第二十一話「最深部の魔剣」
「復活!」
完全に回復した神保が腕を振り回しながら回廊内を駆け巡る。
少年のような心持ちで走り回る彼を眺めていると、母性本能の強い淫魔エーリンは何となく心配になる。
彼が魔物を倒すことに抵抗が無いのは、『拳を突き出して背中からビームを出す』程度のことしかしていないからだ。
魔術を使えない人の感覚で言うと、『背中から汗を垂らしながらジャンケンでグーを出す』程度のことであり、戦っているという自覚は生まれない。
彼女も時折忘れてしまうが、彼もまだ子供なのだ。
齢2100(人間で言うところの21歳)のエーリンは彼が心配だった。
『ジャンケンでグーを出したら、あなたの知らない人が数億人消し飛びます』
こんな事実を教えられれば、流石の神保でも精神崩壊してしまう。
エーリンにとって神保は、婚約予定者として以上に、可愛い弟のような存在として大切な一人の男の子だった。
「よーし! これで迷宮踏破の依頼金は俺のもの――」
突然神保はよろめき、先程まで龍帝殿が眠っていらした場所に頭からひっくり返った。
「痛っ! 何か地面から飛び出してるぞ」
神保がつまずいた物は、何やら高級な鉱石で作られた物らしい。
魔術灯の明かりなので色や形、はっきりしたことは分からないが、神保の脳裏には一つの単語が浮かび上がった。
「魔剣!」
迷宮の最深部、もしくは最強のラスボスを倒すと手に入る最強の武器、聖剣エクス○リバーの類。
これを持つ者こそがその世界での勇者であり伝説となれる、もはや証明書のような物。
どのような反則能力を持った剣なのかは分からないが、『とりあえず掘る!』ただそれだけだ。
「ぶっ壊すほどシュート!」
神保の強烈な拳が地面に激突し、迷宮全体がミシミシと音を立てて震動する。
世界の中心で拳を振るうとか。
ここからでは分からないが、もしかすると現在の地面殴打により、この世界全体に軽い地震が起こったかもしれない。
それでも崩れ落ちないこの無限迷宮には、流石と言うしか言葉が無い。
「無理か。しょうがないな」
UFO墜落現場に居合わせた一般人のような、驚愕の表情を浮かべる二人を無視し、神保はもう一度拳を振りかざす。
「そげぶ!」
神保の拳が地面に触れるか触れないかの辺りまで降下したところで、彼の拳先から毛穴ビームが発射された。
倒壊予定のビルに鉄球を激突させたような衝撃とともに、無限迷宮最下層に雨あ
られのような土砂が降り注いだ。
中に飛び込めば一生出られなくなりそうな深さの穴が開き、神保は恐る恐る後方へと退く。
「何したのよ!」
全身泥まみれのアキハの声が迷宮内に響いた。
神保はアキハの言葉を完全に無視し、ビームにより柔らかくなった地面にそっと手を伸ばし、かろうじて地面に刺さっている剣を引っこ抜く。
「魔剣だ!」
クリスマスの夜に枕元を確認した子供のような表情をした神保が持つ剣は、剣そのもの自体が青く光を放っていた。
懐中電灯程度の光を発する剣を腰に差した神保は、今にも飛び上がりそうな勢いでアキハとエーリンを、その腕の中に抱きしめる。
全身泥まみれな二人を抱きしめたので、神保の衣服も真っ黒に汚れてしまったが、三人とも今はこの上ない幸せを感じていた。
◇
泥まみれになった神保は『除菌魔術ジョ○』を行い全身の汚れを落とし、アキハも同じように身体を綺麗にする。
淫魔エーリンは「泥パックでお肌スベスベよ!」と言って全身に泥を塗りたくっていた。
二人とも忘れていたがエーリンは今全裸である。
だが脱ぎ捨てていたメイド服も真っ黒に汚れているので着ることも出来ず。
仕方無いという言葉とは正反対に位置する、その素晴らしく清々しい表情を振りまきながら、エーリンは幸せそうにクルクルと回る。
「実に、実に馴染むぞ!」
龍帝の残した魔力遺産は元魔王エーリンの身体に全て受け継がれ、神保数億人分は軽く凌駕する量の魔力を蓄えた彼女の精神状態は『最高にハイ!』になっていた。
「それじゃ、緊急避難用瞬間回路を使って戻りましょうか」
アキハが手に持った小さな青いボタンを押そうとすると、エーリンが片手で制した。
キラキラしたお目目を煌めかせ、太陽のような輝かしい笑顔で「にっ」と笑うエーリンは、泥まみれな姿で意気揚々と拳を振り上げる。
「そんな物必要無いわ。私の魔術でここから脱出してみせる!」
農業を営む元気なお爺さんのような泥汚れとその笑顔を向けられ、アキハは「やれやれ」と肩をすくめて『緊急避難用瞬間回路』を開いた手のひらに乗せた。
「あのね、神保は重力があったからここまで来れたのよ。重力に逆らいながら地上に出るために、いったいどのくらい魔力を使うか分かる? そのためにせっかくこんなベンリな物があるっていうのに」
――異世界グッズ百科事典。『緊急避難用瞬間回路』
『ボタン一押し簡単帰還。モン○ンで言うところのモド○玉のような物』
「でももう私……ヤバイの」
顔をトマトのように赤らめ、うっとりした様子で息を荒げ。トロ~んとした目で「うへへ……」と笑って膝から崩れ落ちた。
「え? ちょっ、淫魔さん?」
「ダメ、もう! 爆発しちゃいそうぅぅぅ!」
淫魔エーリンは彼女自身の身体を抱きしめビクビクと全身を痙攣させる。
視点の定まらない目は涙で煌き、半開きになった口から艶めかしい糸を引きながら「えへへ……」と危ない笑い声を垂れ流し始める。
写メ撮ってトレスすればどこぞのエ○同人の表紙絵にでも使えそうな表情だ。
「いったいどうしたんですか!」
「体内で魔力が暴走してりゅぅぅぅ……」
皮膚の一部が内部から破られ、流れ出る魔力と血液で身体に塗られた泥が流れ落ちる。
皮膚が破れる度に悲痛の叫び声をあげ、腹を刺されたような苦痛に顔を歪める。
流石の元魔王でも、これだけ膨大な魔力を抱え込めるほどの魔力許容量はエーリンに無かった。
全表面を魔力に食い破られ、ドロドロと痛々しい血だまりが床を彩る。
垂れた舌から引いたねっとりした糸にも血が混じり、業火のように赤々と濁る糸が彼女の唇を濡らす。
医者では無いがアキハでも分かる。
――これは本当にマズイ。
「神保! どうしよう」
動揺して文字通り右往左往するアキハ。
体内魔力が暴走するとか物語の中でしか見たことも聞いたことも無い。
神保は3億以上も魔力を抱え込んで平然としていた。
異世界人の魔力許容量が底なしなのは分かっていたが。後になって考えると、毛穴ビームと拳の突進加速は、普通ならかなり危ない行動だったのでは無いか。
どちらにしても、神保の数億倍もの魔力を抱え込むことは生物学的にも流石に不可能なのだ。
このままでは淫魔エーリンの身体は内部から破壊され、スイカを床に叩きつけたような大惨事になってしまう。
どこかの国にトマトを投げ合うお祭りがあったような気がするが、下手するとそれ以上の被害が出る。
淫魔エーリンは苦しそうに喉を掻きむしり、まるで体内から焼き尽くされているような絶叫を上げながら地面を這いつくばっている。
――このままでは本当に危ない。
「エーリン! 俺の身体に魔力を流し込め!」
決死の表情をした神保がエーリンに駆け寄る。
体内魔力最大12億を溜め込んだ彼ならば、暴走した魔力の一部を蓄積すること
が可能である。
神保の体内魔力に許容量限度という言葉は無く、魔力を溜め込む部分は十分に残っているのだ。
「にゃはぁぁぁ!?」
エーリンの叫び声が変わった。
「エーリン……?」
「淫魔さん?」
淫魔エーリンの皮膚外壁の傷が徐々に修復されていく。
背中に穴が開けば肩の傷が治り、腕に傷がつけば肩の傷が修復される。
魔力暴走による傷を自身の『回復魔術』で治しているのだ。
「ひゃんっ! にゃぁぁぁん! いやぁぁぁぁ!」
エーリンの叫び声が徐々に苦痛から快楽を伴う絶叫に変わり始め、彼女の表情にもそれが現れ始めた。
「もうダメです。一足先にイっちゃいますね?」
エーリンがその場に立ち上がり、ゾクゾクと全身を痙攣させる。
カタカタと腰回りを震わせながら、生まれたてのポニーのような足取りでゆっくりと進み――
「にゃぁぁぁはぁぁぁあ!?」
甘く切ない絶叫とともに、淫魔エーリンは全身から魔力光線を噴射させ、迷宮最
下層の天井をぶち破り、暴走したエレベーターのように地上へと上昇していった。
――無限迷宮1階層
中心街ギルドの受付嬢サーフィアは迷宮内のお掃除をしていた。
行楽地感覚で大量に一般人が来たために、ゴミ問題や迷宮汚染の心配が募り、ボランティア奉仕活動として受付嬢が交代で清掃活動を行うこととなったのである。
そして今日がその初日であった。
「はぁ……第一回目からとか本当ついて無いわ」
無限迷宮1階層にはお菓子の包み紙や噛み終わったガム、タバコの吸殻や家畜のエサなど、ゴミ捨て場以上に汚らしくなっていた。
湿り気もあり風通しも悪いため。少し進むたび、鼻の奥に吐き気を催すほどの悪臭が闖入し、精神的にも清掃意欲を撃退させる。
「誰か素晴らしい冒険者様が、早く迷宮踏破を成し遂げませんかしら……」
言ってから深く溜息をつく。
サーフィア自身も気づいている事。
これまで何万年以上も前からこの迷宮に挑んだ者は、人類を含め誰ひとり踏破に成功していない。
今回もきっと同じこと。
突然現れた救世主の手により、まさかの迷宮踏破第一号! なんてことになればどんなに嬉しいか。
だがそんな事はどうでも良い。
二日で迷宮踏破可能な化け物がこの世に存在するはずも無く、下手に数十日で制覇されて、掃除が回ってこなかった受付嬢がいても嫌だ。
「受付嬢は掃除当番じゃねーんだよ!」
サーフィアの溜まりに溜まったストレスを怒号として迷宮内に撒き散らす。
スッとした。
普段から溜め込んでるものを撒き散らせるから、その点ではこの清掃も悪くは無い。
箒でゴミをまとめ、「さて、ちりとりを!」と腰を伸ばしたところで、突然迷宮内に地響きがした。
「え? 何、地震?」
サーフィアが驚愕してオロオロしていると、突然目の前の地面が破壊されて何かが飛び出してきた。
――全裸!?
サーフィアの視界に飛び込んで来たのは何やら素肌のような物。
褐色から黒い感じの色なので悪魔系かダークエルフだろうと推測はできたが、一瞬のことなので性別までは判断できなかった。
「あのっ! 大丈夫ですか?」
受付嬢サーフィアは高鳴る胸を押さえながら足早に駆け寄る。
迷宮から生まれた王子様。
温かい母性愛で救出した彼女は、やがてこの王子様(全裸)に気に入られて幸せな一生を暮らしました――
「うう~ん……」
悪魔系だ。
種族は分からないけどツヤのある艶めかしい身体をしている。
若い女性であるサーフィアは思わず、その細くて綺麗な指先で王子様の素肌を撫でる。
「んっ……!」
可愛らしい声。
もしかするとショタかもしれない。
サーフィアの大好物である女声ショタ――お母様! もしかすると私は宝物を発見したかもしれませんの!
ゆっくりとまぶたを開ける王子様エーリン。
どうやら誰かに抱えられているようだ。
――魔力量が正常値に戻った……数千億はありそうだけど、これくらいなら大丈夫。
エーリンは鉛のように重い上半身をブルンっと起き上がらせ、彼女自身を抱え込んでいる者が誰なのかを確認する。
「にゃふっ!」
豊満な膨らみに何かが触れた。
そして同時に聞こえる女性の声。
エーリンの胸に顔を挟まれたサーフィア。
サーフィアの腕に抱え込まれたエーリン。
「「女かよ!」」
全く同じツッコミがお互いの口から発せられた。




