める。
「どうして、どうしてよぉ……」
血の気が引いた顔でブツブツと呟くメリロットに、萌と一緒に駆けてきたジャスミンが「ドンマイ」と声をかける。
顔を手で覆いながら崩れ落ちる実妹メリロットを眺め、ジャスミンはそっと心の中で思った。
――なんて要領の悪い子でしょう……
ジャスミンは要領の悪い妹を憐れむように、肩をすくめて盛大に溜息をついた。




